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Elvish  作者: ざっか
第四章
94/117

ひとのめなければどこまでも


 現状はやや優勢である。少なくともエリス自身はそう考えている。

 正直なところ小指のみを引っ掛けてくる動作にくらくらと震えはしたものの、その後の接触で五分以上に盛り返した。後はこの勢いを維持することに注力するべきだ。

 

 静かな決意と共に、エリスとルネッタは廊下をぺたぺたと進む。壁は石だが、床は木。目に付く範囲に人影は無し。やはりこちら方面は夜に繁盛するのだろう。


「あの……」


 ルネッタの少し不安そうな声。少し俯き、上目遣いに彼女は続ける。


「個室というのは、こちら、なんですか?」

「そうですよー」


 彼女は白い布製のふわりとした服を纏っている。個室を希望する客に貸し出されるもので、当然エリスも同じ格好である。体や髪はある程度拭きはしたものの、当然水気と火照りは残っている。それがまたそそるのだけれど。

 

 ちなみに部屋への案内はエリスがこっそり断っておいた。この時間も攻勢に使うべきだと判断したからだ。

 いまだ落ち着き無く目が動くルネッタに、そっと手で触れた。彼女はびくりと僅かに跳ねて、伺うような瞳をこちらに。

 だからエリスは言う。


「丁度誰も居ませんよ」


 伝えて、微笑んで、ルネッタの手を握った。指を絡めて、対話するようにくりくり動かす。

 ルネッタは少し驚き、すぐにふにゃりと頬が緩んだ。ほんのりと照れて、その後隠すようにえへへと笑う。絡めた指に力が篭る。

 

 ――ああああ……

 かわいい。そりゃもうかわいい。このまま壁に押し付けてあらゆる部分を食べてしまいたい衝動を、奥歯をかみ締め耐えて、耐えて。

 

 ぺたぺたてちてちと通路を進んで、取っておいた部屋にたどり着いた。扉を開けて中に入れば、


「ここ、ですか……」


 どこか感心したような声音で、ルネッタがぽつりと呟いた。

 とりあえずエリスは頷きつつも胸を張る。本当のところ、来たのはまだ二回目なのだが。

 

 三方の壁や床は廊下と同じ素材であり、違いは置かれた椅子やテーブルくらいのものである。どちらも立派で、払った金に見合うだけの雄大さだ。とはいえ本番は運ばれてくる品物こそ、という話になる。

 

 部屋の右側だけは全面ガラス張りになっており、向こうにはこれまた立派なお風呂が堂々と。当然貸切である。食べてから浸かるか、浸かってから食べるか、酒でもあおりながらだらだらと浮かぶか。怠惰を貪れとまさに宣言するが如くだ。


「もしかして、お昼はここで食べるんですか?」

「ん、良く気付きましたねルネッタ」


 そりゃ分かりますよ、とでも言わんばかりの顔をするルネッタ。思わず頬をつつく。ぷにぷにと揉む。一通り反応と柔らかさを堪能した後、座るように促した。エリスも向かい合うように腰掛ける。大きな椅子はしっかりと柔らかく、それでいてきちんと水を弾く。

 さて準備も整った、給仕でも呼ぶかとテーブルの隅に触れたところで、


「あの」


 ルネッタが、なぜか控え目な声で言う。


「そっち、行っても良いですか?」

「場所交代します? 私はどっちでも構いませんけど」

「えっと、そうじゃなくて……」


 エリスが首を捻ると、ルネッタは少々視線を泳がせた後に、


「せっかくだから隣が、いい、な、て……えへへ」


 笑う。照れる。混ざりつつもきちんと言う。

 ――……おぉ

 効いた。腹に一撃喰らったかのように。


「いっ……良いですよ。ほら、はやくはやく」


 余裕があるように振舞う。幸い椅子は広く、二人どころか四人五人と座れそうである。ルネッタは照れ笑いのまま立ち上がると、エリスの隣へと座りなおした。

 

