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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第六章「感じやすい心で Sie tragen empfängliche Herzen」――九月二十一日
30/62

3.

 ※

 私たちは東駅まで戻り、そこから下りの普通電車に乗った。向かうは三つ隣の西京舞原(きょうぶはら)駅である。

 西京舞原駅はその名を半分だけ裏切っていて、方位で言えば東京舞原駅の北西に所在する。私たちが下車した後、電車は緩やかなカーブを描く線路を南西に向かっていった。車内はそこそこ混雑していた。三連休の一日目だ、箱根や富士、あるいは高原姉たちのように伊豆に出かける人も多いのかもしれない。

 どこまでを東京舞原と言い、どこからを西京舞原と言うのかは、慣習上の問題に過ぎないらしい。市の真ん中にでんと構える標高四百メートル程度の九郎ヶ岳丘陵地帯が、大体の目安になっている。

 高度成長期に人口の比重を東に奪われ、新幹線の駅もとられてしまったが、それでもこちらにだって二十万近い人が住んでいる。この数字上の事実に、ドイツの田舎育ちの私はくらくらする。

 もうお昼を回っていたので、駅の中のファミリーレストランで遅めの昼食を摂った。

「悪い。こっちはワリカンだ」

 高原くんは少し苦い顔をした。頭の中では、食費として二千円札を置いていった姉への非難が渦巻いているにちがいない。

「いいよ、そんなの」

 なんだか微笑ましくなる。さっきのカフェでおずおずとお札を出した高原くんを思い出してしまった。

 駅前のフラワーショップで二人でお金を出し合って花束を買い、バスに乗り込んだ。

 再開発が進んだ東と比べると、こちらの道はやや入り組んでいる。駅周辺の一定範囲はにぎやかだが、そこを抜けると、かつての城下町の風情が残る静かな街並みが続く。高原姉たちが“上の大学”と呼ぶ水鏡(みかがみ)女子大学のキャンパスもバスの車窓から見えた。たぶんそれがきっかけだったのだろう、しばらく無言でいた高原くんが口を開いた。

「こないだの話だけど、お前もミズジョ行くの?」

「えっ?」

 思ってもみなかった質問にうろたえてしまった。将来のことなどさっぱり考えていない。というより、なるようにしかならないと考えている。ここでの任務だって、来週には完遂して日本を去る可能性もあるのだ。

 でもそんなこと、高原くんには言えない。はぐらかすために少しからかいの交じった口調で問い返す。

「……高原くんは? お姉ちゃんの後を追って進学するの?」

 ぜってー行かねー、という答えを予期していた。ところが案に相違して、高原くんは顎に手を当てて考え込んだ。

「いやあ、どうすっかなぁ。今のままの成績じゃとても無理だしなあ」

 意外だ。言下に否定されるものと思っていたのに。私だったら、あの姉がいる学校に通うのは遠慮したい。

「誰か友達がミズジョ行くの?」

「いや、そういうんじゃないけどさ」

 高原くんは少し歯切れ悪くそう言い、首を振った。そこで降車予定のバス停に着いた。

 入り組んだ道を二、三分ほど歩いた所にある一条の住まいは、城とまではさすがにいかないが、伝統に裏打ちされた優美さを具えた、広壮な洋風建築だった。元は彼女の曽祖父が建てた屋敷らしい。

 この街は一条グループの創業の地だが、一条の両親(エルターン)も父方の祖父母(グロースエルターン)曽祖父母ウアグロースエルターン(!)も、今はグループの本社のある東京で生活している。病弱だった一条は、二十歳までは生きられないと医者に言われ、ごみごみした都内よりはまだ幾分か環境のよいこの街で育てられた。中学に入る頃には医者の見立てをことごとく裏切って健康な体となったが、その後もこの街を離れたがらず、そのまま今にいたる。

