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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第四章「自由な少女たち Die freien Mädchen」――九月十九日
20/62

2.

 ※

「――と、いうわけで、だ。今度の文化祭で出す部誌のために、この週末は連休を利用して西伊豆に三泊四日の調査旅行に行きたいと思う」

 昼休み。勢ぞろいした部員を睥睨しながら、奈緒はそう言い放った。突然すぎて、しばしの間誰も反応ができなかった。

 緊急集会を行う、という伝令が各学年の部員に回り、詩都香(しずか)は由佳里と連れだって部室にやって来ていた。新入部員として由佳里が紹介された後、奈緒が口を開いたかと思えば、この唐突な合宿宣言であった。

「でも、吉村さん」

 ややあってから、奈緒と同学年、二年生の女子が口を開いた。

「何か?」

「そんな急に言われても困ります。つまり明日の晩からってことでしょう?」

 その抗議を正面から受け止め、奈緒はうんうんと頷いた。郷土史研究部では、伝統的に二学期から二年生が部長の椅子に座り、十一月の文化祭を取り仕切ることになっている。三年生も引退したわけではないのだが、受験もあるため、多忙な部長職は二年生に引き継がれるのである。

 その最上級生たる三年生の三人は何も言わない。奈緒の独断専行に慣れているのだろう。

「いや、そこは本当に申し訳ない。こちらも急だったもんでな。来週になってしまうと、いい加減文化祭に向けて本格始動しなければならないし。ただ、みんなにも十分な見返りはあると思う。」

 奈緒は大判の地図を広げた。

「西伊豆のこの辺までは交通手段が限られているんだ。三島からバスで一時間半も揺られるのは嫌だろう? 交通費もかなりかかる。だけど、そこは顧問の高橋先生と、副顧問の宮内先生、それから同行してくれるあや……北山先生の車に便乗することで、タダになる。その上、部の活動費とOGの方々の寄付によって、宿泊費は無料だ。宿舎には温泉もある。つまりは、諸君は貴重なお小遣いを費すことなく、伊豆の温泉に遊びに行けてしまうというわけだ」

 お~、と先ほど質問した生徒も含めて、部員たちがどよめいた。

「あ~、はいはい」奈緒がパンパンと手を叩いて清聴を要求する。「それからな、先生方の車にはまだ余裕がある。希望があれば、本校の生徒を一人か二人、友達でもなんでも誘ってもらって構わない。宿泊費は負担してもらうがな。まあ、立場上不純異性交遊は禁止するとのことなので、男子を誘うのはやめてほしい。建前上は現地調査に行くことになっているわけだが、それは私だけでいい。君たちは適当に伊豆の自然とたわむれていてくれ」

 破格の条件だ。もはや抗議の声は上がらなかった。それを見届けてから、奈緒は口を開いた。

「ところで高原」

「は、はい」

 書架の蔵書の方に目を移していた詩都香は、不意を突かれてまごついた。

「私たち郷土史研究会が、県境を越えて西伊豆に行く意味とは?」

「えーと」

 ちらちらと本の背表紙を見ながら、詩都香は考察をめぐらせる。

「今年のテーマは“私たちの街の戦国時代”です。この辺りは近世にいたるまで後北条氏の領国でしたが、その祖伊勢新九郎は西伊豆に上陸して堀越公方を討ちました。その足跡を辿ろうというのでは?」

「うむ、その通り。やはり郷土の英雄を押し出した方がウケはいいからな。もっとも、早雲はあくまでも本拠地を韮山から動かさなかったが」

 奈緒がうんうんと頷く。

「高原さん、すっご~い!」

 詩都香の隣に立っていた由佳里がぴょんぴょん跳びはねた。

「調査の方は自由参加とする。私が起こした問題のせいで我が部に対する風当たりが少しばかり強まっているから、ぶっちゃけた話、調査のために隣県まで足を伸ばしたという実績が欲しいだけなのでね。『郷土史研危急存亡の秋』と触れ回ったら、OGの方々も快くカンパに応じてくださった。明日の集合は午後六時、校門前。活動の証拠として集合写真を撮って部誌に掲載したいから、制服持参のこと。もちろん現地では私服で構わない。それから、連れて行きたい相手がいる者は今日中に私まで連絡を寄越すこと。――もう一度言うけれど、タダで伊豆の温泉に三泊四日だ。参加するか否かは自由意志だが、よく考えるように」