 近い。広いが近い。太ももが触れ合うような、肩や二の腕なんて触れてるような。愛らしさに溢れた彼女は、やや上目遣いにこちらを伺う。指が軽く触れれば、どちらからともなく絡め合う。

 

 エリスは小さく深呼吸をした。やや押された。ここは流れを変えようと思う。テーブルの縁へと触れて、魔力を流した。これで光が向こうまで伝わり、従業員が来るはずである。


「どういうの、食べたいですか?」

「あ、えっと……お任せ、します」


 そりゃそうか、とエリスは思う。知らない店なので当たり前の話である。

 すぐにやってきた給仕に、適当な料理を注文した。絡めた指は一応解いたが、距離と場所は変わらずである。もっともそれを見ても表情一つ変えないあたり、良く教育されているようだ。

 

 ルネッタの柔らかな肌をそっと撫でたり、耳たぶをはみはみと甘く噛んだり、ぷるりとした唇をおいしく頂いたり。ルネッタはルネッタでこちらの胸を優しく触ったり、谷間に顔を埋めたままぎゅっとしばらく抱きしめあったり。

 

 そんな時を過ごしていれば、食事の待ち時間などあっという間である。ノックの音でルネッタは跳ね起き、互いに荒い息のまま給仕を部屋へと迎え入れた。どすんどすんと威勢の良い音と共に、テーブルを埋めつくすほどの料理が並べられていく。

 給仕が並べ終わり、部屋から出て、そうして再び二人になった。


「こっ……えっと……ずいぶん、多い、ですね」

「そうですか?」


 ルネッタは呆れを通り越して恐怖さえ抱いているように見える。

 確かに、せっかくだからと大目に注文したのは確かだ。幸い臨時収入のおかげで懐に余裕はあるし、ならば美味い食事で腹の全てを満たしたいと。

 

 仮にルナリアと二人であればまるで足りないくらいなのだが、そういえばルネッタは驚くほどの小食なのであった。


「ま、好きに食べてくださいね。私もそうしますので」


 そう言って、エリスは森豚の香草焼きにナイフを突き立てた。口へ運び乱暴に食いちぎれば、広がる肉汁と確かな歯ごたえ。臭みは香草が見事に消している。うまい、と単純に思う。

 

 肉を咀嚼しつつパンを手に取り、細かく千切る――なんてことはせずに丸ごと食いついた。食事なんてものはこんな態度のほうがおいしく感じるものだ。貴族同士の上品な作法などクソ喰らえだと常々エリスは思っている。

 

 追加の肉を口へと放り込みつつ、手元にグラスを引き寄せる。それに火酒をどぼんどぼんと勢い良く注いだ。肉の味が残るうちにごぼりと流し込む。喉を焼く感触。腹に篭る熱。鼻に抜ける香りは極めて芳醇で、それがまた素晴らしい。

 

 躊躇無く二杯目。躊躇無く一気。どうせ酔うにはビンで四つ五つとかかるのだ。久しぶりの贅沢なのだから、遠慮など無用だとエリスは思う。


「だ、大丈夫ですか? そんなに強そうなの……」


 心配そうにルネッタが言う。彼女は何を食べているのかと思えば、大皿に盛られた真っ赤なパスタに悪戦苦闘しているところのようだった。


「ぜーんぜん平気ですよ。この酒だけで倒れるまで満たそうと思ったら、先に財布が空になりますし」

「なる、ほど」


 なぜか少し引いているように見える。このあたりは酒好きとそうで無い者の差なのだろうか。

 そうしてパスタをもむもむ食べていたルネッタが、ふと、


「あの」

「ん?」


 口いっぱいに詰め込んだ牛肉のトマト煮込みをやや強引に飲み下して、エリスは言葉を返した。


「どうしました?」

「その、ルナリアさまの、ことなんですけど……」


 はて、と思う。ルネッタの声音はか細くて、表情はやけに暗い。楽しい話題では無いとすれば――思い当たるのは一つのみか。


「心配ですか?」


 ルネッタは小さく、しかしはっきりと頷いた。

 食器を置いて、頬を人差し指で擦る。心配の一言に、幾つもの意味が篭められているのは確かなのだけど。

 エリスは口を開いた。じっくりと、言葉を選びながら。


「団長が……団長は、少なくとも私が知る限り負けたことがありません。幼少期は死にかけるような訓練を繰り返していたと聞いてはいますが、両親が『一人前』と認めたその時から今に至るまで、一対一ならば無敵だったはずです」

