帰ってまずはごめんなさい
あくまで平らに、真っ直ぐに。
一直線にたどり着けるその設計は王城というよりも宮殿のそれであり、複雑に入り組んだ権力を容易く想像させる造りになっている。
美しい廊下、厳かな城内。靴で踏んでも即座に理解できる高級な絨毯を、ルネッタは一歩一歩と進んでいく。周囲を頼もしい仲間に囲まれながら。
無言で進むその間に、数日前のことを思い出す。
ルナリアの腕が喰われた、あの時のことを。
ルネッタは泣いているだけだった。
片腕を失い、血まみれ傷だらけで倒れ付すルナリアに駆け寄ることさえ出来ず、地面にへたり込んでぽろぽろと泣く。
それでも、やはり彼女はルナリアなのだと実感できたのは直後のことで。
時間にすれば僅か数分で、彼女はむくりと起き上がった。白の礼服はズタボロに引き裂かれ、体中を真っ赤に染めてはいるものの、傷はもう塞がったらしい。
けれども腕は治らず、表情も硬く。
そこからは人目につかぬように仮宿まで急いで戻った。
何が起きたか、誰にあったか、説明したのはエリス相手のみだ。
即座に用意されたのは代えの服と、テーブルを覆いつくすような食事。ルナリアはひたすらそれを食べた。もはや牛でさえ食いきれぬほどの膨大な量を無言で口へと運んでいた。
およそ一時間ほどは食べていただろうか。彼女は満足げに息を吐いて、だらりと足を投げ出して――そしてルネッタは気付いた。失ったはずの片腕が、もう綺麗に戻っていることに。
ルネッタはそれほど驚かなかった。彼女が怪物染みていることなど飽きるほど見てきたし、いわゆる『異常』の基準を知らないからだ。自分はそもそもエルフでは無いのだから。
ただ一つ。
あっさりと腕を生やした彼女に、まさに神か悪魔でも見るような目を向けたエリスの顔だけは、嫌と言うほど印象に残った。それはほんの一瞬のことではあったけれど、少なくとも『暖かな瞳』では無かったからだ。
しかしそれには三人とも触れず、一つの決め事だけが後に残った。
今日の出来事は、胸の中にしまっておく。騎士団の仲間にも、国王相手にも、欠片も話さず隠し通す。
理由は言ってくれなかったけれど、幾つか想像はついた。もちろん反対なんてするはずが無い。
結果として――隠し通したことにより――休日は平和に終わった。セルタの混乱もある程度収まり、騎士団は夜のうちに仮宿を引き払うことになった。出来る限り早く王へと報告をするために。
もはや傷の面影さえ無い団長に、穏やかな顔の隊長達。連れてきた団員には幸いほとんど欠員も無く、綺麗なままに王都への帰路につく。特筆すべきことがあるとすればただ一点、同行者のことだろうか。
豪奢な馬車、複数の護衛。しかし皆顔にはまるで覇気も無く。それも当然だろうと思う。何しろ彼女――つまりエレディアは自ら王へと告げに行くのだ。セルタの地を維持することが、不可能になってしまったことを。
「ルネッタ」
小さな声は、ルナリアのものだ。思わず背筋を伸ばしてそちらを見れば、彼女は柔らかく微笑んだ。
「そう緊張するな。後ろで皆と並んでいるだけで良いから」
「……はい」
ルナリアが前を向いて、一歩、二歩。そして扉が開かれる。
長く伸びた絨毯に、広々とした空間。輝くように美しい壁際には、十数人のエルフの姿がある。正面には、二人。
王の間。初めてでは無いのに、呼吸が苦しい。
進む。共に居るのはルナリア、エリス、ジョシュア、ラクシャ、そしてエレディアと側近の一人。つまりはセルタの乱における重要な者達だ。部屋の中央で皆が立ち止まり――二人だけがそのまま前に出た。
それは代表者であるルナリアと、今回の乱に関しては最重要であるエレディアだ。
二人は王の前で膝をついた。
