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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第三章「我らが幸福の日々には In den Tagen unseres Glücks」――九月十八日
18/62

6.

 ※

「さっきのあれだけどさ――」

 無言でしばらく歩いてから、高原くんが少し照れくさそうに口を開いた。「あれ」とは?

「うち、母親いないんだわ。俺が小三の頃に死んじゃって」

「…………」

 知ってる。しかしかけるべき言葉を見つけられず、私は沈黙を守った。

「そんで、なんていうか、お姉ちゃんが母親代わりみたいになって、家のことを取り仕切るようになったんだ。だからかな、お姉ちゃんには頭が上がらなくて」

「……そうなの」

 私たちが城主様に頭が上がらないのと同じようなものだろうか。

「だから、断じてシスコンってわけじゃ……」

 ――あっは、何かと思ったら、姉さんに言われたのを気にしていたのか。私に弁解しなくてもいいのに。

 高原くんが姉を大事に思っているのはよくわかった。そもそもそうでなければ、姉の無事を伝えただけの私にお礼だなんて考えないだろう。

 あのメールで高原くんがどのくらい安堵したか想像してみた。もしかして、ちょっと泣いちゃったり?

 そんな微笑ましい想像をしていると、アーデルベルトの言う通り、昨日図らずも高原姉を助けてしまったのも良い選択だったのかもしれない、と思えてきた。

「泉も母子家庭って聞いたけど、姉ちゃんとはどうなの? ……あ、悪い、変なこと訊いた。今のナシで」

「そんなこと気にしないでくだ――気にしないでよ。不幸だなんて思ったことないし、姉さんはとても頼りになるし。それに今どき珍しくもないでしょう」

 そうだ、私は城主様(へリン)と城のみんなと姉さんの愛情に包まれて育った。生みの親に捨てられたことなんて、今ではもうどうでもいい。こんなことでつぶれていたら、魔術師なんてやっていけない。

「……そっか。外国は離婚とか多いらしいしな」

 私はそれには応えなかった。私たち姉妹の家庭環境の設定は姉さんが勝手に作っているので、どんな風にみんなに伝わっているのかよくわからないのだ。

 ……勝手に離婚歴を作られていたらごめんなさい、城主様。

「姉さんとは仲良くやってるよ。たまに言い争いくらいはするけど」

 そして大抵私が言い負かされるけど。

「いいなあ、そういう対等な関係。俺は姉貴に世話になりっぱなしだから、本気で喧嘩もできない」

「はい?」

 意外だ。高原くんは悩みの少ないタイプだと思っていた。あと一応つけ加えておくと、私と姉さんも対等とまではいかない。双子なのに。

「あ、いや、その、さ。そうは言っても、俺は姉貴を全肯定してるわけじゃないから。今回のことだって、とんだお騒がせだったし」

 あらら、「姉貴」呼ばわりに戻った。

「まあ、危なっかしいところのある人だしね」

「いやほんとそうなんだよ、姉貴と来たらさ。学校の勉強とかすげー得意なのに、どっかぬけてるんだよな。少し前にはいきなりどっかから猫をもらってくるしさ。……あ、意外かもしれないけど、頭はいいっぽいんだよ。こないだの実力テストは、横浜とかの学校の上位層に食い込んで県で十位以内だってさ」

 それからしばらく、高原くんの姉自慢につき合った。大方が既知の情報だ。

 資料に記載されていた高原の特徴――記憶力に優れ、頭の回転もなかなか速いらしい。それに加えて、幼少の頃から城主様の英才教育を受けてきた私たちほどではないだろうが、複数の言語を読みこなす。

 成績の面では、一学期の期末考査、学年五位。夏休み中に希望者だけが受験した実力試験、なんと学年一位。そして休み明けの課題テストは八位となっている。

 家事全般もそつなくこなすが、それ以上の労力を趣味に傾けている。興味を持ったことにはまっしぐら。しかもそれが多岐に渡るため、多くの技術を人並みには身に着けている。そのくせ、芸術的センスは今ひとつ。例えば楽器もいくつか弾けるが、どれもこれも譜面通りにしか演奏できないタイプだ。

