06
「アミリア様、お目覚め下さいませ」
いつ眠りについたかもわからないけれど、どうやら眠っていたらしいアミリアを起こすターニャの声。
目を開けた彼女はしばらくそのままで視線を泳がせた後、むくりと上半身を起こした。
「……ターニャ、今は何時?」
「いつもアミリア様がご起床される時間とお変わりありませんよ」
「…………そう」
ということは、現在朝の七時か。昨夜の出来事がすべて嘘だったらいいのにと思いながらも、テーブルの上に置かれた容器が嘘ではなかったことを教えてくれる。
アミリアはどこか憂いを帯びた表情のまま、ターニャに着替える旨を伝えると床に足を下ろす。
「動きやすいものがいいわ」
適当に見繕って持ってきてくれるよう頼んだのだが、それに対して返事がない。どうしたのか。
「ターニャ?」
「今朝は訊かれないのですか?」
「え?」
なにを、だろう。特に思い当たることがなく、なんのことかわからなかったアミリアは首を傾げる。
「後宮へ召し上げられてから、これは夢オチではないのかと尋ねるのが毎朝の習慣になっておられましたのに」
「ああ……」
そういえば、そうだった。自分が後宮にいることが信じられなくて毎朝毎朝ターニャに確認しては現実をつきつけられ肩を落としていたことを。
そんな習慣化し始めているものを忘れるほどに、昨夜の出来事は衝撃的だったということか。わあ、ウレシクナイ。
「……後で説明するわ。とにかくまずは着替えの準備、頼んでいい?」
主人らしからぬ声色に疑問を持ちつつも言われたことを忠実にこなすターニャが、昨夜の事の顛末を聞きさすがに表情を変えたのはそれから数十分後のことであった。
「それはまた、……大きく出ましたね」
「……わざわざ濁さなくても正直に馬鹿だと言えばいいでしょう」
ハーブティーを口にしながらアミリアはじろりと傍に控えるターニャを見上げる。
許可があったとはいえ、さすがに言いすぎた。時間が過ぎた今では昨夜以上にそのことを痛感する。
それにあの許可だって、陛下がしていないといえばしていないものになる。そうしたらアミリアなんて簡単に処刑台行きが決まるだろう。それだけ偉そうなことを言った自覚があるのだ。
「…………ホント、馬鹿なことしたと思う」
「私はアミリア様のそういうところ、嫌いではありませんよ。なにが起ころうとも、私はアミリア様についてゆきます」
「ターニャ……」
「はい、なんでしょう」
「ありがとう、こんな私についてきてくれて」
そんな風に思い仕えてくれる人で、本当に嬉しい。心からの笑みを向ければ、ターニャも彼女にとっては珍しいくらいに表情を和らげてくれる。それがまた嬉しかった。
そんなふわふわと花でも飛んでいそうな空間に、扉をノックするとんとん、という軽い音が割り込んできた。
「……こんな朝早くに?」
「どなたでしょうか」
貴族というのはさほど早起きではない。ましてや仕事もなにもない令嬢たちがこんな早くに起きてくるとは思えないし。だからといって女官たちはこんな朝早くに部屋を訪問するほど不作法ではない。
ターニャが開けた扉の向こうに立っていた相手に、アミリアは目を見開いた。
「陛下、」
予想外の訪問に、言葉はなにも頭に浮かばなかった。
「起きていたのか」
一方アミリアを驚かせた張本人はといえば、そちらもまた軽く目を見張っている。
お互いそれ以上なにも言わず、ただただ黙って凝視し合う。脳内を占めるのは、純粋な驚きだった。さすがの陛下でもこれは予想だにしていなかったらしい。
しかしその後アミリアの視線は、陛下の後ろから顔を出した人物へと移る。
「おはようございます、御機嫌いかがですか?」
「っ、え?」
「いやー、起きていらっしゃったらいいなとは思っていましたが、本当に起きていらっしゃるとは驚きでした。いつもこんなに早く?」
「え、ええ……」
「貴族の御令嬢とは思えませんね! もちろん、貶しているわけではありません。これも褒め言葉です」
「あ、の……」
「ああ、突然押しかけたうえに名乗りもせず失礼いたしました。私は陛下の側近のフレッド・ウエルスヤードと申します」
「アミリア・ラピッド、です、わ……?」
「ええ、存じております。その麗しい瞳と髪をお持ちの貴女とこうしてお会いできる機会に恵まれた私は本当に幸せ者です」
「そ、それはどうも……?」
こちらに一言以上口を挟ませる隙がない。
マシンガントークと呼ぶに相応しいそれに、どう対応すべきか思い悩むアミリアに救いの手を差し伸べたのは、意外にも陛下だった。
「……フレッド、お前はそんなどうでもいいことを喋るためにここまで俺を付き合わせたわけじゃないだろう」
「おっと、そうでした、これは失礼。アミリア様、少々こちらの侍女殿をお借りしても?」
「え、ターニャを?」
思いがけない申し出に、アミリアの表情は目に見えて曇る。不安しかない瞳に気付いたフレッドは、にこり、笑う。
「取って食おうなんてつもりはありません。少々お話ししたいことがあるだけです。すぐにアミリア様の元にお返ししますよ?」
付け加えた「私は陛下と違って紳士ですから」という言葉に陛下が「おいっ」と声を上げる。しかしそれを素知らぬ顔で流したフレッドは、戸惑いつつもうなずいたアミリアに再度断りを入れ、ターニャを部屋の外へと促した。
「それではアミリア様、しばしの間陛下をお願いしますね」
扉が閉まる直前に残された言葉に、アミリアと陛下は互いにギョッと目を剥いた。
お喋りな人物がいなくなり静まる室内。い、いたたまれない……。アミリアは他にどうしたらいいかわからず、陛下に席を進めた。
「あ、あの、どうぞお座りください」
「……ああ」
「……」
「……」
「……」
「……」
無言。陛下の正面に座って彼を一瞥するが、彼はそっぽを向いて眉間にしわを寄せたまま一言も発しようとしない。
普段あれだけいろいろと言い、さらには昨夜強気に出てはみたものの目の前のこの人と自分の間には火を見るより明らかな身分の差がある。強気に出たのは怒り任せというやつで、今こうして本人を目の前にして戸惑うことこそ当然である。うう、いたたまれない……!
「……なんだ」
「っ、」
ちらちらと視線をやっていたことに気付かれていた。女性の殺気には気付かないのに、どうしてそんなことには気が付くのだろう。謎だ。
「え、っと、その、ですね……」
「……」
話しかけられたからにはなにか言わないと、と焦るがなにも浮かばない。昨夜のことをわざわざ自分から掘り起こすような馬鹿でもない。
「……あ! あの、フレッド様、はどうして後宮に入ることが……?」
後宮というのは本来、王以外の男性の立ち入りを禁止しているはずだった。騎士も女性、のはず。念のためと設置された医務室にいるのも、ある程度そちら方面の知識がある女官だ。女官では対処できないほどの怪我や病気等といった時には男性の医者に立ち入り許可が出るが、それは女性の医者というのがこの国にはいまだ認められていないせいでもあった。
ちなみに家族の面会は城の応接間にて行われ、その者たちはどうしたって後宮に入ることは叶わない。




