強敵
剣と剣が正面からぶつかり合えば、衝撃は風となってあたりに飛び散った。窓が揺れる。赤い絨毯が僅かになびく。轟音が耳に飛び込んでくる。
互いに上段。互いに中段。下段は振らず、一歩引く。一歩詰める。真横からなぎ払う。するりと流される。腕力だけで剣を引き戻す。突きを受ける。蹴りが来る。脛で受ける。剣を捻る。胴が空く。横、と見せて斜めから切り下ろす。
既に相手は後方に逃げている。
「はははっ、楽しいなぁ」
爽やかに笑うルースに対して、エリスも同じく笑い返した。こちらはまるで獣のように。
「同感ですよ」
手にした剣に力を篭めて、再び静かに睨み合う。
広々とした室内には十名の武装兵が居るものの、既に戦意は根から折れているようで、戦いに加わる気配さえ見せない。
構わない、むしろ好都合だとエリスは思う。ルースは極めて珍しい、極めて素晴らしい、国中探しても数えられるほどの腕前だ。年に一度喰えるかどうかという極上の『ごちそう』なのだ。邪魔などされてたまるものか。何のための軍属だという話になる。
握り締めた剣の感触。体中を廻り回る魔力の量。思ったように体が動く。体調はこの上なく良好である。まるで喜ぶかのように。
頭の中から、余分なものが消えていく。何もかもを忘れてしまって、考えるのは只一つ。たった一つ。眼前の敵と如何に戦うかのみである。
踏み込んできた。
合わせてこちらも地を蹴る。
剣が再びぶつかり合って、火花をあたりに撒き散らす。ルースが刃を捻って力を逃す。エリスがそれを強引に腕力で引き戻す。
慣れてきた。ルースの捌きはもはや芸術の域ではあるが、故に一定で、読みやすい。
同時に、敵もエリスの腕力と速度に慣れつつある。こちらの強みは、いわば魔力の瞬発力。塊の軌道を外から感じることが出来るならば、合わせて力を篭められるだろう。奴とて元古老が一。単純な総魔力はエリスに一切引けを取っていない。
技量に寄せたルース。暴力に寄せたエリス。互いの力は、今この瞬間奇妙なまでに互角だった。か細い糸は緊張で『ぴん』と張り詰めて、しかし極めて強固で揺らぎもしない。
轟音を響かせながらも、足を止めて素直に斬り合う。踏みしめた絨毯は次々と破れ、床には無数のヒビが入っていく。それでも状況は動かない。
生まれてしまった均衡を崩すには、互いに大きな手が必要である。
今回の必殺は一体どの手札にするのか、エリスはここに来る前から決めていた。実戦への投入は僅か一回。あまりに不確か、不安定。しかし威力は絶大である。そして――この敵はそれだけの価値がある。出し惜しめば死ぬのはこちらだ。
欠点は発動までの隙だ。格下相手であれば戦闘の最中であろうと問題は無いが、相手はまれに見るほどの強敵である。甘い動きを見せれば即座にエリスの首が飛ぶ。
絡んだ刃が捻られた。引き込まれて足が浮く。距離が一気に詰まる。
――こ、の
ルースは笑う。エリスは歯軋りをする。崩れた姿勢を狙って放たれたのは、刃ではなく柄だった。わき腹に叩き込まれた一撃は、鎧を歪ませ内部へと大きな衝撃を伝える。痛み、震え。致命には程遠いが、動きは一瞬止まってしまう。
「がっ……!?」
流れるように、ルースは放った。右の膝をエリスの腹へ。折れ曲がり下がった額に肘打ち。衝撃に視界が揺れる。痛みを覚える暇もなく、拳が胸元へと叩き込まれた。たたらを踏む。息が詰まる。無様なほどに隙を晒す。
ルースは堂々と一歩下がり――惚れ惚れするほど綺麗に、剣を横へと振り抜いた。
――ふざけろっ!
飛んだ。エリスは辛うじて、剣が届く直前に後方まで飛びぬいた。
無傷では無い。腹部に奔る灼熱と『ぴゅうぴゅう』と噴出す血を見れば、それなりの深手であることは容易に想像がつく。
それでも、今のは体ごと両断されうる一撃だったのだ。この程度で済んで幸運だったと言わざるを得まい。
腹部の傷はすぐに塞げる。しかし血は帰ってこず、使った魔力も戻ってこない。間違いなく、戦局は一歩ルースへと動いた。
再び離れての睨み合い。奴は笑う。変わらず、穏やかに。
「今のも避けるか。本当に強いな」
「……それはどーも」
大きく傾いた流れの中にも、一つだけ幸運があった。それは、再び距離が出来たということ。
――使うか?
