6.
※
駅からの道を、とぼとぼと歩いた。どっと疲れて、足運びも普段より緩慢になった。
敵を知るのも作戦の内、だ? 敵どころか、私は己さえもわかっていなかったではないか。
高原くんのことがたまらなく好きだ。私はもはや誤魔化しようもなく、そう自覚していた。
だけど、バスと電車に独りで揺られている間に、少しだけ他のことも考えることができた。
私と高原くんは絶対に結ばれない。
私は魔術師。高原くんは普通の人間。私は〈連盟〉の正魔術師。高原くんは排除すべき非所属魔術師の弟。高原くんは一条のことが好きで、私の任務は一条の拉致。
こんな恋を自覚してどうするんだ。私は自分を責めた。
――バカ、バカ、バカ! ドゥ・イディオーティン、ノエマ!
重い足取りでたどる家路も、いつの間にか半ばを過ぎていた。頭の中はごちゃ混ぜ状態で、ぐるぐると色んな思念が渦巻いて、そしてそれを少しずつ、黒の絵の具が他の色を呑み込むように、暗い感情が塗りつぶしていった。
姉さんが変に焚きつけるから悪いんだ。
高原くんが思わせぶりな態度をとるから悪いんだ。
高原姉と相川がさっさと私達に負けないから悪いんだ。
一条が、水野さんが、永橋さんが、クラスのみんなが……
「城主様が私達をこんな所になんて遣わすから――」
大恩ある城主様にまで八つ当たりの矛先が向き、あまつさえそれが口から漏れそうになったところでハッとした。
何をやってるんだ、私は。悪いのは全部私。そんなのわかりきったことなのに。
「帰ろう……」
自分に宣言するかのように独り言。その声の湿っぽさに驚いてしまった。私は気づかぬ内にぽろぽろと涙をこぼしていた。
人目につく駅前通りを避けて裏道を行くことにした。少し遠回りになるが、今の私にはちょうどいい。
こんな顔、姉さんには見せられない。
※
宿舎に帰って夕食を摂ってから、郷土史研のメンバーは今日のレポートを書かされた。原稿用紙二枚。よく書けたものは部誌に掲載するとのことである。みんな大体似たり寄ったりの内容になるだろう、と詩都香は力を抜いて書いた。一方の由佳里は真剣そのものである。
オブリゲーションのない魅咲だけが、部屋の真ん中で寝転がってテレビを視ていた。まだ誰も浴衣に着替えていない。
こうして部屋に戻ってからも、詩都香と魅咲は一言も口を利いていない。
魅咲は詩都香と向き合おうとしなかった。たまに視線が合ってもすぐに逸らされる。コミュニケーションを拒絶するその壁を、詩都香の方も無理にこじ開けようとはしなかった。もう少し時間を置くべきように思われた。
詩都香だって気詰まりだし、おそらくは魅咲だって同じなはずだが、それ以上に困惑しているのは、その間に立つ由佳里だろう。レポートを書き上げた彼女はお風呂セットを手にやおら立ち上がった。
詩都香と魅咲の間にさっと緊張が漲った。
「あ、あのっ、相川さん。お風呂行きませんか? ついでに卓球しましょう。今日は負けませんよっ」
努めて明るく声をかける由佳里。
「ん、いいよ。返り討ちにしたげる。そんじゃ行こうか」
応じた魅咲もテレビを消して立ち上がった。
詩都香はほっとした。間を取り持とうと無理に介入されたらどうしようかと思ったのだ。
きっと魅咲も同じことを考えていたのだろう、そそくさとお風呂セットを準備すると、由佳里の先に立って素早く部屋を出ていった。
詩都香は足を崩してテーブルに突っ伏した。レポートはとっくに書き上げていた。執筆に集中しているふりをすれば魅咲に向き合わずに済むので、筆が進まないかのように見せかけていただけだった。
「やだなぁ、こんなの」
溜息とともに一人ごとが漏れる。立ち上がるのも億劫なので、他に誰もいないのをいいことに、念動力で部屋の隅の本を引き寄せた。足を崩したままそのページを開く。
二人が卓球でたっぷりかいた汗を温泉で流して戻ってくるまで、一時間以上あるだろう。関係修復に踏み出すのなら、その時が勝負なのかもしれない。でもどう声をかけていいかわからなくて、ぐじゃぐじゃと悩んでしまう。目は活字を追っているのだが、内容がなかなか頭に入ってこない。時には一枚余計にページをめくったことにしばらく気づかなかったりする。そんな自分にやきもきしながらも、詩都香は一文一文頭に刻みつけるように読み進めた。
