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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第六章「感じやすい心で Sie tragen empfängliche Herzen」――九月二十一日
29/62

2.

 カウンターでチケットを出して鑑賞券と交換してもらい、売店で飲み物を買って席に着く。客の入りは三分といったところだった。明日で上映期間が終わるらしいのでこんなものだろうか。私たちの席は、前から八列目のど真ん中。

 場内が暗くなり、公開間近の作品の宣伝が始まる。それらに交じって、やたらと結婚式場のコマーシャルが入るのはなぜだ。背中がむず痒くなってしまう。

 映画本編は可もなく不可もなくといったところだった。字幕を追うよりはまだ英語の台詞の方が理解できた。アメリカの情報官が主役の軍事スリラーもの。作品の出来不出来以前に、起こっている事態を把握するのに骨が折れた。中学生がカップルで観にくるものとしては、少し重たいかもしれない。

 上映が終わってから、こういうのが好きなのかと尋ねると、高原くんは「いや、好きってほどでも」と答えた。チケットはもらい物らしい。

「誰からもらったの?」と訊けば、「姉貴」だそうである。

 ……むぅ。

 映画館を出た後、これも高原姉の紹介だという和菓子カフェに入った。

 最初に緑茶と一緒に白とピンクの物体が出された。白い方は小さなうさぎの、ピンクの方はこれまた小さなモミジの形をしている。

「……これは?」

「あー、なんつったっけ? ラクなんとか。お茶菓子だ」

「食べられるの?」

 細やかな装飾品みたいだ、と感心する。

「もちろん」

 高原くんはそう言ってうさぎの方を口に入れた。私もそれに倣って、自分のお皿からうさぎを食べてみる。

 ……不思議な味覚だった。マルチパンのようなものかと想像していたが、全然違った。砂糖(ツッカー)そのもののようでいて、舌の上でさっと溶けてしまう。甘みが後を引くこともなく、むしろ清涼感すら覚えるほどだ。

小さな芸術品アイン・クライネス・クンストヴェルク……」

「あ?」

 我知らず漏れた感想に、高原くんは怪訝そうな顔をする。

「ううん、和菓子ってあんこ使ったものばっかりだと思ってたから、ちょっと感動。私、あんこが苦手で」

「ええっ? あんこが苦手って、なんでだよ?」

「人によって色々らしいけど、私はあのぷちゅぷちゅした食感がまずダメ」

 あんこが苦手な外国人が多いことを、高原くんは知らないようだ。

「ていうか、あんこダメならなんで誘いに乗ったんだ?」

「あ、えーと、その……」

 あなたから誘われたからだとは言いづらい。言葉に詰まっていると、

「そういや、あっちでは緑茶にも砂糖やらレモン果汁やら入れるんだって? 俺たち日本生まれ日本育ちとしてはゲロゲロなんだけど、どうなん?」

 などと、お茶の入った湯飲みを手にした高原くんが話題を転換する。さっきのはこだわるほどの質問ではなかったようだ。

「ええと、飲んだことないな」

 本当にない。向こうでは緑茶自体見たことがない。これも高原姉の披露した豆知識なのかもしれないけど、そういうご当地あるあるネタは私に振らないでほしい。

 ――そういえば高原姉め、メールを返信してこなかった。こっちは恥を忍んで送信したのに。


 お茶を飲みながらメニュー表を睨み、私は葛もちを、高原くんはあんみつを選んだ。

「あ、それと、すみません――」

 和装の若い女性店員に注文を伝えた後、高原くんは彼女を呼び止めて耳元に口を寄せ、何ごとか囁いた。彼女は少しの間考えてから、高原くんに囁き返した。

「――じゃあ、それで」

 高原くんが頷き、店員はにこにこしながらカウンターの奥に戻っていった。

「……どうしたの?」

 少し面白くない。大学生くらいの、華やかな印象の店員だったのだ。

「いや、一品追加したんだ。練切りってやつ」

 そのまま観てきたばかりの映画のパンフレットを眺めながらおしゃべりすることしばし、湯呑みの中のお茶が底を突くころになって、注文した品々とお茶のおかわりがやってきた。

