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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第四章「自由な少女たち Die freien Mädchen」――九月十九日
23/62

5.

 ※

「――そんなことがあったのか」

「まったく、何考えてんのかわかりませんけどね。ところでさっき話した廃病院で助けてくれたのって、本当にデジデリウスさんじゃないんですか?」

「ああ、私はそんな事件があることすら知らなかった」

「ま、電波も入らないんじゃ仕方ないか」

 詩都香(しずか)はティーカップの中の熱い紅茶をこくこくと飲んだ。

 ここは駅裏の古い商店街。その片隅の、閉鎖された空間。持ち主の許可がなければ出入りすることはもちろん認識することさえ難しいこの場所に、洋風の古めかしいアンティークショップがあった。

「デジデリウスさんは最近何してたんですか?」

 詩都香は向かい側に座る男性に問う。

 眼鏡をかけ、銀の髪を長めに伸ばした三十前後と見えるこの男性こそ、詩都香の魔法の“元”師である。

 二人は店の庭先に設えられたテーブルでお茶を飲んでいるところだった。

「知っているくせに訊くな。何もしていない」

 男性は渋い顔をした。

 デジデリウスと名乗る彼と出会ったのは高校入学の直後。それまで中途半端な力しか持たない異能者であった詩都香は、どうも彼に魔法の才能とやらを見出されたらしい。

 デジデリウスは日本のこの土地に流れ着いてもう幾星霜。詳しくは聞いていないが、何らかの事情があるらしく、他人と会うことに極端に臆病である。そして結界を張り、自分の存在ごとこの空間に閉じ込めている。

 そのくせ、一応アンティークショップを開業しているのだから妙な話だ。この街の女子の間で都市伝説となっている「本当に叶えたい願いがある時に迷い込むお店」、通称“サクラのお店”が当店である。他には危険な呪物――魔法道具の類――を買い取ったりもしている。

 詩都香もそうやって客としてこの店に迷い込んだクチだ。特に叶えたい願いなどその時はなかったのだが。

「ここに張ってあるみたいな認識を狂わせる結界って、難しい魔法なんですか?」

「いや、そこまででもない。もちろん、結界の範囲や効果にもよるが。だが今のお前にはまだ少々高度かな。どうしてだ?」

「さっき話した事件では、この種の結界を隠れ蓑に怪物が暗躍していたもので。わたしにも使えれば便利かな、と」

「ふむ。まあいざという時の役には立つだろうな。しかし教えてやりたいが、お前は破門された身だ。直接私が伝授するわけにはいかない」

 詩都香はデジデリウスとの師弟関係を解消されている。彼の弟子の身でありながら、無断で魅咲と伽那に魔法を教えたのがその理由だ。

 これについては詩都香も納得ずくである。それでも文句の一つくらいは言いたくもなる。

「デジデリウスさんって、〈リーガ〉の連中みたいにリゴリスティックなところがありますよね」

「ああ、それはまあ、仕方のないことなんだ」デジデリウスは少し歯切れ悪く言った。「しかし詩都香はそんなことで私を嫌ったりしないだろうな。……それとも、嫌いになるか?」

「なってもいいですか?」

「困ったな。お前に去られたら、私はまた一人ぼっちになってしまう。老人の孤独死……悲しいな。優しい詩都香はそんなことはしないだろう?」

 調子のいいことを言う。とはいえ、時折訪ねては茶飲み話につき合ってやる詩都香も人が好い。今日もこうして古本屋の帰り道に寄り道して、最近解決した事件と、ゼーレンブルン姉妹との戦いについて語って聞かせたところだ。ついでに、ノエマとのお茶会についても報告した。

「ここに迷い込むお客さんから、また適当なの見繕ったらいいんじゃないですか? 今度はちゃんと言うこと聞いてくれそうなの」

 老人の繰言に対して詩都香は容赦ない。

「まったく、お前は本当に困った弟子だよ。あそこに黒い革張りの背表紙の本があるだろう? 持っていくといい。その中に求める魔法の使い方もあるはずだ。貸出期間は二週間」

