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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第二章 「医者よ、死を締め出せ Doktor, sperrt das Tor dem Tode!」――九月十七日
12/62

8.

 ※

 携帯電話というのは、なかなかに便利な文明の利器だ。今日では若者の必需品となったこの道具の扱いに習熟するため、私たち姉妹にも出立の一月前に買い与えられた。新しい玩具にはしゃぐ私たちを眺めながら、城主様(へリン)は少し羨ましそうにしていた。ご自分も欲しかったのかもしれない。

 魔術師同士の間では、距離に制限があるものの精神感応(テレパティー)で意思の疎通ができるし、それ以外の使用人は大体が|世捨て(びと)気取りなので、みな携帯電話を持っていなかった。自然、やりとりは姉妹の間に限定された。おかげで通話はすぐに飽きたが、メールの送受は楽しかった。すぐそばにいるのに文字で言葉を伝えるというその非効率さがいい。

 今現在、私の電話帳には六件しか登録されていない。「ゼーレンブルン城」、「姉さん」、「自宅」、「学校」、「東京支部」、そして……。

 リビングのテーブルの上に置いてあった姉さんの携帯が、「ヴィルヘルム・テル序曲」を奏でた。未登録の番号から電話が入った際の指定着信音だ。

 私はバスルームにつながる脱衣所のドアを開けた。

「姉さん、電話ですよ」

 姉さんは一度シャワーを浴びて着替え、お気に入りにドラマを見た後、今度はバスタブにお湯を張って浸かっているところだった。

「ごめ~ん。あたしのフリして出てー!」

 姉さんはだいぶ元気を取り戻したらしい。リラックスした声が、水音とともに浴室からこちらまで届いた。

 えー……。

 私は仕方なしに通話ボタンを押した。

「もしもーし」

 口調を姉さんのものに変えて応対する。他人の目がある所ではとてもできることではないが、姉さんが私のフリをした時でも、私が姉さんのフリをした時でも、成功率はかなり高い。

 なのに、

『んあ? お前、泉……の妹の方だよな? なんでこっちの電話に出るんだよ』

 ありえないことに一発で看破された。若い男性の声だった。

「なになにー? 恵真に用ー?」

 諦め悪く食い下がってみる。でもこの声、どこかで聞いたことがある……

『いや、そういうのいいから。あ、俺のことわかる? 高原だけど』

「た、高原くん……?」

 途端に顔が火照った。恥ずかしさで。

『そうそう、高原。さっき連絡先交換したろ? 二人に何度も電話したんだけどな。……で、なんでこっちの電話に、え~と、恵真の方が? これ、お前の姉ちゃんの番号だよな?』

 私はマナーモードに設定して制服のスカートのポケットに入れっぱなしの自分の携帯を取り出した。「高原くん」と表示された番号から四件の不在着信があった。私の送ったメールを見て電話してきたようだ。

 ……ていうか姉さん、電話番号くらいさっさと登録してください。

「ご、ごめんなさい。今姉さんお風呂に入ってて……」

 しどろもどろな弁解を試みる。説明になっているだろうか。

『あ~、俺も昔、声変わりする前にやられたよ。姉貴が俺のフリして電話に出やがんの。親父も気づかないし』

 誤魔化せた……のかな?

 これ以上突っ込まれないうちに、話題の転換を試みる。

「あ、あの、それで何か用ですか?」

『そうだそうだ、ごめん。姉貴、見つかったよ。お前のメールの通り、ひょっこり帰ってきやがった。学校の部室で仮眠とってたらいつの間にかガチ寝してて遅くなったってさ。もう少しで一一〇番だったって、今親父にこっぴどく怒られてる』