アレは消耗が凄まじい。使って仕留められなければ大事態である。加えて、あくまで威力のみの札なのだ。持続が困難と分かれば、相手は逃げに徹するだろう。
しかし、とエリスは思う。明らかに不穏な力を目にしたとしても、果たしてルースは逃げを打つだろうか。奴は感心するほどの戦狂いだ。始めて見る力を前に、尻尾を巻くことなどありえるだろうか。
無い、とエリスは踏んだ。逃げだすには絶対に受け止められないと確信を持つ必要があろう。だから決めた。札はここで使うのだ。
エリスは静かに剣を構えた。今度はまっすぐ、正面に。
「なんだ?」
面白そうに声を出して、それきりルースは攻めてこない。予想通りである。故に丹念に『塗りたくれる』のだ。
手にした剣は極光石を使った特別性。元より常に魔力を流して使う代物である。普段はあくまで内部へと、芯から刃へ行き渡るように注ぐのだ。
それを、変える。あるいは増やす。内部に注ぐ部分はもちろん、外の刃まで含めて剣の全てを覆うように、膨大な魔力を送り込む。
魔力で囲うのはそう難しく無い。困難なのは維持だ。振り回すのはもちろんのこと、体を動かすその動作一つで、容易く『塗装』は霧散してしまう。
剣を維持しつつ、戦闘が可能なだけの魔力を体に流す。今のエリスでは、出来て――数秒といったところか。
だから数合で決める必要がある。
エリスは地を蹴った。まっすぐ、まっすぐ、大股で。ルースは動かず、迎え撃つ様子である。正にそこが狙い目だ。受けた剣ごと真っ二つにしてやれる。
ほんの僅か、口元が緩んでしまった。勝ったと思ってしまった。それが顔に出てしまった。ルースが――気付いてしまった。
奴が退く。大きく、大きく、後方へと。
――逃が、すか
こちらは前へ。奴は後ろへ。当然エリスのほうが早い。二歩余分に地を蹴って、部屋の隅まで追い込んで。
届いた。
縦からするりと一直線に、魔力を備えた刃を振り下ろす。
ルースは剣を掲げる。いつものように巻き込んで弾く、そのために。
剣が絡み合い――ほとんど手応えさえ無く、エリスの魔力刃はルースの漆黒の大剣を両断した。ルースの左胸の辺りから、血が吹き出てあたりを汚す。しかし、
――浅い
受ける直前に、敵は体を極限まで反らしていた。おかげで刃が通り抜けたのは筋肉と、骨の半分程度まで。心臓を断ち割るつもりだったが、届かなかった。
敵は転がりながらも壁を蹴って、とにかくエリスから距離を取った。
エリスは――追わなかった。
疲労が身を包んだのもある。だが最たる理由は別だ。
「こふ、ご……ああ、この剣、高かったのになぁ」
血を吐くルースの顔色は、それでも尚変わらない。奴ほどの腕である。骨まで届いた傷口さえ、戦闘中に治療してしまうだろう。しかし、手にした剣はそうは行かない。根元から切り落とされもはや柄のみとなった黒い塊は、武器としてあまりに頼りないだろう。
実力が等しい両者。片方のみが武器を残す。
つまり、終わったのだ。
エリスは魔力の刃を解除し、大きく深呼吸をした。整えなければならない。十中八九決したとはいえ、まだ相手は生きている。今必要なのは威力では無く総合力であろう。
ルースは無造作に剣を放り捨てた。絨毯の厚みで音はしない。
顔は――まだ笑っている。
「良い技だなぁ。おれには出来そうも無い」
「謙遜が過ぎますね。覚えるまでの時間に差が出る程度でしょう」
魔力の集中と凝縮はまさにエリスの得意分野の一つだが、これほどの強敵に不可能とまでは思えなかった。
ルースは、構えた。そう、構えたのだ。腰を落とし、右手を前に、左手を後ろに、そして体は半身に。
続けるつもりなのだ。もはや素手だというのに。自暴自棄かとエリスは一瞬考えたが、それにしては表情が気になる。どれほどの戦闘狂であろうとも、死を前にすれば影の一つは見せるものだ。
奴が言う。
「良いものを見せてもらった。だから今度はおれの番」
「……ご自由に」
エリスも同じように腰を落とした。こちらはそれなりの疲労。向こうは武器を失い深手を負った。有利なのは間違いない。
直後、ルースは真っ直ぐ突っ込んできた。
小細工無し。魔術の目くらましさえ無し。それが逆にエリスの虚を突く形になった。
咄嗟に剣を振るう。奴は紙一重で避けつつ踏み込んで来る。
刃を引き戻す。体勢は不十分、勢いは半分。しかしそれでも極光製の大剣である。研ぎ澄まされた刃はルースのわき腹に、半分ほどがめり込んだ。手応えが柔らかい。確実に鎧を抜けて肉に届いた。
それでも奴は、止まらず、怯まず。
――なにを!?