「市立図書館か!」

 文句を垂れつつも、詩都香は立ち上がって棚から一冊の本を抜き出した。『魔法(ラ・バシカ・)技術のデ・ラ・テクノロヒア・基礎(デ・マヒア)』、スペイン語だ。パラパラとページをめくってみると、掲げられている項目には既習の魔法が多かったが、未知のものもいくらかあるようだ。

 形式的には破門された身、こうしてリファレンスに応じてもらえるだけでも感謝しなければならないだろう。

「ありがたくお借りしていきますね。あ、そうそう、こちらからも」

 詩都香はさっきの本と入れ替わりに、鞄から本を五冊抜き出す。家の蔵書である。

 彼女はしばしばこうやって旧師の元に本を運んでやっている。テレビすらない、というよりも電波が入らないこの場所では、読書は彼にとっての唯一の娯楽だ。

「今度は京舞原の歴史関係か。私はこの街の歴史の生き証人なんだがな」

「嘘吐いてもダメですよ。ここに閉じこもりっぱなしで、外のことなんて何も知らないくせに」

「手厳しいな。そうそう、先日持ってきてくれた本だが、読み終わったので返そう」

「あ、いいです。今日はもう鞄がパンパンだから今度で。……じゃあわたし、そろそろ帰ります。夕飯の支度をしないと」

「そうか。次はいつ来る?」

「さっきの本を返却するときにでも」

「……しまったな、期限を一週間にしておくべきだった」

「もう、寂しがりなんだから」

 詩都香は苦笑する。

「そうは言ってもね、私は読書の他に何もすることがないのだよ。詩都香が訪ねてきてくれてやっと日付や曜日を知る始末だ」

「今度日めくりカレンダーでも持ってきます。でも、今までだってそうやって何世紀も過ごしてきたんでしょう?」

「それはそうだが、やはり一度こうやって定期的に他人と会うようになると駄目だな。一人の時間の長いこと長いこと」

「いやですよ、そんなふうに老け込んだら」

 独居の祖父とたまに訪ねてくる孫娘の会話か、と詩都香は時折思う。年齢差はそれどころの騒ぎではないのだが。

「にしても、高位の魔術師っていっても案外人間臭いんですね。長いこと生きて、もっと心を磨り減らしているものだとばかり」

「そういう面もあるのは否定しないさ。私も含めて、大抵みなどこか壊れているだろうな。でもそれだからこそ、何か夢中になれるものを見つけたら生き生きとする。生まれ変わったみたいにな」

「そんなもんですか」

 何百年も生きるということ自体、想像の埒外だ。

「お前だって寿命を延ばそうと思えばできるのだよ。老化もせずに済む」

「わたしの場合は老化じゃなくて成長って言うんですよ」

 詩都香はかつての師に対してジト目を向ける。

「まあ、成長したいのなら要らぬ魔法の使用はあまりしない方がいいがな。大量の魔力を使うと、わずかながら老化が遅れる。今くらいならまったく影響はないが」

「なっ!? そういうのはもっと早く言ってくださいよ!」

 詩都香は腕組みしながら肩をそびやかす。その実、前腕で胸部の感触を確かめているのだが。

「今くらいなら影響ないと言ったろう。“それ”は魔法のせいじゃない」

 悟られていた。詩都香は赤味の差した頬を見られぬよう、うつむき加減で鞄と古本屋のビニール袋を手にとる。

「さっき言っていた姉妹との戦いだが、あまり無理はしないようにな。ここに腰を落ち着けているところを見ると、おそらく相手は正魔術師だろう。だいぶ格上の相手だ。そもそもにしてお前はあまり戦闘向きではないのだから」

