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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第三章「我らが幸福の日々には In den Tagen unseres Glücks」――九月十八日
14/62

2.

 ※

 通学路をたどる詩都香(しずか)の足取りは重かった。昨夜の父親の説教が効いているし、クラスメートたちとも顔を合わせづらい。

琉人(りゅうと)め、なんつー余計なことを)

 昨晩、弟の琉人は共通の知人に電話やメールで帰らぬ姉の行方を尋ねていた。

 魅咲(みさき)伽那(かな)はそこで拡散を止めてくれていたが、あまり事情を知らない誠介はそうもいかなかった。一点突破・全面展開――そこから、クラス中に連絡が回ったらしい。担任の綾乃も含めてだ。

 綾乃にだけは平謝りで電話で弁解しておいたが、その他のクラスメイトたちに「無事でした」というメールを送ることにはなんだか気後れして、結局今朝を迎えてしまった。

「おはよ、詩都香。今日は遅かったじゃない」

 校門を抜けて学校の敷地に入ったところで、背中を叩かれた。

 魅咲だった。どうやら詩都香の登校を待ってくれていたらしい。

「おはよう……」

「浮かない顔だね。昨夜は大騒ぎだったみたいだけど」

「そのせいなんだってば」

 詩都香は大きくため息を吐いた。

「あ、やっぱり? あたしらだって心配したんだから。でも、事件の方はなんとかしてくれたんでしょ?」

 今朝の報道は、誘拐事件解決の話題で持ちきりだった。昨夜遅く、県警が容疑者確保を発表したのだ。詩都香にはわかっているが、発表された犯人の住所も氏名も架空のものだ。きっと、〈リーガ〉から派遣された汚れ役の下っ端魔術師を被告に、被害者の家族が詰め寄せる中――ひどく気の滅入ることだが――裁判が進み、厳しい判決が下るのだろう。

 それにしても、今回はずいぶんと手回しのいいことだ。

「うん、まあ……」

 魅咲の問いに、詩都香は曖昧に言葉尻を濁した。やったのは詩都香ではないが、それを説明しようとすると、危うく殺されそうになったことまで言わなければならない。余計な心配をかけたくはなかった。

「そういえば昨日の夜と今朝早く、梓乃か恵真のどっちかが〈モナドの窓〉を開いたみたいだったけど」

 魅咲がことのついでに言った。魅咲の家はゼーレンブルン姉妹の住むマンションにほど近い。この種の感受性に乏しい魅咲だが、さすがにその距離では察知できたらしい。

 詩都香にはまったくの初耳だった。父親の説教から解放され、くさくさした気持ちをなだめようと明け方近くまで古い洋画のDVDを連チャンで見ていた彼女は、今朝は常になく遅い時間に起きたのだった。

「あー、なんだろね。またなんか悪だくみでも……」

 詩都香はあくびを噛み殺した。正直どうでもいい。これからの自分に比べれば。

 ますますもやもやしてきた心を抱え、詩都香は魅咲と連れだって教室に向かった。

「しーずーかーちゃん!」

 扉を開けた途端に田中が駆け寄ってきた。その背後に、「先を越された」という面持ちの誠介。

「お、おはよう、田中くん、誠介くん……」

「おはようじゃないってば。心配したんだよ、しずかちゃん。昨晩何やってたのさ」

 三次元の女子とのスキンシップをなんとも思わない田中は、詩都香の肩に両手を置いて詰め寄った。がくんがくんと揺さぶられながら見れば、教室中の注目が集まっている。連絡の入らなかった生徒も、朝のおしゃべりで大体の事情は呑み込んでいるのだろう。

「あ、うん……ごめんね。えーと、みんなにも今から説明するから……」

 大勢の注目を集めるのが苦手な詩都香は、頬を紅潮させて教卓の方へと足を進めた。謝罪会見を始めるつもりなのである。いちいち説明して回るのではキリがないし、何より心配してくれたみんなに謝りたかった。