既に距離は抱き合うが如くだ。手足に勢いを乗せることも出来ず、警戒に値するのは顔面への直撃のみ。そもそもつかみ合いではエリスに分がある。
奴の手が顔へと伸びる。エリスは咄嗟に剣から片手を離して防ぐ。届いた拳の勢いは、あまりに弱く。
――誘い
奴の残った左手は、エリスの腹部にそっと当てられ、
「ぎっ!?」
爆発でもしたのかと勘違いする衝撃がエリスの『体内』に直接生まれた。
膝をつく。剣が手からするりと抜け落ちる。喉の奥からごぽりごぽりと熱い液体が遡ってくる。塩気を感じて口をあけると、真っ赤な何かがどぼんどぼんと床にこぼれた。一目で分かる。自分の血だ。
――いったい、今のは
意識が薄れる。痛みが飛ぶほどの一撃である。僅かに耐えたが、結局エリスは堪えきれずに床へと崩れた。床が赤いのは絨毯なのか自分の血か。
「ふぅ、うまくいったか」
ルースの声。あたまのうえでなんとなく響く。聞きながら考える。今のはなんだろうとかんがえる。
――たぶん
単純な風の弾だ。威力そのものは特筆するほどではない。異常なのはその発生源である。相手の防御壁の中から魔術を炸裂させる。それ自体は可能であるし、エリスも良くやる手だ。目玉をえぐりながら、あるいは口へと手を突っ込みながら。放てば確実に相手を殺しうる必殺の一手。
しかし今のルースの技は違う。体の外から、どころでは無い。極光製の鎧の外から、あろうことかエリスの体内へと魔術の風弾を送り込んだのだ。それがどれほど高度な技術か、もはや想像さえつかない。
――死んだねこれは
奇妙なほど冷静に、エリスは思う。修復と治療は得意。おそらくぐちゃぐちゃにかき回されたであろう内臓も、十秒あれば戦闘可能なところまで戻せる。
そして、その十秒でルースはこちらを五十回は殺せる。
ルナリアの顔が浮かぶ。ルネッタの顔が浮かぶ。父の顔より、家族の顔より、そちらのほうが早かった。
――ごめんね
謝り、諦め――なぜかトドメがやってこない。
体を起こす。すでに臓器は半分は治った。口内に残った血を床へと吐き出して、エリスは問う。
「なぜ、殺さない」
「なんで殺す。今のは単に手札を見せ合っただけじゃないか。それはおれの勝ちだったみたいだが」
エリスは立ち上がる。ルースはわざわざ距離を取る。
「全部バレた後が一番面白いんだ。おまえもそう思うだろう?」
「……ぷっ、くくく、あははは」
笑ってしまった。居るところには居るものだとエリスは思う。ルースの意見にエリスは心から同意できた。互いにネタが割れたあとこそ、戦いの醍醐味であろうと。
エリスは剣を捨てた。理由は無い。なんとなくだ。どうせ互いに素手がもはや凶器なのだ。篭手程度で十分すぎる。
言葉も無く、始まった。
不可思議な軌道を取る拳が来る。左、左、右。弾いた。反撃の拳。相手の肩を削る。鳩尾へと膝が来る。エリスは避けない。変わりに魔力を流転させる。直撃、しかし無傷。掴みかかる。ルースは体を捻って逃げる。さらに追う。向こうはそれを狙ったかのような蹴りを放つ。
側頭部に当たる。事前に魔力を回していても、なお厳しい。骨が割れた音がする。しかしエリスは止まらず進む。
――ああ、やっぱり実戦は良い
ルースはそのまま体を逆へと回転させると、後ろ回しから下段へ蹴りを放った。さすがに見え見えだ。エリスはそれを踏んで止める。そして進む。
――分からないことが分かるようになる、出来無いことが出来るようになる
ルースの拳をもはや避けず、進んで、進んで、エリスは左手で敵の肩をがしりと掴んだ。奴の顔が初めて歪む。右手がそっと、エリスの胸元へと当てられた。
甘い、とエリスは思った。凄まじい技だが、正面から二回は無謀が過ぎる。ルースの手が仄かに輝き――それだけだった。事は単純、エリスが防御壁を己の体内へと発生させただけである。結局魔術は魔術なのだ。ならば容易く消せて当たり前である。