 席を立ったところで、デジデリウスにそう忠告された。

「わかってます。いざとなったら魅咲(みさき)伽那(かな)もいますし」

「そうだな。私の立場としては、その二人に頼るのもどうかと思うが。おっとそうだ、今日のは何点もらえるかな」

「……六十点あげます。だいぶ飲めるようになってきましたよ」

 紅茶の評点である。最初の頃に振舞われた色水に比べると、たしかに良くなってきてはいた。しかし、それを聞いたデジデリウスは渋い表情であった。

「今日のは自信作だったのだがな。では、気をつけてお帰り」

「はい、ご馳走様でした。あ、伊豆のお土産、何か買ってきますね」

 詩都香は一度お辞儀をして外に出た。



 ※※

「ウェーリタース・ウォース・リベラービト、ね」

 彼女は会議室へと通じる扉の上に刻まれた文字を、声を潜めて読んだ。「VERITAS VOS LIBERABIT」――『真理が(ヴァールハイト・)我々を(マハト・)自由にする(ウンス・フライ)』――テンプル騎士団気取りか、と彼女はその悪趣味に顔をしかめてしまった。

 入りたくないが、入らざるをえない。彼女は扉に手をかけた。

「フォン・ゼーレンブルン、参りました」

 小さな採光窓が穿たれただけの石壁に囲まれた暗い部屋に、彼女は足を踏み入れた。

 サンティアゴ・デ・コンポステーラ――十二使徒の一人聖ヤコブの遺体が埋葬されていたとされる、中世前期以来の巡礼の街。全体がユネスコの世界遺産に登録されている旧市街の一隅に、その居館は佇んでいた。

 スペイン=ハプスブルク王朝の時代に建てられた、バロック様式の館である。これはこれで観光名所の一つになってもおかしくないはずなのに、誰も足を止めようとしない。

 ――否、誰も認識すらしていない。

 彼女が足を踏み入れたのは、ホールを抜けた先にある大きな部屋だった。

 広めの室内の中央にはこれまた石造りの大きな円卓が据えられ、既に数人の参集者がそれぞれの席を占めていた。二、三の空席もある。その顔触れには、彼女が知らないものも多かった。

「遅かったじゃないか、我が友。もう会期も残り少ないよ。さ、お好きな席に」

 最も奥の席に座る小柄な青年が口を開いた。

「お招きに与り恐縮ですわ、閣下。しばらくイベリアのあちこちを観光しておりましたもので」

 彼女は手近な座席に座った。本来であれば地位や身分の上下に関わりなく平等に座を占められるはずの円卓だが、その建前は何世紀も前から形骸化している。彼女が着いたのは、この場では末席に当たる席だった。

「それにしても百十年ぶりかな? 最初の世界大戦を決議して以来だ」

「お言葉ですが盟主閣下、七十年ぶりです。二度目の大戦後の秩序をどう組み立てさせるか、という議題の折に参加させていただいたのを記憶しております」

 盟主と呼ばれた男は、視線を上方にさまよわせた。

「……ああ、そうだったね。あの時の君は何も発言しなかったので、忘れていたよ。その前の会議を、一方の当事者たる君が欠席したおかげで、我々の予想もしない展開になってしまったのだった。まさかあんな暴走をしてくれるとはね。しかし君が故国を見捨てたのは意外だった」

「愛想を尽かしたのです」

 彼女はそう吐き捨てた。

「その君が、今またこの世界に興味を持とうとしている。どういう風の吹き回しなのかな?」

 その言葉に応じるようにして、彼女から見て左に二つ離れた席の男が発言を求めた。スペイン(エルツカンツラー・)大法官ドゥルヒ・シュパーニエンを名乗ったこの魔術師を、彼女は知らなかった。

「あなたがフォン・ゼーレンブルン殿ですか。あなたの弟子の二人の正魔術師、一体何をしているのでしょうか。イチジョウ・カナの身柄の確保、遅々として進んでいないようですが」

