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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第三章「我らが幸福の日々には In den Tagen unseres Glücks」――九月十八日
13/62

1.

 前夜に「一番古い記憶」などという課題の作文をやったせいか、昔の夢を見た。


 ――「Dynamis」「Energeia」と、城主様(へリン)は私たちのために特別に設えたホワイトボードに大書した。「可能態(デュナミス)」と「現実態(エネルゲイア)」……。

「可能態と現実態って何ですか?」

 姉さんが代表して質問した。これは……六年ほど前に始まった、本格的な魔法に関する講義の情景か。

 それまでも魔法の訓練は受けてきたが、本格的な理論を学ぶのはこれが初めてだった。

「そうね……喩えて言うなら、あなたたちは今、小さな子供ね。でもあと何年かすれば手足も伸びて、大人になる。美人になるかもよ?」

 城主様みたいになれるのだろうか。私たちは顔を見合わせた。

「そのときのことを思い浮かべてみて。それがあなたたちの現実態。あなたたちは今は子供だけど、立派な大人の女性に変わっていける。現実態を現実のものとするために、これから変化していく……。それが、つまり今のあなたたちが可能態。可能態の中には現実態が含まれているの」

「ってことは、異界の混沌っていうのは?」

 この世とは双子の関係にある異界がある。しかし、この世界は流産した。そこにはいかなる次元の宇宙も存在しない。

「異界には可能態だけで現実態がほとんどなかった。だからそのままでは何も生成変化できないの。この異界に繋がる唯一の通路が、人間を含んだあらゆる生物の魂に刻まれた通路、それが――」

「〈モナドの窓モナーデンフェンスター〉ですね」

 私は先取りしてみせた。〈モナドの窓〉を開き制御する訓練は一番初めに受けたものだ。

「そう。本来はこの世にあるはずのないこの通路を、私たちは〈モナドの窓〉と呼んでいるの。昔は何のひねりもなく「魂の通路(ゼーレンガング)」と呼んでいたんだけど、いつからかこっちの呼び名が定着したわね」

「『モナドにはディ・モナーデン・ハーベン・窓がない(カイネ・フェンスター)』」

 姉さんが少し前に習ったばかりの哲学者ライプニッツの表現を借用する。城主様は笑ってみせた。

「そう、ありえない窓。この〈モナドの窓〉を通って流入してきた混沌に、私たち魔術師は〈(オーフェン)〉の中でこの世における現実態の素子を与えてやる。この過程が“精錬”。こうしてできた異界由来のエネルギー――あ、“エネルギー”の語源は現実態(エネルゲイア)だけど、混同しないように――、つまりは魔力を〈(ゲフェース)〉に貯め込み、最後に本当の現実態を与えて顕現させるのが魔法」

「この力ってそういうもんだったんだ」

「お姉ちゃん!」

 念動力(サイコキネーゼ)を使ってペンを宙に浮かせた姉さんを、私は慌ててたしなめる。

「いいのよ、ノエマ。でもね、ノエシス、今は〈モナドの窓〉を開いていないのに力が使えているでしょう? どうしてだと思う?」

 姉さんは首を傾げる。確かにそうだ。私も遠慮がちに念動力で本のページをめくってみた。姉さんと同じく、私も〈モナドの窓〉を開いていないのだけど。

「正解は、〈モナドの窓〉は密閉されていないから、でした。この部屋、窓も開けていないし扉も閉じてるのに、私たちは酸欠にならないでしょ? 普通の窓や扉は閉めていても空気を完全には遮断しない。〈モナドの窓〉もそれと一緒なの」

 魔術師である私が言うのもなんだけど、いわゆる「超能力」は実在する。私たちは「異能」と呼んでいるが。

 常人と比べて〈モナドの窓〉の開き具合が大きく、さらに〈器〉内の魔力に働きかけて超常的な現象を起こせる人間、それが異能者だ。幼少の頃の私たち自身もそうだった。その数は世に満ち溢れていると言うほど多くはないが、考えられているほど少なくもない。

 こうした異能者も、当然ながらリーガの統制下に置かれる。その一方で、世間に対する目眩ましも周到だ。所属する魔術師が超能力者として何度か奇跡を起こしてみせる。メディア等に十分取り上げられた頃になって、テレビの生放送や公開実験などの目立つ場で見事にしくじる。それを見ていた誰もが、やっぱり超能力なんてインチキだった、という結論を引き出したところで、魔術師はひっそりと消えていく。単純で楽で最も効果の高い方法らしい。しかも、〈異能〉など持ち合わせていないまったく無関係な本物の山師が同じことをしてくれたりもするのだから万々歳だ。