「なんとなく、それはそうだろうって……思ってました」

「それだけの力を持った団長を正面から破った敵も恐ろしいですが……何よりも、団長自身が心配と。不敗を続けてきた彼女は、一度の敗北が致命に届く傷となりえるかもしれない。そんなところですか」


 小さく一回、大きく二回。ルネッタは真剣な顔で頷いた。

 それはエリスとて同感である。強固に育った幹だからこそ、僅かなほころび一つで根元から崩れ落ちるのではないかと、考えなかったわけでは無い。

 しかし、と思う。


「大丈夫だと思いますよ」


 酒を一口、そして続ける。


「幼少期まで含めれば不敗というわけでもなく、何より団長は己の力を拠り所にしているようには見えません。正確に言えば、持った力にさして興味も無ければ、誇りにも思っていないと。負けたことは衝撃かもしれませんが、だから折れるというのは考えづらいですね」

「そう、なんですか?」


 エリスは頷く。それなりに長くルナリアを見てきたが、彼女が己の強さに特別拘っているようには感じられないからだ。戦うのが嫌いというわけでもなければ、接触さえ恐れる極度の平和主義でも無い。ただあるものを使っている。力は増やすのではなく増えていくもの。

 

 真から理解しているわけでは無いけれど、エリスはそう捉えている。心根から力に拘る己とは決定的に違うことも。

 半分納得、半分不満。そんな複雑な表情で、ルネッタは俯いている。その頬に、エリスはそっと手を当てた。彼女がこちらへ顔を向ける。瞳はほんのり潤んで見える。


「でもねルネッタ」


 少し距離を詰めた。


「あなたがそうして心配してくれることを、団長は凄く喜ぶはずです。誰かに心配されることさえ珍しい立場であり……その相手がルネッタだというのなら文句のつけようも無いでしょう。きっと言葉に出来無いほど嬉しいと思います」

「うれ、しい、ですか?」


 しっかりと瞳を見つめたまま、エリスは頷いた。先ほどよりも大きく、はっきりと。

 手を離し、距離も元に戻す。ルネッタは再び軽く俯いて、小声でそっと呟いた。


「嬉しい。よろこんで、くれる」


 かみ締めるように繰り返してから、


「えへへ……」


 笑った。本当に子供のように、欠片の邪気さえ感じないほどに。自分には一生こんな笑顔はできないなとエリスは心から思う。

 

 ――はぁ

 それを横目で見つつ、食事を再開した。かわいい。やや照れの残る笑顔は宝石のようだとさえ思う。こんなにもかわいい娘にこんなにも強く思われて、なんとルナリアの幸せなことか。

 

 嫉妬は、そりゃ、まぁ、ある。愛しさのほうが遥かに大きいから平気だけれど。

 山とあった食事も一通り腹に収めた。量的な意味での満足度は八割といったところだが、味に関しては文句の欠片も無い。後は残しておいた果物と酒で終わり、といったところだが。


「エリスさん」


 呼ばれる。顔を向ける。ルネッタは――なぜかにへへと笑うと、果物を一切れ手でつまんだ。それを小さな唇にすぽっとはめて、


「はむっ」

「んむっ!?」


 そのまま口づけをされた。柔らかな果物は口の中であっさりと溶けて、酸味と甘味を存分に口内に解き放っていく。深く深く味わってから、ルネッタは離れた。

 彼女は笑っている。今度は少しだけ、そして似合わないくらい妖艶に。


「前のおかえし、です、よ?」


 そこでついに羞恥が来たのか、顔を俯けふらふらと左右に揺れる。波を乗り越えたルネッタは、じ、と上目遣いでこちらを伺い、再び照れくさそうにえへへと笑った。

 

