光柱
「そそのかされた、とはまた随分と歪んだ表現ですね」
ウェールは涼しい顔をしている。睨み殺さんばかりのルナリアとは対照的なほどに。
「私は尋ねただけです。私の知りたいことの全てを、余すことなく。そして……決めたのは私だ。決断したのは私なのだ。それだけが唯一の真実ですよ」
「……そうか」
ルナリアが低く返した。
「では聞こう。この馬鹿げた内乱騒ぎ、空しく流れた血の必然性を」
目を閉じて、呼吸する。そしてゆっくりと目を開く。
ウェールの顔は仮面のようで、ルネッタに感情は読み取れない。
彼は体を捻り、そっと撫でた。城壁のような幹を柔らかく。
「老大樹。恵みを振りまき命を与える正に神の如き……いや、神そのものと言って良い樹。我らエルフの『中心』であり、その扱いはそのまま権力へと直結する。そうですね?」
「そうだな。それが?」
「幾度も幾度も試しました。時に優しく、時に激しく。機嫌を取るように柔らかに、押さえつけるように乱暴に。それでも決して、この樹は私の手のひらには落ちてこない。正にお前では足りぬと宣言するように、触るたびに身が削れ、時には倒れることもあった」
「調律を、試した、のか」
小さく頷いて、ウェールは続けた。初めて顔に写った表情は――自嘲に見えた。
「片田舎での財務官。わがまま女の機嫌を取り、時には尻を拭ってやり、残りは必死の下働き。どうやらそこが私の天井のようだ。多少名が売れ戦で手柄を立てようと、結局この屋根は破れぬと、思い知らされるだけの日々でした」
「この反乱は、己の私欲のためだと?」
「そうです。何か疑問がおありか」
溜息をついて、ルナリアは斧槍を肩に掲げた。
「嘘だな」
「嘘、とは」
「なるほど、権力を欲しい気持ちはあったかもしれない。エレディア候に心底我慢がならなかったのも理解できる。しかしそれだけの理由で、あなたが市民に血を流させるとは到底思えん」
ウェールは笑った。嘲るように、どこか過剰に。
「何をおっしゃいますか。ルナリア殿、私は少なくとも本気で貴方を殺すつもりでしたよ。貴方の首はそれほどに高く、私を領主の椅子に座らせて尚余りある。そのような相手に対して、なぜ生ぬるい疑問を抱けるのか」
「その点だけは、あるいは本当かもしれんがね。しかし――」
「嘘です!」
突如叫んだルネッタに、二人の視線が注がれた。
何しろウェールは隣なのだ。すぐ近くから鋭く見つめられれば、自分など竦みあがってしまう。
しまったと思う。出すぎたとも思う。だけど、
「目を見ればわか、ります。あの子供達は心のそこからウェール殿を信頼しておりました。子供は、す、素直で鋭いものです。そんな野心に凝り固まった者が、子供に好かれるはずありません」
ウェールは答えず、息を吐いて。
緊張が奔った。何しろ手を伸ばせば届く距離にいるのだ。殺そうと思えばいつでも殺せて、しかもルネッタは敵だ。
彼は、なぜか、微笑んだ。
「感情というのは、本当に複雑なものだよね、人間のお嬢さん」
敵意は無い。静かなものだ。
ルナリアが尋ねた。
「ルネッタをどうするつもりだ」
「特に何も。ルナリア殿、こうして貴方と老大樹の前で話すのが目的でした。それが達成できた今、彼女に危害を加えるつもりは微塵もありません」
ウェールはそっと手を払う動作をして、
「さあ、向こうへ行きなさい。すまなかったね」
顔に嘘は無い。後ろから斬るとも思えない。
だからルネッタはゆっくりと歩いて、ルナリアの傍まで来た。
隣に立つ。そして振り返る。本当にあっさりと解放されてしまった。
ウェールの立ち居地は変わらない。老大樹の鼓動を直に肌で感じれるほどに、近く、近く。
彼は呟くように言った。
「私は貴方になりたかった。貴方のような英雄に」
ルナリアは、答えない。
「私に貴方ほどの力があれば、老大樹の一つくらい簡単に頂ける。街が作れるのだ。私の街が」
「それは良いさ。ただ何のために街が欲しいんだ?」
「それこそ下らぬ問いだ。私は私の到達点として、生きた証が欲しいだけだ。力一つで上り詰める『先』が欲しかっただけなのだ」
