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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第三章「我らが幸福の日々には In den Tagen unseres Glücks」――九月十八日
17/62

5.

 ※

 詩都香(しずか)魅咲(みさき)伽那(かな)琉斗(琉斗)と適当に話を合わせながら、ノエマを観察していた。彼女たち三人の中で一番童顔な伽那と比べても、その容貌は幼い。背も高くはなく、まだ中学生であることを差し引いても平均以下だろう。

 その童顔に似合わず、ノエマはあまり表情を変えない。その無表情の下で何を考えているかは知れないが、話の合間に頷くこともあるので、上の空というわけではなさそうだ。顔の筋肉を使った感情の表出が不得手なのかもしれない。

 ちらちらと視線の向かう先は、意外にも琉斗であることが多かった。クラスメートだし、アウェーなこの場では一番親しいと言っていいのかもしれない。というより、ノエマにとっては琉斗以外敵だらけの状況なのだ。

 ノエマの視線の動きを追っていると、当然ながらしばしば目が合う。その度に小さく睨まれる。詩都香に対する警戒心だけは、隠す気が無いようだ。

 今の詩都香に戦う気はない。向こうもそれがわかるくらいにはこちらのことを信用しているだろう。

 むしろ逆に、この場でノエマがやる気になった時の方が怖ろしい。

 何しろ、〈モナドの窓〉を開くのに詩都香は最短で五分、魅咲と伽那はそれ以上の精神集中が必要になる。それに対して、ノエマはおそらく長くとも一分以内でそれが可能だ。なりふり構わなければ、この場で伽那をさらっていけるのである。

 悩ましい状況だった。〈モナドの窓〉を開く準備を始めれば、すぐさまノエマに気取られるだろう。それから向こうの魔法が行使されるまでの間に、果たして自分も〈モナドの窓〉を開けるか……西部劇の決闘シーンを連想してしまう。

恵真(えま)ちゃんって、どこの高校受けるの? うち来る?」

 伽那の一言でテキサスの荒野がお花畑になった。がくっ、と詩都香は首を折る。

「伽那、あんたねぇ……」

 ゼーレンブルン姉妹は任務でここに来ているのだ。この先一年半もこいつらとやり合うつもりだろうか。

「……まだわかりません」

 ノエマの方も幾分呆れた様子だったが、無難な答えを返す。無関係な琉斗が同席しているので、本音を口にすることができないのだろう。

「恵真ってどれくらいの成績なの、琉斗?」

「え? ああ、どんなもんすかね。授業態度は真面目だけど。泉、どうよ?」

 魅咲から振られた琉斗が、話題を本人にパスする。

「転校して半月なのに、わかるわけないじゃないですか」

 もっともな言い分である。

「じゃあさ、恵真ちゃんには苦手科目とかある?」

「……社会と国語が苦手です。今まで勉強したことがなかったので、ほぼまったくついていけていません」

 ノエマが伽那の空間に呑み込まれつつある。本人も少し困った様子だ。

 その後のやり取りで、ノエマは社会の日本史と日本地理、国語の古文・漢文が苦手であることがわかった。ドイツでは習うことがないのだろう。

「世界史分野は得意?」

 伽那がさらに踏み込む。普段三人の中で一番成績が下なので、先輩ぶりたいのかもしれない。

「そちらは一般的な中学生くらいの知識は身につけています」

「それじゃあ、ローマ帝国の滅びた年は?」

「どちらのローマ帝国か知りませんが、一四五三年です」

「そうなの?」

 自分で尋ねたくせに、伽那は詩都香の顔を窺う。

「東ローマが一四五三年よ。伽那はもう少し勉強しなさい。そんじゃ琉斗、西ローマは?」

 諦めて伽那空間に身を委ねることにした詩都香は、弟に水を向けた。

「知らね。いちみさんざん?」

「鎌倉幕府!」

 魅咲がすかさずツッコんだ。弟の学力に一抹の不安を抱く詩都香だったが、まあ、中学生ならこんなもんだろう。

「だけど泉って英語は得意だよな。英語の発音とか聞くと、やっぱ外国育ちだなーと思うよ」

「訳を当てられるのは苦手だよ。とっさに日本語が出てこないもん」

「ああ、あとそういやお前、漢字の書き順が変。『手』って書くとき、縦の線から始める奴初めて見たわ」

「しょっ、しょうがないじゃないっ。悪いのはあっちで間違えて教えた日本語教師!」

(あれ?)

