乱戦
シンシアは第七騎士団でも数少ない第一市民権持ちである。
裕福な家庭に育ち、文武共に優れた教育を受け、ゆくゆくは近衛にと周囲からの期待を受け続けた幼少期を送った。
絵に描いたように『恵まれた』彼女が、ごろつきに混じって第七騎士団への配属を希望したのか、親でさえも知ることは無かった。語るつもりが本人に無いのだから、当然の話である。
第七騎士団は不可思議な軍団であった。主たる兵の質は決して誇れない――どころか、下手すれば西方の盗賊に劣る始末でありながら、それらを率いる隊長の質は国内でも屈指であろう。
まさしく規格外であった団長、何年も前から既に国中に名を轟かせていた副長。大貴族の出だという二番隊隊長に、いわば第三市民の憧れと言える三番隊隊長と、将の力は古老直下の部隊を相手にしてさえ毛ほども劣らない。
シンシアには自負があった。己は騎士団の兵達よりも『上澄み』であり長達に近い立場だと。ゆえに見下す、ではない。驕るでもない。力があればこそ、見合った義務を果たさねばらならぬという、責任感である。
だから引き受けた。白い鎧に身を包んで副長に扮し、可能な限り敵の目をひきつける。
本音を言えば好かぬ相手の真似をする。それ自体に文句が無いとは言えないが、この勤めを果たせるのは己だけである。だからこそ剣を握り、最前線に立ち、敵と正面からぶつかり合った。周囲に己を誇示しながら。
そして出合った。
「ぐぅっ!?」
背中から地に強かに叩き付けられた。息がつまり、目じりに涙が浮かぶ。見え見えの斬撃を正面から防いだ。確かに防いだはずだというのに、シンシアの体は宙を飛び、受身も取れずに地に落とされたのだ。
震える足で立ち上がる。確かな衝撃が五体に刻まれてはいるものの、それよりも心に打ち込まれた楔のほうが遥かに大きかった。
純粋に、力が違いすぎる。
「なんだぁ、随分軽いなおい」
長剣を肩に掲げて、その男は姿勢を崩した。
鎧は全て漆黒の極光製、武器もやはり同じように黒い。兜は無く、顔つきは精悍の一言である。やや長身ではあるが、体躯は平凡と言って良く――つまり今の一撃は、純然たる魔力によるものである。
――馬鹿な、なぜ
男の周囲には既に無数の『破片』が広がっていた。それは即ち鎧の欠片であり、エルフの肉片であり、男が煙でも払うかのように殺した兵の残骸であった。
練騎兵。それも騎士団の長となりうるような強者だ。僅かな接触で既に二十近いセルタ兵を葬っているのだ。桁外れの相手であることは明白である。
そして。
「白い鎧ってのは合ってるけど……こいつ、本当にあの決闘狂いかねぇ。正直一人二人は殺される覚悟だったってのに」
長身の女。得物は長柄の斧。
「噂先行で中身は雑魚、てのも良くある話だが、こいつはどっちかというと」
細身の男。だというのに巨大な両手剣を右手一本で支えている。
「偽者だろうねー。アレだけ騒がれてる奴がこの程度とかありえないでしょ」
小柄な女。武器は奇妙なほどに長い剣を右に、盾代わりの短剣を左に。
四人は、ゆっくりと一列に並んだ。
既に周囲は血の海である。あまりの凄まじさに敵であるセルタ兵はおろか、味方であるはずの反乱軍さえ戦意がそがれ、ただその場に立ち竦んでいるだけであった。
その気になれば一人で陣を貫くほどの化け物。それが四人、シンシアの前に立っていた。
最初の男が、一歩、踏み出す。
「てことは、団長が当たりか。拍子抜け……と言いたいところだが、どっちにしろ本番は別だからな」
剣を軽く振るい、瞳がぎょろりとシンシアを捉えた。
――ひ、ぐ
体が震えた。一対一でさえ勝ち目など毛ほども無い。それが四人。
周囲の味方は戦意を喪失しているか、死肉となって草原に転がっているかのどちらかである。
――死ぬ、のか、こんなところで
背を向けて逃げるか。まさかとシンシアは思う。それだけは何があっても出来無いのだ。もっとも逃がしてくれるはずも、無いのだが。
最初の男の体が深く沈みこんで――止まった。