ウェールの顔は悲痛なほどに硬い。
それが、ふ、と緩んだ。
「ところでルナリア殿、貴方の好きな料理は?」
ルナリアは眉をしかめる。ウェールは気にせず続ける。
「やはり肉料理かな? 貴方のように強いエルフは、力強い肉を好むものだ。普段はどの程度食べますかな? 平時でもテーブル一杯。戦帰りともなれば牛をまるごと食い尽くすのでしょうか」
「何が、言いたい」
「力を振るう。そのために喰う。穴が巨大であればあるほど、埋めるために大量に喰う。なるほど、道理でしょう。しかしここで一つ疑問が生まれる。貴方も考えたことがあるのでは?」
彼は体を半身にして、老大樹に手を触れた。
「恵むだけ恵み、与えるだけ与え、潤すだけ潤し……まさに神のごとき恩恵を与えるこの『樹』は――いったい何を喰っているのでしょう。あるいは、貴方は知っているのかもしれないが」
ルナリアは――ゆっくりと首を左右に振った。
「私も、そして母も、それだけは知ることができなかった」
「……なるほど」
彼はこちらに背を向けて、両手でしっかりと、老大樹に触れた。
「さて、この下らぬ反乱騒ぎもこれにて閉幕になりましょう。権力欲に狂った凡夫が一人、市民を炊きつけ血を流させ……ついには致命的な破滅の一手を打って終わる」
考えるような間を挟んで、ルナリアが叫んだ。
「馬鹿なことを考えるな! さっさとそこから――」
「ルナリア殿、その少女を巻き込んでしまいますよ」
彼女がこちらに顔を向けて、強く、歯軋りをした。
「歴史に名を刻みたい。たとえどれほどの悪名であっても。ふふ、これは心からの私の本音だ。悪いが通させてもらうよ」
「ウェール……」
彼は少しだけ振り返って、言った。
「ルナリア殿、どうか後のことを……彼らのことを頼みますよ。上手くやっていけるのかまでは、さすがに私も観きれませんがね」
そう言うと、ウェールの気配が大きく変わって。
光が揺らめき、光が煌き、光の奔流があたりにゆっくり広がって。
「ルネッタ!」
聞きなれた声が大きく響いた。手が伸びてきて体を抱きかかえられる。信じられないほどの加速。宙に飛んでいる。どうやらルナリアがルネッタを掴んで地を蹴ったらしい。
光はそれでも、収まらない。
一際大きな、臓腑まで響くような、凄まじい鼓動を老大樹が放ち。
光が、爆発した。
凄まじい太さの光の柱が、老大樹の中心から天へ天へと伸びていく。直視できないほどに眩しく、それでいて終末のように不安を振りまいて、光は空を貫いていく。
「馬鹿が、本気で……!」
吐き捨てるように言うルナリアは、少し怖い。
「なんですか、これ」
疑問は只、口から漏れた。それでも彼女は答えてくれる。
「老大樹をほったらかしすぎると爆発するとジョシュアが言っていただろう。ウェールが外から働きかけて、わざと『それ』を起こしたんだ。ご丁寧に力の方向を上へと向けて。本来であれば到底そんな真似は不可能だが、今回はすでに暴発寸前だったからな」
「ばくは、つ?」
疑問は後から後から沸いてくるけど、今は一つ。
「ウェールさんは」
「……死んだ。アレに飲まれれば只では済まんし、そもそも調律するだけの力も無いのにそんな真似をすれば、体内の魔力を乱されて弾け飛ぶ」
ルネッタはぼう、と見上げている。光はまだ、止んでくれない。
「どうして」
「……そう、どうしてだよルネッタ」
ルナリアに肩をつかまれた。彼女の匂いで、ほんの少し、意識がはっきりとした気がする。
「分かったんだ。なぜ奴が街の中を戦場にしたのか」
視線を戻す。彼女を見つめる。
「心情的に第二、第三市民寄りの奴がなぜそんな真似をしたのか。いがみ合っているだけならまだしも、実際に刃を交えれば決定的な溝になる。互いに戦士なら良い。しかし彼らの大半は市井のものだ。これでは全てが済んでも絶対に元に戻せないと、少なくとも私は考えていた」
「それは……私もそう思います」
「奴は、もうその段階から老大樹を弾けされるつもりだったのさ。そうなれば溝など関係が無い。いや、むしろ奴には好都合なんだ」