 いい気味だ。

「そう、それはよかったです」

 高原姉の無事を知ってはいたが、もちろんここでは話を合わせる。

『うん、悪いな。心配かけた』

 長身をぺこりと折り畳む高原くんが目に浮かぶかのようだった。私は慌てた。

「ううん、こちらこそ。大して力になれなくてごめんなさい」

 左手で携帯を握り締めながら、空いた右手を振る。ま、本当は力になったどころではないんだけど。

 それにしても律儀なことだ、わざわざ私たちにも姉の無事を伝えるために連絡するなんて。

 と、そこで沈黙が下りた。何を話せばいいのかわからず、居心地が悪い。

『あのさ――』

「はいっ」

 ややあってまた高原くんの声が伝わってきたとき、私はつい反射的な応答をしてしまった。少し声が上ずった。よく考えたら、電話で男子と話すなんて初めてだ。そう思うとますます緊張してくる。

『……あ、うん。お風呂から上がったら、姉ちゃんの方に謝っといてもらえるかな。今日、占い信じなくてごめん、って。たぶん占ってもらってたら、問題なしって言われたような気がするから』

「え? ええ……」

 微妙なところだ。姉さんはああ言ってたけど、性格を考えると、「数日中に帰らぬ人となるでしょう」なんて卦の方を告げていた可能性もある。

 私の声の固さを慮ってか、高原くんは陽気に言う。

『そんなに当たるんだったら、俺も一度占ってもらおうかな。……恋愛運とかさ』

 冗談めかして最後につけ加えられたその単語にドキッとする。

「は、はい。姉さんの占い、よく当たりますし」

 電話の向こうの声が、またしばしの間やんだ。ややあってから、不機嫌そうに高原くんが言った。

『……泉さぁ』

「はい」

『なんでいつまで経っても、クラスのみんなにそんな敬語なわけ?』

 私は言葉に詰まった。そういえばなんでだろう。

『姉貴が言ってたけど、ドイツじゃ親しい相手にはドゥで、敬遠する仲ならズィーで話しかけるんだっけ? 俺たち、敬遠されてる?』

 厳密にはやや違うが、心理的な距離という点では正しいかもしれない。

「そ、そんなことないです」

 そう口走ってしまってから、口元を押さえた。が、もう遅かった。

『……ほらまた。俺たち、帰国子女とかよくわかんないからどうでもいいし、お前がうちの姉貴と似たタイプだってのはわかるんだけど、お前日本語ペラペラだから、敬語以外の日本語で話せないってわけじゃないんだろ? さっきだって姉ちゃんの口真似してたしな。うちの姉貴だって人見知りするけど、親しい相手にはかなりブロークンに話しかけるぞ』

 たしかに私だって、親しい間柄の話し方ができないわけではない。慣れてはいないけど。

『だからさ、あまり遠慮すんなよ。お前らが親元を離れて日本に来たのには色々事情があるんだろうけど、しょせん俺たち中学生なんだから、思いつめた顔しなくていいんだぜ?』

 ――私の表情って、そんな風に見えてたのだろうか。……思い当たるフシはある、かな。

『……ごめん、わかった風に勝手なこと言った』

 最後になぜか謝られた。同級生だなんていってもしょせん任務の間だけの繋がり――そう思っていた自分の殻が、軋みを上げた。

 私は素直に自分の気持ちを述べた。

「ううん、そういうこと言ってもらえると、ちょっと嬉しいです。……あ、ごめんなさい、急には変えられなくて」

 姉さんの口調を思い出そうとしたが、この肝心な時に、どうしてもうまくいかなかった。

『……いや、ほんとに悪い。――あ、そうだ。今度うちの姉貴紹介しようか? 似た者同士、仲よく――』

 カチンときた。

「結構です!」

 親指が反射的に電源ボタンを押して通話を切っていた。

「なんなのよ、もう。あのシスコン……!」

 携帯を握り締めた指を開く。姉さんが好きだというアイドルグループの集合写真が、ディスプレイに表示されていた。いつの間にかその中に、彼と似た顔を探していた自分に気づいた。

 途端に恥ずかしくなって、私は携帯を閉じた。

「高原、琉人くん、か……」

 姉さんの携帯をリビングのテーブルの上に投げ出し、私はソファに座り込んだ。

 どうして姉さんのフリがバレたんだろ?