「綺麗ね、それ」

 テーブルの上に置かれた平皿にちょこんと二つ載った、紅白の練切りとやらを見て、またも感心してしまう。和菓子というとどら焼きやお饅頭ばかり想像していたけど、目を楽しませる工夫が凝らされているものも多いようだ。格子状のレリーフが入った暗い色合いのお皿も、菓子の鮮やかさを引き立てている。

「“秋風”っていうメニューなんだとさ」

 高原くんは太い爪楊枝(黒文字というらしい)で赤い方を真っ二つに切り、中身を確かめてから、「泉、食べてみ?」と私にお皿差し出してきた。

 私はおずおずともう一本の黒文字をとり、高原くんが切ってくれた赤の練切りをさらに半分にして舌の上に運んだ。見た目よりもずっしりと中身が詰まっていた。

「あ、これも美味しい」

 もちもちっとして粘り気がある食感だが、下品にならないしっとりとした甘さである。今しがた切ったばかりの片割れも口の中に放り込む。

 高原くんはイタズラっ子めいた笑みを浮かべた。

「それもあんこだぜ?」

「えっ!? 中身あんこ!?」

 この不意打ちに、私は思わず口に手を当ててしまった。

「つっても白あんだけどな。中身だけじゃなくて、皮の方も白あんが原料だって」

「早く言ってよ、高原くん」

 口の中をモゴモゴさせながら、恨み言をこぼす。

「いやいや、美味しいって言って食べてたじゃないか」

「それはそうだけどさぁ……」

「さっき店員さんに訊いたんだ。ひと目であんこっぽく見えない、食わず嫌いでも食べられそうなのありますか、って」

「はじめからだます気だったの? ひどいよ、高原くん……」

「悪い悪い。でもさ、食ってみりゃ大丈夫だったろ? 苦手なものなんて半分は思い込みなんだから、こういうきっかけがあって、だんだん慣れてけばなんとかなるもんだって。よし、次はこしあんだな」

 あまり悪びれもせず、高原くんはひとり納得したようにうんうん頷く。

「もう。そう言う高原くんは苦手なもの無いの?」

「日本で普通に食べられてるものなら特に無いかな。昔は色々あったけど、姉貴に矯正された」

「あ~、なるほど」

 高原くんらしい。それに、苦手なものが無いというのは価値のある情報だった。

「それより、ほら、もうこっちも食っちゃえよ」

 高原くんは半分残った練切りを指した。少し迷ったが、私はそれに黒文字を伸ばした。


 それぞれの注文品をつつきながら、クラスメートたちのことが話題に上った。映画繋がりで、まず水野さん。

「水野さんの入ってる映研って、こういうの撮ってるのかな」

「いや~、こんなの撮れないだろ。中学の部活だし。そういや泉、水野に勧誘されてたな」

「なんだかよくわからないけど、病的だって言われた」

「……? まあ、お前向きじゃないかもな。一昨日のあれから、佐野が興奮気味に電話してきたぞ。『恵真(えま)ちゃんって、いつもあんなクールな感じなのか』って。公衆電話からだったから、最初誰だかわかんなかったけど」