首を傾げる。まばたきをする。
「老大樹が失われれば水が汚れる。作物が育たなくなる。家畜に食わせるえさも減る。つまりは食料が一気に厳しくなる。となれば魔力維持のために大量に食わねばならない第一市民は一気に苦しくなる。食料を外にのみ頼ればあらゆる意味で圧迫されるのが明白だからだ」
ルナリアは強く唇をかみ締めてから、続けた。
「第一市民の権利がここで生きてくる。彼らが授かる様々な恩恵の一つに、居住の自由があるのさ。東側で第一市民権を持っている者は、東の全ての街に自由に移る権利がある。食料も水も不自由で、第二以下とは決定的な溝まであるんだ。そりゃ引っ越すさ。彼らは強固な固定化によって数百年と生きるんだ、その程度の手間を惜しむわけがない」
つまり、と挟んで、
「これで街から第一市民が消える。晴れて『弱き者の街』が誕生するというわけだ」
「そんな、だって……王は? 陛下がそんなことを許すのですか?」
「我らにとって、街とは老大樹なんだ。樹を持たねば地図にさえ載らない。そして老大樹は極めて貴重であり、同時に古老達の産物でもある。王がどれほど望んでも、古老が首を縦に振らぬ限り新しい老大樹は用意できん」
膝が笑う。あまりに大きな話にくらくらする。でも、とルネッタは思う。
「それでもこれは反乱です。そんなものを放置、するのですか? たとえ利にならないとしても、潰してしまわねば筋が通らないと、陛下はお考えになるのでは。第一市民だってそうです。おとなしく移住してくれるのでしょうか。その前に再び剣を持ってしまわないでしょうか」
ルナリアが、本当に悔しそうな顔をした。
「それは、私がなんとかすると、ウェールはそう思っているのだろう」
ついに膝から力が抜けて、ルネッタは座り込んでしまった。
「なんとか、する、のですか?」
「……市民を皆殺しにするような真似だけは、させん。例え王が相手であっても」
「じゃあ、その弱き者の街を支持、するんですか……?」
「分からん。分からないんだよルネッタ」
ルナリアはとても珍しい顔をしている。弱弱しく、突けば崩れてしまいそうな、そんな顔を。
それでも、ルネッタは尋ねた。
「水の汚れも、食料の不足も、第一以外の市民にだって影響はありますよね」
「もちろんだ。致命的なほどに、あるだろう」
「それでも、なんですか? それほどの、なんですか……?」
「だから、分からないんだって」
消え入りそうな声だ。
「意地というのは、それほどのものか? 命と天秤にかけて勝ちうるほどに、重いものなのか? セルタの状況は確かに酷かった。それでもこの緩慢な自殺の如き手段しか無いのか? それに答えを出せるだけのものが、まだ私には無い。無いんだよルネッタ」
同じように地面に座ると、ルナリアはそっと抱きついてきた。抱きしめてきた、のでは無い。
だから優しく抱き返す。ルネッタとて、動揺の程は似たようなものではある。だけど、今自分に出来るのはそれしかないとも思う。
彼女が言う。
「似たようなことを考えて、躊躇しだらだらと維持する私と、全てを捧げて壊したウェールか。どちらがマシ、なのだろうな」
それに答える力は、当然ルネッタには無かった。
だから手に力を篭める。少しでも彼女に体温を分ける。鎧から香る血の匂いさえ、今は気にならなかった。
ふと顔をあげて大樹を見れば、光はもう止んでいた。
残ったのは枯れ木のようにやせ細った、惨めな廃墟の如き樹が一本に、
「あれは……?」
不思議だった。羽を持つ姿は鳥のよう。全てが黒い鳥のよう。
でも、と思う。樹の上を飛んでいる。ゆえに相当距離はある。だというのにはっきりと、その輪郭はルネッタの目でも確認できた。
ぞわりと背筋が総毛立った。果たして目の前までやってきたら、あの鳥はどれほど大きいのだろう。
それこそ、象と同じくらいではないだろうかと。
「ルナリアさま!」
叫び、指差す。彼女は振り向き、顔を歪めた。
鳥が一直線にこちらへと突っ込んでくるのが見えた。