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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第三章「我らが幸福の日々には In den Tagen unseres Glücks」――九月十八日
16/62

4.

 ※

 姉さんを置いて、ひとりで辿る家路。

 このまままっすぐ帰っても時間を持て余すだけだし、私もどこかに寄り道をしようと思い立ち、駅前通りの書店に入った。このおとなしさ、地味さが、いかにも私なのだろう。

 課題作文を毎回毎回持ち帰るのもなんだし、もう少し日本語の文章力をつけようか、と文庫本のコーナーを見て回る。

 この文庫本なる規格は面白い。元を辿ればドイツのレクラム出版社の“ウニヴェアザール・ビブリオテーク”、通称“レクラム文庫”に範をとっているそうなのだが――だから日本の文庫本もレクラム文庫も縦の寸法は一緒――、ここまで揃った大きさの本を各社がこぞって出すというのは日本だけではないだろうか。

 知っている作品の翻訳の方が入っていきやすいだろうと考え、海外文学の背表紙をチェックする。ホメロスにウェルギリウスにセルバンテス、シェイクスピアにフローベールにホーソン、ゲーテ、ホーフマンスタール、カフカ……さして大きくもないこの本屋に、世界各国の文学が並んでいるのだから恐れ入る。うわ、ホフマンの『牡猫ムルの人生観』。こんなの日本で読まれてるのか?

 茶色の表紙カバーがかかったその文庫本を抜き出してページを開いてみると、小さな古い活字と複雑な旧漢字に目眩を覚えた。

 ……とても無理だ。帯に「一括重版」とか書いてあるし、古い本の復刻版なのかもしれない。

 ふらふらとそこを離れ、カラフルな背表紙に飾られたジュブナイルのコーナーに移る。高原はこういうのも読んでいるのだろうか。一度挑戦したことがあるが、私の習っていない破格の構文が多くてかえって挫折させられた。姉さんなら読み通せるのかな?

 それでも表紙のきれいな絵を見るのは楽しいので、平積みになった文庫本をひと通り眺めた。

 そうやって時間をつぶしてから、窓際の雑誌コーナーに移る。主に見出しと写真を眺めながら雑誌を立ち読みしていると、天啓のごときその文字列が目に飛び込んできた。

 ――「秋のスイーツ特集」。

 ……そうだ、そんな季節だ。私はいてもたってもいられなくなり、マップ付きのその雑誌を買って、その場から一番近い店へと急行した。



 ※

 三人は大通りを東京舞原(きょうぶはら)駅に向かって南進していた。

 詩都香(しずか)は駅の北東に位置する新興住宅街の一角に、魅咲(みさき)は駅の北の商業区画に住んでいるが、九郎ヶ岳丘陵地帯を越えて西から通っている伽那(かな)はこの駅から電車に乗る。中学時代は車での送迎だったが、高校入学を機に、かねてから希望していた電車通学に切り換えたのだ。今は寄り道しながら帰るのが楽しくて仕方ないらしい。