「ただ今戻りました」
王は即座に言葉を返さず、僅かに眉をしかめたのみだった。
重々しい沈黙が部屋を包む。それを破ったのは、やはり王だ。
「下手を打ったな。ルナリア殿にしては珍しいほどの」
「……はっ」
リムルフルト王は、小さく顎を掻いた。
「結局は正面からのぶつかり合いとなり、セルタの兵と反乱軍双方に多数の死者。これは良い。仕方の無い面もあろう。その後の市街戦とて同じことよ。だが……」
眉が、ぴくりと、あがる。
「老大樹の消失となれば話は変わろうというものである。聞いた限りでは、回避するだけの余裕はあったように思えるが?」
「はい、これは私の落ち度です。弁明の言葉もございません」
「ふむ」
王の目線が、ルナリアの隣で震えて固まるエレディアへと注がれた。
「樹の状態はどうか」
「は、はい……それは……幹や枝葉は再生可能な範囲なれど、根幹となる球が丸ごと消失している状態でございます。新たな核を埋め込む以外に、もはや治す手は存在しないのでは、と……わ、私エレディアは考えます」
大きな大きな溜息をついて、王は天を見上げた。体から力が抜けているかのようにも見えるが、表情は硬いままだ。
彼は、言う。
「ルナリア殿、何も責任をそなた一人に被せるつもりは無い。しかし大樹の消失は街の消失、領地の消失も同じこと。努力したが至らなかった、では済まぬものよ。手を打ち間違えたとなればなお更である」
「心得ております」
姿勢を戻して、瞳に強い光を輝かせて。
王の下す裁きにも似た言葉――それを遮ったのは突如駆け込んできた文官の声だった。
「へ、陛下!」
「何事だ、今がどういう時か分かっておるのか!」
応えたのは王ではなく、壁に控えていた一人のエルフだ。
文官はそれどころでは無いと言った様子で、王の傍まで急ぎ近づいた。
リムルフルト王が、不愉快そうに顔を歪めた。
「何だ」
「そ、それが……その……」
顔つき一つで、察したのだろうか。
「客か」
「はい、すぐにでも陛下にお会いしたいと、そこに」
「待たせておけ」
「しかし」
言い争いを無視するかのように、背後の扉が再び開いた。
ルネッタは肩越しに振り返る。エリスやジョシュアも同じように、それどころかルナリアやエレディアさえ同じように。
王も含めた全員の視線が、その来訪者に釘付けとなった。あるいは、吸い込まれたのかもしれない。
「あら失礼。わたくし待つのはあまり好きではありませんので」
蒼い髪は、歩くだけでさらりと揺れる。
ともすれば少女に見える童顔に、娼婦が逃げ出すほどの体つき。服はエレディア同様半裸同然だというのに、下品さを幻想が打ち消すように。
古老の一人にして、最高権力の一角。
「アンジェ・レム・ライール老。このような東の地まで、遥々良く来てくださった」
先ほどの言葉など無かったかのように、王は作り笑顔でその『少女』を迎え入れた。
躊躇など毛ほども感じない――それどころか自分が主だと言わんばかりの足取りで、アンジェは絨毯を踏みしめさくりさくりと部屋の中央へと。左右を固める二人の女護衛は、当然ルネッタも見知った顔だ。
彼女はついに跪いたままの二人さえ追い越すと、王の三歩手前まで進んでしまった。
「ご機嫌麗しゅう、リムルフルト陛下。こうして直接お目にかかるのは何年ぶりかしら」
「はて、あれはいつだったか……しかしライール老はいつ見ても大変お美しい。固定化の見事さなど眩暈がするほどよ」
「ふふ、お上手ですこと。さてわたくし、待たされるのはもちろんのこと、回りくどいのも好きではありませんの。故に早速本題に入らせていただきますわね」
「本題とは」
アンジェは僅かに腰を捻り、右手を掲げた。どこか芝居がかっている。
