表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Elvish  作者: ざっか
第三章
82/117

逃走


 ルネッタの護衛につけられた女兵士は、名をカルラと言うらしい。

 さばさばとした態度に、明るい表情。美形なのはもはやエルフとしては特徴にさえならないのだろうが、良く通る声は不思議な響きで、一度聞けば忘れそうも無い。

 

 腕の程は不明。本人は謙遜し、ルナリアは任せて良いと言う。図る力などルネッタにはありもしないので、出来るのはただ信じるのみだ。

 いずれにしても、今の状況を切り抜けられるかは彼女の強さにかかっているのだから。

 

 ルネッタは息を呑んで、手に持った剣を強く握り締めた。

 宿の廊下に人影は無い。カルラは体を壁に貼り付けつつ、窓から外を伺っている。状況が状況ゆえ、宿に他の客は居ないという話だった。これがどう出るか、まだ分からない。


「……ルネッタちゃんは逃げたほうが良いと思う?」


 カルラの静かな問い。

 ルネッタは悩み、考え、そして小さく頷いた。

 単に潜んでいれば事態が収まる可能性もあるが、楽観的すぎるとルネッタは思う。ここは狭く、いざという時に柔軟に動くことも出来無い。


「あたしもそう思うわ。んで、問題はどっちに行くかなんだけど」


 右に、即ち第一市民の区画まで逃げる。あるいはそこを抜けて騎士団の元まで走る。たどり着きさえすればこの上なく安全であろうが、何しろこの状況なのだ。本隊は既に戦闘中だと考えるのが妥当だろう。そして道中には無数の反乱軍が居ることはほぼ確実だ。戦果の渦に飲まれに行くようなものだった。

 だから、


「左に……第三市民の区画まで逃げましょう。たぶん、ここよりは安全だと思います……自信は、えっと、無いですけど」


 カルラはにこりと笑った。


「悪く無いと思うよ。あいつらが目の敵にしてるのは、結局『そこそこ以上』の連中だろうからね」


 窓から離れて大きく深呼吸。そして彼女の表情は鋭く引き締まる。


「じゃあ行くよ」


 カルラを先頭にして、ルネッタ達は宿を出た。店主は関わりたくないのだろう、奥に引っ込んだまま出てこなかった。金は事前に払ってあるのだから心配しなくても良い、らしい。

 

 正面通りから裏路地まで、静かに駆けた。途中、通りに見えた死体は二つ。この辺りにはまだまだ敵は少ないようだ。あくまで今は、の話になるけれど。

 狭い路地は蟻の巣のように入り組んでいて、辺りに人影は無い。ルネッタはティニアの手を引きつつ、声をかけた。


「だいじょうぶ?」

「は、はい」


 彼女は子供だ。そして無泉だ。体力の程はルネッタにさえ及ばない。

 はっきりと足手まとい。見捨てれば一気に楽になる。

 だからこそ、絶対においていけない。最も負担になるはずのカルラでさえ、非難の視線一つ見せないのだ。心からありがたいと思う。


「止まって」


 小さな声で鋭く言って、カルラは剣を抜いた。曲がり角の向こうからやってきたのは、一人の男だ。

 手元の剣からは血が滴っており、目つきは異常なほどに鋭く。防具の類は無く、普段着のままに見える。

 男が言う。


「無泉が二人、残りは……なぁあんた、敵か? 味方か?」


 カルラは剣先を地面に落とした。


「味方に決まってんでしょ。見たとおり無泉つれてんだから――」

「どっちでもいいか、もう」


 男が、一気に、突っ込んできた。言葉からすればカルラの演技を見破ったのでは無い。もはや自暴自棄なのだろうか。


「ちぃっ!」


 金属の音は、高く高く、遠くまで響く。ルネッタはティニアを抱き寄せて、壁際まで下がった。魔力を持ったエルフ同士の接近戦だ。巻き込まれればひとたまりも無い。

 剣が幾度かぶつかり合って、するりと抜けた。散る鮮血。こぼれる臓物。勝ったのは――カルラだ。


「ふー」


 彼女は溜息をついて、こちらへと振り返り、そして急に吹き飛んだ。風があたりのゴミを撒き散らす。


「ぐ、なにが」


 傷は無い。単なる衝撃だけの風弾か。彼女が急ぎ体を起こそうと動くが、それに先んじて襲い掛かってくる影がある。

 やはりこちらも手には剣。地に倒れたままのカルラへと、一直線に振り下ろした。辛うじて受け止めたカルラの表情が、歪む。

 