 いかめしい造りの門柱に設えられたチャイムを高原くんが押した。塀の上から監視カメラが狙っているのがわかった。さすがにものものしい。

 高原くんが機器越しに二言三言話すと、門が自動で開いた。私たちは洋風に整えられた前庭を肩を並べて歩き、噴水の脇を巡って、車寄せ付きの玄関にいたった。

 重厚そうな両開きの扉の前には、一人の女性が立っていた。

「こんにちは、琉斗(りゅうと)くん。今日は詩都香(しずか)さんと一緒じゃないの?」

 その姿に息を飲んだ。

 出迎えてくれた女性は、二十歳そこそこと見えた。ありえないことに、メイド服を着込んでいる。いや、サブカル大国の日本のこと、これくらいはありなのかもしれない。

 そしてその似合いっぷりと来たら、これがまたすごい。すっと通った鼻梁と切れ長の双眸。緩やかなウェーブのかかったセミロングの髪と白いヘッドドレスの組み合わせは、文句のつけようのない人工の美だった。

 この世ならざる、とはこういうのを言うのだろうか。城主様(へリン)以外で、これほどの美人は見たことがない。近づくのが怖いくらいだった。ややもすると冷たく感じられる雰囲気をまとわせているのに、同性の私でさえゾクゾクしてしまうような妖艶さがあった。彼女に比べたら、高原姉のクールビューティ気取りも背伸びした子供にしか思えない。

 その美貌にひるんだ様子もなく、高原くんは慣れた調子で彼女に軽く挨拶した。

「どうも、ユキさん。姉は部活の合宿とかで、相川先輩と旅行に出てまして」

 どうやらこちらも昔からの顔馴染みのようだ。メイド服の女性は、ユキというらしい。

「あらあら、伽那(かな)も行くって言っていたあれね。昨日は行きたいってグズって手を焼かされたわ。今日は伽那のお見舞いに?」

「そうです。薄情な姉たちに代わってね」

「それはそれはわざわざありがとう。――ええと、こちらは?」

 ユキが私に視線を向けた。

「同級生の泉です。たまたま今日は一緒で。一条先輩とも知り合いらしいので誘ってみました」

「泉恵真(えま)です。はじめまして」

 高原くんに促され、お辞儀をする。体を折りつつ上目遣いに窺えば、ユキの視線はじっと私に注がれていた。その瞳にはほんのわずかな値踏みと警戒の色が浮かんでいた。

 それも束の間、ユキはスカートの裾をそっとつまんでお手本のようなカーテシー(クニックス)をしてみせた。

「……はじめまして、泉さん。琉斗くん、可愛らしいガールフレンドね。伽那には声をかけておきましたので、どうぞお部屋へ」

「へーい、それじゃお邪魔します」

 ユキは一歩横にずれると、開いたままの扉を左手で示す。高原くんは花束片手に無造作に中に入っていった。ガールフレンド呼ばわりされてまんざらでもない気分で、私もそれに続く。

 ――背が粟立った。振り返らずとも、ユキの視線が私に突き刺さっているのがわかった。あまり歓迎されていないのかもしれない。

 高原くんに先導されながら、小規模編成の楽団ならコンサートを開けそうなホールを抜け、高級そうなマットを踏みしめながら階段を上がる。吹き抜けのホールの上、二階相当の高さに回廊が巡らされ、その片隅の最も日辺りが良さそうな角部屋が一条の私室だった。

 手にした花束を私に預け、高原くんがドアをノックする。すぐに反応があった。

「琉斗くん?」

「こんにちはー、一条先輩。お見舞いに上がりました」

「ありがとー。うん、入って」

 高原くんがドアを開けて中に入る。花束を持ったままの私もそれに続いた。

「あ、琉斗くんに、……あれ、恵真ちゃんも。お見舞いありがとね。ごめんね、こんな格好で」

 パジャマ姿の一条は、ベッドから上体を起こした姿勢で少し恥ずかしそうに笑った。枕元には一冊の文庫本が伏せられていた。今まで読んでいたのかもしれない。

 拉致すべき標的を見舞うという夢想だにしなかった展開に、いざとなるとめまいを覚える。私も熱を出すかも。

「大丈夫なんですか、先輩?」

「平気だよぉ。もう熱も七度台だし。詩都香がよく眠れる本を貸してくれたから、昨日からたっぷり睡眠とってるもん」

 枕もとの文庫本を指差す。カール・ヒルティ著『眠られぬ(フュア・)夜のためにシュラーフローゼ・ネヒテ』……なるほど。

 本来は、「眠れない夜は神様の与えてくれた時間なのだから、この機にじっくり省察をするように」と人々を誘う敬虔な本なのだが、実のところ私にも、「これを読めばどんなに不眠症でもたちどころに快眠できます」というつもりでつけられた題名としか思えない。