 詩都香は首をかしげる。ノエマの雰囲気がさっきまでとは違うような気がする。

「そんなこと言って、琉斗だって怪しいもんだ。 ほら、これに『右』と『左』って書いてみ?」

 魅咲が鞄から取り出したペンをテーブル上の紙ナプキンと一緒に押しつけた。

「なめんなよ、先輩」

 琉斗はそう息巻くが、なかなか一画目を書こうとしない。こう振られれば、警戒してしまうのだろう。しかしやがて、えいやとばかりに素早くペンを動かす。詩都香も思わず注視する中、彼はどちらも左はらいの「ノ」の部分から書き出した。わざわざ問われるからには何かある、と考えてのことだろうが、残念な結果に終わった。

「どーよ?」

「あははは、琉斗くんもダメだなぁ。こういうのは横棒から始まるに決まってるじゃないの」

 伽那がけたけたと笑い、詩都香と魅咲は思わず顔を見合わせる。訂正する気にもならない。

「なーんだ、高原くんも人のこと言えないじゃない」

 ノエマまでそれに乗ってはなおさらだ。

 そして、その顔に浮かんだささやかな笑みを、詩都香は可愛いと思ってしまったのである。

 不覚にも。



 ※

「この後どうする? 詩都香の無事を祝って、カラオケでも行こうか?」

 すっかりテーブルの上のものを平らげた後、一条が提案した。

「なんか誠介と田中くんたちが近くにいるみたいよ? ゲーセンで遊んでたみたい。呼ぶ?」

 相川は携帯をいじっていた。

「別にいいわ。このメンバーで行こ?」

 高原姉はつれない。

「いやいや、あんた、みんなに心配かけたんだし、こういうときくらいサービスしないと」

 むしろ相川の方が呼びたそうな様子だ。

 ――セイスケ……、少し前の会話にも出てきたが、聞き覚えのある名前だ。

 三鷹誠介、だったか。〈連盟(リーガ)〉から事前に与えられた情報によると、高原姉にぞっこんの同級生だとか。それでいて、相川の幼馴染でもある。こう見えて彼女たちはなかなか複雑な関係だった。

「そうだよ詩都香。今日は詩都香がもてなす側ね。はい、決定」

「わ、わかったわよ、もう。」

 一条にまで言われ、高原姉はしぶしぶといった口ぶりで了承した。

「恵真はどうする?」

 と、訊かれても困る。こいつらはともかく、これから合流するという男子たちとはまったく面識がない。

 ――いや、待て待て。そもそもこいつらからして敵なのだ。なんだか今日はペースを乱されっぱなしだったが。

「……えーと、私は帰ります」

 そう言って席を立つ。無理に引き留められることはなかった。

「ほんじゃ、恵真ちゃんの分は詩都香持ちね」

 高原姉は一条の言葉に咄嗟に反論しかけたが、仕方ない、とばかりに頷いた。

「なんかあんたにも迷惑かけたみたいだしね。琉人のアホのせいで」

「アホはお姉ちゃんだろ」

 高原くんが顔をしかめた。

うん(ヤー)まったく(ドゥ・ハスト・)その通り(ガンツ・レヒト)」と小声で応じたら、高原姉に睨まれた。ああ、こいつ、このくらいのドイツ語はわかるのか。厄介だな。

「それでは遠慮なく」

 ほんの少しだけ頭を下げる。これくらいの殊勝な態度はとっても罰は当たるまい。

「琉人、あんた送っていってやりなさいよ」

「ハナからそのつもりだよ」

 高原くんも立ち上がって鞄を取った。

 私は慌てた。

「だっ、大丈夫よ、高原くん。そんなに遠くないし」

 しかし高原くんは首を振らない。

「でも昨日の今日だろ? 警察は犯人を捕まえたって言ってるけど、真犯人かどうかわからないし、模倣犯だって出るかもしれない」

 あの事件がもう起こらないのは知っていたが、外はいつの間にか薄暗くなっていた。断りづらいことこの上ない。

「それから、お姉ちゃん今日遅くなるけど、待ちきれなかったら夕食は適当に食べてて。おかずはお弁当の余りがあるし、ご飯くらい炊けるわよね? あ、送り狼になんてなるなよ?」

