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Elvish  作者: ざっか
第三章
87/117

終局


 その『鳥』が遥か頭上を通り過ぎた。ただそれだけで突風が巻き起こり、あたりの草をごうごうと揺らす。

 ――ひ

 ルネッタの口から漏れかけた悲鳴は、抱きしめる感触が止めてくれる。


「あれは……いや、考えるのは後か」


 敵を見上げるルナリアの表情は険しい。未知の敵、胸元には足手まとい。状況は余りに最悪だ。

 『鳥』はぐるりと頭上を周回すると、十分すぎる距離を維持したまま、羽を動かし空中に留まった。

 

 正に神話から抜け出てきたような、あまりに馬鹿げた生き物を前にして、ルネッタはごくりと唾を飲んだ。

 体はあの『犬』と同じように、墨で染め上げたような漆黒だ。筋肉質な巨体を覆うのは肉食の獣のような薄い体毛であり、とても空を飛ぶ類の生物には見えない。二本の前足、同じく二本の後ろ足も明らかに猛獣のそれで、だというのに背中から生える翼は鷹を思わせる壮大さを備えていた。

 

 『鳥』が――吼えた。耳を劈くような轟音は、低く、低く。やはりそれは獣の声だとルネッタは思う。現実感の喪失に頭がくらくらする。倒れてしまわないのはルナリアが隣に居てくれるからだ。

 彼女はそっと体を離すと、敵との間に立ちふさがるようにして、斧槍を構えた。


「離れるなよ」

「……はい!」


 斧槍を強く握り締めて、欠片も臆さず敵を見据える姿は頼もしい。

 しかし、と思う。

 敵は空を飛ぶのだ。斧槍で捉えるのは相応に困難ではないかと。

 

 初撃は、やはり敵からだった。

 その黒い『鳥』は翼で何かを絡め取るかのように、大げさなほどに身を捩った。ごうごう、ごうごう、と嵐のような音と共に――鳥の目の前には視認できるほどの風の塊が生まれたのだ。

 これは、


「まずい、か」


 ルナリアの声は、硬かった。

 風弾が放たれる。

 凄まじい速度で空中を突き進んで、死を乗せた塊は一直線にこちらにやってくる。

 

 手を伸ばせば届く距離、まさに眼前までたどり着いた風の弾は、ルナリアの張り巡らせた防御壁とぶつかり合った。

 巻き起こされる暴風が地面を抉り、草を散らし、防御壁の外へと恐ろしい破壊の爪跡を刻んでいく。

 その威力はついに壁を越えて、雪崩れのように圧力が押し寄せて。


「きゃっ!?」


 風が彼女の脇を抜けて押し寄せる。まともに抗うことも出来ず、ルネッタの体は木の葉のように吹き飛んだ。

 地を転がる。衝撃で息が詰まる。体中に痛みが奔る。しかし傷はほとんど無い。

 

 地面に倒れたまま顔をあげた。涙で滲んだ視界には、二発目の風弾を左手一本で押さえつけるルナリアの姿。

 距離は相当に離れてしまった。巻き込まれる心配は薄いが、同時に守ってもらうのも不可能だ。

 

 ――ひ

 鳥の瞳がぎょろりと動いて、ルネッタを捉えた。遅れて顔もこちらに向く。真っ直ぐと。しかし、


「……え?」


 敵は再度顔を戻すと、ルナリアを睨みつけた。敵意に溢れたその表情はとても獣の物には見えない。

 あっさりと目標を戻したその姿は、ルネッタを脅威ではないと判断した――というよりも、まるで興味が無いように感じた。おまえなどどうでも良いと、冷たい瞳が訴えるようだ。

 

 再び風の弾。ルナリアは空いた左手で受け止めると、そのまま斧槍で真っ二つに引き裂いた。


「遠くからだらだらとっ!」


 彼女は低く言って、左手を突き出した。

 空気が帯電する。ばちばちと恐ろしい音がする。

 そして放たれた雷の奔流は――鳥に届かず消えてしまった。あれも魔術の壁、なのかもしれないがルネッタが見ても異常な強度だ。


「だろうなぁ……」


 舌打ちするルナリアの表情には、明らかな焦りが見えた。

 ――逃げたほうが良いのかな

 体は痛いが、動く。ここに居れば再び足手まといになってしまうかもしれない。けれど動けば敵が反応するかもしれない。

 

