百合
死者の数は辛うじて許容範囲だが、首謀者は捕らえることも出来ずに死亡し、何よりも大事な老大樹は枯れて果ててしまった。最後の『鳥』の正体も掴めぬままだ。
勝利には程遠い。しかしそれでも事態は収束したのだ。だからこそエレディアは皆を労い、溢れんばかりの食事と酒が振舞われた。彼女の表情はまるでそれが最後の仕事のような悲痛さで塗り固められてはいたが、それで料理が不味くなるわけでもない。
騎士団の兵は神殿跡を舞台に、存分に飲み、食い、騒いだ。互いの生存を称えるように。
その席に、ルナリアの姿は無かった。
理由に多少の想像はつく。同時に思いつく居場所の候補が一個しか無い。だからルネッタは酒瓶一つを胸元に抱えて、仮宿に戻ってきた。
団長副長の相部屋の前で、深呼吸を一つ、二つ。
そしてルネッタはノックをした。
「失礼します」
返事は無い。扉に手をかけると――鍵は開いていた。少し悩んだが、ここで退いては始まらないと思う。だからルネッタは扉を開けて部屋の中へと入った。
居た。ベッドの上にぺたんと座り込み、視線はぼう、と定まらず。風呂から上がってそのままなのか、服装は僅かに下着をつけているだけだ。
彼女は目だけをちらりと動かした。
「ルネッタか」
声音は重い。思わず息を呑む。それでも、ここで帰るなら来た意味が無い。
「あの……みんな、向こうで食べてますよ?」
「ああ、うん、そう、だな……」
自嘲気味に笑って――それだけだ。動く様子は無い。
せめて酒瓶を差し出そうかとも思ったが、ルナリアの顔を見てしまったらとてもそんな空気では無く。
かといってこのまま立ち去ることなんてできるわけがない。
沈黙が辛い。ただ時間だけが過ぎる。ルネッタはただ、彼女の言葉をじっと待つ。内容は何でも良いと思った。
ぽつりと、
「最初の話し合いの場で、ウェールを殺しておくべきだったな」
漏らした一言は、余りに壮絶だった。返す言葉なんて思いつくはずもなく、しかし彼女は続ける。堰を切ったように。
「その後起きるであろう混乱も、地に落ちる私の印象も、老大樹が残せるのであれば安い代償だ。結局私の……菓子のように甘い判断で、やってきた結果がこれだ」
少し笑う。そして軽く額を押さえる。
――ルナリアさま、は
大きい話をしている。それなり以上に評価し、ある程度好感を持っているであろう相手を、罠にはめてでも殺しておけばよかったと。それはたとえば多数を救うために少数を殺すとか、自国のために隣国を襲うとか、その類のもので。
仮にも騎士団長、軍団の統率者であり、今回の戦の指揮者。そういえばと思い出す。彼女の最終的な目標は――国を丸ごとひっくり返すことだったか。
大きく、遠く、果てしない話だ。そして彼女は『そこ』に住んでいる。目も眩むような巨大なうねりが、彼女の生きる領域なのだろう。
ルネッタは唇を噛んだ。自分とは違う。何もかも違う。それはエルフだから、というのではなく。
大きなものを守るために、切り捨てられた自分などとは、根本から違うのだ。
膝が笑う。逃げ出したくなる。そして彼女の顔を見る。
――あ
そこに居るのは一人の、か弱く儚げで、震えが来るほど美しい、少女のようなエルフだった。
――うん
錯覚だ。彼女は欠片ほども弱くなんて無い。それでもこれで十分だと思う。そんな浅い勘違いが、ルネッタの足を進めてくれた。
彼女に近づく。一歩一歩と。酒瓶を脇において、彼女の隣へ。
ベッドに腰掛けて、投げ出された彼女の手に、自分の手を重ねた。
「……ん?」
なんだろうといった具合に、彼女は微笑んだ。笑みはまだ少しぎこちない。
息を吸う。息を吐く。そして言う。
「わたしは、見てました」
ぱちくりと、ルナリアはまばたきをする。ルネッタは続ける。
「ルナリアさまには、結果が全てなのは分かります。そうした立場に居ることは、わたしにだって十分理解できます」
手を握る。指を、絡める。
「でもわたしは見てました。どうすれば被害が減るか。どうすれば穏便に済むか。味方はもちろん、敵となった市民にも、出来る限り犠牲を出さずに済むためにはと。陛下に申し付けられたから、では無いですよね」
「……だが、死んだ。樹も消えた」
さらに近づいて、瞳を見る。宝石のような緑の瞳を。
「え、偉そうなことは言えません。所詮わたしの言葉なんて気休めにもなりません。でも、見てました。確かに見てました」
息が詰まる。でも、絶対に退けない。だから、
「ルナリアさまの居る場所に、綺麗事は無意味なようです。回りも皆そういうでしょう。だ、だから……だから、わたしは、わたしだけは見てます。犠牲を減らすために動き続けるその『途中』を……今回も、これからも、ずっと、ずっとです」
言った。言えた。体が震えている。深呼吸をしても、一向に収まってくれない。
彼女は、
――え……
顔を逸らした。俯いて、声も出さず。
ルネッタは唾を飲んだ。駄目、だったのだろうか。
「ルネッタ」
声。彼女は俯いたまま、空いた右手でぐしぐしと目を擦った。
「まさかお前に泣かされるとは……いや、それは失礼か」
ルナリアがこちらを真っ直ぐ見て――にこり、と笑った。光る目元にほんの少し紅い頬。輝く唇。綺麗。本当に、綺麗。
「は……ん……」