 良く見れば路地の脇には小さな分かれ道があった。大人一人やっと通れるかどうかの細い道だ。そこに敵は隠れていたらしい。

 新たな男はついにカルラへと馬乗りになって、手にした剣を振り続ける。彼女は辛うじて弾いてはいるものの、薄氷の攻防なのは明白だった。

 

 ――あ

 ルネッタは奥歯を食いしばった。抱きしめていたティニアを放した。手にした剣をゆっくりと抜いた。

 そして背後から襲いかかる。

 敵がルネッタを警戒しなかった理由は、恐らく無泉であること。そして先ほどの戦闘では傍観に徹していたことだろう。それは正しい。自分は弱い。しかしそれは、無力とは違う。

 

 叫びたくなるような衝動を押さえつけて、ルネッタは剣を腰だめに構えて突進した。幸いにして背中を向けている。鎧も無い。簡単だ。簡単なはずだ。

 剣は、容易く背中に刺さった。けれどもあっさり骨で止まった。


「ぎゃああああああっ!?」


 男が叫び、もがき、ぎょろりと首がこちらに向いた。

 ――ひ

 目が合う。恐怖で体が縮む。しかし剣を更にねじ込む。伝わってくる感触は未だに慣れそうも無い。

 更なる悲鳴は漏れなかった。男の致命的な隙をついて、カルラの突き出した剣がその喉を貫いたからだ。死んだ男から剣を抜く。刺すときよりも、大変な気がする。血が、たくさん、出る。

 

 カルラは男を蹴り飛ばして、立ち上がった。服は返り血で染まり、肩で息をしている。


「あり、がとう、ルネッタちゃん」

「い、いえ」


 殺したのはカルラだ。なんという下らない言い訳だろうか。唾を飲み込む。吐き気ごと。


「まずいね」


 カルラは苦々しく言った。剣戟の音に、今の叫び声。近くに敵が居れば当然やってくるだろう。

 彼女は目を閉じた。聞いている、というよりは調べているのだろう。僅かな沈黙を挟んだ後、彼女の口から漏れた言葉は、


「ここで別れよう」

「分かれる、ですか」

「近くに何人かそれっぽいのが居るし、もうこっちに向かってる。あたしはここで引き付けるから、ルネッタちゃんとティニアちゃんは一回表に戻りな。で、向こう側の裏路地に入る」


 意味は分かる。理解はしている。でも、とルネッタは思う。


「それだと、カルラさんは……」

「あたしは大丈夫よ。適当に捌いたらひゅーっと逃げるから」


 頼もしく微笑む。それが単なる強がりであることは、ルネッタにだって簡単に察しがつくのだ。

 しかし、今は選ぶ余地が無い。


「ありがとうございます……本当に」

「いいって。それと、銃っていったっけ。あの武器は持ってる?」

「はい。一応すぐに使えるようになってます」

「だったら剣はここに置いていきな。どうせそれで何とかなるような状況は来ないし、非武装に見えれば見逃されるかも」

「……はい」


 剣をカルラへと渡して、ルネッタは大きく頭を下げた。他に出来ることが無い。それが何よりも歯がゆかった。


「急いで。もうすぐ来るよ」


 カルラの言葉に従って、ルネッタは駆け出した。ティニアの手を引いて、来た道を逆に逆にと走っていく。

 途中、後方から争う声と金属音が聞こえて、来た。

 歯を食いしばる。ティニアの手を強く握る。その柔らかさと暖かさが、己で定めた使命を思い出させてくれるようだ。

 

 走って、走って、覚悟を決めて大通りを渡った。あたりはやはり静かなままだ。家に篭って出てこない。ある意味当然の選択ではある。

 裏路地に入る。

 ――このあたりは

 見覚えがある地形だ。以前に交渉のための準備に、街の顔役のような男と酒場で会った。そのときに通った道なのだ。

 