「お香かぁ。わたしも買えばよかったかなぁ」

 詩都香の持つ紙袋を見つめながら、その伽那が言う。三人は雑貨屋から出てきたところだった。

「詩都香にしてはちょっと強めのお香だね。気分転換?」

「ま、そんなとこ」

 魅咲の問いに適当に答えつつ、詩都香は紙袋から漏れ出る香りを軽く聞いた。

 昨夜、各方面からのお説教を頂戴した後部屋に戻れば、どうにも厭な臭いが籠っているような気がしたのだ。

 あの場に長居したせいでマントに臭いが移ったのかもしれない、と考え、普段よりも強めのお香を焚き染めようと思い立った次第である。

 魅咲はリボンを買っていた。長い髪をサイドテールにまとめるためのものだ。しかも一気に七本。

「日替わり月替わり、魅咲も好きだねぇ」

「こっちも気分転換。そろそろ秋っぽくなってきたでしょ?」

「そうかなぁ。まだまだ暑いよー」

 インドア派の伽那は季節の変わり目に鈍感だ。

 そうこうしている内に市役所の脇を通り過ぎた。ここから先は本格的に賑やかな商業地区になる。

「次どこ行こ?」

 左側を歩く伽那が詩都香の顔を見る。詩都香も魅咲もぱっぱっとお小遣いを吐き出してしまったのに、伽那はまだ何も買っていない。お嬢様は財布の紐が固いのである。

「あ、わたしプラモ屋行きたいんだけど」

「アホか」

「アホとはなんだ! エアブラシクリーナーが切れそうなのよ!」

「その何とかであんたの脳みそをクリーニングしてやりたいわ!」

「それはシャレにならないでしょうが。エアブラシクリーナーは有機溶剤なのよ?」

「あんたは普段からそんなん吸ってるからそんなんなのか」

「ひとをシンナー中毒みたいに――」

「あんぱーんち」

「あだっ!?」

 魅咲と言い合っていた詩都香は、なぜか伽那から頬にパンチをもらった。「アンパン」はシンナー吸引を意味するスラングであるが、ツッコミのつもりなのかボケたのか。

「今日は詩都香のわがままは通らないよーだ。昨夜わたしたちに心配かけた罰なんだから」

 そう言われると、詩都香も弱い。

「……はいはい、わかったわかった。ていうかあんた、そんないにしえの隠語どこで覚えた」

 詩都香としては、雑多な情報がごた交ぜになっている伽那の脳ミソこそクリーニングしてやりたいところだ。あまり変な風に育つと、詩都香たちを信頼してくれている伽那の家族に申し訳が立たない。

 早くも出そろった冬物をウィンドウ越しに覗いたり、時には店内に入って見て回ったりしながら寄り道を重ねていると、体力に乏しい伽那がぐずり出した。

「疲れた~。ねぇ、どっかで甘いものでも食べようよ」

「だってさ。どうする、詩都香?」

 かれこれ小一時間歩いている。店の中でもずいぶん時間を費やしたので、無尽蔵の体力を誇る魅咲と違い、詩都香も脚が重くなってきていた。

「う~ん、ロワ・ソレイユでも行く? 秋のスイートポテトとマロンのケーキがそろそろ出てると思うんだけど」

 パティスリー・ロワ・ソレイユは、表通りから一本入った小路に位置する、個人経営の洋菓子屋だ。季節限定の果物をふんだんに使ったスイーツも出していて、この辺の女子にはなかなか人気がある。もちろんカフェコーナーも設けられており、その場で甘味を楽しめるようになっている。「太陽王」などというお菓子屋にしては大仰な名前の割に、店舗はそれほど広くないのだが。

「あ、わたしモンブラン食べたい。詩都香、そういう大事なこと忘れずにいてくれるから愛してる」

 げんきんにも、途端に元気を取り戻す伽那。詩都香たちは苦笑を浮かべながら後を追った。

 手近な角を折れて小路に入る。ひとつめの十字路を右折し、さっきまでとは逆に北上。五分足らずで、目指す店が見えてくる。

 しかしその前には、数人の客が並んでいた。

「あちゃ。考えることはみんな同じか」

 魅咲が腕組みし、伽那はその場にへなへなとしゃがみ込んだ。ここの秋商品を食べなければ「食欲の秋」を迎えられないと考えている女子は多いのだ。

「伽那、どうする? 他のお店行く?」

 詩都香に問われた伽那は、予想通り立ち上がろうとしなかった。

「……や。もう歩けない。それに、わたしの気持ちはすっかりここのモンブラン。待とうよ」

 詩都香たちにも特に異論はない。しゃがみ込んだままの伽那の腕を片方ずつ持ち、列の最後尾まで引きずってやる。靴の裏と路面がこすれてざりざりと音を立てた。

「ありがと」

 すっかり省エネモードに入った伽那であった。

 ……と、奇態な行動をとる三人に興味を引かれたのか、すぐ前に並んでいた制服姿の中学生が振り返った。

 互いに見知った顔だった。

 三人と一人は、しばし見つめ合う。

「あ~、恵真(えま)ちゃんだ」

 しゃがみ込んだ姿勢のまま、伽那が呑気に言った。

「恵真ちゃんって呼ばないでください!」

 その中学生、泉恵真ことノエマ・フォン・ゼーレンブルンは、微かに眉根を寄せた硬い表情で声の主を睨みつけた。



 ※

 どうしてこんなことが起こっちゃうの……! 私は歯噛みしたい気分だった。

 駅前通りを西に一筋入った所にあるそのお店はすぐに見つかった。店の前に列ができていたからだ。並んで待たなければいけないのも、ちょうどいいスパイスだ。二十分だろうが三十分だろうが、最悪一時間くらいは待つつもりでいた。

 そんな私の後ろに、仲間を荷物のように引きずってきた高校生たち。

 ――なんだ、こいつら?