眉をしかめて上を見る。ぎちりと微笑んで構えを変える。そして言う。
「来たか」
男を含め、四人が一斉に散らばるように地を蹴った、その直後。
巨岩が落ちるような轟音と共に、草原が弾けた。巻き上がる土と草に視界が遮られる。
それを手で払い、見据えれば、黒い鎧と金の髪。馬鹿げた大きさの斧槍を掲げる団長ルナリアの姿があった。
彼女の足元には、巨大な投石器でもそうは作れない大きさの穴が出来ている。
戦場に生まれた奇妙な空間、その中央に立つルナリアと、ある程度離れて周囲を取り囲む四人の錬騎兵。
長身の女が斧を向けつつ言う。
「こいつがあの怪物ルナリアか」
「……かー、とんでもねぇバケモンだ。絶対やりたくねえ」
最初の男はそう返して、だというのに怯まず剣をさらりと構えた。
細身の男が大剣を振り上げて半歩踏み出し、
「サシならな。幸いこっちは四人も居る」
「いいじゃん、そんなことはさ。勝っても負けても楽しいよぉ絶対」
小柄な女は笑いつつ、腰を深く落とした。
何かに飲み込まれたように周囲の音が消え、直後に『戦争』が始まった。
片手で静かに斧槍を構えるルナリアへと、四人の練騎兵が一斉に襲い掛かる。比喩抜きで矢の如き速度の踏み込みに対して、ルナリアは一度大きく退いた。追撃に走る四人。ルナリアは強く強く地を踏みしめると、自ら敵集団に向けて突き進んだ。
斧槍が、一直線に風を裂いた。
大気ごと弾けるような一撃を見て、シンシアの背筋はぶるりと震えた。仮に己があの場にいれば、気付くことさえ無く両断されているのは確実だったからだ。
だというのに、
「うおぉ、こりゃまともに受けたら死ぬな」
「こちらは噂以上か、面白い」
直前に回避したのだろう。四人は全員が無傷であった。再び油断無く取り囲んで、武器と殺意と魔力をルナリアへとまっすぐに向ける。
言葉の通り、個であればルナリアのほうが明らかに強いのであろうが、仮にも四対一だ。何一つ楽観できる状況ではない。
――援護、を
当然の思考ではあった。己らの大将が敵に囲まれているのだ。放置するなど正気の沙汰では無い。だが、とシンシアは息を呑んだ。
四人と一人は、既に乱戦に入っていた。
暴風が絡み合うような接近戦は複雑さを増し、シンシアには展開を目で追うので精一杯である。
薙ぎ散らすような斧槍を黒い影がなんとか掻い潜り、鮮やかささえ覚える斬撃が一つ、二つ。団長はそれを簡単に弾いて、お返しとばかりに突きを繰り出す――かと思えば背後から別の敵が援護に入り、ルナリアは背を向けたまま地を抉るような斧を止めた。
仲間がそこにいるというのに、躊躇無く放たれた炎の槍は、ルナリアの遥か手前で宙に消えた。しかし炎が視界を閉ざした僅か一瞬を狙い、左右から同時に黒い鎧が迫り、振るう。
鋼同士がぶつかり合う轟音は絶えず草原に鳴り響いて、目を閉じてさえ戦いの激しさを感じ取れるほどである。
――あれに、混ざる
正気では無いとシンシアは思う。羽虫を払うように敵に殺されるのであればまだ良い。悪ければルナリアの足を引っ張るだけになり、最悪は彼女の斧槍に巻き込まれて死ぬ。
歯軋りをして、剣を強く握り締めた。それでも足が前に進まない。それはシンシアに限った話ではなく、周囲の敵味方全てに共通していた。
「シンシアっ!」
団長の声に、シンシアの背筋は跳ねるように伸びた。
相変わらず、めまいがしそうな斬り合いを続けながら、ルナリアは叫んだ。
「隊列を整えろ!」
「はっ! ……え、援護は」
「いらん」
シンシアは指示の通りに動いた。崩れ、揺らぎ、座り込んだ兵達に檄を飛ばして平らな陣を再び組ませる。幸いにして反乱軍はいまだ混乱の中である。この位置を死守せよとの任務は、問題無く果たせるはずだ。
ただしそれは、ルナリアが恐るべき四人を縫い付けている間に限る。そして血と鋼の天秤は、徐々に徐々に、敵側に傾きつつあった。
「ちぃっ!」