口づけは、自然に出来た。なぞるように優しく、ついばむように強く。そして一度距離を離す。
彼女が囁くように言う。
「傍で見てくれる?」
「はい」
「……ずっと?」
「ずっとです」
彼女はへへ、と笑う。純朴な少女のように。それは本当に久しぶりに見る、ルナリアの素顔のように思えた。
もう一度口づけ。。一瞬視界がぼやける。でもやめない。絶対にやめない。握り合った手を離して、彼女の背中へと回した。
二人の鼓動がまるで遠くから聞こえているように。
「ふぅ……」
ルナリアの手が伸びてきて、首筋を撫でた。するすると下り、シャツの中へと優しく進んで、止まる。
「えっと、ルネッタ」
紅い顔。唾を飲む。照れながら、彼女は言う。
「いい、かな」
「……はい!」
口づけをする。呼吸も忘れて。肌に触れる彼女の手がたまらなく気持ち良い。服を脱ぐと少し寒い。けれどルナリアの肌が触れた部分は、心地よいほどに暖かい。
全てを脱いで、絡み合ったままベッドに倒れこんだ。
ルナリアの体は、甘く、甘く、優しく、柔らかく。
それはたぶん、数十分程度の長さだったのだろうけど。
今まで生きてきた中でも、一番幸せな時間だった。
ベッドに二人、毛布に入って並んで寝ている。手を握り合って、脚を絡めたまま。密着しているので、当然彼女の胸は潰れてふにゃりと当たっている。それが驚くほど気持ち良いと同時に、自分にも同じ程度あればなぁと思う。
「なぁルネッタ、んと、その」
「はい?」
ルナリアは僅かに視線を逸らして、
「良かった、か? 知らんので、正直自信は無いんだが」
照れと不安が半々くらい。
そんな様子が少しおかしく、どうしようもなく可愛い。
「わたしだって分からないですよ。でも、その……幸せ、でした、よ?」
「そう、か」
彼女が笑う。それだけで愛しい。遠慮なんてもう必要無い。だからまた口づけをしようと思う。
動こうとしたその瞬間に、ノックも無しでばん、と扉が開いた。
「団長、だーんちょう。いーつまで落ち込んでるんですか。飲みましょうよ食べましょうよすりすりしましょ……う……よ……?」
両手に酒瓶。赤い髪。服装は鎧の下に着るような薄いもの。エリスと、目が、あってしまった。
彼女は不満げに口を尖らせたが、直後に表情が固まった。酒瓶が手から落ちる。幸い割れてはいない。
彼女はずんずんとベッドまで近づくと、毛布をめくって下から中を覗いた。
「なっ……!?」
驚愕に目を見開いて、一歩、一歩、後ろに下がり、
「ぜ、ぜ……全裸? え?」
全てを理解したエリスは、こちらを指差したまま動かず。
それでも段々と、段々と目じりに涙が溜まっていって。
「これは――」
「あーもうめんどくさい」
エリスの言葉を遮るように飛び出したルナリアが、彼女を掴んで隣のベッドに放り投げた。
驚きで埋め尽くされたかのように、ぱくぱくと動いていたエリスの口を、彼女は自分の口で塞ぐ。
他人のを見ると実感する。そして正直言うとドキドキする。こんなにすごいことを、自分は気軽にやっているのかと。
ルナリアが丁寧に、同時に素早く、エリスのシャツをするりと脱がした。零れる胸は西瓜のようで、隣で見ているだけでどきりとしてしまう。
ルナリアは深く覆いかぶさった。二人の大きな胸が潰れて重なる様は、もうなんというか、凄まじい。
一度、動きが止まった。ルナリアが、言う。穏やかに。
「嫌ならやめる」
エリスの返事には、一瞬の空白があった。
彼女の瞳から涙がぽろりと落ちて、ほとんど叫ぶように、
「いやなわけないでしょ、ばかぁ!」
貪るような口づけをした。すごい。とても見ていられない。
ルネッタは自分の服を探した。完全に『始まって』からだと動くことさえ躊躇しそうなので、今のうちだと思ったのだ。
「ルネッタ」
ルナリアの声がした。見ると、目が合う。それはルナリアだけではなく、林檎のように赤い顔をしたエリスも、同じようにこちらを見ている。
ちょいちょいと。
ルナリアがまるで手招きするような動きをした。
その意味は、分かるのだけど。
思わずエリスを見た。彼女は瞳に涙を浮かべたまま、こくり、と小さく頷いた。
――いいか
そういえばと思う。自分達は、ずっとそういう関係だった。傍から見たら奇妙なほどの。
隣のベッドまで動く。全裸というのは、こんな動作でさえ緊張するのだなと。
三人分の重みを受け止めたベッドは、ぎしり、と重そうに鳴いた。
ずりずりと動き、手を握り、肌に触れて。
そして横からエリスに口づけをした。深く深く。
彼女が照れて、仄かに笑う。それがとても可愛くて、深い口づけをもう一度。
歪んでいる。人の価値観からすれば、あるいはエルフの価値観からしても。それで良いと、心から思う。
エリスの体も、ルナリアに欠片も劣らないほどに、優しく、柔らかく、そして、蕩けるように、甘かった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
長々と続いた第三章的な話もこれにて完結となります。
ある意味今までで一番大きな区切りと言えますが、楽しんでいただけたのであれば幸いです。
感想などいただけると飛び上がって喜びますので、気が向きましたら是非是非。
それでは、まだまだ続くElvishをどうかよろしくお願いします。