「じゃあ、〈不純物(フレムデス)〉っていうのは?」

「もう予想はついてるんじゃない、ノエシス? 異界の混沌の中には、可能態だけではなくて現実態をほんのわずかに含んでいるものがある。分子に、原子に、素粒子に、あるいは生き物に、ひょっとしたら星やひとつの宇宙になれたかもしれない存在の欠片たち。この現実態を持った可能態は、〈炉〉で精錬しようとしてもこちらの世界の現実態の素子をほとんど受けつけない。この純粋ならざる――と言うのも本当はおかしいのかもしれないけれど――可能態を、私たちは〈不純物(ゼディメント)〉、ドイツ語でFremdes(フレムデス)と呼んでいるわけ。昔は『世界精気スピリトゥス・ムンディ』とも『第五元素クインタ・エセンティア』とも呼ばれていたけど、魔法の研究が進んで実態がわかってくると、こんな身も蓋もない呼び方になっちゃった。この〈不純物〉こそ魔術師の大敵。大量に取り込むと、自分の存在が保てなくなる。あなたたちも魔法を使いすぎると、気持ちが悪くなったり頭が痛くなったりするでしょう? それ以上無理をすると、精神に異常を来たしたり、最悪死んじゃったりするから注意するようにね」

「〈不純物〉は魔力にできないんですか?」

 私は疑問だったことを尋ねてみた。

「高位の魔術師、私くらいになれば力づくで多少は魔力に精錬できるわね。要は〈炉〉の効率の問題だけど、〈不純物〉の不純たる所以、つまり異界の現実態を滅するほど強力なこちらの世界の現実態の素子を与えてやればいいってわけ。ま、中には〈不純物〉を丸ごと精錬できる魔術師もいるんだけど」

「何ですかそれ。それじゃ無敵じゃないですか」

 姉さんが唇を尖らせた。

「――そうかしら。ノエマ、どう?」

 城主様に問われ、私は思考を巡らせる。

「えーと、〈不純物〉を全部魔力に変えられたら、それは大変なことだと思います。……すごい量の魔力が、常に〈器〉に流れ込んで、打ち止めにならない。……けど、魔術師の実力って、〈モナドの窓〉の大きさと〈炉〉の効率だけじゃ決まらないんですよね? 後は、〈器〉の容量と魔法の技術……」

「そうね。ねえノエシス、想像してみて。火事を消し止めようとする時、もしすぐ近くに水量豊富な川があっても、それを持ち運べる容器が小さなコップひとつしかなかったら、一度に使える水はそれだけ。到底消火できないわね。あるいは月に何万マルクの収入があっても、そのお金で買うべき商品が何一つなかったら、それはただの紙切れでしょ?」

 当時の私たちは、城主様の言うマルクという通貨がもうドイツ国内では流通していないことを知らなかったので、素直に得心したものだ。

「……そっかぁ、〈器〉の容量が小さければ、豆鉄砲みたいな魔法を連発するしかないってわけか。それで、魔法の技術が無ければそれさえ無意味、と。四つがバランスよく組み合わさっていてこそ力のある魔術師ってことですね」

 姉さんは飲み込みが早かった。城主様は満足気に頷いた。

「そして、〈不純物〉は魔力と一緒に〈器〉から抜けていく。常人は時間に任せるしかないけど、魔術師は〈不純物〉を意識的に抜くことができる。この〈不純物〉を抜く効率も実力の指標になりうるわ。他の四つと比べてそれ程重要性は高くないけど。でも、抜けた〈不純物〉はこの世に澱み、溜まる。そこから何らかのきっかけで生まれるのが〈夜の種(ナハトザーメ)〉ってわけね。」

「だから〈夜の種〉をやっつけることも魔術師の仕事の内なんですね」

 姉さんは察しよく後を承けた。

「その通りよ、ノエシス。だけど、半分はボランティアかな。今ほど世界の人口が多い時代はないの。産業革命以後の人口は、過去に生きていた全ての人類の数を合算したよりも多い。誰もが〈モナドの窓〉は持っているということは、魔術師がいなくても人口密集地にはそれだけ濃密に〈不純物〉が垂れ流されるということ。そしてそうやって生まれた〈夜の種〉を討つために魔術師が魔法を使えばまた〈不純物〉が生まれる。いたちごっこね、これは」

「でもどうして、〈不純物〉も魔力にしたりできる魔術師がいるんですか?」

 姉さんの質問は、結局そこに戻っていった。

「うーん、難しい質問ね。私たちにだってよくわからない。一つ言えるとすると、何らかの別種の力で〈炉〉の効率を最大限まで上げている、ってことになるのかな?」

「別種の力?」

「そう。六百年近く前に一人の天才魔術師が構造を解き明かしたおかげで近代魔術が始まったんだけれど、そうなってみるとね、『魔法の“脱魔法化”』が始まる――と言っても難しいかな。つまりね、それまで魔法が纏っていた神秘性が、剥ぎ取られてしまったわけ。供物も秘儀も呪具も、もちろんそれ自体は有効なんだけれど、結局のところ魔力に最終的に形を与える補助手段に過ぎなかった。根源的なのは異界の混沌。それを呼び込むために、何ら神秘的な手法は必要ない。