 ――これ、は、もう

 エリスは――ごろりと椅子に倒れた。そのまま己の膝を抱える。幸い広いので、こんな姿勢も平気で取れる。だからなんだという話である。


「ど、ど、どうしたんですか!?」

「もーいいーですよ私の負けで……」


 明日からどうなるかはともかくとして、今日は無理だ。完敗である。今のルネッタを越えるだけの攻めは到底思いつかない。


「ただーしっ!」

「ひゃっ!?」


 エリスは勢い良く跳ね起きた。驚き退いたルネッタを、そのまま椅子へと押し倒す。専用に作られた椅子は水を弾くがあくまで柔らかい。これならなんでも出来る。

 やや怯えたようなルネッタに、しかし容赦などせず唇を奪う。


 深い口づけをしつつ、エリスの右手はテーブルの上を探った。そして見つけた。


「ぷぁっ……ふふ、ふふふ、覚悟するんですよルネッタ」

「えっ……えっ……?」


 手にしたワインのコルクを指で引っこ抜くと、その先をそっとルネッタの胸元へと向けた。


「きゃんっ!?」


 血の様に赤い雫が、ルネッタの白い肌を汚していく。とぽとぽと容赦なく流れる赤い河に、エリスは顔を近づけた。


「平常時ではあなたの勝ちです。それは認めます。ええ、私の負けですよ。しかしここからは話が別です。絶対に許しません」

「え、ちょ、何を言って、やって……」


 まずはお腹の辺りから、ルネッタの体を伝うワインをエリスは追った。執拗に、執拗に、下の肌ごと取り込むように。


 匂いか、あるいはエリスに残った酒だけで酔ったのか。既にルネッタの顔は赤く、息は荒く、目はとろんと蕩けている。

 酒はまだまだある。ルネッタの体内に入った分は後で解毒すれば大丈夫。そしてこのタガの外れた状態に勝たなければ意味も無い。

 ルネッタの首筋を甘く噛みつつ、エリスは自分でも良く分からない決心を固めた。




 酒を使い果たしても行為は止まらず、そのまま備え付けの風呂まで使い、時も忘れるほど貪って。最後は二人で重なったまま少し寝て。

 ようやく一息ついた二人は、肩を並べて湯船に使っていた。

 

 隣の部屋はそれはもう酷い。どろどろのぐちょぐちょに汚れ放題、椅子には何種類もの酒がしみこむように広がってしまった。

 ――んまー、こういうのも込みのお値段なわけだし

 しょうがないかとエリスは思う。だってそういう場所なのだ。


「うぅ……」


 ルネッタが呻いた。思わず尋ねる。


「まだお酒残ってます?」

「いえ、それは大丈夫ですけど……その」


 ちらり、とこちらを見る。その目は止めて欲しい。もう一度したくなってしまう。


「さすがにやりすぎ、ですよ」

「えぇー……そんなこと言って、ルネッタだって途中から随分と――」

「や、やめてくださいよもうっ!」


 口を押さえられた。むう、とエリスは唸る。本当に後半なんてルネッタのほうが積極的だったくらいだというのに。確かに、酒の力もあるんだろうけれど。

 口から手を離してくれないので、エリスはそれをぺろりと舐めた。


「ひゃっ……もうっ」


 驚いたように離れて、責めるような目をこちらに。けれど頬はわりと赤い。

 ――うん

 今日は来て良かった。本当にそう思うし、同時にこれだけ好き放題すれば当然だろうとも思う。

 風呂から上がり、持ってきてもらった代えの服へと着替えて、最初の脱衣場へと戻る。その途中に、


「また来たい、です」


 少し遠慮がちに、けれどはっきりとルネッタはそう言った。エリスはもちろんにこりと笑い、当然ですよと返事をしかけた、まさにその瞬間だった。


「くちゅん」


 それはあまりに可愛らしい、けれど確かにくしゃみだった。

 風邪の予兆なのだと分かったのは、翌日の朝、ルネッタのおでこが妙に熱いと気付いた時だったのだけれど。

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