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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第六章「感じやすい心で Sie tragen empfängliche Herzen」――九月二十一日
32/62

5.

 ※

 ユキが持ってきたお茶が美味しいのか不味いのか、よくわからなかった。平静を保つように努めたものの、味覚の方は持ち主の心理状態に敏感だった――敏感に鈍磨した。

 感覚器官としての役割を放棄した私の舌だったが、その代わりよく動いてくれたと思う。普通に相槌が打てた。普通に話せた。普通に……笑えた。

 お見舞いがあまり長くなっても、ということで、私と高原くんはその後三十分くらいで退出した。一刻も早くこの場を逃れたかった私にとっては、渡りに舟だ。

 別れ際、一条が小さく「ごめんね」と呟いた。何のつもりかはわからない。わかるつもりもない。

「泉、どうかしたか? ちょっと様子が変だったけど」

 バス停まで肩を並べて歩きながら、高原くんが訊いてきた。私の「普通のつもり」は、彼を欺くことができなかった。

 どうしてんなところばっかり聡いのだろう。その優しさが私を傷つけることになんて気づいていないくせに。

 首を振って「大丈夫」を表明してから、意を決して口を開いた。

「高原くんって、一条さんのこと……」

 語尾が尻すぼみになってしまう。だって仕方ないじゃないか。こんな事実、本当なら確認したくなんてない。

 だけど高原くんははっきりと頷き、

「ああ、やっぱバレバレだったか。うん、好きだよ」

 そう言い切った。

 まったく、これっぽっちも、都合のいい誤解を許さない口調で。

 ダメだ、ノエマ。ここで話を途切れさせてはダメだ。二度と彼と話せなくなってしまう。せめて今だけは、勘違いの挙句に勝手に失恋したバカな女の顔は出すな。

「……いつから?」

「さあ? 結構昔からかな。小学校の頃から姉貴の友達だったから、もう五年くらいのつき合いだし」

 高原くんは残酷だ。それでは私の入る余地なんて少しもないじゃない。

「一条はそれに気づいているの?」

 ――動揺してるのか、バカ。呼び捨てにしてるぞ。

 幸いにも高原くんはそれを気に留めなかった。

「ん~、たぶん全然。ていうか、一条先輩は俺のこと、姉貴の弟としか見てないよ。うちの姉貴と相川先輩――一条先輩には、この二人が一番大事なんだ。だからもし俺の好意に気づいたとしても、三人の関係を損なうと思ったら気づいてないふりをするだろうな」

「……あなたはそれでいいんですか?」

「いいも何も、惚れた弱みだよ。それにしょうがないさ。姉貴には勝てっこないもん」

 だろうな、と私は納得した。高原くんは、一条に憧れを向けているだけで、恋心を知られるのを怖れている。そうでなければ、私みたいな明らかな邪魔者をわざわざ連れていくものか。

 ぎりっ、と奥歯が軋んだ。腹が立った。高原くんに。その姉に。

 そして誰より一条に。人の好意に甘えっぱなしのクソ女(フーレントホター)に。

「その点、三鷹さんも不幸だよ。姉貴にひっかかっても望み薄だもんな。あ、こないだ三鷹さんと会ったの覚えてるよな?」

「……ええ」

「三鷹さんは姉貴に一目惚れしちゃったらしいんだけど、元々は相川先輩と幼馴染なんだ。相川先輩の家が五年前にこっちに引っ越してくる前のな。相川先輩が三鷹さんのことを好きなのかどうかは知らないけど、少なくとも姉貴はそう思ってるし、俺もそうなのかもくらいに考えてる。

 三鷹さんはいい人だから、そりゃ姉貴だって悪い気はしてないだろうけど、三鷹さんとつき合ったら相川先輩との関係がややこしくなるかもしれないし、OKは出さないだろうな。やっぱり今はまだ三人の関係が大事なんだよ、姉貴にとっても。

 姉貴も三鷹さんもミサ姉も徹底的に不器用だから、ひでえもんだぜ。三鷹さんが姉貴に惚れて相談を持ちかけた相手がよりにもよって幼馴染のミサ姉だ。ミサ姉は自分の気持ちを裏切って――というのは俺の推測だけど――、その相談に乗って三鷹さんと姉貴をくっつけようとする。姉貴にはこんな板ばさみに対処する力は無いからな、まごつくばかりだ。傍から見てたら面白いんだろうけど」

 途中から相川魅咲(みさき)をミサ姉と呼んでいたが、本人は気づいていないらしい。

 私はこの件について資料で読んでいた。高原くんがいみじくも述べたとおり、面白い関係だと思っていた。しかし高原くんから語られると、いらいらするほどよじれたグロテスクなものに思えてくる。

「どうして私にそんな話を?」

「ん? だって姉貴たちと知り合いなんだろ? 変に巻き込まれないように、と思ってさ」

「……あの三人、どうしてそんなに仲がいいんでしょう」

 気持ち悪い、という言葉を私は辛うじて飲み込んだ。一番の元凶は、自己充足的で閉鎖的な高原姉・相川・一条の関係だ。

「姉貴は元々社交的な性格じゃなくて、閉じこもりがちだったけど、とりわけ母さんが死んだ後しばらくはほんとヤバかった。うちの親父、結婚してすぐに一年ちょっと海外を飛び回る羽目になってさ、身重の母さんは残って一人で姉貴を生んだんだ。母さんも寂しかったんだと思う。精一杯の愛情を姉貴に注ぎ込んだ。そのせいかな、母さんと姉貴はずっと仲がいい親子だった。そりゃ俺だって、それからきっと親父だって、母さんが死んだときはものすごくショックだったけど、姉貴の前ではそんなこと態度に出せなかった。小学三年の俺がだぜ? どんだけ家族に心配かけんだよ、って話だよな。学校にもあまり行かなかったし。でもそこに、相川先輩が転校してきた。元々は静岡の方に住んでたんだけど、色々事情があったみたいでさ」

