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Elvish  作者: ざっか
第三章
74/117

制圧

 ――しかし、なーにやってんのかねあたし

 少しでも高い草を探しては、這いずるようにそこまで進んで、もう一回。まるで盗賊か脱走した囚人になった気分である。

 

 実際はともかく、体感では気の遠くなるような時間をかけて、ようやくエリスは老大樹まで後数百歩の距離まで近づいた。途中何度起きて駆け出そうと考えたことやら。そもそも鎧に大剣まで抱えてやるような仕事では無いだろうに。

 

 天まで届くかのように聳え立つ老大樹の周りは、丸太を並べて突き刺した即席の『城壁』に囲まれていた。高さ、強度共になんら問題無い程度の障害ではあるが、中が視認出来無いというのは馬鹿にならない。

 魔力で内部を探るという手もあるにはあるが、出来れば避けたかった。当然だが探るにはこちらも相応の魔力を放つのだ。何のための隠密行動かという話になる。

 

 結局は、中も確認せずに突入して力任せに押し通す以外に手は無い。あまりに乱暴な策ではあるが、任せてもらえたことが嬉しくもある。複雑なのである。

 

 ――砦にこっそり突入ねぇ

 そういえば、前にも似たようなことはあった。まだ雪の残る季節に、寂れた砦に裏から入って、中で散々に剣を振る。その時は一人ではなく、別口から同時にジョシュアも突入して――あいつと初めて会ったのもその戦場だったか。

 

 脇にそれた思考の中、エリスの目は空に流れていく赤い光の玉を捉えた。意識がぎり、と引き締まる。アレはルナリアからの合図である。

 エリスは体を起こした。剣を静かに抜き、脇に抱えて中腰で素早く進む。見る限り後方に見張りは居ない。舐めているのか、余裕が無いのか、真実はこの場でさして意味などあるまい。

 

 砦の壁までたどり着く。当然だが門など無い。無論、足場や梯子もあるわけが無い。

 ――壊すか超えるか悩みどころ

 丸太は相当に立派な太さだが、この程度素手で抜ける。現在は愛剣が手にあるのだからスープにつけたパンのようなものだ。

 

 しかし、とエリスは思う。

 壁をぶち抜くのも中々に衝撃を与えるだろうが、それよりも突然内部に侵入されるほうが動揺は大きいだろう。目的は皆殺しではなく制圧である。理想は殺さずに済ますことだとも言われているのだ。

 警戒に値するのは今のところウェールのみ、残りは三流と市民兵である。そのウェールとて、エリスと切り結べば五合と持つまい。つまり、敵中央に飛んで入るのを悩む理由は無し。

 

 エリスは勢い良く地を蹴った。さすがに一足とまでは行かなかったので、丸太の上部に指を突き刺して、それを支点にもう一飛び。

 尖った先端をさらに蹴って、エリスは砦内部へ堂々と突入した。

 着地の衝撃が全身を包む。土煙が僅かに上がる。そうしてエリスが降り立ったのは、ちょっとした広場だった。

 

 エリスは剣を肩に掲げて、ぐるりと辺りを見渡した。

 子供が居る。老人が居る。無泉と思しき男女がいる。一目で非戦闘員と分かるエルフ達が、突然の侵入者を不思議そうに見つめていた。

 戦闘可能な者のほとんどは、どうやら外に出ているらしい。余裕が無いのであれば当然のことであった。

 

 ――さーて、どうするかね

 周囲を取り囲む数十名のか弱き者達は、どうやら自体を飲み込めていないようだ。だからエリスは高らかに宣言した。


「反乱軍の者達よ、直ちに武器を捨て降伏しなさい! そうすれば一切の危害は加えません!」


 静まり返り、息を呑んで――やがて嵐のような悲鳴と怒号が、広場の隅々までを埋め尽くした。

 逃げ惑う市民の背を、エリスはぼんやりと眺めている。

 ――まーこうなる

 

 戦う気概のあるものは、ほぼ全てかき集めて正面に送っているはずなのだ。故に敵に進入されれば喚き散らすのが精一杯だろうと、最初から考えてはいたのだ。

 ――おっと

 もっとも、極僅かな兵は残しているはずであり、その予想を裏付けるように五人の武装兵が必死の形相でこちらへと走ってきている。

 

 エリスは剣を無造作に構えた。そうしてもう一度繰り返す。


「直ちに武器を捨て降伏しなさい。悪いようにはしません」

「だっ黙れ! 囲むぞ、お前ら!」


 震えた声でそう叫ぶと、五人の兵がエリスの周囲を取り囲んだ。距離は綺麗に均一であり、手にした得物は全て槍。魔力の絶対的な不足を取れた統制で補う、良く努力しているとエリスは思う。