「少しは日々の行いを反省できましたか?」

「十ページもたなかったよ」

 私の皮肉に、一条はふにゃら、としまりのない笑顔を浮かべた。

「あ、悪い。持たせっぱなしだったな」

 高原くんはそう言うと、私の手から花束を取り上げた。

「はい、先輩」

「わぁ、ありがとう。可愛い~」

 花束を受け取った一条は、子供っぽくはしゃいだ。

「泉と二人で買ったんです」

「恵真ちゃんもありがとう。うん、いい匂い」

 お見舞いの形式に則っただけのつもりだったが、一条は花が好きなようだった。ひとしきりその色彩と香を堪能してから、サイドテーブルの上に置く。

「詩都香と魅咲は今頃伊豆かぁ。いいなぁ、わたしも行きたかったよ」

「向こうで変なことしてなきゃいいんですけどね」

「詩都香はああ見えて人の迷惑になることはあまりやらないよ。でも、トラブルに巻き込まれやすいからなぁ。魅咲が何とかしてくれると思うけどねぇ」

「高原……さんたちから連絡は?」

 おっと危ない、ここでは可愛い後輩を演じておかないと。

「ううん、ぜーんぜん。魅咲は昨日メールくれただけだし、詩都香も昨日の朝本を持ってきてくれたっきり」

「ああ、お姉ちゃんはそれで早く家を出たんですか」

 高原くんが納得したように頷く。

「ま、それだけじゃないみたいなんだけどねぇ。――あ、ううん、何でもない」

 一条は失言と見てか言葉を濁した。高原は何か他の用もあったのだろうか。

「ごめん、立たせたままで。座って」

 一条はそこでベッドサイドにある二脚の椅子を指した。普段は高原姉と相川の定位置なのかもしれない。

「さっき、メイドさんに会いましたが」

「ああ、あれ? ユキさんっていうの。わたしの姉代わりみたいなものかなぁ。小さい頃から、ずっとお世話になってるんだ」

「そういやユキさん、今日は忙しいんですかね? 普段はいつの間に用意したんだ、ってタイミングでさっとお茶持ってきてくれるけど」

「え? ……さ、さぁ。さっきまでお医者さんが来てたから、ちょうど送り出すタイミングだったのかも。ごめんね、わたしがお茶淹れられるといいんだけど」

 一条はちらっと私を見た。そこでピンと来た。普段は客人の応接に疎漏がないというメイドが姿を見せないのは、きっと私に関係している。。

「場所さえ教えてもらえれば、私が淹れてきますが」

「いいよいいよ。お客様なんだから座ってて。その内持ってきてくれるよ」

「そうそう。ミズジョの生活ってどうですか?」

 高原くんの発した少し唐突な問いに、一条はにこにこしながら応じた。

「楽しいよ。女子多いけど、普通の女子校のイメージともちょっと違って、そんなに乱れたところないし。やっぱ少ないけど男子がいるからかなぁ」

「男はやりづらかったりしません?」

「そういう人もいるみたいだね。でもそこは受験の段階でわかってたんだから、諦めてもらわないと。三鷹くんみたいに、それ目当てで入ってきた人もいるし」

「三鷹さんはしょうがないですよね。それでうちのお姉ちゃんみたいなのに引っかかっちゃうんですから」

「ふふふ。でも、わたしは詩都香はいいと思うよ? 三鷹くんはともかく、もっと男の子にモテてもいいと思うんだけどな」

 シスコン高原くんがどう応じるかと思ったが、意外にも同意を示した。

「そうですね。ま、あの性格と趣味じゃモテるのは無理かもしれませんけど。でも俺は、三鷹さんもいいと思うんだけどな」

「そこは当人たちの気持ちの問題だしねぇ。複雑なんだよ。恵真ちゃんはどう?」

「はい?」

 しばし聴き役に徹していた私は、思わず訊き返してしまった。高原くん、この人の話題の手綱をしっかり握っててよ。