 その件は知ってる。静岡での幼馴染が三鷹誠介であったことも。

「……んで、ん~、いつの間にか二人は仲良くなってた。たぶん、相川先輩が姉貴を引きずり出してくれたんだと思う。そして二人は今度はもう一人引きずり出した。それが一条先輩だ。今じゃ考えられないけど、一条先輩は病弱な深窓の令嬢だったらしくてさ。学校に馴染めなかったのを、二人が何とかしたんだとさ。……あれ、なんでこんな話してたんだっけ?」

「私が訊いたんです、どうしてあんなに仲がいいのか、って」

 助け舟を出してやった。それにしても、同病相憐れむ、といったところか。やっぱり気持ち悪い。

「あ、そうそう、そうだっけ。だから俺、相川先輩と一条先輩には感謝してるんだ。……母さんはさ、姉貴の育て方を間違ったのかもしれない。いくら親だって、死んだ後まで子供を呪縛するような育て方はダメだ」

 高原くんはそう言うが、そしてそれは私にとっても理解できる言いようだったが、納得はできなかった。

 甘えのように思えた。捨てられた記憶でしか両親との繋がりを保てない私たちみたいなのがいるのに。母親からたくさんの幸福な思い出を授かっているはずなのに。父親とは今でも一緒に暮らせているのに。

 水曜日の帰り道に高原くんと話しながら抱いていたのとは、まるで逆の心境だった。どこぞの哲学者や心理学者の言を俟つまでもなく、物事とは受け取る側の状態次第なのだ。

 帰りのバスは別々だった。高原くんの家はここからだとバス一本で帰った方が早いのだそうだ。一方の私は、駅までバスで行って電車に乗った方が便利だ。

 駅までの路線は本数が多いので、私の乗るバスはすぐに来た。

「お、泉。あのバスだ」

 小豆色の車体を指差す高原くんに、食事を作りにいくだなんて到底言い出せなかった。

「じゃあ、週明けにな。あ、月曜日は祝日だから、間違えんなよ」

「うん」

 頷いた私は、ちゃんと笑顔を作れていただろうか。



 ※

 韮山での日程もつつがなく終えられそうだった。問題があるとすれば、途中で消えた副部長の佐緒里たち一行がなかなか戻ってこないことくらいであろう。

 結局その日一日、詩都香(しずか)は由佳里と行動を共にしていた。駆け込んだ先の反射炉を見学した後、実測作業が続いているであろう韮山城址を大きく迂回して史料館へ。それから駅のそばのカフェで甘い物を摂り、北条時政の墓を詣でてきた。駐車場に戻ったのは詩都香たちが一番乗りだった。

 未だ帰ってこない三人を待ちながら、今日見て回ったスポットについての話の花が咲く中、詩都香は綾乃の車に背を預けて独り文庫本を読んでいた。

 何も今日が特別なのではない。詩都香は暇さえあれば本を読んでいるし、今日に限って積極的におしゃべりに加わったら、かえって由佳里に奇異の念を与えてしまうだろう。

 それに、昨夜から由佳里は詩都香に気を遣いすぎている。当初の目論見通り、上級生とも打ち解けて欲しい。

(そう、普段通りに。わたしは普段からこういう気の回し方をする奴だったじゃない)

 あくまで平静な物腰を崩さぬまま、「修善寺物語」を含むその文庫本をもうすぐ読み終わるというところで、声をかけられた。

「あ、あのね、高原さん……」

 由佳里だった。

 ページから目を上げた詩都香はその様子に気落ちした。

 ダメだったのだ。ほころびは取り繕えなかった。

 いたしかたなし――詩都香は由佳里の方へと体を向けた。

「由佳里、次にあんたは『わたしじゃ相川さんの代わりは務まりませんか?』と言う」

「わたしじゃ相川さんの代わりは務まりませんか? ……あっ」

 詩都香の適当な台詞を一字一句違わずに繰り返す由佳里。意外とノリのいい性格なのかもしれない。いずれにせよ、彼女が似たような言葉をかけようとしていたのは確かだろう。

「やっぱりそんなこと考えてたんだ。代わりが務まるとか務まらないだとか、そんなんじゃないでしょ、わたしたちの関係は」

「ごめんなさい……。でもやっぱり高原さんが辛そうで……」

「ううん、気を遣ってくれてありがとう、由佳理」

 しょんぼりする由佳理の肩を叩きながら、詩都香は胸が締めつけられるような罪悪感を覚えた。

 耳触りのいい言葉で誤魔化しててしまったが、実際のところ、あんたじゃ魅咲の代わりにはならない、と言ったのと論理的には等価なのだ。

(とんだクズだな、わたしって奴は)

 沙緒里たち三人が戻ってきた。慣れぬ作業を手伝わされていたのであろう魅咲は、珍しく疲れた様子だった。

 憮然としたその顔が見えた瞬間に、詩都香は再び文庫本に目を落とした。

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