 目の前では、先ほどの光景が繰り返されていた。風の弾。雷。轟音、光。そして硬直。

 ルネッタの逡巡を破ったのは、やはり聞きなれた声だった。


「団長!」

「エリスか!?」


 ルナリアは振り返らず、敵を見据えたまま、それでも声音は明るくなった。


「なんですかこいつ」


 純白の鎧、赤い髪。もはや飛ぶようにして駆け寄ってくる彼女は、奇妙な箱を持っていた。いや、大きさを考えると棺桶というべきかもしれない。


「知らん! 敵だ!」

「そりゃ見れば分かりますけどね」


 エリスはルナリアの近くに降り立つと――笑った。笑ったのだ。


「いやー私の勘も大したものですよ。後でなでなでしてくださいよ」

「何の話だっ」


 彼女は棺桶を地面に転がすと、ルナリアの前に出た。剣を構え、全身は仄かに発光している。


「私がしばらく防いでますから、そいつを」

「……分かった」


 再び風弾が放たれる。エリスは壁で一度止めて、剣で根こそぎ吹き散らす。

 ルナリアは棺桶に手をかけると、一気に蓋を引き剥がした。


「こいつは」

「準備は済んでますよ。後は使うだけ」


 軋むような重い音と共に『ソレ』が箱から引っ張り出される。

 ――へ?

 ルナリアは、静かに、構えた。先端を鳥へと向けて、腰を落とす。とはいえあくまで左手一本しか使っていないけれど。

 エリスが言う。


「フラガス・レム・ライール特製、砕岩火薬式連装クロスボウ、だそうです。試し撃ちには最高の相手じゃないですか」


 大きさはもはやちょっとした攻城弓。特大の長銃を思わせる銃身が三本に、先端には鏃が見える。握りはあるが、引き金は無い。当然だが弦など無い。

 余りに馬鹿げた、そしてルネッタの持ち込んだ人の技術に、エルフの魔力を足した兵器を、彼女は真っ直ぐ『鳥』に向けて。

 放った。

 

 大砲のような轟音と共に、小ぶりな槍の如き矢が弾丸の速度で飛んでいく。

 一本目が左の羽を、二本目が右の羽に、そして最後の矢が胴体を貫通して血と臓物をあたりに撒き散らす。

 

 獣の顔は、呆けていた。防御壁が抜かれたことが不思議なのだろうか。だってそれは当然だと思う。着火の部分はともかくとして、放たれたのはあくまで矢だ。魔術では、無いのだ。

 ひゅるりと落ちてくる鳥に向けて、エリスが勢い良く地を蹴って、


「そーら」


 振り下ろされた漆黒の大剣が、瀕死の獣にトドメを刺した。

 血が溢れ、痙攣し、霞となって宙に消える。

 ルナリアがだらりと石弓を下ろして、呟いた。


「あいつめ、とんでもないもの作ったな……」


 あまり、嬉しそうには、聞こえない。

 エリスがくるりと振り返って、言った。


「終わりですかね?」

「たぶん、な」


 あたりは、静かだ。せいぜい風が草原を撫でる音しか聞こえてこない。内乱も戦も全てが嘘だったのではないかと。

 そんな錯覚をあざ笑うかのように、視界の向こうにはやせた枯れ木のようになった老大樹の姿があるのだけれど。


「おっと」


 エリスがこちらにかけてくる。地面に座り込んだままのルネッタを、そっと抱き起こすように。


「無事でしたね。良かった……本当に」

「……はい」


 深く深く笑うエリスの顔は、言葉を失うほどに美しくて。

 そこでルネッタは気付いた。エリスの鎧に刻まれた無数の傷、乾いてこびりついた大量の血。

 彼女もまた、凄まじい戦いを超えてきたのだ。生きて会えることを喜ばないといけないほどのものを。

 