「セルタの地が――正確に言えばセルタの老大樹が死んだと」
「さすがにお耳が早い。どこから伝わったのか尋ねたいほどだが……その通り。かの地の老大樹はその心臓たる核が焼け消えてしまったようだ」
「そのようですわね。だからこその提案を」
呼吸を一つ挟んで、
「核を差し上げますわ」
「……いま、なんと?」
「ですから、老大樹の核を一つ、差し上げますわ。ラナティクシア製には少々劣るかもしれませんが、決して質は悪いものではありません。それに贅沢を言える状況とも思えませんもの」
王は小さく唸った。
「即答しかねる」
「あら、どうしてかしら」
「ご存知の通り、老大樹の核は極めて貴重である。東側では作り出すことさえ不可能なのだ。金にも勝る、まさしく国宝とでも言うべき品をくれてやるなどと言われれば……裏を考えたくもなるというもの」
「正論ですわね。けれど樹の再生を考えるならば可能な限り早く核を埋め込まねばなりませんわ。手遅れになれば一から育てるも同然となり、年を超える時が必要となります。それではセルタは滅ぶのとなんら変わりません」
「意図を探る余裕など無いと、そうライール老はおっしゃるのかな」
くすくすと、アンジェは笑った。
「そう警戒しないで。わたくしとて何も『ただ』であげるとは申しません。条件は簡単ですわ。セルタで作られた食料品を、ライール領へと優先して回していただきたい。とはいえあくまで売る分、余った分でかまいませんの。東の地に行き渡らせた、さらに後をくださいなと、それだけのことですわ。もちろん代金はきちんと払わせていただきます……ディア」
アンジェが左手をそっと差し出すと、ディアが懐から紙を取り出しその手に渡した。アンジェはそのまま、紙を王へと手渡す。
王は受け取り、視線を奔らせ、息を吐いた。
「して、セルタはライールのものが治めると、そういうことかね?」
「まさかまさか。わたくしはあくまで助けを出すのみ。領地を寄越せなどと……やはり領主という立場は、慣れているものが一番かと考えますの。ねえ、エレディア候」
「……えっ……あ……う……」
急に話を振られたエレディアは、もごもごと言葉にならない呻きを吐き出すので精一杯のようだ。この辺りだけは、ルネッタにもいやと言うほど共感できる。
「セルタは今までどおりエレディア候に治めていただくのが一番かと。とはいえ今回の反乱、その発端も考えねばなりませぬし、良からぬ噂も聞こえてはおります。よって、わたくし直々に、彼女と『おはなし』をさせていただこうかと、そう考えておりますの。これでわたくしからの話は全て、かしら」
アンジェの言葉にざわめき出したのは、壁に控えていた文官達だ。あまりに突然すぎる提案なのだから、当然といえば当然なのだけど。
そんな喧騒の中、横からぽつりと話声が聞こえた。
「上手い手ですねぇ。断る理由が無い」
「そっすね。どれだけ悪意があろうと核はそれ以上に貴重で、一応の体面もエレディア候がそのまま治めるって時点で解決してるわけで」
「そしてライール老としてはエレディア候を取り込んでしまえば解決ですか」
ジョシュアとラクシャが、こっそりそんなことを言っている。
「わかった」
王の言葉に、部屋を包んでいた喧騒が消し飛んだ。
「核はありがたく頂戴する。そのほかの条件も全て飲ませていただこう」
「感謝しますわ、リムルフルト陛下」
アンジェはくるりと振り返ると、背中越しに王に伝えた。
「では終わるまで外で待っていますの。邪魔をしてしまい大変申し訳ありませんでした」
彼女はふたたび絨毯をさくりと踏んで歩き出す。
そのままずっと跪いたままだったルナリアの横でぴたりと止まり、
