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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第一章 「月光 Mondschein」――九月十三日
2/62

1.

 月はほぼ真円を描いていた。

 その冴えた光を背に受けて、高原詩都香(たかはらしずか)は考える。

 旧暦八月の十五夜。本来ならお月見でもしている夜だ。今夜の空にかかる雲は控えめで、月面のウサギもよく見える。名月を詠んだ和歌が、いくつも頭の中に浮かぶ。

 そんな風流な夜に、である。

(どうしてわたしたちはこんな所で果し合いなんてしてるのかな)

 こうした行事を大事にする彼女が朝の内に用意して自宅の神棚に供えてきたお団子は、今頃育ちざかりの弟の胃に収まっていることだろう。今日は遅くなりそうだと伝えてあるので、姉のことになど頓着するまい。今から帰ったところで、詩都香の分が残っているかどうかは微妙なところだ。

(フリッツにちゃんとご飯あげてるといいんだけど)

 可愛がっている黒猫の顔を思い浮かべると、ほにゃら、と緊張が緩みそうになる。

〈炉〉が精錬する魔力を貯め込みながら、詩都香は小さく息を吐いた。

 つまらないことを考えるのはやめ――そう自分に言い聞かせる。

 次いで、左右に視線を走らせる。

 頼るべき戦友。

 そして、護るべき親友。

 その両者が、詩都香の視線に応えて、力強く頷いた。

 頷き返してから、詩都香は正面を見据える。

 二つの人影が、月光を真正面から受けて、左右対称の構えをとった。

 闇のヴェールに遮られ、細部はぼんやりとしか視認できないが、詩都香にとっては既知の相手である。

 ハーフでブロンドの小柄な双子。

 帰国子女で、お城育ちのお嬢様。

 弟と同じ中学の二年生。本当か嘘かは知らないが、自称十四歳。

 髪型以外は瓜二つ。ただし性格は大きく異なる。

 向かって左のぎゃあぎゃあ生意気そうなのが姉のノエシス。

 向かって右のツンと生意気そうなのが妹のノエマ。

 性格の差異に応じて、戦闘のスタイルにも違いがある。詩都香はそれを冷静に分析し、今夜の作戦を組み立てる。

 何しろ魔法の習熟度においては詩都香たちよりはるかに上なのだ。三対二とはいえ、苦戦は免れない。

 詩都香の手にした円筒状の魔法具から、仄赤い光が迸った。



 戦いを終え、ノエシス姉さんと私は部屋に帰ってきた。

 毎回お決まりの決戦場は、市の東境を縁取る山間部にその遺構を留める工業団地跡。戦後の一時期まで大規模な工場が集まる地域だったが、当初西寄りだった市街地が東に拡張した結果、環境保全を求める市民の声の高まりと、地下水の枯渇による地盤沈下の頻発を受けて移転していったらしい。私たちの住むマンションも東寄りの新市街地にあるので、魔法で空を飛べば十分とかからない。

 城とは比べ物にならないものの、二人で過ごすには充分な広さのリビングの窓際には、向かい合わせのソファとテーブルから成る応接セット(ガルニトゥーア)が据えられている。ここが反省会の会場になるのも、もはや定番になっていた。

 私の方には目立った怪我はないが、姉さんは背中に大きな火傷を負った。乱雑に床の上に脱ぎ捨てられた制服の背には、直径二十センチほどの円形の穴が開いていた。その下に着込んでいたブラウスも同様。

「あー、もう! 悔しぃーっ! なんであたしたちがこんな何度も負けなきゃいけないのよ!」

 姉さんは荒れている。育ての親である城主様(へリン)のもとで十年もの間魔法の手ほどきを受けてきた私たちが、あんな新米の魔術師三人に敗戦を重ねているのだから、その気持ちもわかる。

 今回の戦闘の勝敗は二十分ほどで決した。高原詩都香の攻性魔法が姉さんを直撃し、私は撤退を決断した。

「高原詩都香っ! 相川魅咲っ! 一条伽那っ! あーもうっ!」

 仇敵の名前を叫び、ぶんぶんと首を振る。洗ったばかりで湿り気を帯びた長い髪が、向かい合う私の頬をぺちぺちと叩いた。いつもならば帰宅後すぐにシャワーを浴びて汗を流す姉さんだが、今日は背中が痛むので、洗面台で髪だけを洗ったところだ。

姉さんシュヴェスター・マインっ……わぷっ、やめてください」

 そんな私の抗議は姉さんの怒りをかえって煽ってしまったようだ。ビシッと人差し指を突きつけられた。

「だいたい、恵真が悪いんだよ! 高原と一条はあんたの担当でしょ!」

 これまでとは作戦を変え、今回は姉さんが相川の相手をしている間に私が高原を無力化し、標的である一条を攫うという段取りになっていた。

 高原の動きは精彩を欠き、今日こそうまく行くかに見えたのだが……。

「だったらどうして私が二人の担当なんです? 姉さんが高原と一条を――」

「相川のカラテはあんたのお上品な戦い方じゃ手に余るからよ!」

 私の異議は聞き入れられなかった。

 相川魅咲は魔力に目覚める前から強力な格闘技の使い手で、魔法で身体能力を強化するととんでもない戦闘力を持つようになる。たしかに私には相手をする自信がない。本当はカラテとはまた違うらしいが、私たちにとって東洋の格闘技は全部カラテかカンフーだ。