周囲からは失礼にも「老成している」と評されることがある。もっと失礼なことに、「枯れ果てている」と言われることもある。どちらも、色恋沙汰に心を動かされない詩都香の態度に向けられたものだ。だがそんな評者たちもまさか思うまい、詩都香が初恋すら済ませておらず、そういう面ではようやく思春期のとばぐちに差しかかったところだなんて。
フィクションの恋愛なら数多く摂取してきたのに、いざ自分のこととなるとピンと来ないのである。他人の気持ちがわからないというのではない。ただ、理解と行動の間には、深い断絶があった。到底一足で跳び越せるとは思えない断絶が。
詩都香は文字を追い続けながら、一年ほど前に彼女への初恋を告白してきた少年のことを思い返した。自分の身にそんなことが起こるだなんて思ってもみなかった当時の詩都香は、あまりにもまっすぐだった彼の瞳に向き合うのを恐れ、ただ逃げたのだった。
あの美少年は今どうしているだろう。失恋の痛手からは立ち直れただろうか。詩都香の不誠実さを今でも恨みに思っているだろうか。
――異変を感知して、詩都香は『堀越公方と鎌倉』のページから目を上げた。ちょうど中盤、足利正知が関東に下向するくだりだった。
「……〈モナドの窓〉?」
詩都香の探知範囲ぎりぎりのところで、誰かが〈モナドの窓〉を開いた。直線距離にして約二キロ。魅咲ではない。魅咲よりももっと大きい。少なくとも詩都香と同程度。
となると、
(敵、か)
詩都香は目を瞑り、自らも〈モナドの窓〉を開くべく精神を集中した。
〈モナドの窓〉を開いてあわただしく部屋を飛び出すと、無人のフロントの前で携帯で通話をする奈緒と出くわした。奈緒は送話口を押さえ、外に向かう詩都香を制止しようとした。
「ちょっと待て、高原。今――」
「すいません、部長。少し夜風に当たってきます」
詩都香は靴を履き替え、非常口から外に出た。
〈器〉に働きかけて身体能力向上の魔法を使い、山林に飛び込む。距離をとってからマントと帽子を身につけ、さらに走る。宿舎の建つ高台からの坂道を転がるようにスピードを上げた。
相手が待ち構えていたのは、遊歩道から少し外れたところにある窪地だった。何度か上り下りしたので気づかなかったが、振り返ればやや高い所に宿舎の灯が見える場所である。ここから監視でもされていたのだろうか、と少し嫌な気持ちになる。
相手は外国人だった。中肉でやや長身。少し長めに伸ばした褐色の髪。この場にはそぐわないビジネススーツを着用している。見た目は四十代そこそこで、都会の雑踏にならそのまま溶け込めそうな風体である。
自分と同じ“非所属魔術師”、あるいは〈リーガ〉の魔術師であっても別件で行動しているのかもしれない、という詩都香の希望的観測は残念ながら当たらなかった。彼は敵意を隠そうともせずに彼女を待ち受けていたのだ。
「あー、ぐっど・いぶに――」
「高原詩都香だな」
何人なのか判断できずに、とりあえず英語で話しかけようとした詩都香をさえぎる形で、相手が口を開いた。流暢とまではいかないながらも、十分意思疎通できる日本語だった。
「いえす、あい・あむ」
出鼻をくじかれた詩都香は、半ば意地で中学生レベルの英会話を続ける。
「私の名はヤコムス。別に覚えなくても構わん。お前の命をもらいに来た」
もう少しレトリックもあるだろうに、ずいぶんとストレートな物言いをする男だった。
ラテン語名ヤコムスに対応する名は英語・フランス語のジャック、ドイツ語のヤーコプ、イタリアのジャコモなど。母国語の特徴が残った鼻母音から、ラテン系と見えた。
「ジャック、フランス語で話した方がいい?」
などとカマをかけてみる。
「ひどい発音だな。たしかに私はフランスの生まれだが、私が日本語で話す方がマシだ」
詩都香は内心ムッとした。まあ、会話は専門外である。
「伽那ならいないわよ。知ってると思うけど」
「知っている。私の狙いはお前だ」
「あらあら。〈半魔族〉の伽那だけじゃなく、わたしまでこんな所でも狙われるようになったんだ。大物になったもんだわ」
詩都香は嘯いた。そんな余裕のポーズを保持しておかないと、膝が笑い出しそうだった。ゼーレンブルン姉妹と戦うようになってから久しく忘れていた、得体の知れない〈リーガ〉の魔術師と相対する恐怖が蘇ってきた。
それを押し隠すように、彼女はマントの内側のポケットからサイコ・ブレードを抜いた。
※※
