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Elvish  作者: ざっか
第四章
95/117

静かな部屋でゆるゆると


「静かだなぁ……」


 殺風景なルナリアの部屋、ベッドの中で一人ぽつりとルネッタは呟いた。

 時刻は朝というには遅く、昼というには早く。日差しは柔らかく暖かく――を通り越して少々暑い。ベッドに入り込むには苦しい気温になってきたように思う。

 

 けれども這い出るわけにもいかない。何しろ自分は、風邪をひいてしまったようなのだから。

 微熱と少々の咳、僅かな体のだるさ。症状といえばその程度のものであり、無理をすれば十分動ける。以前の自分であればとても寝込んだりはしなかっただろうけど、二人が凄まじいほどに心配するわけで。

 

 強引に動いたとしても、読書くらいしかやれることも無い。寝るのが正解だともちろん理解はしている。

 ――でも暇だよね

 

 加えて言うなら寂しい。ここしばらくはずっとルナリアかエリスの隣に居たのだ。それこそ寝るのも食べるのもお風呂さえも一緒だったのだ。活動禁止ゆえに二人も盛大に暇であり、だからこそ堪能できた至上の至福。それが途切れてしまった。


「ふぅ」


 ルネッタはごろりと寝返りを打って、枕に顔を深く沈めた。

 思えば、日が昇りきってからベッドでごろごろ時間を過ごすなど、今までの生でどれほどあったろう。下手すれば皆無かもしれない。

 

 これほどの贅沢を味わっているのに、隣に誰も居ないことを不満に思う。人の欲とはなんと際限無きことか。

 ――なんて、ね。

 

 目を閉じる。部屋の空気を深く吸い込む。彼女の匂いに包まれ、揺られて。再び薄い眠りの中へと落ちた。




 ノックの音に、思わずルネッタは飛び起きた。


「起きてるかな」

「は、は、はいっ! どうぞっ!」


 鍵を開けに行く間も無く、扉がゆっくりと開かれて。

 声の主であるルナリアと、エリスの姿がそこにあった。二人ともずいぶんと大きなトレーを抱えており、上には何枚もの皿。ちらりと横目で時計を見れば、丁度昼の時間らしい。


「調子はどうかな」


 ルナリアが部屋の隅の机にトレーを置きつつ言った。


「大丈夫ですよ。元々軽い風邪なだけですし」

「そうか」


 にこり、と微笑む。ほっとしたように。そんなにも心配させてしまった、のだろうかと思う。

 彼女に続いて机へトレーを置きつつ、今度はエリスが言った。


「それでも、ゆっくり体を休めるに越したことはありません。どうせ今暇ですしね。で、ルネッタ……色々考えては見たのですが」

「はい、なんでしょう」

「今日のお昼は、まぁ、こんな感じで。果物中心の甘くて柔らかい品で攻めてみました。これなら食欲無くても大丈夫、ですかね?」


 コトコトと心地よい音を立てて、皿が机に並べられていく。そっちで食べるのかなと思い、ベッドから出ようかとルネッタが考えた次の瞬間、


「よっと」


 ルナリアは重そうな――それこそルネッタ一人では動かせそうもないほどに――机を薪か何かのように軽々と持ち上げると、ベッドのすぐ傍まで運んできた。

 ――そりゃ慣れたけども

 

 皿に乗せられた果物は正に色とりどりといった様子で、祭りのような賑やかさを見せ付けるようだ。黄色い柑橘系らしき何かは一口で食べやすいように綺麗に切りそろえられている――かと思えば林檎に似た赤い果実は、遊び心をあらわすように大小さまざまに刻まれていた。

 

 中央に置かれた一際大きなお皿には十に届く種類の果物が盛りあわされて、その上からたっぷりと蜂蜜のような液体がかかっている。隣にあるのは――焼き菓子だろうか。小麦色の生地はなぜか不思議と柔らかそうで、その体の所々に薄緑の果実が埋め込まれていた。

 