 と振り向けば、標的御一行と目が合ってしまった。

 座り込んだ一条伽那が私の顔を見上げてアホ面を浮かべた。

「あ~、恵真ちゃんだ」

「恵真ちゃんって呼ばないでください!」

 思わずそう口走ってしまった。

 しかも、三人組に背を向けてしばらく待っていると、ようやく次は私という段になって店員が頭を下げつつ外へ出てきた。

「……すみません、お次の一名様。四人掛けの席が空きますので、お後の三名様と相席でもよろしいでしょうか」

 冗談じゃない。即座に却下しようとしたが、本当に申し訳なさそうな店員さんと、捨てられた子犬のような一条の目に耐えかねて、つい了承してしまった。

 しゃがみ込んだままの一条。

 その彼女につきあうように膝に手を当てて腰を落とし、楽しげにおしゃべりする相川魅咲。

 そして、腕組み仏頂面の高原詩都香。「なんで2Pキャラの方と相席なのよ」とかぶつぶつ不満をこぼしている。よくわからないが、失礼なことを言われている気がする。

 ……あれ? 妙な成り行きに困惑しているのは、私と高原だけ?

 待つこと五分ばかり。私たちは店内へと案内された。

「えへへ、ありがとね、恵真ちゃん」

 私の左隣に座った一条は、思ったよりも早く入れたことに上機嫌だった。

「あれ? サツマイモが終わってる。今年は栗よりも評判いいのか? うーん、じゃあどれにしよっかなー」

 目当ての品が売り切れていたというのに、正面の相川も楽しげだ。

 ひとりむすっとしているのは、対角線上に座った高原。

 悪かったわね、こっちだってあんたと相席なんてしたくなかったわよ。

 その念が通じたのか、高原の視線がこちらを向く。一秒足らず見合ってから、ぷいっとそっぽを向かれた。しかも、メールでも来たのか、そのまま携帯をいじり出してくれたもんだ。腹立つ。

「恵真ちゃん、どれにするの?」

 ――いやいや、よく考えれば、高原の態度こそ正当なのだ。それに比べて、一条のこのフレンドリーさは何だ。私を学校の後輩か何かと勘違いしてはいないだろうか。

「……モンブランにします」

 半ば本気でそんな心配をしてしまったせいで毒気を抜かれ、我ながら素直に答えてしまった。

 流されやすい自分の不甲斐なさに唇を噛む間もあればこそ。

「きゃ~っ、恵真ちゃん、おそろ~いっ!」

 抱きつかれた。何がおそろいだ。

「イモがないんじゃしょうがない。あたしもそれにしよっと。……すいませーん!」

 相川が手を挙げて店員を呼ぶと、途端に高原があたふたし出した。どうも注文する品を決めていなかったようだ。

 アルバイトの大学生と思しき女性店員が、伝票を片手にやって来た。

「え~と、限定モンブランと紅茶ください。ストレートで」

「あたしはモンブランとミルクティー」

「モンブランとカプチーノを」

「ちょっ……ええと、じゃあ、わたしもモンブランと……ブレンドコーヒーで」

 考えがまとまらなかったのか、高原も同じケーキを頼んだ。その声は心なしか普段よりもか細い。

 それでもちゃんとその声を聞き取った店員の顔が、申し訳なさそうに曇った。

「すみません、お客様。本日、モンブランは残り三つになっておりまして……」

「えっ?」

 当惑する高原が、私たちの顔を見回す。「誰か譲ってよ」という表情。

 お仲間二人は薄情にもふるふると首を横に振った。私はそもそも目を合わせなかった。

 高原は慌ててメニュー表(シュパイゼカルテ)を手にとる。こういう場合、えてしてなかなか次の候補が見つからないものだ。考えてなかった方が悪いんだけど。

「……じゃあ、この限定マロンパフェと、コーヒーをください」

 などと注文してから、その目が大きく見開かれる。私は先ほどメニュー表に隅から隅まで目を通していたので知っているが、四百二十円のケーキに対して、季節限定マロンパフェは千二百八十円である。