 知っていることではあったけど、高原くんの口から聞かされると、なんだか偏っているように思えるのはどうしてだろう。

「うちの親父は勉強とかについてはわりと放任主義で何も言わないけど、姉貴に比べられるのは勘弁だな」

 姉自慢なのか自虐なのかわからないが、高原くんは最後にそうつけ加え、なはは、と頭を掻いた。

「わかるよ。うちの姉さんも、私より優秀だし。私は全然敵わない」

 私も昔から姉さんが自慢の種だった。それでいて姉さんは、劣等感を抱いてしまう相手だった。

 姉さんは私に無いものをみんな持っていた。新しく習った魔法を先に成功させるのはいつも姉さん。〈夜の種(ナハトザーメ)〉との戦いで決め手となるのは決まって姉さん。入ってきた使用人と親しくなるのだって姉さんが先。私はその背中を追うだけ。

 姉さんは優秀だ。今は同じ階梯に位置づけられているけど、いつか差をつけられるかもしれない。いや、きっとその内影さえ踏ませてもらえなくなる。

 なのに、彼は言い放った。

「そうか? まあ、成績とかのことはわかんないけど、俺はお前の方がいいと思うぞ」

 私は一言も発せぬまま、高原くんの顔をまじまじと見つめてしまった。そんな私の視線を意識してか、高原くんは言い継ぐ。

「あ、いや深い意味はないけど。お前の姉ちゃんって、なんかちょっと無理してる感じがあるんだよな。お前みたいな自然体の方が、俺はいいと思う」

 うんうん、と自分に納得させるように、高原くんはしきりに頷いた。

 何を言ってるんだ、この人は。色々屈折を抱えている私なんかより、姉さんの方がよっぽど自然体じゃないか。

 ……などと訝しみつつも、そう言ってもらえるのは嬉しかったりする。

 そこで互いの視線がぶつかった。

 しばし見詰め合った後、どちらからともなく顔を逸らした。辺りが暗くてよかった。高原くんから顔色を見られないで済んだ。

「そういえば、高原くんのお父さんって」

 誤魔化すように口を開いてしまってから後悔した。あまりふさわしい話題ではない。

「ああ、ノンキャリの公務員。東京の方での仕事が忙しいみたいであまり帰らないけど。さっきは放任って言ったけど、怒るときは怒るんだ。昨夜なんて、説教食らってお姉ちゃん泣きそうになってたしな」

「……どこに勤めてるの?」

 高原姉がどこで何をしていたのか知っている私はちょっとだけ気の毒に思いつつも、一歩踏み込んだ質問をした。

「ん? さあ。興味ないし」

 高原くんは首を傾げた。そんなもんなのかな。高原姉も知らないのだろうか。

 結局何事も無く家に着いた。高原くんはわざわざ部屋のフロアまで送ってくれた。わずかの間とはいえ二人っきりの密室になるエレベーターの中で、私はひどくどぎまぎした。姉さんじゃないけど、昨日の廃病院の臭いが移っていたらどうしようなんて考えて、ますます心拍数が上がってしまった。

「それじゃあ、今日はありがとう」

 お茶くらい出すから、と部屋に上がっていくよう何度も勧めたにもかかわらず、高原くんは固辞した。姉から刺された釘が効いているのかもしれない。


 高原くんをエレベーターの前で見送ってから、部屋の扉を開けると、

「遅いっ。何してたのよ」

 制服姿のままの姉さんが仁王立ちだった。

「ご、ごめんなさい……」

 敵である三人とお茶をしてきたというのは、さすがに後ろめたい。

 ……と、姉さんの剣幕に反射的に頭を下げてから気づいた。

 今日は一度も〈モナドの窓モナーデンフェンスター〉を開いていないし、オートロックは自分で開錠した。姉さんに私が帰ってきたことが知られることはないはず。そしてまた、姉さんが私の帰りを玄関でずっと待っていたとも思えない。

「姉さん?」

 上目遣いに少しだけ前方を見遣れば、まず目に入ったのは近くのデパートの紙袋。そして、ビニール製の黄色い足踏み式の空気ポンプに乗っかった姉さんの足。それと、ポンプから伸びる青いチューブ。