「なるかバカ姉!」

「……詩都香って、言葉のセンスがたまに古いよね」

「……知っててもなかなか出てこないよ、『送り狼』なんて」

 高原くんが怒鳴り、一条と相川は高原姉の言語感覚についてひそひそとささやきを交わした。

「じゃあね~」などと明るく手を振る一条に小さく手を挙げて応えてから、私と高原くんは店を出た。

 店先で、そろいの制服を着た男子高校生四人組と出くわした。

「お、琉人じゃん」

 その内の一人、だらしなくならない程度に制服を着崩した男子が、高原くんに声をかける。

「あ、三鷹さん、ちわっす。それから、田中さんと、ええと……?」

「吉田だよ!」

「通りすがりの大原だ、覚えとけ!」

 高原くんは四人とも知り合いのようだった。内二人の名前は、咄嗟には思い出せなかったみたいだけど。

「あー、すみません、今度こそ覚えました」とその二人に頭を下げる高原くん。「三鷹さん、お姉ちゃんなら、相川先輩と一条先輩と一緒に中にいますよ。……昨日はすんませんでした」

「いいさ別に。むしろ、もっと力になってやれれば、あの女の鼻を明かせたのに」

 こいつが三鷹誠介か。背は百七十台後半という高原くんよりもさらに少し高い。しかも、ひょろひょろとしているわけではなく、無駄のない、いかにもスポーツ向きという感じのしなやかな筋肉をまとっている。顔だってなかなかだし、小物や靴にも気を遣っているらしかった。

 こんな男を高原姉は袖にしているのか。それにしても、三鷹の言う「あの女」とは誰のことだろう?

 そんな風にぼけっと眺めていたせいで、急にこちらに向けられた三鷹の視線をやり過ごすことができなかった。

「んで、こちらは? 彼女? でもお前って――」

 高原くんは最後まで言わせることなく両手を振った。

「いやいや、同じクラスなんですよ。なんかお姉ちゃんの知り合いでもあるみたいで」

「ふ~ん。まあ、高原の知り合いなら俺の知り合いも同然だな」

 三鷹は高原くんに小声で「日本語わかるんだよな?」などと尋ねてから、私に向き直った。

「俺は三鷹誠介。こいつの姉の同級生。よろしく、ええと――」

「……泉です。泉恵真」

 ――なんだ、この状況は? 内心戸惑いながらも、高原くんの手前、ぺこりとお辞儀。

「そっか。よろしく、泉ちゃん」

 そう言って私に軽く頭を下げ返すと、三鷹は店の入り口に向かった。

「まったく、何度も顔を合わせてるのに我々は一向に名前を覚えてもらえんな」

「そろそろ君と僕の差別化が必要ではないだろうか。よし、僕は黒で行くから、吉田は今度髪を赤く染めてこい。一号機と二号機でいこう」

「キュベかよ。そりゃ僕はツーちゃんの方が好きだけど、お前が白にでも染めてこい」

「じゃあ、それぞれ右と左にでかい肩パット入れるというのは」

「それでそこに『L』と『R』って入れるわけか。ダブルゼータから離れようぜ」

「そもそも、あの弟くんが記憶力悪いのが悪い。あの高原さんの弟なのに。顔も似てないし、金髪少女をはべらせてるし。実は義理なんじゃないのか?」

「血の繋がらない姉か……アリだな。そういえばこの間入手したえろ――」

「うろたえるな小僧ども!!」

 残った三人の内二人、高原くんに名前を覚えてもらっていなかった人たちがよくわからない議論を繰り広げるのを、田中と呼ばれた眼鏡の男子が、これまたよくわからない一喝で強引にまとめて引きずっていった。

「ったく、なーにやってんだか」と苦笑を浮かべて、高原くんは彼らの背を見送っていた。

 その顔を横から見ながら思う。たしかに似ていない。高原くんの顔立ちは姉とは方向性が違う。姉が深窓のお嬢様風――中身がまったくそんなのではないのは知っているけど――だとしたら、弟の方はそれとはかけ離れた野性味のある顔つきをしている。むしろ、三鷹の弟と言われた方が納得してしまう。

「妬けるなぁ」

 ふと、口から呟きが漏れる。この姉弟、カップルだと言われたら誰しもがお似合いだと褒めそやすことだろう。

「何が?」

 意外にも耳聡い高原くんが、こちらを振り返った。私は小さくかぶりを振った。

 そうやって誤魔化しながら、高原詩都香のバカ野郎、と心の中で一言。

 ……ったく、誰がモテないって?