「あ、あの……」

 高原は注文を訂正しようと蚊の泣くような声を絞り出したが、忙しそうに注文を伝えに厨房に向かっていく店員に、今度は聞き取ってもらえなかった。小さく肩を落とすその姿は、なかなかの哀れっぽさだった。

「まったく、ダメだなぁ、詩都香は~」

 一条が向かいの席から手を伸ばして、高原の肩をあやすように叩いた。

「恵真は知ってるかな? こいつ、こう見えて結構人見知りなの」

 と、相川。聞いてはいたが、実際にその現場を目にするのは初めてだった。高原と言えば、ツンと生意気そうな態度しか思い浮かばない。

「クラスの人とも、まだ三分の一くらいしか話したことないんだよねぇ」

「失礼な。半分近くとは話してるっつーの」

 高原は一条を睨みつけた。なるほど、親しくなると態度がぞんざいになる内弁慶タイプか。私とは特別親しいわけではないはずだけど、敵同士だし弱みを見せまいとしているんだろう。

「……詩都香のすごいねぇ」

「さすが税込千四百円越え」

 注文の品が揃うと、一条伽那と相川魅咲は口々に評した。モンブランとティーカップが優勢なテーブルの上でひとつだけ異彩を放つパフェは、カップル向けかというくらい大きい。

 メニュー表には六百円代の“ハーフ・パルフェ”なるものもあるのだが、後の祭りだ。

「いいのよ、もう。こうなったらがっつり食ってやるんだから」

 意地になっているのか、高原は勢い込んだ。パフェ用のスプーンを手に取るや、器から溢れそうになっているアイスをがしがしと削って口に運んでいく。

 胸焼けしそうな大きさはともかく、栗と胡麻のアイスは美味しそうだった。

「うーん、幸せ……」

 一条は良家の娘らしくゆっくりと上品にフォークを口に運び、ただでさえ垂れがちな目尻を下げる。

 相川はそれ以上にスローペースだった。五分ほどケーキには手をつけずに、ティーカップをゆらゆらと揺らしてから、徐にひと啜り。少しだけ顔をしかめて飲み下してから、やっとのことでフォークを手にとる。

「……あ、うん。あたし、猫舌なんだ」

 怪訝に思って見ていると、恥ずかしそうにそう言われた。意外だ。

「あっ……、あっ、キーンと来たぁ……!」

 高原が額に片手を当てる。手応えのある獲物を前にして昂ぶっているのか、人見知りのはずのこいつが一番騒がしい。

 と、せわしなく動いていたその手が止まり、また携帯を取り出す。

「ったく、メールじゃ埒が明かないったら。……ちょっとごめん」

 私たちにそう断ってから、高原は通話を始めた。

「あ、もしもし? なんであんたの彼女へのプレゼントをわたしが考えなきゃなんないのよ。――そんなんじゃないって、じゃあ何? ――お礼って言っても、色々だし。――わたしのせい? なんでそこでわたしが出てくんの? ――わかったわかった。つきあったげるから、ちょっとこっちに来なさい。今どこ? ――なんだ、すぐ近くじゃん。――うん、ロワ・ソレイユ。知ってるでしょ? 魅咲と伽那もいるから。それじゃね」

 高原は電話を切り、再びスプーンを振るい始めた。あれ? 説明は?