 興奮気味に、とは何事だ。それはともかく、彼の言うこともわからないではない。

「表情に乏しいっていうのは、よく言われる」

 高原くんは私の言葉を一笑に付した。

「ははっ、そうでもないって。自分でもそう思ってるのかもしれないけど、お前結構表情豊かだぞ?」

 そんなことを言われるのは初めてだった。

 この人は私のことをちゃんと見ててくれるのかもしれない――馬鹿なことを考えたせいで、鼓動が急に速くなってしまった。

 後から思えばたぶんこの時、私は自分の気持ちを自覚してしまったのだ。この時点ではそれを言語化することに躊躇したけど。

 話題は他のクラスメートのことに移っていった。

「そういえば、永橋さんって、高原くんのこと『琉斗(りゅうと)』って呼び捨てにするでしょう? つき合い長いの?」

「ああ、永橋も小学校一緒。うちにも何度か遊びに来たし」

 やっぱり高原くんは女子を家に呼ぶのに抵抗が無いらしい。姉がいるからだろうか。

「永橋さん美人だし……、思うところあったりする?」

 かなり勇気の要る質問だった。

 しかし高原くんは両手を振った。

「ねーわ。相川先輩の縮小再生版だな、あれは。何度びしばしやられたことか。あいつ、ゲームで負けると怒り出すんだよ。友達としてはいい奴だけどな」

 その態度に、私は密かに胸を撫で下ろす。

「高原くんもゲームとか得意なんだ?」

「姉貴の相手させられてたからな。あのバカ、普段はあまりやらないくせに、ハマると一直線なんだわ。そうなると俺はいくらやっても勝てない」

 操作方法さえ間違わなければ、高原姉はきっと強いのだろう。ひとりの一般人相手ならば、〈異能者〉は動きを先読みできてしまう。

 おしゃべりの話題はさらに移っていく。

「クラス委員の松本いるじゃん。あいつの姉ちゃんが、うちの姉貴と同じクラスで同じ部活らしいんだよ。勘弁して欲しいよな」

 初耳だ。組織から渡された資料には、高原の部活のメンバーについては本人の外には二人しか記載がなかった。

「松本さんってすごいよね。統率力があるというか」

「ちょっと怖いけどな。松本の姉ちゃんの方もクラス委員らしいし、毅然としてるのは遺伝なんだろうな」

 遺伝なんて信用ならない。かなり似通った遺伝子を受け継いでいるはずの私と姉さんがこのありさまだし。

 そう言うと、高原くんは声を上げて笑った。

「あははは、たしかに。うちもそうだしな。でも、泉はちょっと控えめすぎるよ。もっと自分の言いたいことはっきり言ってもいいんじゃないか?」

「そう言われても……」

 難しい。

 私は日本に来て、今までの自分が姉さんの後にくっついているだけだったことを、弁解の余地なく思い知らされた。今まで私と姉さんの交際の範囲は常に重なっていた。だけど、別々のクラスに編入されて、交流圏に差集合ができた。その場所で私は、自力で一から人間関係を作っていかなければならなくなった。

 その困難を知ったとき、私は愕然とし、尻込みした。一度そうなってしまうと、今さら積極的に人と交わるのは簡単ではない。

「あんこだって食べられたじゃねーか。なんとかなるって」

「あんこと同列にしないでよ」

 私は首を振った。それでも少し背中を押してもらった気がした。

 和菓子を平らげ、さて例の件を切り出そうか、と思いつつもなかなか言い出せない内に、高原くんの方が先に口を開いた。

「あ、そうそう。これからちょっと用があるんだけどさ、泉もつき合う?」

「え? どこに?」

「一条先輩の家。風邪で寝込んでるみたいだから、お見舞いに」

 そういえば高原くんと一条は古くからの知り合いだったのだ。高原姉と相川は伊豆だから、一条も寂しがってるかもしれない。

 私は同行することにした。敵を知るのも戦いの内だ。



 ※

 詩都香(しずか)たちは朝食後に教師陣の車で移動し、午前中に修善寺を巡った。修善寺も鎌倉と同じく数々の文士に愛された地である。戦前の学生も休暇中にはよくこの地に逗留している。

 今日では普通の高校生が喜びそうな観光地ではないが、そこは何しろ郷土史研究部の面々、大好物である。鎌倉幕府二代将軍源頼家の墓の前で手を合わせたり、北条早雲が再興したという福地山修禅寺に参拝したりしている内に正午を迎えた。もう少し遅ければ、紅葉もきれいだったことだろう。

 詩都香が寺の石段に座って岡本綺堂の戯曲を再読している間に、由佳里は宝物館を見学し、そこまで歴史に興味のない魅咲(みさき)は、他のメンバーから希望者を募って温泉に浸かってきたらしい。魅咲は相変わらず誰とでも仲良くなるのが早い。

 魅咲と喧嘩するのは初めてではない。だけど、喧嘩の度に詩都香は考えてしまうのである。

 活発で陽気で誰からも好かれるタチの魅咲は、自分と無理に行動を共にする必要はないのではないか、と。魅咲は色々なものを与えてくれるが、自分は何か返せているのか、と。

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