エリスは上半身を捻った。右手に力を篭める。右手に魔力を篭める。ありったけ。
ルースは手を交差して防ぐ構えを見せた。心臓と頭部、絶対にそこは守ると。
最初から、エリスはそんな場所など狙っていない。
拳を振りぬく。魔力を乗せた、だけでは無い。剣に使った技術の応用だ。内部へと魔力を篭めるに留めず、拳の周囲まで覆いつくし、同時に増幅に増幅を重ねる。
もはや眩いほどの赤い光を伴ったエリスの右拳は、軌道上にあったルースの肘を僅かに削り――狙い通り、わき腹の三分の一を吹き飛ばした。
ルースが床を転がっていく。血と臓物をこぼしながら、ごろごろと。壁まで転がり、仰向けになった。
顔は――なんと、笑っている。
「は、はは……ごほ……すごい、な。すごいが、乱暴、だな」
「最初からそうしてるじゃないですか。私は一度だって小手先なんぞ――」
そこでエリスの言葉が止まる。正確に言えば、絶句してしまった。
幾つかの臓器を丸ごと失ったはずのルースは、なんと極普通に立ち上がったのだ。止血と再生はすでに始まっているようだが、速度は遅い。
普通は致命傷。しかしエリスやルースであれば再生は可能である。ただしそれは、魔力にある程度余裕があることが前提であった。
互いに、最後の殴り合いでほぼ空である。治すのは難しい。生きるのは困難だ。ましてや立ち上がるなど。
「楽しかった。楽しかったよ決闘狂い。いや、エリス・ラグ・ファルクス。またやろう。きっとやろう。近いうち、来月にでも。だけど今日はこれでお開きだ。おれらの負け、帰るとするよ」
歩き出す。出口に向かって、ずりずりと。
エリスはそれを、ただ、見ている。
――まぁいいか
正直、生き残れるかは五分五分どころか四分六分。なにより――途中、自分は負けているのだ。敗北を認めて帰る相手を殺す権利があるとも思えない。何よりも、
――殺したらもう戦えないしね
ルースの退室を静かに見送ってから、エリスは剣を拾って、呟いた。
「終わりましたよ」
その言葉は、もはや合図になったようだ。
固まっていた室内の兵達は、大慌てでルースを追う。当然であろう。仲間を散々に殺した相手だ。降伏したわけでもない。
さすがにこれを止めるほどの義理は無い。だからエリスは自分の仕事を全うすることにした。散々途中で楽しんだのだ。最後くらいは副団長らしくしようと思う。
エレディアへと近づき、剣を床に置いた。膝立ちになり、床にへたり込んで震えたままの彼女と頭の高さをあわせる。
そして言う。出来る限り優しく。
「遅れて申し訳ありません、エレディア候。ですが、どうにか敵を追い払うことが出来たようです。もう大丈夫ですよ」
沈黙。まばたき。口をぽかんと彼女は開いて、
「……へ?」
間抜けな声が漏れてしまった。なにしろいきなりエレディアが抱きついてきたのだ。小言の一つも言われるかと思っていたのだが、これは予想の外である。
彼女は泣く。わんわん泣く。全身全てをエリスにこすりつけるようにしながら、赤子のように泣き続ける。
「あーはいはい」
呆れたように溜息をついて、とりあえずとエレディアの後頭部を撫でて見る。すると少し泣き声が小さくなるのだから、もはや笑うしかない。相当に嫌われているはずなのだが、それどころでは無いのか。
――結局こいつは
子供、なのかもしれない。乳と尻は立派に育っているが、考えても見れば金持ちの娘から一直線に王の情婦か。歳もまだ若かったはずである。だから様々なあれやこれを許せる、というわけでは決して無いのだけれど。
あやすように優しく撫でて、エリス自身もぺたんと床に座り、そして思う。たった一つ、今の素直な感想を。
――おしっこくさい