「ね、ね、誰? ここ来るの?」

「彼女って言ってたから、男の子だよね?」

 一条と相川が興味津々といった面持ちで身を乗り出す。それに対して高原はつまらなそうに無言でアイスを突き崩していくだけだった。

「あ、そうか。詩都香の周りだと、彼女持ちの人は必ずしも男とは限らないんだったね」

「ぶふうッ!?」

 さも納得と言わんばかりの一条の顔目がけて、高原は頬張っていたものを漫画のように噴き出した。

「ひゃあっ!? もう、詩都香、汚ーい!」

 一条の顔は、高原の唾液やら溶けたアイスやらで、べたべたになってしまった。

 一方の高原は、ポケットから取り出したティッシュとハンカチを一条に放ってやりながら、気管に侵入したらしいクリームやら何やらのために、手を口に当ててひたすらむせる。大人びた顔立ちが台無しだ。

「げほっ、げほっ、ぅげほっ! はぁはぁ、うぐえほ……っ! ――はあ、し、死ぬかと思った。あー、ごめんね、伽那。でも、あんたが変なこと言うから」

「うん、まあ詩都香のリアクションが面白かったから許す」

 店員が持ってきてくれた濡れ布巾で顔を拭いながら、一条は唇の端を吊り上げて笑った。

 ……笑った、のか? いつもの彼女のイメージから幾分逸脱した腹黒そうな表情だったけど。

「二人ともよく知ってる奴よ。なんも面白いことはなし」

 ようやく落ち着いて、コーヒーをひと啜りしてから、高原は口を開いた。彼女はブラック派らしい。

「ふーん……」

 さもどうでもよさそうに相槌を打った相川だが、少しそわそわし出したのが見てとれた。どうしたんだろう?

 一方の一条は顎先に手を当てて黙考。十秒ほど経ってから、

「――郷土史研の部長さん?」

「あんたはよく知ってないでしょうが」

「……あ、じゃあ松本さん!」

「そっちから離れろ。ったく、これだからわたしは半女子高になんか進みたくなかったのよ」

 そうなの? 高原にこそ半女子高であるミズジョが一番合ってそうだけど。

「えー? でも詩都香の成績だと、あとはヨカワしかなかったでしょ?」

 横川高校。市内でトップの私立の進学校だ。ただし――

「男子校じゃないかっ!」

「ぎゃっ!」

 べしっ、と高原が一条の顔面に何かを投げつけた。卓上に落ちたそれを見れば、パフェに載っていたサクランボのヘタだった。まったく騒がしい。男子の目が少ないと、こんなノリになってしまうんだろうか。

「うう、魅咲ぃ、詩都香がいじめるよぉ。――あれ? 何やってんの?」

「えっ? ああ、ちょっとね。さっき買ったリボンを試そうかな、と思って」

 一条が斜め向かいの相川にすがろうとしたが、当の相川は、テーブルの上に鏡を置いて髪をくくり直していた。私にも見覚えがある雑貨屋の紙袋を開き、リボンを厳選中。

 高原はそれを認めて大きく溜息を吐いた。

「だからぁ、違うって。ほんとつまらないから。……あ、ほら、ちょうど来た」

 その視線を追うと、店の扉が開いたところだった。どうやら限定メニューが相次いで売り切れたため、行列は解消されていたようだ。

「な、なんで泉がここに?」

 入ってくるなり、私の顔を見て目を丸くする男の子。私も同じような顔をしていたかもしれない。

 高原が呼び出した相手とは、誰あろう、彼女の弟の高原琉斗(りゅうと)くんだった。

「なぁんだ、琉人か。ほんとつまらないわね」

 リボン選びをやめた相川がさらりとひどいことを言う。相川が髪を下ろしたところを初めて見た。やや癖のある毛は、高原姉に匹敵するくらい長かった。

「うっす。こんにちは、相川先輩。相変わらず口悪いですね」

「まあ、詩都香があんな口調で呼びつけられる男子なんて、あんたか誠介くらいのもんだしね」

「まあねぇ。うちのお姉ちゃん、ほんと人見知りですから。……一条先輩もお変わりなく」

「あはは、こんにちは、琉人くん。ていうか、そんな久しぶりってほどじゃないでしょ」

 などと和やかに挨拶を交わす三人。どうやら高原くんは、一条や相川とも親しい知り合いのようだ。

 隣の四人席から空いている椅子を一つ拝借し、高原くんは姉と一条の側のテーブルの短辺に座った。

「で、どうして泉がここにいるのかはとりあえず置いておくとして、こちらは何やってんの?」

 一人で巨大なパフェに立ち向かう姉に、高原くんは呆れたように尋ねた。

「あげないわよ?」

「食いかけなんていらねーよ。食べ切れんの、それ?」

「……オレの胃袋は宇宙だ」

 高原姉はにやりとした。たしかに凄まじいペースだ。早くも半分がた空けている。

 甘いものが好きだけどそんなに量を食べられるわけではない私としては、ほんの少し羨ましい。

「そこはせめて、『甘いものは別腹』とか女らしいこと言おうよ、お姉ちゃん」

 処置なし、というように高原くんは首を振る。……あ、違和感。なんだろう?