 巨大な石弓を草原に放り出して、斧槍にもたれかかるように力を抜いて、ルナリアはぼそりと言った。


「終わり……そう、終わりだよな」


 それを聞いたエリスも、やはり眉をしかめて唇を噛んだ。

 終わり、なのだ。勝った、では無いのだ。


「反乱軍はどうしてる?」

「おとなしいものですよ。残った言葉に従うのが彼らの性分なのでしょう」

「そうか」


 空虚な返事。吹くのは風の音ばかり。

 ふと、エリスが顔を動かした。草原の向こうからやってくるのは――騎士団の面々だ。さすがに全員とは行かないようだが、それでも数十人の武装兵がこちらへと小走りで駆けてくる。

 

 ――あ

 思わずルネッタは立ち上がった。見つけた。見つけたのだ。驚くエリスにも構わずに、ルネッタは走り出す。

 皆が自分を見る。普段なら身が竦む。今はそれさえ気にならない。

 走って、走って、たどり着いて、荒い息をどうにか抑えて、ルネッタは言葉を搾り出した。


「はぁ、はぁ……カルラ、さん」

「おー、無事だったんだねぇルネッタちゃん」


 にこりと微笑むその顔には、疲労の色が濃い。見たところ傷の一つも無いが、服や皮鎧には無数の切り傷が刻まれていた。

 これらは全てルネッタを逃がすために負ったものだろう。

 感謝よりも、申し訳ないという気持ちのほうが遥かに強い。

 それでも、生きていてくれた。


「ごめんなさい……ありがとうございます……本当に」


 ルネッタは思わずカルラの手を取った。エルフの手は、たとえ戦士のものだとしても華奢で柔らかく、すべらかだ。それでもこの手が守ってくれたのだ。

 ぼろぼろと涙がこぼれる。本当に無事でよかったと伝えたいのに、上手く言葉が出てこない。


「ちょ、ちょ、ちょっと」


 慌てたような声を出して、カルラは手を振り払った。

 ――あ

 咄嗟だったとはいえ、失礼だったかもしれない。

 彼女はなぜか照れたように笑って、


「あ、ごめんね。嫌とかそういうのじゃないんだけどさ。なにしろっていうか、なんというか……とにかく無事で良かったよ、ほんと。うん、良かった良かった。だから……その、睨むのやめてもらえますか副長。怖いんスけど、マジで」


 はて、と思いルネッタが振り返ると、そこにはいつの間にかやってきたエリスが両手を組んで立っていた。表情自体は穏やかだが――カルラが嘘をついているようにも思えないので、咄嗟に直した、のだろうか。

 ――むう

 涙をぐしぐしと拭いて、


「エリスさん、カルラさんは本当に恩人なんですから、睨むなんて」

「睨んでませんよ、睨んでませーん。ねぇ?」


 同意を求める声は静かだが、同時に底知れぬ圧力があって。

 だからカルラは、


「ええ、まったく睨まれてません」


 そう言うしかないのは、分かってはいるのだけど。

 そんなやり取りを呆れて見ていると、


「ルネッタおねえちゃん!」


 兵達の中から声が聞こえて、小さな体が飛び出してきた。もつれながらも必死に駆けて、ルネッタの胸元に飛び込んでくるのかと思えば――直前でぴたりと止まって、やや遠慮がちに見上げてくる。

 踏み出せない理由はなんとなく分かる。ならばこちらからだと思う。

 優しく包み込むように、ルネッタはティニアを抱きしめた。あの状況から互いにこうして無事に会えた。奇跡のように思えてしまう。


「良かったな」


 声は、ルナリアのものだ。気付けば彼女も、ルネッタのすぐ隣まで来ていたようだ。

 返事をしようとして、上手く声が出なかった。だからルネッタは頷いた。実感すると余計に涙がぽろりとこぼれる。

 優しく微笑むルナリアの顔に、ふ、と影が差した。


「終わったな……とりあえず」

「形としては解決ですかね」


 応えるエリスに、ルナリアは首を左右に振った。


「被害は甚大、謎は山盛り。老大樹はこの通り枯れて死んだ。とても解決とは言えんよな」


 溜息は、皆に伝染するように広がった。

 暗い空気とどんよりとした沈黙を破ったのは、新たな足音だった。さくさくさくと早足でやってきたのは、エレディア本人だ。引き連れた部下は僅か二名。

 