大剣の先端が僅かにルナリアの肩を裂いた。鎧のおかげか傷も浅く、当然あっという間に塞いでしまうだろう。それでも、ほんの僅かそちらに力が取られる。
その隙を次が狙う。
長剣が払われ、槍が突かれ、二刀が軌跡を描いて、鎧が抉られ肉が断たれて。
そして斧槍が振るわれる。
「んだとぉ!?」
幾つもの傷を負いながらも強引に放たれたルナリアの一撃が、最初の男の右肩から先を吹き飛ばした。
追撃のために伸ばされた手から、男は必死の表情で後方に逃れた。
樽を転がしたかのように溢れた血は、もう止まった。
再び四人と一人は距離を取って対峙する。
男が言う。
「信じられん、あそこから反撃するか」
生まれた空白は天秤を戻したかのように見えた。事実、ルナリアの体に刻まれた傷は全てが綺麗に消えていた。鎧も修復が終わっているようだ。
それでも状況が決して良くないのは、彼女の表情が雄弁に語っている。
「楽しいねぇ。楽しいよぉ」
小柄な女がけたけたと笑って、再び低く武器を構えた。
空気が元に戻る。悪寒が更に増す。本当に。
――本当に、見ているだけで良いのか
やはり援護するべきだろうか。しかしそれは援護になるのだろうか。足を引っ張るだけになれば――
始まった。
小柄な女が地を蹴る。右に飛び、左に飛び、ルナリアへと向けて最後の一歩を踏み出す、まさにその瞬間。
突如横から襲い掛かった一筋の風に、派手に吹き飛ばされた。
「いったっ!? なによ、もう」
完全なる不意打ちであったろうに、女はそれを二本の剣で何とか受けきると、足から綺麗に着地した。
風の正体は、一本の黒槍。そして放ったのは、騎士団の誇る隊長の一人。
ルナリアが言う。少しほっとしたように。
「ジョシュアか。助かる」
彼は困ったようにほほをかいて、
「いやーそれがですね団長」
彼は凄まじい勢いで背後へ振り返ると、空中に三度の突きを放った。鋼の軋む轟音が響いて、今度は空から反撃が降りてくる。
避けて、逃げて、ジョシュアは言う。
「助けて欲しいのは私だったのですが」
黒い鎧に、黒い槍。まるでジョシュアを鏡に映したような装備の男。即ち五人目の錬騎兵がそこにいた。
「……なるほど」
ため息混じりにルナリアが言う。
状況は――どうやら悪化したらしい。
片腕を失った最初の男が、大きく武器を天に掲げた。
「盛り上がってきたようだし、ここらで派手にやるかね」
振り返り、呼びかける。それは即ち傍観に徹していた反乱軍への言葉だった。
シンシアの体を緊張が覆った。奇妙なまでに硬直した戦場を、動かそうというのだ。そうとも、何を恐れると思う。これこそ戦争、だろうに。
男の号令。それをまるで遮るかのように、遥か遠方で新たな雷が地から天へと上っていった。
轟く音に、数本もの数。出所が同じことを考えれば一人が撃った魔術だが――だとすれば凄まじい使い手だ。場所は恐らく老大樹、その周囲を取り囲む砦の中か。
最初の男が口を尖らせた。
「んだよ、撤退だぁ?」
「ええー、こっからが楽しいんじゃないの」
小柄な女も同様に文句を言う。
「団長が引けと言うんだ。それ以上何が必要かね」
不満を抑えるような言葉を、斧を構えた女が言う。残りの錬騎兵も同様に、武器を構えつつも距離を取った。
――撤退、終わるのか
「ちっ……しゃーないな。よーしお前ら、今日はここまでらしいから、帰るぞ」
動揺。ざわめき。しかし結局は従う。
殿さえおかず、目の前で堂々と背を向け退いていく反乱軍に、ルナリアは一切の攻撃を行わなかった。
殲滅が目的で無いという理由もあるが――何よりも、このまま錬騎兵ともう一戦交えるのは得策ではないと考えたのだろう。
敵は強かったのだ。凄まじいほどに。
ジョシュアは僅かに肩を竦め、ルナリアは大きく息を吐いた。
こちらへと振り返り、言葉を捜すように逡巡している。そんな彼女の瞳が、どこか遠くを捉えた。
そしてぽつりと、あるいは呆然と。
「ルネッタ……?」
シンシアも振り返る。そして目を凝らしてじっと見る。
本陣の辺りから、煙が上がっていた。