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Elvish  作者: ざっか
第三章
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落涙

「ふぃーーー……」


 少々硬いベッドに腰掛けながら、我ながら抜けた溜息だとエリスは思う。

 風呂上りの体は上下薄着でも少々熱いが、魔術で強引に体温を下げるのは好かない。こういう余韻も風呂の醍醐味である。

 

 ――ふむ

 エリスは『左手』をゆっくりと開き、そして力を篭めて閉じた。切断面が鋭かったからか、治療は楽だった。筋力も問題無く元通りで、剣を振るうのになんら支障はあるまい。

 もっとも、万全であれば勝てるかと言えば――悩ましいところではあるのだが。

 

 敵が退き、味方も退き、戦はとりあえずのお開きとなった。夜戦の心配はまず無いだろうとはジョシュアの言葉であり、防衛線を構築し警戒は続けているものの、それなりの『休憩時間』が出来たのだ。

 失敗はしたが厳しい任務につき、片腕まで落とされたエリスには一際濃い休憩が与えられた。具体的には仮宿へと戻り風呂につかる許しが出たのだ。

 

 さっさと腕をくっつけて、汗と血と汚れを落とす弛緩の時。終われば己の部屋で小休止まで許可されていた。本当に悪く無い。ただ一つを除けば。

 

 ちらり、とエリスは横を見る。

 同じく風呂上りゆえの薄着。保護欲を掻き立てられる華奢な体に、透き通るように白い肌。艶やかな黒い髪に、これ以上無いほど可愛らしい大きな瞳。もはや癒しの象徴と化したかのようなルネッタが、しかしどんよりと暗い顔をしてベッドに腰掛けている。

 

 どうせ休みをもらえるなら図々しく行こう。そう思ってルネッタの同行を願い出ようとした矢先に、彼女から一緒に居たいと言ってもらえた。

 それ自体は飛び上がるほど嬉しいのだけれど――ではこの顔はなんだろうとエリスは思う。一緒にお風呂に入っている時から、まるで笑顔になってくれない。それどころかほとんど口をきいてくれない。にも関わらず、決して離れず後一歩で肌がすりあう距離を保っている。いったいこれはなんなのだろう。

 

 ――う

 目があった。憂いを帯びたルネッタの瞳は、まっすぐ、本当にまっすぐエリスを見ている。

 ――えーと

 困る。とても困る。何せ手が思いつかない。

 

 数秒ほど見つめ合っていると、ルネッタが動いた。体を僅かにこちらに捻ると、その細い手を伸ばして、エリスの左腕に触れた。恐る恐るといった様子で、何かを確かめるようにも見える。