 まだまだなのかなぁ、と私は肩を落とした。私は姉さんみたいになりたいのに。


 ひとしきりいじけてから、固定電話の子機に手を伸ばした。一応事件をひとつ解決することができたので、城主様(へリン)に報告することにしたのだ。

 自室の学習机の前に座り、ゼーレンブルン城シュロス・ゼーレンブルンの電話番号をプッシュする。こちらはもう深夜だが、向こうはまだ昼間だ。

『ハロー?』

 二、三度の呼び出し音の後、受話器からよく知る男性の声が伝わってきた。私もドイツ語に切り替える。

こんにちは(ハロー)、アーデルベルト。ノエマです(ダス・イスト・ノエマ)

これはこれは(オー、)ノエマお嬢様ですかマイン・フロイライン・ノエマこんばんは(グーテン・アーベント)ご機嫌麗しゅう(シェーン、)お久しぶりですオイヒ・ツー・ヘーレン

 電話口に出たのは、使用人のアーデルベルトだった。時差を勘定に入れて挨拶してくれた。

 アーデルベルトはかれこれ百五十年以上ゼーレンブルン家に仕える、最古参の使用人だ。フランス出身で、元の名をアデレイドといったが、ゼーレンブルン城に迎えられるに当たってドイツ風の名前に改めている。魔力に目覚めるのがやや遅く、壮年の容姿で老化が止まっているため、その押し出しから家令として重宝されている。城主様の信任も厚く、彼だけは私たち姉妹が魔術師として育てられていることを以前から知っていた。

連盟(リーガ)〉での地位は私たちと同じく正魔術師。位階では第十一階梯。二百も年下の小娘に飛び越されても、まったく気にした様子がない。私たちにとっても、城主様の次に馴染み深い相手である。

『お変わりはありませんか?』

「うん、まあ、そこそこ楽しくやってる。肝心の任務の方は今一つだけど……。報告したいことがあるのだけれど、城主様に替わってもらえる?」

『それが……申し上げにくいのですが、城主様はご不在でして』

あら(エー)お珍しいことイスト・アーバー・ウンゲヴェーンリヒ

 日課の朝の散歩以外で城主様が外出するなど、これまであまりなかったことだ。月に一、二度、私たちを近隣の町まで連れて行ってくれることはあったけど、私たちよりご本人の方がよほどまごついていた。

「いつ頃お帰り?」

『さて。なにせ今度のは長旅ですから。城主様は新しくパスポート(ライゼパス)を取得されたのですよ』

「えっ、外国旅行なの?」

 それこそ私たちが物心ついてから一度もなかったことだ。ついでに言えば、城主様がパスポートを取られるなんて、それこそ驚きの出来事である。真っ当な手段で国外に出るのだろうか。

『ええ、なんでもスペイン(シュパーニエン)までとか。飛行機にお乗りになるのも初めてとかで、はしゃいでおられましたよ』

 ……目に浮かぶ。でもたしか、EU加盟国のスペインまでならパスポート要らなかったんじゃないかな。まあ、現地での身分証(アウスヴァイス)代わりにはなるか。

「スペインというと、城主様にとっても思い出の深い国よね。曾遊の地を再訪なさるのかしら」

 語ってもらった昔話によれば、城主様はスペインに住んでいたことがあり、そこで〈連盟〉の前身となる組織を結成している。

 でも、五百年も経ったら何が残っているのだろう。

 ――ふと、この京舞原(きょうぶはら)市のことを想う。わずか一月あまりでもうずいぶん愛着を感じるようになってきたこの街。だけど、もし私たちが城主様と同じくらい長寿に恵まれて、五百年後に再訪したとして、今あるものの何が残っているだろう。