 ――あれだ

 中に逃げ込もうか一瞬悩み、すぐに思いなおした。あのときの店主が、都合良く味方になってくれる保障が無い。奥に奥に、それこそこのまま街を出て森に潜んでしまっても良い。獣に会うとしても、今よりはずっとマシなはずだ。

 裏路地を進み、角を曲がろうとして、


「んぅっ!?」


 何者かに、突如体を押さえ込まれた。叫び声を押しつぶすように口元には手が当てられて、そのまま路地の奥へと引っ張り込まれる。


「ルネッタおねえちゃ……きゃっ!?」


 凄まじい力。ぴくりとも動けない。そんな衝撃も、ティニアの声が消してくれる。

 ――こ、のぉ

 ルネッタは口元の手に噛み付いた。食いちぎる覚悟で力を注いだ。けれど手の主は僅かに体を震わせたくらいで、まるで怯んでくれない。

 

 相手は背後からルネッタを押さえつけている。顔は分からない。体の硬さから男ではないかと思う。暴れようともがき、全力で歯を食い込ませて――何一つ動かない状況に、ついに恐怖という名の水が足元から這い上がってきた。

 息を、呑む。震えてくる。そして背後から声が聞こえる。


「落ち着け。良いか、危害を加えるつもりは無い。ただ騒ぐな。絶対に騒ぐな。分かったか?」


 ルネッタは――体から力を抜いて、しっかりと頷いた。殺すつもりなら一瞬で、連れ去るつもりならとっくに殴りつけている。言葉は真実だと思う。

 口元から手が離れて、その後体が解放された。

 

 振り返って、相手を見る。

 一目で分かる強面。まさしく盗賊の長のような威厳。それは見覚えのある顔だった。


「……トゥルス、さん」

「ふん、良く覚えてるな」


 忌々しげに彼は言葉を返した。

 辺りは空き地のようになっており、投げ捨てられたゴミからは悪臭が漂っている。場所を考えればちょうど酒場の裏なのか。

 右手にそっと触れた感触が広がった。


「ルネッタおねえちゃん……」


 同じように解放されたティニアが、抱きついてきたようだ。腕を回し引き寄せて、改めてルネッタは周囲を見る。

 人影の数は、トゥルスを除いて五人。皆武装し、ただならぬ雰囲気と鋭い目つきをしていた。一目で単なる市民では無いと分かる。恐らく――彼らが赤の宿木なのだろう。


「助けて、くれるのですか?」


 トゥルスは問いには答えず、


「ウェールの旦那もとんでもねえことをしてくれたもんだ。街で直接やり始めたら後は破滅しか残らないってのに、何を考えてるんだか……まぁそれは良い」


 ぎょろりと目が動いて、正面からルネッタを見据えた。


「人間の女よ、お前を助けるのは証言してもらうためだ。黒爪樹は俺さえ聞かされていない切り札だったが、どっちにしても結果は一つ。ウェールの旦那は最後には確実に負ける。首が飛ぶのか地に埋められるのか知りはしねえが、巻き込まれるのだけは御免だ」

「証言」


 無論、察しはつく。


「そうだ。俺達赤の宿木に助けられたと。俺達はウェールと一切関係が無く、よって罪も何も無いのだと。何でかは知らんが、お前は人間でありながら騎士団の書記官なんだろう。だったらあの怪物も言葉に耳を貸すはずだ。ルナリアの口添えさえあれば、俺らが反乱の責を問われることは無い」


 少し悩む。そしてティニアの体温を感じる。


「分かりました」


 最初から他に手は無い。まずは生き残る。残りはその後だと思う。

 トゥルスは満足げに頷いた。


「よぉし、ならさっさと遠くまで……」


 言葉が止まり、首が動く。ルネッタとティニアを除く全員が、空き地の入り口を見た。釣られるように、二人もそちらへと体を向ける。

 ずりずりと、何かを引きずるような音。よろよろと、頼りない足取りで空き地へと何者かが入ってきた。


「トゥ、トゥルスの、兄貴……」


 中肉中背の男で、言葉からすれば恐らく赤の宿木の一人。仲間が来たにも関わらず、冷えるような空気の理由は、その姿だ。

 ――ひ

 右腕の肘から先が無い。左足が千切れかかっている。顔や体には無数の切り傷が刻まれており、生きているのが不思議なほどだ。

 