 

 が、それだけだ。

 回避の隙を与えぬよう、同時に放たれる槍。それらが届く直前に、エリスはクルリと横に回った。

 突き出された五本の槍は、綺麗に全てが断ち切られ、無残に地面へと転がった。呆けた兵、その脱力を見逃さぬように、エリスは飛び切りの『威嚇』をする。


「……ひっ!? ひぃ、ひぃいい」


 魔力で膨らんだエリスの殺気は、周囲の者達の体中を舐め尽す。ある者は武器を落とし、ある者は膝をついた。どうやら戦意は根から砕けたらしい。

 エリスは再び剣を肩に掲げた。流血無し。これ以上無い戦果であろう。後はこのまま砦全てを制圧すれば終わり、なのだが。


「下がれ。後はおれがやる」


 静かな声である。圧するでもなく、ただ一言。武器も戦意も失った兵達は散り散りに逃げて、代わりに声の主が広場の中央へとやってくる。

 向かい合う距離、およそ十五歩といったところか。

 

 全身を隈なく黒い鎧に包み、手にした武器は極光製の長剣――いや、長さを考えれば大剣か。奇しくもエリスの武器と良く似ていた。

 顔つきは透明感を感じさせるほどに整っており、男にしては少々長い髪が風に靡いていた。背丈はやや高めという程度で、全体的な体躯は極普通といったところか。

 

 奇妙なのは魔力である。装備を見れば確実に練騎兵であるにも関わらず、並みのエルフ程度にしか感じない。

 当然だが、エリスはウェールの顔を知っている。故にこの男が別の誰かだということは分かる。しかしそれ以上の情報が、奇妙なほどに漂ってこない。

 

 ――とりあえず

 試す。まずはそのつもりであった。僅かに踵へと魔力を流し、打ち込む軌跡を脳に描いて魔力を回す。踏み込み、斬りつけ、様子を見る。それを実行するまさにその瞬間。


「なぁっ!?」


 咄嗟に横に構えた剣が、襲い来る横薙ぎをなんとか止めた。金属の生む轟音が、広場の隅々まで響き渡った。


「ほう」


 嬉しそうに男は言って、大きく後方に飛んだ。

 ――いまの、は

 受け止めた手がビリビリと痺れている。凄まじい重さである。同時に、これだけの距離をほんの一瞬で詰めたのだ。速さもまた常軌を逸していた。恐らく全力の自分と良い勝負であろう。

 

 そして何よりも特異なのは、やはりその魔力であった。斬りつけるその瞬間、男の魔力は爆発的に増えた。はっきりと油断していたエリスが何とか剣を受け止められたのは、それを感じ取れたからだ。

 しかし、一撃を終えた男の魔力は再び湖のように穏やかである。つい先ほど、大貴族を思わせる強さを放ったにも関わらず、だ。

 

 エリスはぺろりと唇を舐めた。

 ――なるほど

 何がなるほどなのか、一言ではあらわせない。力、配置、あるいはウェールの思惑、その全てに対して思ったものであるからだ。

 深く剣を握りなおす。油断は消えた。綺麗に消した。今の一太刀で芳醇なほどに薫ってくる。こいつは――強い。

 

 どう戦うか、あるいはどう出てくるか、思考の最中、視界の向こうで突如七本の雷が地から天へと上っていった。場所は――恐らく反乱軍と騎士団が正に戦っている草原である。

 男が僅かにそちらを見た。それでもエリスは動かない。隙など、まるで無いからだ。


「はじまったか」

「……何がですかね」


 問いには答えず、男は微笑んだ。場の空気に不釣合いなほどに柔らかく。


「黒爪樹団長、ルース・ラッハ。おまえの名を聞こう」

「王下直属第七騎士団副団長、エリス・ラグ・ファルクス」

「そうだろうな。さあ戦おう、決闘狂い」


 ルースが、一気に、踏み込んで、来た。

 袈裟懸けの一撃にこちらの剣を合わせる。衝撃が空中に広がり髪がなびいた。雑兵程度肉片に砕く一撃を、しかし奴は容易く受け止める。エリスは絡めるようにして剣を弾き、今度はわき腹を狙った横薙ぎを放つ。

 

 ――こ、いつ

 ルースはそれを受けるでなく、刃で『するり』と受け流して見せた。崩れる姿勢、近づく距離、生まれた好機にルースが選んだのは剣では無く肩からの体当たり。

 鎧が軋んで、視界が一瞬ブレる。浮いたエリスの体へと、鮮やかなまでに一直線の突きが来た。

 