 彼女は無言のまま騎士団の兵達を通り過ぎると、呆然と、遠くを見た。視線の先にあるのは、無論枯れ木と化した老大樹だ。

 見ている。いつまでも、いつまでも、それこそ放っておけば永遠に見ているのかもしれない。

 

 凍ったような時間の中、動いたのはやはりルナリアだった。

 彼女はエレディアに近づくと、深く深く、頭を下げた。


「申し訳ありません、エレディア候」


 それを受けたエレディアは凄まじい形相で振り返って――しかし、言葉は無かった。

 表情が崩れる。怒りがどこかに霧散していく。残ったのは美しささえ感じる空虚と、一目で分かる絶望だ。

 

 彼女は一言も発さぬまま、草原に座り込んでしまった。

 ルナリアが顔をあげる。歯を食いしばり、目を閉じて。

 ぽつりと漏らし始めたのは、エレディアが先だった。


「終わり、終わりよ……これで私は、セルタは……もう……」


 涙声で途切れ途切れに言う。その悲痛さは、今までの彼女の印象を塗りつぶして余りあるほどだ。

 誰もがかける言葉を持てず、ただ沈黙を続けている。そんな中、突然ティニアが駆け出した。向かう先は――エレディアだ。

 

 ――え!?

 止めようと思った。こんな時に近づけば、何をされるか分からない。

 けれどそのルネッタの動きは、エリスの右手に抑え込まれた。彼女を見る。正面から。紅い瞳が、黙って見てろと言っていた。

 ティニアは崩れ落ちたままのエレディアに近づくと、


「ごりょうしゅさま、おめしものがよごれてしまいます」


 声には嘘も意図も感じない。ティニアならば当然だとは思う。

 エレディアは俯いたまま答えた。


「離れなさい。無泉のおまえなどが……など、が……いえ、違うわ。私はもう、領主などでは無いの。だから向こうに行きなさい。もう放っておいて……」


 掠れた声でそう言った。だというのにティニアは離れず、己の胸元から綺麗なハンカチを取り出した。たぶん、騎士団の誰かが持たせてくれたものだろう。

 屈みこんで、エレディアへと差し出すようにしながら、ティニアは柔らかく言った。


「どうかおつかいください」


 他の誰かであれば、あるいは嫌味にさえ見えたかもしれない。けれどあの子は本気なのだ。何一つ悪意の無い、純粋な意思から出た行動だ。

 エレディアは弱弱しく跳ね除けた。ティニアはハンカチを収めはするものの、傍から離れようとしない。

 

 いい加減わずらわしくなったのか、エレディアは膝立ちになって、右手を高く振り上げて――止まった。ティニアは逃げようとさえしない。真っ直ぐ真っ直ぐ、エレディアを見続けていた。

 エレディアの表情がぐにゃりと崩れた。既に溜まっていた涙が、ぼろぼろと零れるように流れ出す。

 

 彼女はそのままティニアを抱きしめると、子供のように泣き出した。大声で、えんえんと、ひたすらに。ティニアはまるでそれを慰めるかのように、背中へと手を回してぎゅっと抱き返したまま動かない。

 ――はぁ

 ルネッタはそれを遠くで見ているだけだ。溜息のようなものも出た。

 肩にぽん、と手が置かれた。見ればエリスのものだ。彼女が言う。


「良く分からないですか?」


 ルネッタは頷いた。最上層の領主と最下層の無泉の間に何があるというのだろう。殴り飛ばすような関係だったというのに。


「奇遇ですね、私も同感ですよ」


 エリスが呆れたように笑う。彼女は続けた。


「でも……悪くは無い。そうでしょう?」


 ルネッタは、再び頷いた。それは、確かに、そう思うけれど。あるいはエリスが何かしたのか。何か言ったのか。彼女に説明する気は、無さそうだが。

 エリスが天を見上げて、ぽつりと言った。


「とにかくこれで終わりですよ。勝ちでは、無いみたいですけどね」


 ルネッタは俯いて、深く深く息を吐いた。

 暗く淀んだままのルナリアの顔が、どうしても頭から離れなかった。

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