 ぺちゃくちゃとお喋りが始まった。参加しようかどうか、誰か誘おうか、何を着て行こうか、そもそもどんな所なのか……。

 詩都香は由佳里と顔を見合わせた。

「行く?」

「高原さんは?」

「どうしよっかなぁ……」

 せっかくだし魅咲(みさき)伽那(かな)を誘ってのんびり伊豆の温泉に浸かるのもいいかもしれない。奈緒と仲の悪い魅咲が誘いに乗るかは未知数だが。

「高原さんが行くのなら、わたしも行きます」

 由佳里の決断は速かった。詩都香としては、時期外れの新入部員の由佳里には、是非参加して上級生とも打ち解けてほしいところでもある。

 詩都香も心を決めた。

「よし、それではそろそろ部誌の編集会議を始めるとしよう」

 奈緒が部員たちのお喋りを中断させた。

 入稿は十月いっぱい。上の大学が運営する印刷所に頼むため、多少の無理は聞いてもらえるものの、もう猶予は少ない。

 編集会議が始まると、顧問の高橋は席を立った。高橋は五十がらみの、いかにもおばちゃんといった風情の女性教諭である。上の大学の院卒で、担当は日本史。

「じゃあ、吉村さん。後は任せるから」

 どうやら、旅行の取り決めの間だけの立ち合いだったようだ。それも奈緒に丸投げだったが。生徒会の役員と、弱小とはいえ一部活の部長を兼任する奈緒に対しては、教師陣の信頼も厚い。

「はい。お疲れ様でした」

 奈緒の掛け声に合わせて、部員全員が会釈し、高橋を見送る。

 その足音が遠ざかって行くのを確認してから、

「ふぅ、やっと行ったか。さてさて」

 始まりかけていた編集会議をいきなり中断して、奈緒がポケットから鍵を取り出した。

「吉村さん、それ何?」

 三年生の部員が怪訝そうに質問する。

「見ての通り鍵さ。交換される前の、ここの合鍵だ」

 奈緒は上級生相手にもふてぶてしい口調である。

(先生に差し出した一本だけじゃなかったんだ……)

 詩都香は呆れた。

 郷土史研の部室の鍵は、昨日の内に交換されていた。奈緒や他の部員たちがまだ他に合鍵を持っている可能性を考慮してのことだが、問題を起こした部に対しての見せしめの意味合いも含んでいる。

 奈緒はそのまま無言で、新しい鍵にくくりつけられているタグを外し始めた。そして「郷土史研究部」と記載されたそれを、古い合鍵に付け直す。新しい鍵の持ち手の部分には「職員室」と保管場所が記された小さな紙片がセロテープで貼り付けられていたが、それも付け替えた。

「何やってるんですか?」

 誰もが胸に抱いていたであろう疑問を、詩都香が思わず口にしてしまった。

「何って、合鍵は必要だろう? 新しい鍵といっても業者は同じだからな。この紙切れが貼ってあるおかげで根元は見えないし、ぱっと見ではそう区別できない。これを返却しておいて、こっちの新しいのを店に持っていけば、来週の頭にはまた合鍵が出来上がってるって寸法だ」

 しれっと言ってのけた。たしかに、顧問の高橋も副顧問の宮内も、誰もいない部室にやって来ることはまずない。それに、顧問の教師は部室の鍵をそれぞれ持っている。顧問でもないのに土日の間に職員室から鍵を持ち出してこの部室を開けようとする奇特な教師がいなければ、バレはしないだろう。

