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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第二章 「医者よ、死を締め出せ Doktor, sperrt das Tor dem Tode!」――九月十七日
11/62

7.

 ※

「バカっ!」

 高原が敵の剣を背に受けたときには「ざまぁ」だなんてお下品な喝采を送っていた姉さんだが、ついに動かなくなってしまったその姿を見て、吐き捨てるように言った。

 ホムンクルスは、沈黙した高原に向かって悠然と足を進める。

 自宅を飛び立った私たちは、しばらくうろうろした末にこの病院を探し当て、西棟の屋上に身を潜めていた。なるほど、この敷地内に張られたなかなかに高度な結界のせいで高原の〈モナドの窓モナーデンフェンスター〉をロストしたのだ。

 医院長とやらの残留思念と高原との会話は傍受できた。事情は一通り理解していた。

「ったく、あんなの相手に何やってんだか。行くよ、エマ」

 屋上から身を乗り出しながら、姉さんが言った。

「はい、姉さん」

 私は手の中の携帯電話をスカートのポケットにしまった。ちょうどメールを送信し終えたところだった。

『お姉さんを見かけました。そろそろ帰ると思います』

 柵の上に立った姉さんが、虚空に身を躍らせる。

 私も後を追った。

 ホムンクルスは眼前に降ってきた姉さんに対処できず、棒立ちになった。姉さんの右拳がその腹部を打ちぬいた。

 迎撃する間もなかったホムンクルスは面白いように吹き飛び、窓を破って東棟一階の病室に突っこんだ。

 一呼吸遅れて着地した私は、さらに跳躍。ばらばらに砕けたベッドの残骸の中から身を起こしかけていたそいつに、そのままの勢いで跳び蹴りをお見舞いしてやった。

 ホムンクルスが壁に叩きつけられるのと、病室に飛び込んできた姉さんが私の隣に並ぶのはほぼ同時だった。

 私たちの前で、コンクリートの破片を払いながら相手は滑らかな動きで立ち上がった。

 狭い空間に彼の発する腐臭が立ち込め、私たちは同時に顔をしかめた。さっさと滅ぼしてやらなければ。

「うへぇ、酷い臭い。にしても、呆れた頑丈さだわ」

「しかも、痛覚もないみたいですね。まったくひるんだ様子がない」

城主様(へリン)なら、どうするかな?」

 姉さんの質問に、私はしばし考え込んでから答えた。

「マイクロ・ブラックホールでも作って、消滅させるんじゃないでしょうか」

「……まあ、あたしたちには無理だね」

「ですね」

 ブラックホールを制御するための結界作りだけで、私たちの魔力は尽きてしまいかねない。

「なら――」

「――あれで行きますか」

 私の右、肩が触れ合うくらいの距離に立った姉さんが、胸の前を横切らせた右手をこちらに差し伸べる。

 私も左右対称に同様の体勢で左手を伸ばした。

 二人の手と手が、ちょうど真ん中で重なり合う。

 左手に魔力を込める。氷のように冴え切った私の魔力が、姉さんの手へと流れ込むのを感じた。

 同時に、姉さんの烈火のごとく激しい魔力が伝わってきた。

 そのまま、相手の体を循環させた自分の魔力を、再び手の中に受け取る。

 するすると二人の手が離れる。その間の空間に、切っ先を交えるようにして、二つの刃が生成されていく。

 姉さんの右手が、私の左手が、その剣を柄の端まで生成し終えた。

 目の前には、切っ先を触れ合わせたまま微動だにせずに空中に浮かぶ、二振りの長剣が出現していた。

 同時にその柄を握る。

「〈魔法剣ツァウバーシュヴェルト〉!」

 この魔法を使うのは久しぶりだったけど、姉さんとの息はぴったりだった。

 これが私たちの奥の手。魔術師多しといえども、私たち姉妹にしか使えないであろう秘技。姉さんと私の究極の攻性魔法。取り回しに難はあるものの、自惚れではなく、この剣は威力だけなら世界最強クラスだ。