観光シーズンの午後だというのに、世界遺産都市の一角にある館の中は、ひっそりと静まり返っていた。時の流れから切り離されたかのようなその一室では、魔法と科学との合作によるプロジェクター設備が準備されていた。
スクリーンに映写されているのは、暗い林の中に悠然と佇むひとりの男性魔術師。
「どうやってこの映像を? 撮影班でも派遣しているのですか?」
彼女が尋ねると、卓上の映写装置に手をかざしていた盟主が、もう一方の手の中の黄紫水晶を示した。天然のままのゴツゴツした形状だったが、その半ばから人工的に断ち切られているのが看て取れた。
「彼にこいつの片割れを持ってもらっているんだ。そうしておけば、私の力で何とかなる」
彼は軽く言うが、それにしても地球の裏側の映像である。どれほどの技術を培ってきたのだろうか。
「君にも教えてあげようか? いつでも愛弟子たちの顔を見られるよ」
「結構です。そんな覗き趣味のような魔法」
彼は苦笑して室内の一同を見回した。
「さて、そろそろかな。時差ってのは厄介だね。おかげで僕らは真昼間からこの薄暗い部屋に押し込められる」
周囲のそこかしこで笑いが漏れた。
「こうして集まってもらったのは他でもない。みんなにも見て欲しいんだ。あの娘の異才をね。あ、なかなかに見目麗しいお嬢さんだから、そこは楽しみにしてくれていいよ。まあ、ここにおわすフォン・ゼーレンブルン嬢には敵わないけれど」
視線が自分に集まったのを感じ、彼女は顔をしかめた。変なご機嫌取りは要らないのに、この男はいつからこんな軽い調子になったのだろう。
「それから、どうも彼女のことを知らない人も多いみたいだから、この機に紹介しておこう。次にいつ来てくれるかわからないし」
彼女はもう一度渋面を作る。余計なことはしなくていい。
「――フォン・ゼーレンブルン嬢、かつての私の相棒にして監視者、〈悦ばしき知識の求道者連盟〉選挙侯首位、ドイツ大法官殿、だ。えーと、今のご芳名はなんだっけ?」
「アントーニアです」
立ち上がって軽く頭を下げる。場がざわめいた。彼女に何かと突っかかってきていたスペイン大法官は唖然とし、とうに承知しているフランス大法官は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべている。
そのフランス大法官に、盟主が尋ねた。
「フランス大法官、今度の魔術師は君のところからの推薦だったね。アジャンの出身だとか」
「ええ、当地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の通過点です。悪くない思いつきでしょう。彼の師によれば、まだ第八階梯の研修生ですが、このところ実力を伸ばしている武闘派だそうです。近年は魔法の知識や新技術の研究をなおざりにして戦闘のみに特化するような輩が増えていますが、こういう時にこそ使ってやりませんとな」
たとえ失っても痛くないコマということだろう。しかし彼女は口を挟まずにはいられなかった。
「何を考えているのですか、フランス大法官。第十五階梯のあの子たちが苦戦する相手に、今さら研修生を当てるなど」
フランス大法官が彼女に向き直る。
「それは三人揃っていたらの話でしょう。それに、本人には伝えておりませんが、今回の本当の目的はタカハラの処分ではないのです。そうですね、閣下?」
盟主はやや大げさな身振りで頷いた。
「その通り。ま、彼が勝ってタカハラが殺されるなら、それはそれで仕方がないが。そういえば、あの三人には東京支部がコードネームをつけていたね。何だったかな」
「〈鳥無き島の三羽蝙蝠〉、だそうです」
イギリス大法官が応じた。
盟主は首を傾げた。「鳥無き島」という語句には、大法官の地位を狙う東京法官の、いつまでも日本大法官を置いてもらえぬ現状に対する不満と自虐が込められているのだろうが、盟主にはそれが理解できないらしい。
イギリス大法官はさらに続けた。
「しかし、彼女たちは自分たちでチーム名をつけております。よほど東京支部の命名が気に入らなかったと見えますな」
「ほう、それは何と?」
「……たしか、“プエラエ・マガエ・ポスト・スコラム”――〈放課後の魔少女〉」
映像の中で下生えの草が揺れた。待ち人が到着したのだ。
盟主がアングルを調整すると、奇妙な帽子を被ったタカハラの顔がスクリーン上に大写しになった。