 さらに驚くべきことに、この陰謀に異を唱えようとする人間はいなかった。それどころか、

「さて、申し訳ないことだが、みんなが持ってる合鍵はダメになってしまった。新しい合鍵を作るが、希望者がいたら各自六百円ずつ供出して欲しい」

 奈緒の言葉に応じて、上級生が一斉に財布を取り出した。

「うげ……」

 詩都香は思わず呻いた。部室を便利な溜まり場にしているのは、奈緒だけではなかったようだ。

「部長さん、わたしもいいですか?」

 よりにもよって、由佳里までもが手を挙げた。

「もちろんだとも、松本さん。高原は?」

 部室内の視線が詩都香に集中する。全員共犯ということにしたい――そんな想念が透けて見えた。

「……じゃあ、わたしも」

 用途は思いつかないが、詩都香も周りに倣って仕方なく財布から千円札を抜き出した。なんといってもこういうプレッシャーには弱いのだ。

 それにしても……と詩都香は思う。

(なーにが停学だ。ケロッとした顔しちゃって。わたしの感激を返せ)

 奈緒個人に対する処罰は全くなかったようだ。この様子では、お説教もあったかどうか疑わしい。

 詩都香のもの問いたげな視線に気づいた奈緒が、にやりと唇を吊り上げた。

 お札と小銭の遣り取りをしてから(奈緒はお釣りのための百円玉も用意してきていた。詩都香はますます呆れた)、今度こそ編集会議が始まった。

「二年生以上が一人五ページ、一年生が三ページというノルマは例年の通り。グループ研究の場合には、人数分のページ数な。別にはみ出しても構わない。多少ページが増えたところで、印刷代は大して変わらない。何しろ、印刷屋さんも広い意味で身内なわけだからな。一ページは三十三字×(かけ)三十行。原稿用紙にして、五ページなら十三枚、三ページなら八枚といったところか」

 奈緒はそこで部員の顔を見渡した。特に異存は出なかった。

「よし。提出はデータでもいいし、プリントアウトしたものでも、手書き原稿でもいい。打ち込みをする私としてはデータが助かるが、まあ、多少作業が増えるくらいだ。打ち込みしながら誤字脱字のチェックもできるしな。校正は、三年生は花田先輩、二年は久川と沙緒里……」

 呼ばれた三人が頷いた。

「……それと、一年生はどうしようか。松本さんは入ったばかりだし」

 郷土史研究部では、上級生の作業のやり方を伝達するために、一年生も力量に合わせて助力を求められる。具体的には、校正と図表の二つの作業だ。

 由佳里が口を開いた。

「校正って日本語のチェックですよね? それくらいならわたしもできると思いますけど」

「そう簡単なものでもないんだよ。実質的には高校の部誌と言えども水鏡女子大学の名前を掲げて頒布される冊子だ。国立国会図書館にも保存される。私はね、部誌を歴女の同人誌で終わらせる気はないんだ。部誌から、どこかの学者に、たった一言でもいいから引用してもらう、それが私の密かな野望なのさ」

 奈緒は少しばかり真面目な顔でそう語った。詩都香も初耳だったが、なかなか大それた野望である。

「だから、校正をするにしても、地名や人名の表記、年号、面積や標高といった数値、歴史用語、こういった知識が多少なりとも必要になる。今回のテーマで言うと……そうだな、松本さん、応仁の乱の発生は何年?」

「一四六七年です」

 由佳里は即答した。

「よろしい。なかなかやるじゃないか。じゃあ、和暦に直すと?」

「応仁元年です」

「うむ。じゃあ終わった年を和暦で」

 そこで由佳里は初めて言葉に詰まった。

「え~と、文明……」

「時間切れ。文明九年だ。じゃあ、次。この地域にも縁の深い、上杉禅秀の乱は何年?」

 今度は由佳里も答えられなかった。

「……と、このようにな、文中に間違いがあったら、その場で訂正できなくとも『あれ、おかしいな?』と思える、そして資料に手を伸ばして確認できるくらいの嗅覚が欲しいわけだ。あ、もちろん上杉禅秀の乱なんて、一年生はまだ習っていないだろうし、わからなくても気に病むことはまったくないぞ、松本さん。で、高原。何年?」