「行きます!」

 私が先陣を切る。手にするは、月光のように冷えた青白い剣――〈魔法剣=グレッチャー〉。

 ホムンクルスは大剣で斬撃を受け止めようとした。

 だが、それは叶わなかった。

 すれ違いざまに私の振るった刃は、あっさりと大剣ごとその右腕を切断し、ついでとばかりに右半身を氷漬けにした。

「でやああぁ!」

 続いて姉さん。握る〈魔法剣=フォイアーバハ〉は、恒星のプロミネンスのように赤熱している。

 切っ先は狙いたがわずホムンクルスの胸板の中央を貫いた。

 これで動きを完全に止めたホムンクルスは、口から大量の赤黒い血を吐いた。

「きゃあっ!」

 その汚らしい液体をまともにかぶった姉さんが、意外に可愛らしい悲鳴を上げて飛び退る。

 そして次の瞬間、私たちと相対していた歪な生命体は紅蓮の炎に包まれ、一秒足らずで炭ひとつ残さずに燃え尽きた。


 敵の消滅を見届けてから、私は〈魔法剣〉を解消して携帯電話を取り出した。〈連盟(リーガ)〉の東京支部に事件解決の報告をするためだ。私たち姉妹はこの地域のネットワーク(ネッツ)から独立しているも同然だから報告の義務はないのだが、「後始末」は向こうに依頼することになる。

 無駄話は一切差し挟まれることなく、相手の質問に二、三答えただけで通話は終わった。これで今夜中には、容疑者の確保が当局から発表されるはずである。

「姉さん、大丈夫ですか?」

 携帯電話をしまい、姉さんのもとに駆け寄る。

「う、ううう……最悪……。一刀両断にしてやればよかった……」

 姉さんは半泣きだった。制服はもちろん、髪にも顔にも汚水のような液体がたっぷり付着している。

「口にも、目にも入った……。もういや……」

 ぺっ、と溜まった唾液を吐き捨てた姉さんはとうとうその場にしゃがみ込み、すすり泣きを始めてしまった。

 あの手この手でなだめる外なかった。

「ほら、姉さん。今ならまだ「家政婦はミタンニ人」に間に合いますよ。録画じゃなくて、友達と実況しながら生で見たいって言ってたじゃないですか。早く帰ってシャワーを浴びてください。――あ、そうそう、せっかく買い込んだお菓子も、パーッと食べちゃいましょう。城主様から送られてきたフランケンも、久しぶりの戦勝祝いに一本開けちゃいましょう、ね?」

 なおもぐずつく姉さんだったが、両膝に突いた手を支えに、よろよろと立ちあがる。

「宿題……」

「え?」

「社会の宿題、見せて」

「……わかりました」

 日本の地理にも歴史にも疎い私が、苦労して仕上げた宿題。それとの引き換えを条件に、姉さんは少しだけ立ち直ってくれた。

「行きましょう、ね?」

 その手をとる。姉さんは目をこすりながら、こちらにもう片方の手を伸ばしてきた。

「おんぶ。目開けてらんない」

 否応もない。私は姉さんに気取られないように溜息を吐きつつその手を掴み、自分の肩にめぐらせた。もう一方の手もそうしてから、姉さんの腰を後ろ手で抱えた。

「飛びますよ。しっかりつかまっててください」

「ん……」

 私の胸の前で組まれた腕に力が籠るのを確認し、なんとも忌まわしいこの場を離れようと踏み切る。

 夜空に舞った私の眼下に、いまだ力なく地面に倒れ伏す高原の姿があった。

(姉さんがこんな目に遭ったのはあんたのせいよ)

