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Elvish  作者: ざっか
第三章
76/117

突破


 本陣から戦場まではかなりの距離がある。豆粒のような兵達の戦いはどこか現実感が薄く、届く剣戟の音もまるで壇上の音楽のようだ。

 

 それでも、とルネッタは思う。

 弾けた血、抉られた戦列、そして飛び出したルナリア、それらは全て現実の出来事だ。

 

 軽いめまいを覚える状況の中、確かにルネッタは見た。遠い戦場、遠い戦列、その右端を一つの影が貫くのを。

 通り道は朱に染まり、セルタ兵にはもはや追う気概も力も無く、その漆黒の敵影は一直線に本陣へと走ってくる。

 

 ――ひ

 速い。恐ろしく速い。あの様子ではここまで数十秒とかからないだろう。

 剣を擦り合わせるような音が、右から響いてきた。


「ルネッタの嬢ちゃん」


 横に立っていたラクシャが、初めて聞くほどに硬い声で、


「一応聞いとく。戦って良いか? それとも連れて逃げて欲しいか? 切り結んでから方針変更する余裕があるかは、正直怪しいな」


 彼の瞳は、揺るがずまっすぐルネッタを見ている。

 ごくりと唾を飲む。本音を言えばもちろん逃げたい。本陣に居る兵は僅か数名。優れた戦力と呼べるのはラクシャ一人だ。今まさに正面から陣を貫いてきた相手に対して、安心などできるはずも無い。

 

 逃げても良い。きっと誰も責めない。

 だから、


「……いえ、どうかここを守ってください」


 震える手を強く握る。お飾りだろうが役に立たなかろうが、今の自分は騎士団の一員だ。本陣が落ちることが戦においてどれほどの意味を持つか、分からないはずも無かった。

 ラクシャは――微笑んだ。満足そうに。


「ま、努力はするさ。勝てればそれで終わり、負けそうなら抱えて逃げると。ということで、向こうに行って小さくなってな。最悪一人でも逃げれるように」


 彼が指差したのは本陣の隅も隅、単なる畑だ。周囲の見通しは良く、追われれば逃げられない。それでも、ただ諦めるよりはよほどマシだ。同時に、今すぐ逃げるよりも。

 

 ルネッタは駆ける。ラクシャは剣を構えつつ、周囲に指示を飛ばす。邪魔だから手を出すなとの言葉は、真実でもあり、気遣いでもあるのだろう。

 

 隅まで逃げて、振り返れば。

 決して小さくは無い段差を一足飛びで超えた影が、本陣の端に降り立つ所だった。

 

 恵まれた体躯を漆黒の鎧に包み、兜で隠した表情は読めず、その手にした大矛が身震いするほどの威圧を周囲に放っている。

 こちらの兵は皆武器を手にして、侵入者を遠巻きに囲む。とはいえ戦うつもりも無く、見る限り揃って戦意も無い。

 

 本物の、かつ極上の錬騎兵に対抗できるのはこの場では只一人。両手に曲刀を持ち正面から敵と対峙するラクシャのみだ。

 敵の声は低かった。


「貴様が将か」

「そんなわけねーだろう。俺らが誰で、頭が誰か、当然知ってるはずだろうに」


 黒い鎧は僅かに震えた。笑った、のかもしれない。

 静かに睨み合って、呼吸も忘れるような静寂が包んで、衝突は直後だった。


「がぁっ……!?」


 苦悶の声はラクシャのものだ。

 敵はラクシャに向けてまっすぐ地を蹴り、手にした大矛を振り下ろした。ラクシャは手にした曲刀を交差させて、しっかりと受け止めた。

 ただそれだけの攻防が、ルネッタの目にはほとんど見えなかった。

 

 風さえ伴う轟音が辺りに渦巻いて、あまりの衝撃かラクシャの足元は僅かに沈んでいた。

 ラクシャは曲刀を巻き込むように捻り、相手の矛を大きく弾いた。生まれた隙――しかし距離を詰める余裕は無い。再び振るわれる大矛に、迎え撃つ曲刀。

 

 足を止めての斬り合いは壮絶なまでの激しさで、先ほどおきた前列同士のぶつかり合いが児戯に見えるほどだ。太刀筋どころか、手にした武器をまともに視認するのも困難だった。

 

 それでも、どちらが押しているのかはルネッタにも一目で理解できる。

 両者は奇妙なほどに同じ速度で戦っていた。片や速度を重視した曲刀、片や威力を重視した大矛だというのに、だ。

 

 ラクシャの顔は苦しげに歪んでいる。保ち続けている拮抗は、薄い氷のようなものだ。

 打ち下ろされる。打ち下ろされる。そしてもう一度打ち下ろされる。


「……っのやろ!」


 三度の強打を受け止めたラクシャは、強引な反撃に出た。刃を絡ませたままに踏み込んで、懐にまで滑り込む。

 それさえも読まれていたのか。敵は力任せに矛を捻ると、ラクシャの刀を撥ね退けて――小屋程度なら両断しそうな払いが来る。

 

 ラクシャが横に吹き飛んだ。軽く十数歩の距離を飛ばされたが、出血は無い。どうやら柄で受けたらしい。

 さすがに着地する余裕は無いのか、地を削りながら転がって、絶望的な隙を晒してしまった。

 

 敵の全身に殺意が満ちる。

 それに割って入ったのは――本陣に居たセルタ兵だ。


「囲め!」


 百人長が叫ぶと、五人の兵が武器を構えて敵の周囲に駆ける。それぞれ距離を同じように保ち、構えも似ている。集団戦闘に関してだけは、セルタ兵は良く訓練されているとはエリスの言葉だ。