 ぼたぼたと盛大に血を吹きこぼしながら、一歩一歩とこちらへと近づいてくる。

 トゥルスが右手をそっと掲げて、呟いた。


「お前、一体何が――」


 言葉を遮ったのは、何かが風を裂くような鋭い音。

 一瞬の静寂を挟んで、やってきた男の体が脳天から真っ二つに『ぱかり』と割れた。

 滝のように血が流れて、あらゆる臓物が地に飛び散る。

 悪魔は、ゆっくりと通路の奥からやってきた。


「あらあらあらぁ……祭りに参加しない悪い子達、はっけぇーん」


 風に流れる長い髪は真っ赤だ。ただし鮮やかな炎のようであるエリスのものとはまるで違い、悪い血のようなどす黒い赤さを持っている。全身を覆う甲冑は見るも見事な漆黒であり、手にした武器は黒い刃で作ったような奇妙な鞭だった。兜は無く、女であることを隠しても居ない。

 唾を飲み込む。一目で分かる。黒爪樹の誰かだ。

 刃の鞭が『ぐねぐね』と動く。まるで生きているかのように。


「せっかく派手にしてあげたのにぃ、こんなところで隠れてちゃつまらないでしょ? わたしが遊んであーげる」


 怖気を伴うほどに美しい顔。大きく見開いた瞳には、一目で分かるほどの極大の狂気。本来なら目を合わせることさえ躊躇する。それが今、殺意を持って前にいる。

 トゥルスが低く言った。


「とめとけ。そして逃げろ」


 彼の腕が勢い良く伸びて、ルネッタの腰を掴んだ。逆の手はティニアの体へと。

 彼は一気に地を蹴った。酒場の上まで飛び上がると、屋根伝いに駆けていく。無論、ルネッタとティニアを抱えたままだ。着地するたびにがん、がんと凄まじい音がする。なのにルネッタの体にはほとんど衝撃が伝わってこない。

 彼が飛び跳ねて向かう方向は、


「表、通りに、行くんです、か?」

「そうだ。騎士団の居る場所までお前を届ける」


 そのまま見事に屋根を伝い、表通りに着地して、駆け出そうとしたその出鼻を一筋の軌跡が止めた。

 石畳に、恐るべき鋭さの細い溝が出来ていた。

 やはり屋根伝いにやってきたのか、黒爪樹は目の前に突然飛び降りてきた。

 距離はまだある。しかし得物が鞭であることを考えるとすぐに間合いかもしれない。


「逃げちゃだめよぉ。それに親分さんが居ないと皆も寂しがるでしょ?」

「……あいつらはどうした」


 にぃ、と笑う。背筋が凍りつくような顔で。


「みーんな、死んじゃった」


 言葉に合わせて鞭を振るうと、赤い軌跡が石畳に絵を描いた。

 ルネッタの体が地面に下ろされた。ティニアも同じく。


「クソが」


 トゥルスが短く吼えて、突っ込んだ。手にはどこから取り出したのか、二本の短刀を持っている。


「あっははは、そうだよぉ。そうじゃないとねぇ」


 嵐のようにうねる鞭が、短刀とぶつかり合って火花を散らした。

 ――これ、は

 状況を思う。現状を考える。最悪に最悪を塗り重ねたような場面だ。トゥルスが負ければ自分も死ぬ。ティニアも殺される。彼が交戦を選んだ理由は部下のためよりも、恐らく逃げられないからだ。たとえ今すぐ走り出したとしても、ルネッタ達の足で稼げる距離など高が知れている。


「あらぁ、粘るのねぇ」


 大蛇のように暴れまわる鞭に肉を削られ、骨を抉られ、それでもトゥルスはまだ耐える。顔つきは悲痛だが、諦めてはいない。何かを、狙っている。

 