 彼女は顔をしかめた。

「何かと思えば、そんなことで私を招いたのですか? 世界の果ての、たった数人の非所属魔術師とのいざこざで?」

「おやおや、君も“そんなこと”の予感があったからこそ、今回は重い腰を上げたのではないのかな?」

 盟主の言葉に、彼女はこれ見よがしに肩をすくめた。

「……それで? あの子たちに何をさせたいのです? 死力を尽くして、今度こそどちらかが(たお)れるまで戦わせたいのですか、閣下?」

「閣下はやめてくれ、我が古き友よ。昔のように呼んでくれていいんだ」

 彼女はその申し出を無視した。

「さて、今日はもう閉会ですよね、閣下?」

「まったく君ときたら、その時間を見計らってやって来たくせに。ま、せっかく来てくれたんだ、現状だけでも聞いていくといい」

 彼女は眉を顰めた。今日は顔見せだけで終わりと踏んでいたのだ。

「あなたの構想とやらに、日本の事態がどう関わるというのです?」

「それが大ありなんだよ。――ああ、君は毎回送っている議事録を斜め読みしかしていないのかな。事は一人の半魔族だけの話じゃない。ようやく生まれたのだ、僕たちの共通の友人と同じ資質を持つ者が、ね。イギリス大法官、彼女にもう一度説明してあげて」

「はい」

 呼ばれた男性が起立する。彼女の三つ右の席だ。伝統的には、ここに書記役が座る。

「日本の京舞原市の駐在員から、興味深い報告がなされております。四か月前の半魔族確保のための戦いにおいて、三人とも爆発的な戦闘力の向上が見られた、と。この内、イチジョウ・カナの向上の幅が最高でした。これは半魔族としての力の一端を目覚めさせたものと思われます。次が、アイカワ・ミサキ。身体能力強化の魔法では説明のできない力を見せたそうです。そして――」

「結構です、イギリス大法官。それについては読んでいます」

 彼女は、なおも続けようとする男性を制した。彼は素直に口を閉ざすと腰を下ろした。

 イギリス(エルツカンツラー・)大法官ドゥルヒ・ブリターニエンはこの場で最も若くして選挙侯の地位に就いた魔術師であるが、彼女は彼に一度会ったことがある。能面のような無表情の下にいかなる思惑を隠しているか知れない、不気味な男だった。

「へぇ、読んでいて弟子を派遣したんだ」

 盟主が口元を歪めた。

「あの子たちには手ごろな相手と思えましたので」

「でも、予感はあったんでしょ? 一条伽那の力は予測可能、なにしろ、我々が長いこと探し求めていた半魔族の末裔なわけだし」

「ええ」

 彼女は頷く。

「で、逆に相川魅咲の力は謎そのもの。東洋の神秘と言うのかな、こういうの」

「そうですね」

「で、問題は――」

「タカハラ・シズカです」

 スペイン大法官が容喙する。自分のお膝元で会合が催されているために、少々気負っているのかもしれない。

「僕たちは――と言ってもこの場では僕と君だけだが、直接知っているね、あの娘の力」

「仰る通りですわ、閣下。私たちの懐かしい友人のことですものね」

「懐かしいと言うほど覚えてはいないんだけどね。この時代、この状況において、彼女の後継者が生まれたわけだ」

 場にやや白けた沈黙が落ちた。みな、盟主がなぜそれほど重要視するのかわからないらしい。

 もっとも、彼女にとってもそれは未知数であるが。

「一つだけ、訂正させてくださいな」

 しわぶきひとつ無かった席上に、彼女の声が妙に大きく響き渡った。

「何かな、我が友」

「あの子たちは私の弟子ではありません。私の――娘です」

 束の間呆気にとられていた盟主だが、ころっと相好をほころばせた。

「これはこれは、失礼つかまつった。……さて」

 盟主が天井から垂れた紐を引っ張った。じりりりり、と微かにベルの音が響いたかと思いきや、控えの間に繋がる扉から数人の若い女性たちが入ってきた。みな当地の魔術師なのだろう。盟主と選挙侯の前で緊張でもしているのか、その動きはどこかぎこちない。

「みんな、思うところがあるようだし、次の集まりは二日後としよう。生き馬の目を抜くような世の中だが、なぁに、我々にはまだ時間が残されている。この地に来るのも久しぶりという人もいるだろうし、適当に観光でも楽しんでくれたまえ」

 出席者の一人一人を、若い魔術師たちが客室へと導いていく。

「次はもっと面白いものが見られるかもしれないよ」

 その内の一人に先導されながら、盟主は彼女に向かって悪戯っぽい笑みを浮かべた。

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