「応永二十三年です」

 由佳里の手前、少し身を小さくしながら、詩都香は答えた。

「……こんな風にな、問われてもいないのに和暦で答えてしまう、こいつの方がおかしいんだ。こいつは真正の活字中毒だからな」

 そんな風に持ち上げられると、詩都香は本当に居心地が悪くなってしまう。かてて加えて、詩都香に向けられた由佳里の視線が、ますます熱くなっていた。

「ただ、今回はこの地域を中心にした戦国時代とその前後について、みんなにもみっちりと勉強してもらっている。久川、応永二十三年とは西暦に直すと?」

「一四一六年です」

 呼ばれた二年生の部員が答えた。

「正解。松本さんも勉強熱心な方のようだし、来年の今の時期には十分みんなと張り合えるようになるさ。それで、話は戻るが、校正と図表な。今年は一年生がずっと一人だったし、高原にはどちらにも参加してもらおうと思っていたのだが、せっかくだし松本さんも両方に手を貸してもらえないか? 来年以降の部誌作りで、きっと戦力になってもらえるだろう」

「わかりました。頑張ります」

 腕まくりをして快諾する由佳理に、奈緒は頼もしそうに頷いた。



 ※

「恵真ったら、またコンビニランチ? 栄養偏るよ?」

 昼休み。流されるまま机を逆転させて水野さんの席と繋げた島に、椅子を持ってきた永橋さんが加わった。

 サンドイッチを食べていた私は弁解を試みる。

「二人暮らしだとなかなか手が回らなくて」

 料理自体は好きだけど、苦手な早起きを敢行して弁当を作るほどではない。朝が強い姉さんが作ってくれればいいのに、やっぱりそこはものぐさなのである。

「世間のお母様方が子供に一人暮らしさせたがらないのもわかるわ」

 うんうん、と水野さんが納得顔で頷いた。

「その点琉斗(りゅうと)はいいよね、お姉ちゃんが毎朝愛情たっぷりのお弁当を持たせてくれて」

 永橋さんの不意打ちに、ゲホッ、と隣の席で高原くんが咳き込んだ。

「“お姉ちゃん”はやめろって。去年の話を蒸し返すなよ」

 そういえば高原姉もこの中学の出身だ。もちろん相川と一条も。だからあの三人と高原くんは、一年だけ同じ中学に在籍していたことになる。

 というか、高原くんのお弁当は高原姉のお手製なのか。腹の立つ奴だけど、一家の母親役というのは本当のことのようだ。ちらと見れば、意外にも手の込んだ献立だった。

 私は永橋さんに尋ねてみた。

「永橋さんは高原くんのお姉さんのこと知ってるの?」

「そりゃもちろん。詩都香先輩は結構有名だったから。まあ、本人はあまり表に出るような性格じゃなかったけど、そこは魅咲先輩と生徒会長がうまく引っ張ってくれてたな」

 ……ん? 魅咲先輩ってのは相川のことだよね? いつも一緒にいるもう一人の名前の代わりに、何やら不穏当な役職名が交ざっていたような気がするんだけど。

「……生徒会長?」

「あ、もちろん今の会長じゃないぞ。驚くなかれ、なんとあの一条家の――」

 あっは。聞き間違いじゃなかったのか。あの一条伽那が、この学校の元生徒会長だったとは。

「一条先輩はカリスマがあるからな。家柄に関係なく」

 お弁当箱をしまいながら、高原くんが口を挟んできた。永橋さんがからかったせいか、全速力で中身をかき込んだようだ。ちょっともったいない気がする。

「こら、琉斗。お姉ちゃんの愛情弁当、もっと味わって食べないと悪いだろ」

 永橋さんも同じ感想を持ったようだ。半分はあなたのせいだと思うけど。

「だーらそれやめろって。なんでどいつもこいつも俺をシスコン扱いしたがんだよ」

 ……高原くんには自覚ないのかな。

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