 くすぐったい、というのが一番である。


「あの、ルネッタ?」


 言葉に即座に返事は無く、幾度もさすってようやく、


「きれいにつくんですね……」


 呟くように、そう言った。

 もしかして、とエリスは思う。


「心配してくれたんですか?」


 ルネッタは大きく目を見開いて、やがて小さく頷いた。触れた手はそのままで、微かに震えている。

 確かに、片腕が無い状態で戻ってきたのは少々心臓に悪いだろうか。しかし、


「でも、アルスブラハクの時は目の前で団長が攻城弓もらったりしてたのでは」

「それ、は……その……あの時はすぐに治っちゃって……今度は……」


 途切れ途切れにぽつぽつと。恐らく、理屈では無いのだろうけど。

 とはいえ、エリス自身の経験では片腕が落ちることなどそう珍しくも無い。死なない限りは大抵は治せる身であるからこそ、負った傷など数えるのも馬鹿馬鹿しいのだ。


「仕方が無いことですよ、戦場に出てるんですから。腕が飛んだり、足が飛んだり、殺したり……殺されたり。私だっていつ殺される側に回らないとも限りません」


 何気なく言った言葉に――ルネッタが固まった。

 まばたきすらせず、呆然とエリスを見て、唇が僅かに震えて。

 ――あ、まずいこと言ったかなこれ

 やがて触れた手に力が篭ると、


「死ぬかもなんて、言わないでくださいよぉ……」


 顔をくしゃくしゃに歪めて、泣き出してしまった。

 ――ふわ、わ、わ、わ

 ふぅぅぅ、と唸るような声を発しながら、大粒の涙がぼろぼろと太ももに落ちては弾ける。泣き顔自体は幾度も見たが、今回のは下手すれば最大の物かもしれない。


「ル、ルネッタ……?」


 思わずそっと肩を寄せると、向こうから一気に抱きついてきた。大きく震え、泣き声は止まず、エリスの胸元へと顔を強く押し付ける。

 優しく抱きしめて頭を撫でると、少しずつ、本当に少しずつ泣き声が小さくなっていく。


「ごめんなさいね」


 忘れていた。この娘は戦士でも無ければエルフでも無い。死と戦への思いが違って当然である。あるいは単純かつ純粋に、好いていてくれるだけかもしれないけれど。

 

 ――いやー酷いねあたしは

 泣かしておきながら、そんなことを考える。自責を拭うように手を動かして、ルネッタの頬をなぞった。

 彼女が顔をあげる。涙で濡れた頬がきらきらと光っていた。そっと引き寄せ、距離が詰まって、極自然に口づけをする。ただし、場所は唇ではなく、彼女の涙の跡に沿って舌でそっとなぞった。


「ふふ、おいしくは無いですね」

「……ぅう」


 抗議の声らしき何かは、うまく言葉にならないようだ。

 だからやめない。すべすべの肌を味わうように、頬のあたりをはむはむと甘く噛む。右手を背中へ、左手はふとももをすりすりと撫でる。

 小休止。一度離れて見て見れば、ルネッタは頬を朱に染めて、瞳はぼんやりと空中を見つめている。だから再開。

 

 今度は正面から唇を捉えた。。少し驚いたようにルネッタの体が震えて、すぐに受け入れるように震えが止まる。力も抜ける。

。 

 ――ああ

 もう一度離れて、また見つめ合う。ルネッタの顔は、もうとろとろに蕩けていた。もっとも、己もたぶん変わらないのだろうけれど。

 ――もういいや

 我慢できない。むしろ我慢が馬鹿馬鹿しく思えてきた。まだ時間はある。このまま彼女を押し倒して、味と言う味を頭に刻むように堪能して、そして――

 

 ノック、の音。

 思わず二人して背筋を伸ばし、絡み合った体を離した。


「あ、あ、あの、しつれい、します」


 子供の声。はて、と思いすぐに見当がついた。


「どうぞ」


 入ってきたのは茶色の髪をした子供。エリスが助けたあの少女だ。名は――ティニアといったか。ルネッタが名づけたという話であるが。

 手にはお盆、コップが二つ。


「おのみものを、おもちしました」

「……ありがとう、そこに置いてくれますか」


 小さなテーブルを指差すと、少々危なっかしい様子でティニアは足早に向かう。

 その背中に、エリスは疑問を投げて見た。


「ところで、誰に言われたんです?」

「えと……それは騎士団の方からの言伝がありまして……だんちょうからの、いきすぎるまえのいって、だそうです。あの……わたしには、あまり、わかりません、ごめんなさい」

「いえいえ」


 ――おのれぃ

 読まれていたか。むしろ読めて当然か。

 その時、だった。ティニアの顔が、何かまずいものを見つけたかのように、強張ったのだ。


「あ、あのっ……ルネッタさま、なみだが……」

「……えっ!? あ、うん。何でも無いよ。大丈夫」


 顔の赤みはともかくとして、あれだけ盛大に泣いたのだ。当然綺麗になるわけも無い。全てエリスが舐め尽すわけにもいかないのだし。

 エリスは二マリと笑った。


「ルネッタはですね、私に会えない寂しさで泣いてしまったそうですよ」

「えっ……?」


 ティニアはその言葉にぽかんと口を開けた。ではルネッタはと言えば、


「うううううぅぅぅぅ」


 抗議の唸りを上げながら、唇をこれでもかと尖らせて、ぽすぽすと怒りの右拳がエリスの肩へと飛んでくる。

 只ひたすらに心地よいだけなので、エリスはさらにニマニマと笑う。ルネッタの目じりに再び涙が浮かんだあたりですぱりとやめて、ぐいと強引に抱き寄せた。ティニアが見ているが、まぁ良いかと思う。

 

 ルネッタの体温と匂いを味わいながら、エリスは明日を考える。

 勝たねばならない理由が、また一つ増えたようだ。

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