 もう少しだけ顔を上げれば、チューブの先には、両手に支えられて腰に固定されたビニール製の輪っか。

 ……浮き輪だった。どうも、姉さんも買い物して帰ってきたばかりの上、リビングまで運ぶ時間も惜しんで玄関先で戦利品を広げてしまったようだ。

「姉さん、それは何?」

 いくぶん尖った言葉尻になったが、この際大目に見てもらおう。

「ああ、これ? 今度クラスの子たちとデコンストリュクシオン・シーに行くことになってね」

 悪びれもせずに、浮き輪を纏わせたままくるっと一回転。チューブを介して繋がったままのポンプが狭い廊下の壁にぽこぽこ当たり、スカートがふわっと広がった。

 デコンストリュクシオン・シーとは、快速電車で三十分ほど行った先の市に所在する、海をモチーフにしたテーマパークである。千葉の方に行く時間やお金がない若者はこちらで済ます。屋内プールがある他、アトラクションの多くも濡れるのが前提で水着の着用が推奨されていたりするなど、千葉のとは全く別物なんだけれど。

 私は靴を脱いで部屋の廊下に上がった。

「……姉さん、最初に聞いたときには『なんでフランス語と英語のちゃんぽん?』とか馬鹿にしてませんでしたっけ?」

「そなこともあたかも」

 うわ、無意味に片言だ。

「……それで、なんでしたっけ? 『一体何を脱構築(デコンストリュイール)するってのよ?』でしたっけ?」

「普段のあたしを脱構築!」

 テレビで見たコマーシャルの文句をそのままなぞり、さっきとは逆にもう一回転する姉さん。今度こそ下着が見えた。

「わかった。もういいです」

 こんな姿を高原くんに見られなくて幸いだった。姉さんの傍らを抜け、リビングに向かう。

「ちょっと、恵真~!」

 情けない声を上げて姉さんが追いすがってくる。その手には紙袋。腰には相変わらずの浮き輪。そして、そこから伸びるチューブにずるずると引きずられるポンプ。

 帰りが遅くなってしまったことは、首尾よく誤魔化せたようである。というか、もはやそれどころではない。

「……で、水着はどうするんです?」

 秋になってからの編入だったため、私たちは学校指定の水着しか持っていない――九月に入っても水泳の授業があるのは予想外だったが。姉さんの性格上、そんな水着で行くとは思えなかった。

「もちろん買った!」

 ソファにどかっと座り、隣に置いた紙袋をぽんぽんと叩く姉さん。それから、ごそごそと中身をあさる。

「じゃーん、どう? ちょっと男の子には目の毒かな? 帰国子女のバディでばっきゅーん、みたいな?」

 姉さんの言語感覚も大概だ。しかも取り出されたそれは、無謀とも言える黒ビキニだった。

 私は頭痛を覚えた。

「……姉さん、体育の時間の着替えの時はどうしてます?」

「んあ? 触りっこしてるよ?」

 そこまで訊いてない。だけど、まあいい。

「同い年の女の子の体触って、何か感じませんでしたか?」

「いや~、ぷにぷに柔らかいなぁ、と」

 よっぽど気に入ったのか、姉さんは立ち上がり、水着の上を胸の膨らみに当ててみていた。

「もう単刀直入に言います。私たち、同級生の子たちに比べて、発育が残念です」

 意を決してそう告げた。そうでもしないことには、姉さんが痛々しすぎた。

「残念?」

「もっとズバリ言うと、バストサイズが平均以下です」

「以下?」

 姉さんは私の言いたいことがうまく飲み込めないらしかった。

 無理もない……のか? 転校の際に提出する証明書は城主様が適当に偽造したので健康診断も受けていないし、思えば、日本行きが決まるまでゼーレンブルン城にはテレビもなかったのだ。同年代の女の子のことなんて、互いのことしか知らずに過ごしてきた。