 格下とはいえ、高原たち三人にもそれぞれ長所がある。

 相川魅咲は使える魔力は三人の中で最も少ないが、接近戦では恐るべき戦力だ。

 一条伽那は戦闘に不慣れ。虫も殺したことがないんじゃないかと思ってしまう。それでも自分の体質を活かして、私たちも敵わないような魔力をがむしゃらに使う。

 そして高原詩都香は魔力も身体能力も平均的。一対一なら敵ではないが、それでいて三人のチームワークの要である。作戦立案と現場でのテレパシーによる指示、これらはどうやら高原の役目のようだ。そしてそのくせ、今回みたいな真似をする。

 今日は私が一条の強力な防御障壁で囲まれ、それを破るのに手こずっている間に高原にしてやられた。

 それはともかく――

「ところで姉さん、二人きりのときには恵真って呼ばないでくださいって何度も言っているじゃないですか。私には城主様(ヘリン)から頂いたノエマっていう名前があるんですからね」

 出自はどうあれ、今の私たちはゼーレンブルン家の人間。ノエシス・フォン・ゼーレンブルンとノエマ・フォン・ゼーレンブルン。この変わった名前(フォアナーメ)が連邦共和国の戸籍に登録されているかは知らないが、私はゼーレンブルンの家名を誇りに思っている。泉梓乃と泉恵真というのは、今回の任務の間だけの仮の名に過ぎない。

 しかし姉さんは口を尖らせた。

「向こうにいた時もエマって呼んでたじゃない」

「さっきのは確かに日本語のイントナツィオーンでした」

「あ、恵真。ほらまたドイツ語が出た。こっちでは全部日本語で通す約束でしょ?」

 あっは(Ach)、失敗した。姉さんが勝ち誇って腕を組む。

 同じ歳で拾われ、同じ年月だけ育てられたのに、姉さんはなぜか私より日本語に堪能だ。今回の任務が決まってからの三か月、城主様が雇った日本語教師に教わってかつての母語(ムッターシュプラーヘ)を取り戻そうとしたわけだが、姉さんにはその必要があまりなかった。お城で暮らし始めてからはまったく使わなかったくせに、日本語をほとんど忘れていなかったのだ。相変わらずの覚えのよさで、姉さんは中学生レベルの漢字も瞬く間にマスターしてしまった。だから授業は、ほとんど私一人が二人の教師にしごかれるようなものだった。

 ――ノエマってそんなに語学苦手だっけ?

 姉さんと私の成績を見比べて、城主様はそうのたまった。確かに、英語とオランダ語を除く大抵の外国語で私は姉さんよりいつも少しだけ上達が遅かったが、その声にわずかに含まれた呆れの色に、かなりのショックを受けた。

 違います、今回に限っては私ではなく姉さんがおかしいんです――そう主張したかったが、口には出せなかった。大恩ある城主様に無様な言い訳はしたくなかったし、そもそも十年の外国暮らしで母語をすっかり忘れてしまった自分の方が変ではないという自信もなかった。

 あまりにも悔しかったので、日本へ向かう機上、私は姉さんに宣言してしまったのである。あっちに着いたらずっと日本語で通します、姉さんもそうしてください、などと。

 と、そこで、偉そうに腕を組んでいた姉さんが顔をしかめた。まだ背中が痛むらしい。

「姉さん、大丈夫ですか?」

「大丈夫、大丈夫。あんなへなちょこ魔法」

 強がる、強がる。

 私はひとつ意地悪することにした。

「ところで姉さん、宿題は終わっているんですか?」

 姉さんのクラスでは理科と英語の宿題が出ていたはず。

「あっ、痛い。痛すぎてとても机に向かえない。恵真……あとは頼んだ……」

 姉さんはがくっとテーブルに突っ伏した。棒読みにもほどがある。

 私は聞こえよがしにため息を吐いて立ち上がった。

 姉さんの制服を拾い上げて広げてみる。これはとても修繕できない。転校に当たり、城主様は学校でも開くのかというくらい大量に制服を作ってくれているが、この一月足らずで四着もダメになってしまった。任務を完了する頃には、使い切ってしまっているかもしれない。

「どうせこのくらい必要になるわよ」とはその時の城主様の言である。現実味を帯びてきたことを認めざるをえない。

 私たちが編入されたのは私立の中学で、制服はそうおいそれと買えるものではない。この住まいの一室を占領するように山と積まれたそれらは、元はお城で着ていた大量の古着を、城主様が魔法で再構成したものだ。ちなみに、物質を再構成する魔法は単純な攻性魔法よりもはるかに上級のもので、高位の魔術師にしか使えない。

 生地にはその際に城主様の魔力が込められていて、こう見えて防御力は相当のものだ。攻性魔法に対してだけではなく、物理的な衝撃にも強い。城主様(へリン)が言うには、拳銃の弾くらいなら跳ね返すらしい。もちろん試したことはないが。

 この服をこうまで易々と破るのだから、高原たちの力も侮れない。

 後で細断してゴミ袋に入れておくことにして、姉さんの制服とブラウスを畳んで床の上に重ねる。そうしてからソファに戻ると、姉さんはまだローテーブルに突っ伏したままだった。

 ひょっとして見た目以上に重傷なのではないかと、少し心配になった。

 その痛々しい姿に衝き動かされ、私は思わず身を乗り出して姉さんの手をとっていた。

「姉さん、大丈夫ですか? 私、次は頑張りますから、今度こそ勝ちましょうね」

 すー、すー、と呻き声の代わりに安らかな寝息が聞こえてきた。さすがに肩を落とさざるをえない。

 とりあえず、姉さんをベッドに運んで宿題かな。

 姉さんを起こすことなく運ぶため、私は〈モナドの窓モナーデンフェンスター〉を開いた。


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