 本来なら八つ裂きにしてやるところだが、黒いマントに包まれたその背はあまりにも小さく見えた。

 少しばかり逡巡したが、念動力(サイコキネーゼ)を作用させ、首に嵌ったリングを外してやった。

 高原くんにもメールしてしまったことだし、八つ裂きは次の機会かな。



 ※

「ギギギ……」

 変なうめき声と共に顔を上げた時には、全てが終わっていた。ぼんやりとした頭が、急速に醒めていく。

「――部長!?」

 曖昧な意識の下でのわずかの間とはいえ、往年の漫画ごっこに興じてしまっていた詩都香は、大切なことを思い出して跳ね起きた。

「……つっ!」

 打傷が酷く疼いた。先刻に比べて体も重い。

 それでようやく、〈モナドの窓〉が閉じられていることを悟った。

 ぴたぴたと首の周りを触診。あの首環は外れていた。昏睡から覚めることができたのはそのおかげのようだ。詩都香は足元に落ちていた銀のリングを拾い上げた。

 奈緒は最後に見た位置から動いておらず、すやすやと眠っていた。詩都香は胸をなで下ろした。マントの隠しポケットにリングを突っこみ、南棟へと歩きながら、夢と現との狭間で感じたそれを反芻する。

「誰だろう? 知ってる魔力を感じた気がするんだけど……」

 魅咲か伽那だろうか。いや、それなら詩都香をここに放置していくのはおかしい。

(デジデリウスさん?)

 推測は師たる魔術師へと向かった。だが、自らを結界に封じたままの彼が、この程度の事件で動くのはいかにも不釣り合いだった。

「ま、いいか。どうにか助かったみたいだし」

 今手元にある材料では推測不可能――詩都香はすぐさまそう結論づけた。

 詩都香は南棟に置きっぱなしだった鞄を回収してから、もう一度中庭に戻った。

 残る問題はひとつだ。半ば自動的に歩を進めながら、本日二度目の、〈モナドの窓〉を開く儀式を始める。

(今からやること、間違いなく犯罪だよね……)

 未だ目を覚まさない奈緒の傍らに立ち、自らの魂を捕捉しながら、詩都香は思案した。傷が痛むせいで、いつも以上に時間がかかった。

 何枚もの顔写真が脳裏を去来する。どれもこれも、事件の被害者の家族が捜査のために提供した、娘や妹のものだった。このまま彼女たちが見つからなければ、残された家族はいつまでもそれを貼り続けることだろう。

 詩都香は目を開いた。ふっ、と息を吐く。

「いつか事件のことを証言できる日が来ればいいんだけど」

 世界各国の政・官・財界、おまけに法曹界にまであの組織が食い込んだ現状では、それすら不可能だ。この事件も間違いなく真相を握りつぶされる。無力な彼女には、幕引きさえできない。

 だから詩都香は、来るべきその日に汚名をかぶる覚悟を決めた。通常の事件であれば現場の保存が重要になるが、こんな建物を残しておく気はない。

 右手でピストルの形を作る。その指先に、ビー玉ほどの光が宿った。光の微粒子が詩都香の指先に凝集していき、光の玉が次第に大きくなる。

 十分に大きくなったそれを、前方へと解放する。

 ずしりとした手応え。反動でへし折れそうになる手首に、もう片方の手を添える。

 詩都香の指先から放たれた真っ白な光の束は、東棟の端、件の霊安室の反対側を直撃し、炸裂した。

 吹きすさぶ爆風に、帽子から垂れる長い髪をなぶらせたまま、彼女は再度〈器〉に働きかける。

 この攻性魔法は詩都香のオリジナルだ。魔力をただの光ではなく粒子ビームに変換して放つ。

 年経た魔術師たちにはこの効率の良さが理解できないらしい。攻性魔法といったら皆、光やら炎やら雷やら、自然界で観測されやすい現象を思い浮かべるようだ。

(爺様方はSFとか読まないのかな)

 チャージ完了。東棟は半分以上が更地同然となり、残りも瓦礫の山となっている。霊安室のみが無傷のままだ。

 二発目は西棟に撃ち込んだ。

(あなたたちの犠牲をなかったことにするんじゃない。この魔法という力が世界中に知れ渡るまで……)

 詩都香のテンションの高さを反映して、消費する以上のスピードで魔力が精錬され、〈器〉に貯まっていく。

(うわ、ちょっと危ないかも……!)