 普段のクールなキャラ設定が台無しだ。体の震えを押し殺して、教卓の後ろに回る。

 教室中の視線が突き刺さった。

「あ、あのね、みなさん……ごめんなさい。わたし、高原詩都香は、昨晩遅く帰宅いたしましたが、例の事件とはまったく関係がありません――」

 声の震えの方は押し殺しようもなかった。口調も敬語になってしまう。

 詩都香は家族や綾乃にした通りの言い訳を――これはこれで恥ずかしい話なのだが――、クラスメートに語って聞かせた。

「なーんだ」

「高原さんならやりかねないな~」

(……なんだ、その納得顔は。わたしってそういうキャラ? 違うでしょ?)

 教室内の反応は、案外拍子抜けなものだった。怒られるかと思っていたのに。

 自分のキャラ設定に疑念を抱いて、詩都香はがくっと首を折った。長い髪が肩を越えてさららと教壇の上に広がった。見ようによっては、頭を垂れて謝罪会見の締めくくりとしたようでもある。

「あれ~、男といたわけじゃないんだ?」

「わっかんないよ? 本当は彼氏といちゃいちゃしてたんだけど、こうやって誤魔化してるのかも」

「ああ、高原さんならやりそう」

 女子グループの一部から上がった声に、うわぁ、こういう曲解の仕方もあるのか、と詩都香は頭を下げたまま逆に感心してしまった。だがよくよく考えてみると、たしかに自分の言い訳からはそういう話も想定できないではない。

 途端にざわつく教室。見かねた魅咲が動くより先に、教卓に近づいてきた人物があった。

 松本由佳里だった。詩都香は焦った。

 昨日一緒に帰った由佳里だけは、部室で寝ていたという詩都香の話が嘘であることを知っている。先に話を通しておくべきだった。控えめな性格の由佳里なので、こんな大勢の前で異議を唱えることはあるまい、と勝手に踏んでいたのだ。

 しかし――

「みなさん、それは誤解です。詳しくは言えませんが、わたしが保証できます」

 はらはらと見守る詩都香の目の前で、由佳里はそう断言した。いつもの姿とは程遠い、きっぱりとした口調。詩都香は意表を突かれて由佳里の顔を覗き込んだ。

 教室が静まり返った。勝手な推測に花を咲かせていた女子たちも、顔を見合わせる。

「まあ、委員長が言うなら、な」

「そうね、嘘つく人じゃないし」

 途端にそんな空気になった。

(あれ? あれ~?)

 いきなりかばってくれた由佳里にも驚かされたが、それ以上に、このクラスメートたちの掌の返しようにまごつく。自分のこれまでの振る舞いを見直さざるを得ないようだ。

 釈然としない想いを抱えたまま教壇を降りた詩都香は、若干の好奇の目にさらされながら、由佳里と一緒に自分の席まで歩いた。

 と、そこで、

「詩都香ぁ、お客さーん!」

 伽那の声が耳に入った。教卓に向かって右前方の扉。その近くの前から二番目が、伽那の席だ。単純に、出席番号二番だからである。

 詩都香は下しかけていた腰をのろのろと上げ、そちらに向かった。

 始業前なので扉は全開なのだが、お客さんとやらは教室内から自分の姿が見えないよう、戸板の向こう側に立っているようだ。

「誰?」

 伽那の席まで近づき、声を潜めて尋ねてみた。

「カッコいい人」

 唇の端を少しだけ持ち上げて、伽那は答えた。普段はぽわぽわとした雰囲気の伽那であるが、何かの拍子にこういう腹に一物を蔵したような表情を浮かべることがある。この時の伽那のことを、詩都香はひそかに“黒伽那”と呼んでいる。

