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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第四章「自由な少女たち Die freien Mädchen」――九月十九日
19/62

1.

 ドイツ語で祖国のことをVaterland、母語のことをMutterspracheという。それぞれ「父の国」、「母の言語」という意味だ。ならば私の祖国(ファーターラント)は日本、母語(ムッターシュプラーヘ)はドイツ語ということになるだろうか。父が日本人で、母がドイツ人というのは、なんとなく覚えている。

 育ての親たる城主様もドイツ語話者なので、ドイツ語は二重の意味で母語だ。

 自分がどこの誰なのか、まったく気にしたことがないと言えば嘘になる。そしてその度に、「私はノエマ、ゼーレンブルン家のノエマ」と自分に言い聞かせてきた。


 覚えている限りでは一度だけ、城主様(へリン)に提案されたことがある。三か月前、正魔術師として登録された直後だった。

 ――あなたたちの生みの親、〈連盟(リーガ)〉の力で探し出すことはおそらく可能だけど、どうする? と。

「そうしたら、あなたたちがどうしてこんな所に置き去りにされたのか、わかるかもしれない」

「この力のせいでしょ?」

 その時私たち三人は、ソファに並んでテレビ番組を見ていた。液晶画面から視線を逸らさぬまま、姉さんが右手の人差し指をくるりと回すと、私の髪の毛がツイストを踊った。

「ちょっとっ、姉さん!」

 抗議の声を上げながら、私も念動力(テレキネーゼ)を込めた手で乱れた髪の毛を整えた。

 姉さんの言う通りだ。おぼろげながら、この力を絶対に使わないよう何度も言われ、そしてその禁を破って叱られた記憶がある。今や顔も定かではない両親に。

 人間に限らず、魂を持つものならば何であれ、〈モナドの窓モナーデンフェンスター〉と〈(オーフェン)〉と〈(ゲフェース)〉を具えている。〈モナドの窓〉は開け放たれていなくとも、混沌と〈不純物(フレムデス)〉を極わずかに通してしまう。〈炉〉はこれを本人も知らぬまま魔力へと精錬し、少しずつ〈器〉に貯め込む。〈器〉の中の魔力に働きかけ、超常の力を行使できる者が、「異能者」と呼ばれる。私たち姉妹は、先天的に異能を具えていたらしい。それが原因で捨てられたことは想像に難くない。

「うーん、まぁ、そうなんだろうけど。気になることはあってね。……あなたたちの力、昔より弱くなってない?」

「は?」

 城主様の話にあまり興味を示さなかった姉さんも、意表を突かれて声を上げた。驚いたのは私もだ。

 私たちが、昔より弱くなってる? そんなことあり得るのか?

「どういうことです?」

「いや、魔術師としての腕はもちろんはるかに上がってるわよ? でも、ほら」

「ぎゃっ!?」

「また!?」

 今度は姉さんの髪が逆立った。ついでに私のも。とんだとばっちりだ。

 しかし、さっきと違って念動力を込めて整えようとしても、髪はがちがちに固まっていてほぐれない。姉さんも無駄な努力を続けている。

「あー、もう! ――ふっ……!」

 姉さんの呼気とともに小さな空震が起こった。〈モナドの窓〉を開いたのだ。

「何すんですか! もー!」

 何十倍にも強まった念動力で髪をほぐしながら、ぷりぷり怒る姉さん。私に同じことをしたくせに。

 それに対して、城主様は悪戯っぽい笑みを浮かべた。念動力が解消され、私たちの髪はふわりと垂れた。

「ごめんごめん。でも小さい頃のあなたたちなら、〈モナドの窓〉を開かなくても今のくらい破れたと思うんだけど。どうもその辺に、あなたたちが捨てられた理由があるように思えるのよね」

 私と姉さんは顔を見合わせた。姉さんの髪はまだボサボサで可笑しかったが、たぶん私も同様なのだろう。

それにしても、昔の方が強い念動力を行使できたということは、〈炉〉の効率と〈器〉の容量が上だった、ということに他ならない。物心ついた頃には、そんな感覚はなかったと思うのだけれど。

「ま、いいや。どうする? 捜索を依頼する?」

「結構です」

 髪の手入れを再開した姉さんは即答した。

「そう。ノエマも、それでいいのね?」

「……はい」

 私は姉さんほど即断できなかった。というよりも、一片の迷いも見せなかった姉さんの方がおかしい気がする。姉さんには何か思い当たることでもあったのだろうか。



 ※

 ノエマとの予期せぬティーパーティの翌日、木曜日の朝。

「あれ?」

 靴箱を開けた詩都香は首を傾げた。あるべきはずのものがそこになかったからだ。

「どうかした? また上履き隠されたの?」

 昇降口の前で一緒になった伽那が、靴を履き替えながら片足跳びでやってきた。

「わたしが普段いじめられてるみたいに言うな。……いや、いつものお誘いの手紙がなくてね」

 詩都香は伽那に見せつけるように上履きを取り出した。奈緒が詩都香にまとわりつくようになった頃に隠されたことはあるのだが。

「ああ、梓乃(しの)ちゃんたちからの挑戦状」

 魔術師にしてはずいぶん律儀なゼーレンブルン姉妹は、毎回果たし状めいた手紙を出して詩都香たちを呼びつけ、正面から戦おうとする。果たし状は、これまでは毎週木曜日に詩都香の靴箱に投じられていたのだ。