 そんなことをつらつら想像するうちに、わけもなく淋しくなってきた。魔術師として生きるというのは、そういうことなのだ。

『――もしもし? もしもし、お嬢様ケント・イーア・ミヒ・ヘーレン?』

 訝しげなアーデルベルトの声に我に返った。

「ごめんなさい、アーデルベルト。少し電話が遠いみたい」

『……そうでしたか、失礼いたしました。先ほどお尋ねの件ですが、城主様の行先は恐らくサンティアゴ・デ・コンポステーラでしょうな』

 アーデルベルトは巡礼の聖地として有名な世界遺産都市の名を挙げた。私は名前以外全く知らないけど。

「城主様はそこにお住まいだったことがおありなの?」

『……ええ、まあ。――おっと、これは度々失礼をばいたしました。お嬢様方からご報告があれば、代わりにわたくしが伺っておくように、との仰せでした。して、この度はどのような?』

 アーデルベルトの応答は少し歯切れが悪かったが、そういうことなら彼に伝えておこう。私は手短に今回の件をまとめて報告した。

『……やはりお嬢様方はお優しい。怪事件を解決した上に、敵対する非所属魔術師(アウセンザイタリン)までお助けになるとは』

 話を聞き終えた彼は、明るく笑った。そこに私たちの判断をとがめるような気配はなかったが、私はつい弁解してしまう。

「別にあいつを助けるためじゃなかったんだけど、こっちにも色々あってね。それに、城主様からは、正面から叩き潰しなさい、って言われていたし」

『いえいえ、やはりお嬢様方は城主様の娘ですよ。城主様もきっと同じように振る舞われたはずです』

 そう言ってもらえると私も安心できる。ひょっとして千載一遇のチャンスを放棄すべきではなかったのではないかと気にしていたのだ。

「ありがとう、アーデルベルト」

『とんでもない。お嬢様は組織に認められた第十五階梯の正魔術師なのです。第十七階梯まで上れば弟子もおとりになられるのですよ? 特別の指示がない限り、どのように過ごされてもお嬢様の自由です』

自由(フライハイト)”――「人間は(ロム・エ・)自由という(コンダムネ・ア・)刑罰に処せられている(エートル・リブレ)」。十四歳になってから文字通り降って湧いた自由は、軽やかでありながらも酷く重たい感じがした。

ありがとう(イヒ・ダンケ・ディア)、アーデルベルト」

 私は重ねて言った。

『ところで、ノエシスお嬢様の方は?』

「敵の体液を浴びて入浴中。――ううん、特に影響はなさそうだから心配しないで」

 私の返答を聞いた途端、アーデルベルトが心配そうな声を上げたので、慌ててつけ加えた。

『さようですか。さて、ではこちらではお嬢様方の初めての戦勝を記念して、ひとつ祝宴でも催しましょうか。城主様が先月出した貼り紙に応募してきたのが、日本で修行してきたという料理人でしてな。彼が作るシュヴァインシュニッツェル・ミット・アイ・アウフ・シュッセル・ライスというのがなかなか美味でして。お嬢様はご存知ですかな?』

 なんだそれ? と詳しく聞くと、カツ丼のことだと知れた。地球の裏側の小さな城で、にわかに日本趣味(ジャポネズリー)が流行り出しているようだ。

「カツ丼かぁ、食べたことないなぁ」

 ドンブリを箸で掻き込むというのは、どうも女子っぽくない。アーデルベルトたちはどうやって食べているんだろう?

『おや、そうですか。せっかくですし、そちらにご滞在の間に一度本場の味をご賞味ください』

 ノエマお嬢様にもよろしく、という彼の言葉を聞いてから、電話を切った。

 さて、宿題だ。

 長かった第二章もこれにて終わりです。引き続き第三章にもおつき合いいただければ幸いです。

 ご忌憚なきご感想・ご意見など寄せていただければ、大変励みになります。

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