 凄い。一言で表すとそれで終わってしまいそうだ。もちろん三人で食べること、そして二人が恐ろしい胃袋を誇ることを考えれば、足りないくらいなんだろうけれど。


「今取り分けますね」


 エリスはそう言って小皿を手に取ると、調和を保つかのように色を選んで盛り付けた。

 皿が目の前に置かれる。

 

 二人が、じ、とこっちを見る。

 とにかく食べろ、ということなんだと思う。だからルネッタはフォークを手にとって、まさに主役たる蜂蜜掛けをぷすりと刺した。

 橙色のそれを口に運ぶ。噛むと果汁が噴出して、口内で蜂蜜と混ざり合う。


「……おいしいです」


 思わず頬が緩む。甘い。柔らかい。瑞々しい。単純だけど、とても大事な三つが素晴らしく高いところで調和している、と思う。

 甘味は強烈に強い。だというのに少しもしつこくない。なんて見事な料理と果実だろう。

 

 二つ目を口に運ぶ。

 きっと今、自分はだらしない顔をしているだろうなと思う。

 エリスが、なぜかほっとしたような声音で言った。


「気に入ったのなら何よりですよ」

「これ、エリスさんが作ったんですか?」


 うんうん、と彼女は頷いた。

 これほどの料理を作れてしまうことに深く深く感心し、同時にふと疑問が生まれた。思い出せばパンに鶏肉を挟んだり、獣の肉を上手に焼いたりと、エリスが料理をしている姿は最初から何回も見ていた。

 

 それに違和感をおぼえなかったのは、あくまで彼女の服装ゆえだ。

 蓋を開けて見れば彼女は騎士団の副団長。ましてや最前線で暴れまわる筋金入りの実戦派で、その前の職業は剣闘士だという。明らかに料理とは無縁の存在ではなかろうかと。

 ルネッタは尋ねた。少しだけ、恐る恐るといった感じに。


「料理、お好きなんですか?」

「んー……嫌いってことは無いですけどね。自分のためだけなら作らない、くらいですか」

「なる、ほど。えっと……始めたのは子供のころなんでしょうか」

「まさか。極最近までは食べる専門でしたよ。覚えたのなんて騎士団入ってからですね」


 ルネッタは首を傾げた。


「なんでまた?」


 エリスはと言えば、無表情のままゆっくり顔を動かして、


「団長が喜ぶかなーと思いまして」


 視線の先には、口いっぱいに果物を頬張る、とても愛らしいルナリアの姿があった。見られていることに気付いたのか、彼女は顔をあげて、ぱちくりと瞬きをする。

 

 なるほど、確かにルナリアは食べるのは好きなのだろうし。

 彼女のためを思えばこれ以上無い行為なのかもしれない。

 なぜだか暖かい何かを感じて、ルネッタはほぅ、と溜息をついた。そして呟く。


「純愛ですねぇ」

「純愛ですよぉ」


 エリスの相槌。会話の流れは分からなくても、雰囲気は察することができたのだろう。ルナリアは僅かに頬を染めると、わざとらしく顔を逸らして続きを食べ始めた。

 照れた。かわいい。

 取り繕うように、ルナリアは小さな咳払いをした。


「そういえばさルネッタ」

「なんでしょう?」

「風邪ってのは……その、どういう感じになるのかな」


 彼女は少々困ったように眉をしかめて、


「何しろ私はなったことが無いのでわからん」


 エリスが同意するように頷いた。


「同じくです。辛いと聞いた程度」

「前にセラ……妹が高い熱を出したことはあるんだけどね。怪我を治すのとはわけが違うし、下手に魔術で弄ると悪化するしでまぁ大変だった。大変過ぎて妹はその時のことをほとんど覚えてないくらいだ」


 ぱちくりと、ルネッタはまばたきをした。

 ――なんとなく、そんな気もしたけど

 風邪を引いたことが無い。あっさりと言い放つその言葉は中々に凄まじいものだが、腕一本生やすのに比べれば簡単というべきか。

 