 どんどん高まっていく忸怩たる想い。それを覆い尽くそうと膨らむ破壊欲。それらが制御を突破しようとするのを察知して、詩都香は心理的なブレーキをかけた。そうしながらも、右に左に、魔性のビームを連発した。


 感情を押し殺したながら、最後に残った玄関のある南棟を消滅させてから、詩都香は奈緒を抱きかかえ、結界の外に出た。

「……ふぅ」

 病院の敷地の外の、何度も行ったり来たりしたあの道路。今度こそ新鮮な空気に一息吐く。警官たちがまだいるかと思ったが、人通りはなかった。それでもなお気を弛めずに、お姫様だっこで奈緒の体を抱えたまま、灯のまばらになった民家の屋根から屋根へと跳び移る。

「部長の家もこの辺りだったと思うんだけど……」

 奈緒の家には、郷土史研の上級生たち共々招かれたことがある。奈緒は旧家の娘で、古い洋館に両親と共に住んでいた。父親が作ったという書斎には歴史関係を主とした蔵書が並んでいて、それをネタに茶飲み話が進んだものである。

 詩都香を郷土史研に誘ってくれたのも奈緒だった。今から思うと下心があったのだろうが、それでもやはり感謝はしている。

 魅咲と伽那は気のおけない友人だし、田中たちも良き話し相手だったものの、せっかく高校生になったのだから少しくらい背伸びした学問的な会話もしてみたかった。半ば強引に引きずり込まれた郷土史研の上級生たちは、そうした欲求に応えくれた。

(ひとつ、恩返しできたかな)

 宙を駆けながら、詩都香は腕の中の寝顔を盗み見た。

 十分ほど彷徨ってから、奈緒の家を見つけた。高級住宅地にあって一際目立つ広めの敷地だが、灯が落ちていたので少し手間取った。

「あれ?」

 ……違和感があった。家の窓は一枚たりとも割れていなかった。一階と二階の間の廂に跳び移り、とことこ一周してみたがどこにも異状が無い。案内されたことのある奈緒の私室も同様。奈緒はこの部屋から拉致されたわけではないらしい。

「やれやれ、どこで何やってたんだか」

 詩都香は念動力を働かせて錠を開けた。引き違いの窓を全開にし、奈緒を小脇に抱えなおしてから中に入る。窓枠に頭をぶつけて帽子が脱げかけたのはご愛嬌。

「おやすみなさい、部長」

 ベッドに横たえた奈緒の耳元で小さく囁きかけてみる。奈緒はやはりぴくりとも動かなかった。

 そこで、大事なことに思い至る。放課後、部室で撮られた写真だ。あれを消去するくらいならば罰は当たるまい。

「失礼しますよ、っと」

 奈緒の携帯電話はスカートのポケットに入っていた。パスワードの類は幸い設定されていなかった。操作のし方はすぐにわかった。

「……あり?」

 詩都香は首を傾げた。開いたデータフォルダの中の一番新しい写真――ファイル名になっている撮影日時から見て、あの時部室で撮られたものに間違いないはずなのだが、そこに写っているのは予想外の光景だった。

「なんだこりゃ。足じゃないの」

 自分の足元に目を遣る。今日履いているのはふくらはぎまでの紺のソックス。奈緒の撮った写真の被写体は、詩都香の膝の裏からかかとまでと、その足が乗っている椅子の天板だった。撮影者本人が言っていたようなものはどこにも写っていない。

 どうやら奈緒は、レンズを上ではなく下に向けてシャッターを切ったようだ。

「からかわれたのかぁ……」

 安堵と肩透かしに、肩を落としてしまう。

 錠をかけ直して、吉村邸を辞した。胸の内にわだかまるのは、今晩の不在をどうやって家族に誤魔化そう、という実に後ろ向きな不安だった。

(琉人はなんとでもなるけど、お父さんはどうしよう)

 背と脇腹の戦傷よりも胃の方が痛い。詩都香は家路を急いだ。

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