 是非もなし。私は必殺の言葉を吐いた。

「……つまり私たちは、高原詩都香とどっこいどっこいだということです」

「んなっ!?」

 これには姉さんも驚いて水着を取り落した。効果覿面だ。

「ちなみに、私たち二人とも高原よりも背が低いので、すこしくらいは大目にみられるかもしれません」

 ちょっと薬が効きすぎたかもしれない。姉さんがソファに倒れ込んだ。

「あの貧乳と同じレベルだなんて……」

 ぶつぶつと呪文のような呟きが口から漏れている。

 しばらくしてやっと帰ってきた姉さんの提案で、週末に二人でもう一度水着を買いに行くことになった。私のも選んでくれるらしいが、正直なところ大変不安だ。



 ※

「ちょっと誠介! アニメの歌禁止って言ったでしょ!」

「いや、だってさ、せっかく高原が俺の知ってるデュエット曲入れたんだし……。お前も覚えてきたら、今度一緒に唄ってやるから、な?」

 幼馴染同士が言い争っているのを眺めながら、詩都香(しずか)は由佳里と並んで歩いていた。カラオケを終えて出てきたところだ。

 詩都香が入れたのは、日本神話と植物をモチーフにしたアニメの主題歌である。二十五年も前の作品なのに、誠介の“勉強”もだいぶ進んできたらしい。

「べ、べっつにあたしはあんたなんかと唄いたくないっての! 詩都香と唄うんなら、もうちょっと普通の曲にしなさいって言ってるの!」

「だって高原って、アニソン以外下手だしよ」

(……ムカっ。聞こえてるっての)

 失礼にも程がある、魅咲(みさき)伽那(かな)に勝手に入れられた流行曲を、うろ覚えで唄わされるこっちの身にもなれ、などと詩都香が憤慨していると、

「楽しかったですね、高原さん。また行きましょうね」

 隣を歩く由佳理がそう話しかけてきた。

「あ~、松本さん、あれでも楽しかったんだ」

「あ、高原さん、また! さっき名前で呼んでくださいって言ったじゃないですか」

「ご、ごめん。ゆ……由佳里」

 もつれそうになる舌に鞭打って、詩都香はまだ慣れぬやり方で由佳里を呼ぶ。

 空気を読まないオタクグループがアニメソングばかり唄って由佳里を引かせるという作戦は、どうもあまり効果を上げなかったらしい。そもそも詩都香は普段から田中たちとその手の話ばかりしているのだ、由佳里はとっくに知っていたのかもしれない。

「ところで、田中くんたちが言ってた『むせる』とか『心が冷える』って何ですか?」

「まつ……由佳里は知らなくていいわよ」

「えーっ? 気になります」

(なんでこんなことに……)