「女の子へのプレゼントも決められないような男らしくないあんたに言われたくない」

 ごろんとしたマロングラッセを口に放り込む高原姉。

 ……そうだ、予想外の人物の到来にすっかり忘れていたが、たしかそんな話だった。

 高原くんがプレゼント? 一体誰に……?

 なんだか面白くない気持ちになって、私はモンブランの最後の一口を咀嚼した。

「いや、そのことだけど、なんかもういいや。本人がいるし」

 こっちを見た高原くんと目が合った。口直しに啜ったカプチーノを危うく噴き出しかけたが、どうにか高原姉の二の舞は避けられた。

「ゴホッ。……わ、私に……?」

「そうそう。昨日迷惑かけたからさ。なんかちょっとしたものを、と思ったんだけど、気の利いたの思いつかなくて。今度何か甘いものでも奢るから、それでよしとしてくれないか?」

「い、いいのに、そんなの」

 しどろもどろになってしまう。私は表立ってはほとんど何もやっていないのだ。

「あれ? 恵真ちゃんと琉人くん、知り合い?」

「知り合いも何も、学校の同級生ですよ」

「へぇ、学校だけじゃなくて、クラスも一緒なんだ。変な偶然もあったもんだ」

 しかも隣の席です、と補足してから、私の戸惑いを余所に、高原くんは一条や相川と言葉を交わす。

「ていうか、みんな泉と知り合い? ……あれ? 泉、昨夜知らないみたいなこと言ってなかったっけ?」

 私たちの関係を“知り合い”で括っていいのだろうか。そんな疑問はあったが、説明ができない。

「え~と、ごめんね。たか、詩都香……さんが、高原くんのお姉さんだとは思ってなかったから、言い出せなくて……」

 なんとも不自然な言い訳だったが、高原くんはなぜか納得顔だった。

「あ~、わかるよ。うちのお姉ちゃん、自慢のお友達、ってわけにはいかないからな」

 一人蚊帳の外でパフェをつついていた高原姉が、おっかない目つきで弟を睨んだ。

「……琉人、家に帰ったら覚えてなさいよ?」

「じょ、冗談だよ、お姉ちゃん」

 高原くんは、あはは、と乾いた笑い声を上げた。

「つーか琉斗、あんた相談の人選間違ってない? 女の子相手のプレゼントを、よりにもよって詩都香に聞くなんて」

「ちょっと、どういう意味?」

 相川に言われ、高原姉はスプーンを握った手を止める。

「そのまんまの意味だけどさ。じゃあ、あんた今何が欲しい? 饅頭? 熱いお茶?」

「……モンブラン」

 ダメだこりゃ。

「うはは、そうかもしれませんね。――お姉ちゃんさ、三鷹さんから何かもらったことある? それを参考にしたかったんだ」

「もらうわけないでしょ。物で女の子の歓心を買おうだなんて感心しないし、誠介くんもその辺わかってるわよ」

 かんしん、かんしん……理解に少し時間がかかった。ややこしい言い回しはやめてもらいたい。

「――あ、でもこの前、夏休みの帰省のお土産もらったな」

「何もらったのさ?」

「……お饅頭。あんたも食べたでしょ」

「あー、あれか。って、結局饅頭かよ!」

「見事なオチだねー。誠介らしいや」

 相川はにこにこと笑顔を浮かべた。高原姉は面白くなさそうに弟に向かってしっしっと手を振った。

「ていうか、もういいんでしょ? 帰ったら?」

「いや、お姉ちゃんはもういいとして、後学のためにもうちょっと聞いておきたいな。一条先輩は何かもらって嬉しいもの――」

 そこでさっきの違和感の正体に思い至った。

「『お姉ちゃん』?」

 解答が思わず口から漏れた。学校ではたしか「姉貴」呼ばわりしていたはず。

 この年で「お姉ちゃん」と呼ぶのは恥ずかしいことなのだろうか。私の何気ない一言で、高原くんの顔がかぁーっと赤くなった。