 三鷹たちの後を追うようにこそこそと店の中に入っていく女子高校生が一人。なんとなくその様子を眺めてから、高原くんと私はどちらともなく歩き出した。



 ※

「やあ、しずかちゃん。全快おめでとう」

 店内に姿を現すなり、田中翔一が言祝(ことほ)ぐ。

「……田中くん、それじゃ退院祝いじゃない」

 眉根を寄せる詩都香に、吉田重和と大原祐司も声をかけた。

「高原さん、今回は大変だったね」

「犬に咬まれたと思えばいいって、ばあちゃんが言ってた」

(レイプされたわけじゃないわよ!)

 そんな反論をどうにかこらえつつ、詩都香は引きつった顔でお礼を返す。「……そりゃありがとう」

「さっきそこで琉人に会ったぞ。可愛い子連れてた」

 最後に誠介が口を開いた。先頭に立って入ってきたくせに、かけるべき言葉を用意してこなかったのだろう。

「ああ、あれね。琉人の新しい彼女」

 詩都香は面倒になってザッハトルテの最後の一かけらを口に放り込んだ。

「え、マジか? だってあいつ――」

 言いかけて口をつぐみ、誠介は伽那の顔を窺った。伽那は不思議そうにその視線を受け止めた。

「どうかしたの、三鷹くん?」

「いや、なんでもない。……それはそうと、なんか俺たち、ここまで尾行されてたような気がするんだが」

「あ、やっぱり三鷹くんも気づいてた?」

 やや強引な話題転換だったが、田中が乗った。吉田と大原が顔を見合わせる。

「気づいたか?」

「いや、全然。おかしい、ニュータイプの俺が……。相手もニュータイプか、はたまた強化人間……」

「離れろっつったろ」

「強化し過ぎたか……って、いるし!」

 神妙な面持ちで彼らのやり取りに加わってから、詩都香は誠介たちの背後を指さした。

 指された少女が、見つかっちゃった、なんて顔をする。

「あらら、委員長さんだ」

 伽那のその言葉通り、四人の男子の後ろに隠れるようにして立っていたのは、松本由佳里だった。

「松本さん……、バスで帰ったんじゃ……?」

 詩都香は口をパクパクとさせた。

「だって、昨日の今日で、高原さんのこと心配だったし……」

 しゅん、と小さくなる由佳里。

「ま、なんにせよ、これで男女四対四だね」

 田中はいつものニコニコ笑顔だ。

「委員長さんも詩都香の無事を祝ってカラオケ大会行くでしょ?」

「ご、ご迷惑じゃなければご一緒させてください。私、そういう所入ったことなくて」

 伽那の問いかけに、由佳里はもじもじと言葉を返した。それはまた大冒険である。

「ていうか、むしろ来てよ。詩都香や田中くんたちと行くとアニメの歌ばっかりで。誠介、あんた今日こそ絶対アニメ禁止だからね。ついでに詩都香も」

「俺はこいつらにはついていけないし。それに、いつも半分くらいはお前がリクエストしたの唄ってるだろ」

「わたしはついでなんだ……」

「じゃあ、決まりだね。行こうか」

 田中が場をまとめた。

 詩都香は吉田と大原に耳打ちした。

「吉田くん、大原くん。今日はわたしたちだけアニソン縛りね」

 魅咲や伽那が面白がるような感情を由佳里が抱いているとは思えないが、妙な憧れがあるのだったら、今の内に打ち砕いておく必要がある。

「なんのなんの。いつものことではないですか」

「こちらこそ、高原さんのガンドーに期待しておりますゆえ」

「こないだ唄ったあれはからくりケンゴーデンだってば」

 そう訂正しつつ、詩都香も少し楽しくなってきた。

(よし、こうなったら今日は二十世紀のアニソン縛りだ)

 まだ挑戦していない曲をいくつも思い浮かべながら、詩都香はレジに向かった。

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