「恵真ちゃんはモテそう。琉斗くん、その辺どうなの?」

「あ~、こいつは人気ありますよ。本人は気づいてないみたいだけど」

「なっ、何を言ってるの。私なんか全然……」

 両手を振って否定しながら、胸がちくりと痛んだ。その痛みの原因を探る間もなく、高原くんがさらなる一撃を加えてきた。

「俺が最近泉とよく話すもんだから、取り次いで欲しいってのが何人かいるんですよ。それこそ泉本人の気持ちの問題だし、保留してるんですけどね。泉、どうする?」

「え?」

 どうしてそんなことを訊くの、高原くん?

「まあ、明らかにただ彼女が欲しいってだけの奴は弾きたいところだけどさ。結構本気っぽいのもいて、少し困ってるんだ。そんななら自分で直接行けって言ってやったら、『泉って控えめだし、直接迫ったら断りきれずにOK出されちゃいそうな気がするんだ。俺はそういうんじゃなくて、率直な気持ちを確かめ合いたいんだよ』だってさ。そんなのつき合ってみないとわからないと思うんだけどな」

 一連の言葉が私の胸に染み込むまで、しばらく時間を要した。そして次の瞬間、ずしっと胃の腑に落ち込んできた。

 私はその衝撃と共に理解してしまっていた。

 ――高原くんは私に恋愛感情を抱いているわけじゃない、と。ただの友人だから、こんなことを話せるのだ。

「……恵真ちゃん? どうかした?」

 急に黙りこくってしまった私の顔を、一条の鳶色の瞳が覗き込んでいた。はっとして目を逸らす。それでも、一条の視線が泳いだのがわかった。

「あ、そうだ! こないだ恵真ちゃんとしていた話だけど、琉斗くんだって来年高校受験だよね。どこ受けるの? ミズジョ来る?」

 一条が意識的に話題の転換を図った――いかにも彼女らしい、自然に不自然なやり方だったが、私にはそんな風に感じられた。

 ……見透かされた? よりにもよって、こいつに見透かされた……?

「うーん、そうですねぇ。でも、今の俺じゃ成績が」

「詩都香に教えてもらえばいいじゃない。相変わらず成績いいよ?」

「知ってますって。でも、お姉ちゃんは人に教えるの下手そう」

「そんなことないと思うけどなぁ。じゃあ、魅咲に教えてもらう? こないだの課題テストも一番だったよ」

「相川先輩は努力型の人ですからねえ。お姉ちゃんよりはマシかも。でも、間違う度に叱られそうっすね」

「魅咲は三鷹くんを赤点から救ったこともあるし、上手いよ、きっと」

「……そう言う先輩はどうです? 俺に勉強教えてくれません?」

「わたし? わたしはダメだよぉ。魅咲にも詩都香にも全然敵わないし」

「でも、ミズジョの合格水準満たしたから入れてるんでしょ?」

「あれも二人からずいぶん助けられたもん。それに琉斗くん家からうち遠いし、家庭教師は難しそう」

「あー、そういやそうですねえ」

 高原くんは納得したようだったが、その表情は露骨に残念そうだった。

 ――一条、なの? 完全に黙りこくった私を気遣うようにちらちら視線を送ってくるこの女なの? 高原くんが勉強を教えてくれるよう頼んだ時の目つきは、それまでよりも真剣なものだった。

 高原くんは、こいつのことが……?

 これ以上二人の親密な様子を見せられるのは嫌だった。私は椅子を蹴立てて立ち上がった。

「泉?」

「私、花を活ける花瓶を探してきます」

「恵真ちゃん、いいよ。後でユキさんがやってくれるか、ら……」

 一条の言葉は尻すぼみになった。私の心の動きを看取したのかもしれない。

 私は構わず部屋を出た。

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