 ただ、自分たちの都合を優先してか、日付の指定は毎度毎度バラバラだった。次の日の夜のこともあれば、土曜や日曜のこともある。なかなかに勝手なものだ。一度すっぽかしてやろうかと詩都香は本気で考えている。

「珍しいこともあるもんね。諦めたのかな?」

「二人にわたしたちの心が通じたんだよ」

 物事をいい方へ考える伽那がころころと笑った。

「だといいんだけど。……でもそしたら、今度は別の魔術師が送り込まれてくるだろうね。あの二人はお役御免で呼び戻されるかも」

「え~、そんなのやだよ。せっかく仲良くなれそうなのに」

 伽那の表情が一転して曇る。

「仲良くって……」

 詩都香は呆れた。伽那には自分が狙われているという自覚がないのだろうか。そういえば、魅咲もゼーレンブルン姉妹には甘いところがある。

(一人で気を張り詰めてるわたしがバカみたいじゃない)

 登校したばかりだというのに、早くも疲れを感じ始める詩都香だった。

「後でメールで訊いてみようっと」

 伽那の言葉に、詩都香は歩き出した矢先に今度こそずっこけそうになった。

「……なに? あんた、あの子らのメアド知ってるの?」

「知ってるよ?」伽那はこともなげに答えた。「昨日の夜、メールで琉人くんから聞いたから。後で詩都香にも教えてあげようか?」

 そういえばそうだ。ノエマは琉人のクラスメートでもあったのだ。

「ほーんと、調子狂うなぁ」

 詩都香はひとりごちた。今までの相手とはいろんな意味で違う。

 それはともかくとして、伽那のこうした様子は悪くない、とも思う。伽那と、伽那を含めた自分たちの日常を守るために、詩都香たちはあまりにも強大な敵と戦っているのだ。標的とされている自覚なんて、日常には無用である。

「このままお手紙が来なければ、久しぶりにまるっと空いた週末だね。詩都香、どっか行く?」

 詩都香の気持ちも知らず、伽那は能天気だ。

「そうねぇ……」

 詩都香はしばし立ち止って考え込んだ。言われてみれば、二学期に入ってこの方、週末は大体つぶれっぱなしだった。戦いの前はそれなりに準備をしておかなければならないし、終わってからも疲れが残る。金曜日に戦って土曜日に休んで、日曜日に出かけることもあったが、それにしたって次の日も学校と思うと、あまり羽目は外せない。

「……泊りがけでどっか行こうか?」

 そう提案してみる。

「いいねいいね。日頃の疲れを取るために温泉とか?」

 伽那の顔が輝いた。最初に出てくるのが温泉である辺り、伽那も存外発想が年寄りじみている。

「あんたの基礎体力をつけるための合宿」

「え~っ、詩都香嫌~い」

「冗談よ。放課後までに考えておこ?」

 詩都香はぶーたれる伽那の肩を叩いてなだめすかし、階段に足をかけた。



 ※

 目覚めたときから胸が騒ぎっぱなしだった。登校したら、高原くんに返答しなければいけないのだ。

 しかもその上、そわそわと気もそぞろな私を他所に、騒動がもう一つ持ちあがろうとしていた。他ならぬ姉さんによって。

 私が起きたとき、姉さんは既に着替えを終えていた。なにやら楽しげだった。鼻歌などこぼしながら姿見に向かって髪をまとめにかかっている。

「……姉さん?」

 最後にワンサイドをくくった姉さんに、驚いて声をかけてしまった。

「あー、恵真、今日はあたし先に行くわ。あんたはゆっくり来て」

 振り返った姉さんは悪戯っぽく笑った。

 ――姉さんは左側に髪をくくっていた。

 昔よくやっていた悪戯だった。私と姉さんの一番の差別化のポイントであるワンサイドをいつもとは逆の側でくくり、雇われて日の浅い使用人をだますのである。成功率は七割といったところ。予期していたよりもバレやすかった。

「誰かをだますんですか?」

「バレたらそれでよし。バレなかったらちょっと考えなきゃね」

 謎めいた言葉ではぐらかされた。私の真似をする姉さんを数年ぶりに見たせいか、含み笑いに合わせてプラプラと揺れるワンサイドに、大きな違和感を覚えてしまった。

 姉さんは鏡の前でくるくるとポーズを変えながら身なりをチェックし、鞄を引っつかんで出て行ってしまった。取り残された私は、寝起きで未だ働かない頭で、ぼんやりとした不安を抱えていた。私のふりをして、姉さんはいったい何をするつもりなんだろう。