 詩都香はそっと肩を落とした。

「そんじゃ、今日はこれで解散かな」

 駅前通りに出たところで、田中がそう宣言した。ここからはそれぞれの家路を辿ることになる。

「あー、俺腹減ったんだけど、魅咲ん家でラーメンでも食ってっていいか?」

「お金払うんなら別にいいけど。お父さんってば誠介が来るの楽しみにしてるし。あー、そういやあたしもケーキしか食べてないんだった。あたしもつき合おうかな」

「金払えよ?」

「あんたに心配されなくても、店の方で食べた分はお小遣いから引かれてるっつーの」

 魅咲の家は地元では名の知れた中華料理店である。ここからは歩いてすぐだ。

 そして魅咲の父親は、誠介にとってかつての武術の師に当たる。道場は五年前に畳んでしまっているが。

「お前らもどうだ?」

「そうだね、確かにお腹空いてるし」

 田中が誠介の誘いを受け、吉田と大原もそれに便乗する。

「じゃあ、私も。お母さんに夕食は要らないって連絡しちゃいましたし。高原さんと一条さんはどうします?」

「あ、わたしはパス。ダイエット中だし、あまり遅くなるとユキさんに叱られちゃう」

「ダイエットなんていつ始めたのよ、伽那。……えーと、ごめん、ゆ、由佳里。わたしもパスかな。さっきデカいパフェ食べちゃったし」

「そうですか……残念です」

 本当に残念そうな由佳里だったが、誠介たちと相伴するのには乗り気らしい。そのままの方向性を守って欲しい、と詩都香は願わずにはいられない。

「うん、じゃあまた明日ね」

 一同に手を振って、詩都香は伽那と一緒に歩き出した。

「……どうかしたの、詩都香?」

「ん? 何が?」

 駅に向かって三分ほど歩いたところで伽那に顔を覗き込まれ、詩都香は目を逸らした。

「詩都香ならラーメンくらい余裕でしょ?」

「女の子に向かって失礼な」

「さっき『俺の胃袋は宇宙だ』って言ってたじゃない」

「ぎゃふん、覚えてたんだ」

 伽那は溜息を吐いた。

「はぁ。またそうやって誤魔化す。……だいいち詩都香の家逆方向じゃない」

「普通先にそっちにツッコむでしょ。ちょっと西の方に用事があってね。ここからだとバスは不便だし」

「ふーん……? 話しにくいことなの?」

「いや、別にやましいことがあるわけじゃないけど……」

 こんな中途半端な説明で伽那が納得するはずがなかった。詩都香は結局用事について語り、東京舞原(ひがしきょうぶはら)駅から一緒の電車に乗り込んだ。



 ※

『さっきのお礼の話だけど、土曜日暇? うちの姉貴が見つけてきた和菓子カフェがあるんだけど、そこでいいかな?』

 宿題がようやく片づいたところで、高原くんからそんなメールが来た。

 どうしよう。どう返信したらいいのだろう。

 散々迷った末、もうこれ以上待たせられない、と送った文面は、『明日、学校で』。

「ダメだなぁ、私って」

 ひとり嘆息し、私室からリビングに出た。

 姉さんは食卓に座り、例の果たし状を書いていた。『あたしたちの(アン・ウンスレ・)敵どもへ(ファインディネン)』という書き出しはもはや様式美と言っていいが、ちらっと覗けばその後はキリル文字。今回はロシア語だった。また知っている限りの罵詈雑言を散りばめ、高原たちを挑発しているのだろう。

 ドイツ語、フランス語、ラテン語と来て、今回はとうとうラテン・アルファベットを離れたらしかった。

 私はその背に声をかけた。

「姉さん」

「ん? どうかした? ……あ、今週はあたし日曜避けたいから、土曜の夜でいい?」

 姉さんは顔も上げなかった。

「えーと、すみません。土曜日は私がふさがっていて……。どうしましょう?」

 まだ誘いを受けるとは決めていないのだが、とりあえず空けておきたかった。高原くんとお出かけした後でその姉と決闘というのは、さすがにためらわれる。

 姉さんは万年筆を握る手を止め、やっと私の方を見た。

「あら、そう。……ん~、どうしようかな。金曜は買い物に行かなきゃだしね。月曜は祝日だけど、月曜日にやるってのもなぁ。……じゃあ、今週はなしでいいか」

 あっは、わりと軽く任務放棄。逆に私の方が不安になった。

「いいんですか、そんな簡単に?」

「べっつに、毎週戦えって言われてるわけでもないしね」

 それはそうだ。これまでだって、なんとなく週に一回高原たちと戦ってきただけだった。というよりも、細かな指令なんて受け取ったことがない。やり方は私たちに一任されているのだ。

「じゃあ、今週は休みということで」

 姉さんはせっかくしたためた書状をくしゃくしゃに丸めた。ドイツ語・(ドイチュ‐)ロシア語(ルシッシェス・)辞典(ヴェルターブーフ)に加えて、ロシア語・(ルシッシュ‐)ドイツ語(ドイチェス・)辞典(ヴェルターブーフ)も広げてある。それなりに手間をかけていたはずだ。

「いいんですか?」

 私はもう一度念を押した。

「何が?」

 姉さんは丸めた便箋を屑籠に放った。あっけらかんとしたものだった。


 ――以前に一度、姉さんに尋ねてみたことがある。どうして毎回違う言語で果たし状を書くのか、と。

「決まってるじゃない」姉さんの回答は至極明快だった。「高原よりあたしたちの方が語学力があることを示すためよ」

「……それで、高原に読めない言語で書けたらどうするんですか? すっぽかされるだけなんじゃ?」

「その時は城主様に報告するわ。高原詩都香の限界見たり、ってね」

 姉さんは何事にもポジティブだ。


 そろそろお風呂にでも入ろうかと思っていたところで、〈モナドの窓〉が開かれるのを感じた。

「あ? これ、また高原じゃない?」

 姉さんも自室の戸口から顔を出した。

 場所は――西北西に六キロほど。

「高原、ですね。これって、昨日の所では?」

「そだね、たぶん。あそこでまた何か……あれ? もう閉じた」

 姉さんが首を傾げた。

「どうしたのでしょう?」

「さあね。しっかし、未成年がこんな時間に夜歩きなんて感心しないな。補導されっぞ」

 姉さんはそうとだけ言って部屋に引っ込んだ。私としても、わざわざ確認に行くのは億劫だ。

 危険はあるまいと判断して、入浴することにした。

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