 黒伽那はそれ以上答える気が無いようで、右手の親指で入り口を指すだけだった。

 何かあるな――そう警戒しつつ、詩都香は廊下に出た。

「やあ、高原。無事だったみたいだな」

「げ……」

 戸板に背をもたれて立っていたのは、郷土史研の部長吉村奈緒だった。

「げ、とはご挨拶だな。昨夜綾乃ちゃんから電話でお前のこと尋ねられて、心配してたんだぞ」

「す、すみません」

 謝罪会見だけでは終わらないようだ。どこまで話が広まってしまったのだろうか。当の奈緒を助けたのは詩都香なのだが。

 詩都香は例の言い訳を繰り返した。家族、担任、クラスメートと来て、これで四度目だ。

「なるほど、大体のことはわかった。だけど、今の話だと――」

 奈緒は詩都香の熱弁にもあまり納得していない様子で、何か疑義を挟もうとした。だがその時、

「まったく、先輩に訊いても仕方ないのに、北山先生も余計なことするもんすよね」

 頭を下げる詩都香の隣に、そんな憎まれ口を叩きながら歩み寄ってきた者がいた。

 三鷹誠介だった。

 奈緒がむっとする。女子にしては長身の奈緒だが、百八十を超える誠介に対しては少し見上げる形になる。

「ふふふ、そうは言うけどな、三鷹。生徒の中で昨日高原と最後に会ったのは私だ。むしろ早々に帰って家で寝ていたお前こそ、何の情報も提供できなかった役立たずの余計者なんだよ」

 見下ろす側の誠介の顔が不機嫌そうに歪んだ。

 この二人はなぜだか致命的に仲が悪い。ついでに言うと、魅咲と奈緒もあまり仲がよくない。

 そもそもにして誠介は、詩都香たちが魔術師であることを知っている。一学期にとある事件に巻き込んでしまったせいだ。詩都香は事情を全部話したわけではないのだが、幼馴染の魅咲が彼にかなりのことを知らせてしまったらしい。それ以来、誠介は時折妙に鋭いアドバイスをくれたりもするのだが、詩都香としてはこれ以上関わらせるつもりはない。

 詩都香が身を守る力を持っていること知っているくせに、昨夜のように大騒ぎしたりするのだから、まったく心配性と言うか何と言うか。

「俺は話を聞いて高原を探しに走り回りましたよ」

「私だってそうだとも。その上、お前と違って私は十代の乙女だ。犯人から狙われてもおかしくない。そんな我が身を省みずに探し回った私の方が献身的だったと思わないか? ……なぜか途中から記憶がないのだがな」

(部長ってば、それでさらわれたの?)

 最悪だ。これでは恩返しになっていない。

 これに対する反論が難しかったのか、誠介は別の方面から攻める。

「俺は先輩と違って高原の弟とも交流がありますからね。いの一番に連絡を受けて、大勢に情報を回すことができました」

「お前がその弟くんから最初に連絡を受けたとは思えないな。相川や一条の方がきっと先だろう。聞けば二人とも、大丈夫だから待て、と伝えたそうじゃないか。何らかの事情を知っていたと考えるべきだろう。それを勝手に広めて騒ぎを大きくし、高原に気まずい想いをさせることになったことに、責任を感じないのか?」

「部室で寝こけてたことの事情ってなんすか? というか、連絡を回した俺のおかげで先輩は今ここで偉そうにしていられるわけですが。先輩こそ、連絡が来るまで家で寝てたんでしょう?」

 どんどん険悪になっていく二人。

(なに張り合ってんだ……)

 両者の間に立たされる詩都香は、どのタイミングで逃げようか思案していた。

 と、そこに、また由佳里が割って入った。

「吉村先輩、それは違います。生徒の中で高原さんと最後に会ったのはわたしですから」

「うん? 君は……ああ、生徒会で見かけたことがある。クラス委員の松本さん、だったか」

 誠介とは逆の側から詩都香に寄り添うように立ち、奈緒と相対する。眼鏡の奥の瞳には常ならぬ強い意志が宿っていた。

「はい。わたしは昨日、高原さんが部室にいたときに会いました。先輩、高原さんを置いて帰ったそうじゃないですか」

 奈緒はおや、とでも言うような顔になった。

「……ふ~ん、なるほど」

 それから、おとがいに手をやって訳知り顔にニタニタする。

 詩都香の方は、また由佳里に驚かされていた。この委員長はさっきからどうしたわけか詩都香の嘘を補強してくれようとしていた。

「わかったわかった、松本さん。役立たずは退散しよう。今回は高原の無事な顔を確かめにきただけだしな。……あ、それから高原、放課後話があるから部室にはちゃんと来るように」