 しかし、


「邪魔だ」


 風を裂く、清々しいまでに澄んだ音。

 直後、周囲のセルタ兵は全て腹から両断されて地に転がった。声を上げた百人長も同じように。


「てめえ」


 静かに、しかし激昂し切りかかるラクシャへと――今度は逆方向からの払いが来た。

 彼はその一撃に綺麗に曲刀を合わせた。だというのに、体は浮き、先ほどの倍の距離を飛ばされる。

 

 ――あ

 足から着地し、傷も無い。しかし今度のほうが状況が悪い。なぜなら彼が飛ばされた先は、ルネッタのすぐ傍だったからだ。

 やばい、と彼の表情が言っている。ルネッタの足は状況を飲み込みきれずに、動いてくれない。

 

 弾かれたように、二人は同じ方を見て。

 黒い鎧が、地を蹴って――なぜか寸前でぴたりと止まった。

 矛を肩に掲げて大きく後方に下がると、ラクシャに向けて挑発するような手招きをした。

 

 震えた足から力が抜けて、ルネッタはぺたりと地面に座り込んでしまった。下手すれば、ではなく敵が引かなければあのまま半分に断たれていたかもしれない。

 ラクシャは舌打ちを一つして、歩きながら敵に問う。


「なぜ退いた」

「非戦闘員を巻き込むのは好かん」

「そりゃご立派な心がけだ」


 再び二人は本陣の中央まで戻ると、十分な距離を取って対峙した。

 あたりには血と死体、そして奇妙な静けさ。

 再び膨れ上がる殺気。衝突するほんの僅か前に、敵の後方から火炎の弾が降り注いだ。

 

 二つは届かず宙に消えて、残った一つは本陣に置かれた粗末な椅子に直撃した。煙、火、音と匂い。鋭く叫ぶ声が響く。


「カシラっ!」

「おー、エズバハ。生きてたか」


 段差を駆け上がってきたのはラクシャの右腕だと言われていた、現第七騎士団百人長のエズバハ。それに加えて数名の騎士団兵。皆所々に傷を負い、血と泥に塗れてはいるが、とりあえずは無事なようだ。


「すいやせん、抜かれました」

「いーよいーよ、こんな奴止めるの無理だわ。だから――」


 右手の曲刀をそっと敵へと向けて、


「囲んでやっちまうか」


 指示を受けて、エズバハ達は敵の周囲に展開した。先ほどのセルタ兵の状況に似ているが、こちらはラクシャ直属の部下達だ。質のほどはそれなり以上の開きがある。

 

 敵は、少しも怯まずに、大矛を低く構えた。

 やるつもりだ。そして勝つつもりだ。先ほどの力を見れば、思い上がりと断じることなどできはしない。

 

 弾ける寸前まで高まった圧力を妨害したのは――遥か彼方の雷だった。

 地から天へと逆流する数本の光は、少し前に見た代物と良く似ている。より力強いことを除けば、だが。

 

 敵が言う。


「撤退か」

「おや、逃げるのかい」

「好きに取れ」


 言葉に反して、ラクシャは部下に囲いを解くような合図をした。広がる隙間を堂々と、武器も構えず黒い鎧がすり抜ける。しかし誰も斬りかからない。

 その背に向けて、ラクシャは声をかけた。


「俺はラクシャ・ラグ・ラザルスだ。あんたは?」

「……デューイ」


 ぽつりと答えて、デューイは走り出した。まさしく突風のような速度で、来た道をまっすぐ帰っていく。

 ラクシャが大きな大きなため息をついた。


「きつかったなぁ」

「死なずに済んだだけ儲けもん、でしょうよ」


 部下と軽口を叩き合うような声音だが、彼の頬には玉のような汗が浮いている。あのまま戦えばどうなるか、ルネッタの想像が及ぶ範囲ではなかった。

 

 撤退、の合図は敵軍全てに及ぶものだったのか、かみ合っていた前列は段々と離れて、背を向けて下がる敵軍の姿は戦の終わりを告げるようだ。

 無論、中断に過ぎないことは分かってはいるのだけれど。

 

 セルタ兵や騎士団の兵も後退を始めたようだが、その先頭から矢のように抜け出してくる人影が一つ。

 凄まじいの一言で表せる速度で帰ってきたのは――ルナリアだった。全身に細かく血がついているが、傷は無い。返り血か、あるいは既に治癒したのだろうか。

 

 彼女は一気にこちらまで駆けてくると、


「ルネッタ、無事か!?」


 必死の声で、そんなことを言う。


「はい、ラクシャさんに守っていただきました」


 運が悪ければ死んでいた。それが真実ではあったが、ここでそう言うのは気が引ける。

 心からほっとしたようにルナリアの顔が緩んだ。役立たずの個に過ぎない己をそうまで重く考えるのは、大将としては失格かもしれないけれど――嬉しいと思ってしまうのは、どうしても止められない。

 

 ラクシャは、なんだか気まずそうに後頭部を掻いていた。ルネッタとしては感謝こそすれ、責めるつもりなんて毛ほども無いのに――とはいえ、彼とて危うかったという負い目もあるか。難しいものだと思う。

 

 ふと、遠くで何かが動いた。気になって目を凝らせば、それもまた人影で。

 段々と近づいてくるその姿は、真っ白に輝く鎧と、炎のように赤い髪。

 見慣れたはずのその姿に、ルネッタは腹を刃物で抉られたような衝撃を受けた。

 

 純白の鎧の所々を血に染めて、口元に大剣を咥えて駆けてくる。僅か数時間ぶりだというのに、久しぶりだと勘違いしてしまいそうで。

 ようやく帰ってきたエリスには、左腕が無かった。

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