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◇◇◇



「ターニャ、今日は図書室に行きたいの」


 アミリアの申し出に、ターニャはうなずいた。

 図書室は後宮と城とを繋ぐ廊下のちょうど中間あたりにある。幅広い分野の本や、今ではほとんど残っていないような希少価値の高い本など様々。本好きにとってこれほどの天国はないと言えるだろう場所だ。

 普段は後宮を出ることの許されない後宮住まいの者も、図書室へ行く時ばかりはそれが許される。もちろん、女性騎士の付き添いが必須だが。

 本来なら安全上別々に二か所作る予定だったらしいのだが、同じ本を二冊買うよりも違う本を買った方が有効的であるとの意見が上がったことで急遽そこに造られることになった。代わりに扉以外から侵入できないよう窓はとても高いところに小さく造られ、入り口には常に二名以上の騎士が立っているなど工夫が施されている。


「日が高いうちに行ってしまいましょう」

「そうね」


 ターニャが部屋の扉を開ける。そこにはなにもなく、敷かれた絨毯が廊下いっばいに伸びているだけだった。

 知らず肩の力がこもっていたようで、そのことに力が抜ける。

 昨日のネズミの件は、きっと犯人の予想以上に効果が出たといってもいいだろう。


「……参りましょう、アミリア様」


 促され、アミリアは部屋を出る。ターニャが鍵をかけるのを確認し、歩き出した。

 女性騎士の詰め所は後宮の出入り口の脇にある。付き添いを頼むためにはまずそこへ行かねばならなかった。

 後宮は空から見ると逆「コ」の字形をしており、中央階段を挟んで北棟と南棟に分かれている。一階には騎士の詰め所、ダンスホールや雑談室のようなもの、庭園に繋がる出入り口があり、側室たちの住まう部屋は二階より上だ。また公爵、侯爵、伯爵家出身の令嬢は北棟に。子爵、男爵家出身の令嬢は南棟と細かく決められ、東棟の部屋の方が半回りほど広い構造になっているらしい。

 アミリアが一階へ行くため階段を降りようとした時、その声が後ろからかけられた。


「あら、ラピッド男爵家御令嬢様ではありませんか?」


 決して友好的でないその口調に、面倒、と音もなく呟いて。アミリアはゆっくりと振り返る。


「ごきげんよう」


 何人もの取り巻きを連れ、扇で口元を隠した気の強そうな御令嬢がそこにいた。

 だが社交の場に出なくなったアミリアにはそれが誰だかわからない。向こうは自分を知っているようだったけれど。


「巷で噂の、国内屈指の美姫とお逢いで来て、光栄ですわ」

「……そんなものはただの噂ですわ。証拠に、私程度の顔のものなどどこにでもいますでしょう?」

「ご謙遜なさらなくてもよろしいのに」


 うふふ、と笑い声をもらすけれどその御令嬢の目は笑っておらず、自分の方が、と思っているのは誰が見ても明白。アミリアにぶしつけな視線を向ける取り巻きたちもまた、これのどこが美姫だと心底疑問に思っているに違いない。

 だが不快感を前面に出すことなく引っ込め、作りものの笑みを貼りつけた。


「謙遜なんてしておりませんわ。……そうでした、まだちゃんと名乗っておりませんでしたね。私、アミリア・ラピッドと申します」

「ミエル・オーガストですわ」


 ターニャが、オーガスト侯爵家御令嬢ですと小さく耳打ちしてくれる。

 侯爵家の娘ならばここまで取り巻きが多いのもうなずける話だ。本当は男爵家の者になど話しかけるのも視界に入れるのも嫌だろうな、ということも。


「それでミエル様、私になにか御用でしょうか?」

「いいえ。ただ陛下の御寵愛を得たという珍しい髪と瞳をした御令嬢がどんな方かと気になっただけですの」

「嫌ですわ、私、陛下の御寵愛など頂いておりませんから。怪我をしたと申し上げたら、お優しい陛下がお薬をくださったのです。後宮ではなかなか効く薬は頂けませんでしょう?」

「まあ、さすが陛下ですわね。でも貴女にはその薬、効きすぎではなくて? 普段はそんなに良いお薬に恵まれる機会などないでしょうに」


 貧乏人に陛下の薬はもったいないと。そういうことですね、ええ。

 次第にはっきりとしてくる棘に、アミリアはただ笑って返すだけだった。でもいい加減、図書室に行きたいのだけど?


「そうですね。私育ちが育ちですので、生まれてからこれまで大きな怪我も病気もしたことがなくて」

「丈夫な身体をお持ちなのね、うらやましいわ。私なんて幼い頃は病弱で、ほとんどベッドの上で寝て過ごしておりましたのよ?」

「今それだけお元気に暮らせているということは、よほど良いお医者様に巡り合えたのですね」

「短い期間ですけれど城でもお勤めされていた方ですわ。とても腕の良いお医者様なんですの」


 貧乏人には雇えないくらい腕が良いお医者様だと。ああそうですか。

 とにかくアミリアが貧乏人であることを強調してくるミエルに、取り巻きたちが後ろでそうよねぇと同意を示している。なんなのこの面倒な集団!


「ミエル様、申し訳ないのですが、そろそろよろしいですか? 私、図書室に向かう途中でしたの」

「まあ! それは引き止めてしまってごめんなさい。私もこれで失礼するわ」

「せっかくお声をかけてくださったのに、ゆっくりお話もできず申し訳ありません。失礼致します」


 会話を切り、再びその集団に背を向けたアミリアにかけられたのは、「陛下はあんな女のどこが気に入ったのかしら。顔も容姿も中身も平凡極まりない貧乏人じゃない」という小さな侮蔑(ぶべつ)の言葉だった。

 ピクリと反応したターニャにいいから、と抑えさせ、なにも聞こえなかったとでもいうように一度も振り向くことなく階段を下りきった。

 しかし一階にいたどこぞの御令嬢たちにもちらちらと視線を向けられ、図書室でも文官やどこぞの御令嬢とその侍女にちらちらの見られ、再びアミリアが部屋に戻る頃には見られ疲れを起こしていた。


「……私、こんなに視線を浴びたのは久しぶりだわ…」


 疲労感たっぷりの顔でソファにぐったりと体を預けるアミリアに、ターニャは「そうですね」と返す。

 その切り返しに堅いものを感じ、アミリアは首を傾げた。


「ターニャ?」

「…………主人を侮辱されて怒らない侍女がどこにいますか」


 彼女の中ではミエルやその取り巻きたちの言葉と態度がどうにも許せないようだった。アミリア自身は見られ疲れのせいですっかり忘れていた。


「ああいうのは気にしたら負けだもの。貴族の端くれで、この色以外はなにもかも全部平凡だから」

「だからといって許せるものではありません」

「……私も今日みたいな目に合うのは嫌だし、注目されるのはもっと嫌。どうせ陛下ももういらっしゃらないだろうし、周囲が少し落ち着くまで部屋からは出ないことにするわ」


 アミリアの提案にターニャはわかりづらく小さく眉を寄せた後、「アミリア様がそれを是とするのなら」と頭を下げた。

 その様子に困ったように笑って、窓の向こうへと視線を流す。朝から薄い灰色をしていた空は、今にも雨が降り出しそうなほど濃い灰色へと変わっていた。





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