 そういえばとルネッタは思う。食も文化も、何もかも満ち足りているかのようなエルフの国。やたらと血の気が多いことを除けば理想郷の如き世界だったが、一つだけ明確に足りないものがあるらしい。

 

 彼らには、どうやら医療の技術が無い。いや、下手をすればその概念さえ無いのかもしれない。優れたものは失った内臓さえ作り出す強靭さと――己で維持できぬものは消えよという、強者の論理が生んだ価値観。

 

 最上位の強者の庇護下に居るとはいえ、所詮自分は弱者だ。その辺りのことを気持ち良く受け入れるのは、正直言って難しい。

 生まれてしまった暗い気持ちを押し殺して、ルネッタは静かに言った。


「頭がぼーっとしたり、とにかく体がだるかったり……咳や喉の痛みのほかに、間接がなぜか痛くなったりもします。特にどこがこう、というより全体的に辛い、というのが正しいかなと」

「ふーむ」

「今回のわたしの風邪は軽いものですから、一晩寝ただけでほとんど治っています。食事も十分すぎますし、暖かいベッドも……逆に、重い風邪の上に劣悪な環境が重なると、その……たかが風邪で死ぬこともあります。貧乏な地域ではそう珍しい話でもなかったかと」


 そこまで言ったところで、ルナリアが慌てたように食器を置いた。席を立つ。傍に来る。そしてぎゅっと抱きしめられる。甘い感触。優しい匂い。


「えっと、あの……!?」

「大丈夫か? 本当に大丈夫なんだよな? まさか、その、し、し、死んだり、しない、よな?」


 ほんの少しだけ体を離して、ルネッタの顔を正面から覗き込むように。同時にまくし立てるように彼女は言った。表情は息を呑むほどに真剣だ。


「だ、大丈夫ですよ。すぐに、それこそ明日の朝にはもう完全に治ってますから」

「……本当に?」

「本当です」

「うぅうぅうう」


 奇妙な、そして妙にかわいい唸り声を上げながら、もう一度ぎゅっと抱きしめられた。

 心配してくれている。本当に、心から。

 

 少しずるいかもしれないが、嬉しいと思うのは我慢できない。

 耳元でルナリアが言う。


「昨日は風邪もあって一人でゆっくりしたほうが良いかなと思ったけど……今日は一緒に寝ような」


 囁くような声に背筋がぞくりとする。頬ずりをしながら、彼女は続けた。


「大丈夫、寝るだけ寝るだけ。一応まだ風邪なわけだし」

「あ、えっと……でもわたしお風呂に入れてませんし、入るとしても明日の朝にしようかなと」


 まるで待っていたかのように、今まで静かに果物を食べ続けていたエリスが口を挟んだ。


「それなら、せめて後で体を拭いてあげますよ。じっくりたっぷり、丁寧に、綺麗に……んふふふ」


 悪戯っぽく笑うエリスの顔を見れたのは、僅か一瞬で。

 ルネッタの視界は白くて柔らかな何かに遮られた。その正体は――もちろんルナリアの巨大な胸なのだけど。

 彼女はルネッタを抱え込み、胸元に押し付けたままに言う。


「それは私がやりたい」

「いえその団長、少しは公平さというものをですね――」

「私がする……」


 声音はおとなしいが、決して譲らないという力強さも感じる。その証拠に抱きしめる腕がびくともしないし。

 エリスが――大きな溜息をついた。表情は無論見えない。


「はいはい分かりましたとも。その顔はズルイですよ本当に」


 返事と共に彼女の腕から力が抜けて、ルネッタの視界は自由になった。それでも最初に映るのは、彫刻も逃げ出すほどに整ったルナリアの顔なのだけど。

 彼女の瞳は、なぜか少し潤んで見えて。


「私でもいいか?」


 不思議とそんなことを聞く。断る理由なんて丸一日探しても出てこない。だからルネッタは頷いた。力強く二回ほど。


「……へへ」


 嬉しそうに、はにかむように。

 笑うルナリアの顔は、まるで少女のようだった。

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