「いや、ええと、あのだな……」

 脂汗を浮かべて誤魔化そうとする高原くんに、姉の方がまたじと目を向けた。

「へ~、琉人。恵真の前じゃ、別な風に呼んでるんだ? お姉ちゃんと呼びなさい、ってあれほど言ってるのに」

 高原くんは油の切れた機械のように、ぎこちない動作で俯いた。

 ああ、本当に姉が怖いんだ。私も姉さんが時々怖いので、その気持ちは少しわかる。

「まあまあ、詩都香。恵真みたいな可愛い子の前じゃ、琉人だって格好つけたくなっても仕方ないって」

 相川が高原くんにフォローを入れる。恥ずかしいことを言うな。

「あ、恵真ちゃんが赤くなってる。珍し~」

 一条のはフォローどころか完全な追い打ちだ。

「琉人、モテない一人身のお姉ちゃんを差し置いて青春してんだ?」

 高原姉の声には棘があった。それを聞いた相川が、なんとも複雑な表情を浮かべた。

 というか、高原姉はモテないのか。そもそもモテる気あるのだろうか。

「誤解だよ! 俺と泉はほんとにただの同級生だってば!」

 その通り(ゲナウ)それ以上でも(ヴェーダー・メーア・)それ以下でもない(ノホ・ヴェーニガー)。だけど、少しだけずきっとくる言葉だった。

 しかも高原くんと来たら、一条の手を取って「一条先輩は信じてくれますよね?」などと訴えている。

「え~? 似合うと思うけどな、琉人くんと恵真ちゃん」

 その言葉に、高原くんは大きく肩を落とした。何よ、そんなにがっかりすることなの?

 いつの間にか高原姉はあの巨大パフェを征服していた。「げふっ」とわざわざ口に出してから、「モンブランがあれば食べるのに……」と心底悔しそうに嘆いた。

 呆れた顔を浮かべてしまったのは、私だけではないはずだ。

「琉人も何か食べる?」

「いや、俺はコーヒーだけでいいや。お姉ちゃんの食いざま見てたら腹いっぱいになったし」

 姉から差し出されたメニュー表を高原くんは謝絶した。

「そう? ……ちなみにこれが今日の夕飯だから」

「マジで? お姉ちゃんには料理くらいしか取り柄がないんだから、ちゃんと作ってくれよ」

 悔しいが高原姉は料理が得意のようだ。本人は「後でマジ泣かす」とか呟いているが。

 一条がもう一度手を挙げて店員を呼び、高原くんはカプチーノを注文した。姉の方はコーヒーのおかわりと――驚くべきことに――ザッハトルテを頼む。

「恵真は? ここは限定品だけじゃなくて、定番メニューも美味しいよ?」

 周囲の雰囲気に当てられたのか、さっきまでの刺々しさが和らいでいた。

「えーと、じゃあ、イチゴのショートケーキとカプチーノを」

 釣られて私も思わず注文してしまった。

 一条はトマトジュース、相川はアップルジュースのみの追加注文だった。

「やっぱダイエットしなきゃ。詩都香との格の違いを思い知らされたし」

「一条先輩はめちゃくちゃ細いじゃないですか。お姉ちゃんと比較するから間違ってるんですよ。あれはただの貧乳で、取り立てて痩せてるわけじゃ――あたっ?」

 一条のご機嫌をとろうとした高原くんに、姉が渾身のデコピンを食らわせた。コッツーン、といい音がした。

「あんた今日はえらく強気ね。ほんと、帰ったら覚えてなさいよ?」

 その後、それぞれの頼んだ品がやって来てから、私たちはまたバカバカしいおしゃべりに興じた。と言っても、私は話を振られたときに応じるだけで、ほとんど聞き役に徹していたが。

 しかし、愉快そうに会話を振り広げる四人を見て、不覚にも、本当に不覚にも思ってしまったのだ。

 ――ああ、こういうのもいいな、なんて。

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