 姉さんの言いつけを守って始業十分前に教室の前に辿り着いた私は、朝から何度目かわからない深呼吸。

 高原くんの誘いを受けることは心に決めている。

 だけど、どんな言葉で、どんな顔をして、それを伝えればいいのかがわからない。

 もう一度深々と息を吸い込んでから、教室の扉に手をかけた。ええい、なるようになれ、だ。

「おっはよー、恵真ー!」

「ふぐうっ……!」

 教室の後ろの方に陣取っていた水野さんが、私の顔を見るなり勢いよく飛びかかってきた。その頭頂部を見事に鳩尾に食らい、せっかく吸い込んだ息がうめき声と一緒に全部漏れた。

「……っと。大丈夫、恵真? 二日酔い?」

 意識が飛んでいきかけた私を気遣う水野さん。自分のせいだとは少しも考えないらしい。

 どうにか呼吸を落ち着けて、水野さんの肩を両手で押し戻した。

「お、おはよう、水野さん。今朝も元気ね」

「これで恵真が映研に入ってくれればもっと元気になるんだけどね。あ、梓乃の方もコミで」

 調子のいいことを言う。

「あれ、泉? あんた今まで何やってたの?」

 クラス委員の松本さんに声をかけられた。「何って?」と尋ねようとしてピンと来た。松本さんは私のフリをした姉さんに会ったのだ。覿面に騙されていた。

 それに適当に応えながら、震えそうになる足を自分の席へと進める。

「んあ? おはよう、泉」

 眠そうに机に突っ伏していた高原くんが、足音を聞きつけて顔を上げた。

「おはよう、高原くん。……いつも眠そうだね」

「姉貴が朝早いんだよ。六時過ぎには朝食の用意して起こしにきやがる」

「あはは、うちと同じだ」

 少し気持ちがほぐれた。私は軽く息を吸った。

「それで、昨日の話なんだけど……」

「お? どう?」

「うん、よろしくお願いします……って感じかな」

 思わず出てしまった敬語をどうにか誤魔化す。

「そっか。悪いな」

 高原くんはそう言って片手を小さく上げただけだった。

 私の一大決心と比べると、少々釈然としないリアクションだった。

 まあ、いいか。変に舞い上がってる私が変なのかも。

「ああ、そうそう。お前の姉ちゃんが来てたよ。お前のフリしてた」

 あっは。高原くん、ちゃんと見破ってる。しかしそれはそれで恥ずかしい。

「ごめんね。姉さん、悪戯好きだから」

「ははっ。お前の席に座って、早くバレないかな、みたいにうずうずしてたぞ」

 目に浮かぶようだ。だけど、早々にバレることを期待していた姉さんはやきもきしていたんじゃないだろうか。しかし残念ながら、このクラスでの私の存在感はそう大きくはないのだ。

「しょうがないから声かけてやったよ。クラスを間違えてないか、って」

「そしたら?」

「『やるじゃん、高原くん』なんて言って、さっさと出ていった。何がしたかったんだろうな」

 本当に、何がしたかったんだろう。

「他に気づいてた人は?」

「うーん、朝早かったし、あまり人いなかったけど、水野はわかってたみたいで笑いを堪えてた」

 姉さんは私の交友関係を調べに来たのだろうか。だとしたら、友達の少なさにガッカリしたかもしれない。

 と、そこへ。

「高原、いるかー?」

 他のクラスの男子が教室の出入り口のところへやって来ていた。

「おう、佐野」

 高原くんが席を立ち、戸口まで行ってしまう。その間に、廊下に立っていた男子生徒と目が合った。高原くんとは対照的な、やや中性的な顔立ち。美形と言って差し支えない。

 その男子は、私に気づいてにこっと親しげな笑顔をこぼし、片手を挙げた。私はわけがわからぬまま小さく頭を下げた。どっかで会ったっけ?

 えーと、誰だったかな……? 首を傾げていると、後ろの席から身を乗り出した水野さんが耳打ちしてきた。

「佐野よ、佐野隆博。恵真はまだ知らないかな。関わり合いにならない方がいいよ」

 ああ、そうだ、佐野。顔はいいんだけど、近づいてきた女の子を散々食い物にしては捨てるという噂のある生徒だ。中学生の分際で、まったく。

「高原くんったら、どうして佐野みたいなのと付き合ってるんだろう?」

 水野さんが肩をそびやかす。

「知らないの? 琉斗と佐野は小学校からいっしょの腐れ縁なのよ」

 と、こちらはいつの間にかそばに来ていた永橋さん。

「ねぇ、泉。あんた、うまくあの二人を引き離してよ」松本さんまでやって来た。「私ね、ああいうの許せないんだ」

 そう言って松本さんは腕組みする。

 それにしても、と私は思う。

 ここまで嫌われている佐野に引っかかる女子なんているのだろうか?

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