 奈緒は一方的にそう告げると、本当に自分の教室へと帰って行った。

「ま、松本さん……?」

 由佳里はちらり、と詩都香を横目で窺った。その視線を、由佳里は真正面から受け止めた。

「気にしないでください、高原さん。昨夜電話があった際に北山先生に尋ねたら、高原さんのお家、逆方向じゃないですか。高原さん、昨日はわたしのために……」

 由佳里の目が潤む。ぎゅっと手を握られた。まるで昨日の再現だ。主客は逆であるが。

 誠介が唖然としてその様子を見ていたが、それ以上に魅咲と伽那の目が険しい。

「……詩都香の奴、またか」

「……委員長さんかぁ。困ったものだねぇ」

 二人が顔を見合わせるのを、詩都香は由佳里の手を振りほどくこともできぬまま眺めていた。

 手芸部と兼部する形で由佳里が郷土史研究部への入部届を出したのは、その日の昼休みのことだった。



 ※

「恵真ってさ、部活とか入らないの?」

「う、うん。姉さんとの二人暮らしだから、何かと忙しくて」

 昼休み。通学途中に寄ったコンビニの袋を取り出そうとしたところで、後ろの席の女子が話しかけてきた。

「えー、入ろうよ、うちの映研。今ね、中二病をテーマに映画撮ろうとしてるんだけど、恵真なら主役狙えるって」

 なんだそれは。よくわからないけど、私のどこが病的だと言うのだ。

「恵真ってドイツ帰りなんでしょ? ドイツ語ってほら、中二病とマッチしてるし」

 ……ますますわからない。

 この映画研究部の子は水野さんといったか。身長は私と同程度――つまりは同年齢の平均に照らせばやや低め。短めのポニーテールプフェルデシュヴァンツにまとめた髪がリスのような印象を与える、明るい……ややせわしないくらいに明るい人だ。

「恵真、イメチェンした?」

 水野さんの話の継ぎ目を狙って、今度は別の女子が横から話しかけてきた。

 なんのことだろう。私は首を傾げた。

「何か今日、いつもと違うよね。雰囲気が柔らかいっていうか」

「そう?」

「そうそう、それそれ。いつもみたいに『そうですか?』じゃないもん」

「別にそんなに変わらないでしょう」

 私は口を尖らせた。

「いやいや、あたし、前から恵真はもったいなぁ、と思ってたんだ。お姫様みたいなナリしてて、中身までツンとしてたんじゃ、近寄りがたいっていうかさ。でも今日の恵真はいいと思う」

 そんなものだろうか。私はいつの間にか言葉で壁を作っていたのだろうか。

「梓乃の方があんな感じでしょ? あれはほっといてもモテるタイプだけど、恵真みたいな物静かな方が好み、って男も多いと思うんだよね。今までは近寄りがたくて敬遠されてたかもしれないけど、今日みたいな感じが続くと、わかんないよ?」

 言われた私は思わず教室を見回す。何人かの男子と目が合った。

「ほら」

 したり顔のこのクラスメートは、たしか永橋さんだ。めきめきと身長を伸ばしてきた同級生の男子にも負けない上背と、程よく育った体つき。本人こそクラスの男子の憧れの的だろう。

「いいからお昼にしましょう」

 目が合ったくらいで何を言っているんだこの人は。私は少し呆れながら鞄からコンビニの袋を取り出した。

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