「無様ですわね。もし行くところが無いなら声をかけなさいな。掃除係程度には使ってあげますわ」
返事も待たず、彼女はさくさくと歩いて――あっという間に出て行ってしまった。
その言葉に、だろうか。王は顔を歪めている。明らかに今日見た中でも最大級の不快が顔に出ていた。
またぽつりと聞こえる。今度はさらに小声で。
「いーやな一手ですねぇ。正直助かりましたけど」
「んまーこれであんまり酷い扱いは出来なくなりましたね」
「苛めて逃げられたら最悪でしょうし、ね」
ぽつりと、ジョシュアが続けた。
「……ライール直属軍軍団長、ルナリア・レム・ベリメルス」
「おぉ、おっかねぇ……そんなことになったら国をひっくり返し始めますよ、あの姫さま」
「まったくです。私はもう少し平和で居たいですよ」
聞こえないようなギリギリの音量で、底冷えするような内容をどうどうと。凄まじい神経の太さだとは思う。
王が大きな溜息をついた。重く、深く、何かを吐き出すように。
皆揃って王の間から退出し、来た道をそのまま真っ直ぐ戻る。
途中、ルナリアが呟いた。
「しばらく騎士団としての活動を禁止する、ね……」
「罰としては軽いものでしょう。期間もそう長くは無いはずですし」
返したのはジョシュアだ。実際問題として街一つ潰しかけたわりには、謹慎処分でさえ無い。軽いというジョシュアの言葉はまさにその通りだとは思う。
エリスが言葉を挟んだ。
「前向きに捉えれば休みみたいなものですよ。そう考えれば気楽です」
「……お前は本当に図太いよな」
軽く肩を竦めて、鼻からぷすっと息を吐く。エリスはやはりエリスなのだと心から思う。
長い帰路を歩いて、歩いて、もうすぐ城から出るというところで、突然エレディアが足を止めた。
「あ、あ、あの……」
皆が止まって、そちらを見る。
「私はこ、これからライール様と、お、お、おはなしをしないといけない、ようなのですけれど……」
「そのようですね。とはいえ、あまり怯える必要は――」
ルナリアの返事を、なぜか彼女は遮って、
「でも、でも、正直言うと……その、怖い、わ……だから、だからね、えっと……ええと……」
一歩二歩と距離をつめると、彼女はなぜか、エリスの両手をぎゅっと握って、
「へ?」
「い、いい、一緒に、来てくれないかしら。不安で、だって、私……」
ぽかんと口をあけるエリスに、目を潤ませ頬を染めてじっと見つめるエレディアの姿。
――ど、どうなってるの
困惑の度合いは、けれどルネッタより他の皆のほうが大きいようだ。
「おまえ、一体何したんだよ」
「な、なにもしてない! 何もしてないって!」
口調すら変わったジョシュアの言葉に、同じように地の出たエリスが叫んで返した。ラクシャはなぜかくすくすと笑い、ルナリアは開いた口が塞がらないままのようだ。
事態を収拾したのは、どうやらずっと脇の庭に居たらしいアンジェ本人だった。いつのまにやらぬっと出てきて、流れを無視して言葉をかける。
「あら、終わりましたのね。それではエレディア候、軽い食事でもご一緒しつつ、かしらね」
「ら、ら、ライールさま!? あ、それは……はい、ええと……分かり、ました」
エレディアは名残惜しそうにエリスの手を放すと、アンジェに続いて城門から外へと出て行った。
途中、こちらを振り返り、まさしく泣きそうな瞳をエリスへと残していくのを忘れずに。
「結局第一印象なんてアテにならんもんだなー」
「そういう問題なんですかね、あれ」
ルナリアの気の抜けた呟きに、なぜか疲れたような声音でエリスが返した。
――むー
少しだけ、面白く無い。何がとはあえていうまい。
とにもかくにも、
「しばらく休みか」
ルナリアの言葉が、今何が大事なのかを表しているように思えた。