 あなたたち神の奇蹟を信じる? あるいは悪魔と契約した? ――してないわよね。それでも魔法は十分使えるの。そうやって私たち魔術師は他の力を忘れてきた。例えば人間の心の力。荒れ狂う感情、切なる願い……。ひょっとしたら私たちが歩んできたのは間違った、そうでなくとも極端すぎる道だったのかもしれない、と今では私は思う。――おっと、長くなったわね。今日はここまでダス・ヴァール・アレス・フュア・ホイテ。そろそろ寝ましょうか」

 城主様はそう言って講義を切り上げると、ホワイトボード上の“Dynamis”と“Energeia”を消した。

「ありがとうございました」

 私たちは一度頭を下げ、握り拳の第二間接で机をコツコツと何度も叩いた。城主様がおっしゃるにはこれが普通の学生の流儀らしいのだが、少し非礼な気がして私はまだ慣れない。

「明日は午後からフランス語と歴史と数学。午前の内にちゃんと予習しておくようにね」

 城主様の挙げた科目をメモ帳に書きつけて、私たちは仮ごしらえの教室を出た。フランス語と数学は城主様が教えてくれるが、歴史は近代史に入ってこの方、外から呼んだ家庭教師が担当している。

「ほんとに週に一回だけなんだね、魔法の授業は」

 並んで寝室に向かう姉さんが不満げに口を尖らせる。それは城主様が魔法の座学を始めるに当たって宣言していたことだ。週に一回、水曜の夜にだけ、魔法の知識を教える、と。もちろん実践的な訓練はまた別だ。

「あなたたちには、もっと世界のことを知ってほしいの。と言っても、私たちが教えられるのは、知識として伝えられる半分だけ。残りの半分は、いつかこの城を出てあなたたち自身で見つけなさい」

「城を出る」……その言葉の響きは、わくわくするような冒険の予感と、喩えようもない不安を私の胸にもたらしたものだった。


 ――ああ、そうか。それでこんな夢を見たのか。目覚めた私は、夢現の内に引き出していた考察を捨てた。

 作文の課題が原因ではない。自由の重荷に対して抱いた不安に、無意識(エス)が反応したのだ。その前の講義の風景は半睡半醒の内に記憶から補足したのだろう、やたらと細部が正確だった。

 いや、夢はひとまず置いておいて、だ。問題は私を起こした原因である。

 いつもながら朝早く起床した姉さんは、だしぬけに〈モナドの窓〉を開いた。私はこれによって夢の中から叩き起こされたのだ。

「姉さん……?」

 ベットから出て扉越しに窺うと、リビングの中央に立った姉さんは精神を集中させて、部屋の中の食器やら家具やらを念動力で宙に浮かべていた。

「……なにやってるんですか、姉さん?」

 姉さんは私の方を見た。宙に漂った無数の物体は、ぴくりとも動かない。姉さんはそのままの姿勢で、弾けもしないのに中古で買ったエレキギターを手元に引き寄せ、たどたどしく弦を押さえると、ピヨーンと奏でた。コードも何もあったものではない。

「よしよし、大丈夫みたいね。……ああ、いや、なんか調子悪い気がしてさ。恵真は大丈夫?」

 問われた私は、身に具わった魔力を体の隅々まで行き渡らせてみた。特に異常はない。

「別になんともありませんけど……」

 ならいいや、と姉さんは再び集中した。宙に漂っていた品物が、あるべき場所に次々と収まる。そうしながら、腕を顔に寄せたり身を屈めたりして、体中の臭いを確かめた。

「なーんか、昨日のあいつの臭いが残ってる気がするのよねー。……あ、恵真。そういうわけであたし、今日学校休みたいんだけど」

 二日連続で朝も早くから起こされた私は、たわけたことを言って渋る姉さんを引きずって学校までやってきたのだった。


「昨日の電話、悪かった」

 登校して教室に入るなり、高原くんからがばっと頭を下げられた。

「え? ええ……」

 その真剣な態度にどぎまぎしてしまって、私は否定とも肯定ともつかない応答しかできなかった。

「姉貴はさ、ああいう奴なんだよ。いつも変なことをやらかしては、周りを巻き込むんだ」

 悪いな、ともう一度高原くんは謝った。

「そ、そんな。私たちだって結局力になれなかったんですし、気にしないでくださ……」

 そこで、腰を折った姿勢の高原くんが上目遣いにこちらを見ているのに気づいた。

 ――あっは。

「き、気にしないで。たかは……お姉さんが無事で、よ、よかったじゃない」

 びっくりするほど緊張した。爪が食い込むくらいに握り拳に力を入れてしまっていた。

 考えてみれば、物真似している時は別として、こんな話し方をするのは日本に来て初めてだった。

 顔を上げた高原くんは、にこっと笑った。

「泉、ありがとな」

 Nichts(ニヒツ) zu(ツー) danken(ダンケン)――違う、これはドイツ語だ。動転しながら、私はどうにか声を絞り出した。

「ど、どういたしまして、た……高原くん」

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