 ――どうする

 考える。考える。生きる道を必死に手繰り寄せるように。手札は何枚だろう。打てる手は何個あるだろう。あの黒爪樹はルネッタ達を絶対に生かして帰さない。それだけは顔を見れば分かる。

 

 一個ある。一個しか無い。だからそれに託すのだ。

 ――ごめんなさい

 ルネッタは謝った。声に出して叫びたいほどだった。刻まれ続けたトゥルスはついに膝をついて、敵の顔には嬉しそうな笑みが生まれた。


「じゃあねー」


 鞭が、襲い掛かる。


「――馬鹿が」


 やっときた大振り。これこそトゥルスは待っていたのだろう。爆発するような勢いで踏み込むと、鞭を掻い潜って敵の目前へ。短刀を――


「ばかはどっちかなぁっと」


 本当に生物のようだ。いかなる操作か、刃の鞭は突如突き進む方向を変えると、背後からトゥルスを貫いた。

 場所は、胸の、真ん中だ。

 ごぼりと大量の血がこぼれる。断末魔は出てこない。


「今度こそ、じゃあねー」


 敵が手元を捻ると、再び鞭は暴れ狂い――トゥルスの体は真っ二つに割れて、地に転がった。


「うん、まぁまぁだったよぉ、あなた」


 にこやかに言いながら、半分になった頭を踏み砕く。この敵は――今までと違う意味で、本当に恐ろしいようだ。

 瞳がゆらりと動いてルネッタを捉える。心臓をつかまれたように身が縮まる。


「ふぅ。それじゃ、つぎはあなただよぉ」


 ルネッタやティニアに一切の戦闘力が無いことは明白だ。故に緩んだ。明らかに、敵の空気が弛緩した。ここだ。そしてここしかないのだ。

 ルネッタは動いた。あくまでゆっくりと、服の中へと手を入れる。急ぎ動けば何かするのだろうと警戒されてしまう。

 

 ゆるゆると動き、表情は恐怖に怯えたような色を維持して――八割以上が演技ではない――拳銃を取り出した。

 あからさまには狙えない。そして顔に当てなければ意味が無い。けれど距離は十分に近い。


「えっとぉ、どうしよっかなぁ。わたし弱いものイジメが大好きなんだけど……どっちからが良いかなぁ」


 一歩、来る。二歩、来る。三歩、来る、その前に。

 ――ここだ

 他に無い。これ以上は無い。近づけば始まってしまう。

 だからルネッタは手首だけで拳銃の角度を調整し――引き金を、引いた。

 

 爆発する。衝撃が奔る。鉛の玉が、殺意を乗せて、敵の顔へと真っ直ぐに、


「おっと」


 ギン、という高い音を立てて。

 ――へ

 それだけ、だった。


「あぁ、これが銃って武器なのねぇ。面白そうって誰かが言ってったけ」


 当たり前のように、本当になんでもないことのように、敵は手にした刃の鞭で、放たれた銃弾を弾いてしまったようだ。

 ――う、そ

 ふつふつと、悪寒が背筋を這い上がってくる。現実と言う名の悪夢が、腹の全てを満たしていく。

 

 ラクシャの言葉を思い出した。黒爪樹を敵に回すということは、複数のエリスがそのまま敵に回るようなものなのだと。

 ルネッタは問いかける。己自信に、なぜか冷静に。

 もしも、エリスが敵意と殺意を持って自分の前に立ちふさがった場合、手元の貧弱な拳銃一本で、何とかなるとでも思うのか。ちょっとやそっと、不意をついたくらいで、だ。

 

 ――あ、あ、あ

 膝が笑う。死がそこにいる。血のような髪をした悪魔が。


「あは、あっはははは。あなた、本当に良い顔するのねぇ。ぞくぞくしちゃう。ここからどう責めると気持ち良いかなんだけどぉ……そうだ」


 悪魔が、本当に、悪魔のような顔をした。


「となりのちっちゃいの、真っ赤にしたら、もっと良い顔するかしら」


 ルネッタは、ティニアを庇うように抱きしめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