 力任せに横から剣をたたきつけて、エリスはどうにか一撃を防ぐ。そのまま空中で体を捻ると、ルースの肩口に蹴りを入れて後方へと飛ぶ。

 無事やり過ごした。背筋の悪寒がそれでも抜けない。明らかに今のは致命足りえる物だったからだ。

 

 地に降り立ち、再び距離が開いた。

 ルースが言う。嬉しそうに。


「強いなぁ」


 こっちの台詞だとエリスは思う。しかし口には出さない。

 今度はエリスから突っかけた。脳天から素直に、しかし凄まじい速度を乗せて、漆黒の刃がルースを襲う。奴はやはり剣の腹で一瞬受けると、力を逃すように手を捻った。刃が流れる。体が流れる。しかし今度は体勢は崩れない。

 

 ――そうくると

 思っていた。だからエリスは更に踏み込んだ。反応も許さない速度で密着まで近づくと、地を踏みしめて肩をルースの胸板へとぶつけた。奴の体が浮く。やられたらやり返す。だからエリスは宙にふわりと浮かんだ敵へと、渾身の一撃を放つ。

 

 体を丸ごと回転させた横からの斬撃。大技、隙だらけ、しかし相手は空中である。城壁も抉る剣撃を――ルースは、再び、捌いて見せた。剣で受け、力を逃し、空中で体ごとくるりと回ってやり過ごす。着地を襲わせぬためか、軽い斬撃を空中に一回、終わり際に魔術の風弾を地に三発。

 

 そうして奴は地に降りて、再びにらみ合いへと戻った。ただし、距離は随分と近い。

 ルースは――笑っていた。子供のように無邪気に。


「力任せで乱暴、なのにそれだけ強いってのは大したもんだ」


 逆だろうとエリスは思う。

 エリスはいわゆる『剣技』というものを信用していない。無論、自身の技量を磨くことに余念は無い。そこらの一流相手でも、技量の上で引けを取らない自信はある。しかしそれでも、あるいは同時に、華麗な剣技が圧倒的な暴力を上回ることなど無いと、良く知っているからだ。

 

 たとえばガラム。彼は今までエリスが出会った戦士の中でも、純粋な技量であればほぼ頂点に位置するほどである。剣の精巧さを競うならば、エリスとて一歩譲らざるをえまい。

 しかし、ガラムがエリスに勝つことは無い。互角の勝負さえ出来無い。力と速度に、一回りどころではない差が存在するからであった。この傾向はエリスに限った話ではなく、強いエルフほど魔力に頼った素直な剣になる。結果それがもっとも効率が良いのだから。

 

 だというのに、この男は。

 深く剣を握りなおして、ルースを見据える。表情は明るい。殺し合いの最中だというのに。もっとも、分からないでも無いのだけど。

 この男は、エリスに比肩するほどの魔力を持ちながら『華麗な剣』とやらを諦めなかった怪物ということになる。

 

 面白いと思う。エリスはそう思う。心から。

 強き者と戦える淡い喜びと、積み上げた幻想を粉々に粉砕してやろうという暗い悦びが、深く深く混ざり合ってエリスを満たしていく。

 踏み込んで剣を振るう。逸らされ反撃が来る。反応と速度で強引に避けて、更に次を。更に、更に。振り回される大剣が風を裂き、ぶつかり合って轟音を生む。嵐のように切りあう二人を、周囲の反乱軍はただ遠巻きに見ているだけだ。

 

 ルースの突きを避け切れなかった。エリスの頬から鮮血が散る。お返しとばかりに剣を払った。胴体を掠めて鎧を抉り、薄皮一枚切り裂いた。無意味。この程度では互いに何の影響も無い。だから戦える。まだまだ戦える。

 

 斬り、突き、払い、時には拳や蹴りまで交えて、互いの一撃は段々と鋭くなり、血がしぶいて肉を抉り、それでも死闘は終わらない。

 五分か、十分か。ついに捌ききれなくなったのか、初めてルースは放たれた斬撃を正面から受け止めた。軋む。顔が、剣が、そして腕が。思ったとおり、総魔力は五分でも操る技量ではエリスに分がある。勝てる。押しつぶせる。追撃を加えようと踏み込んで――腹部に衝撃が奔った。確認もせず後方に飛ぶ。赤い液体が漏れて草を染めた。それはエリスの腹から噴出しているようだ。

 

 ――誘い、か

 受け止め軋んだのは演技ではなかろうが、奴はその『怯み』さえ餌としたようだ。あらかじめエリスが踏み込む動作に合わせて、腹へと向けて突きを置いておく。後は勝手に、エリス自身の力が己の鎧ごと貫く、と。

 エリスは――笑った。本当に、心のそこから。


「すごいね、あんた」

「光栄だ」


 血はもう止めた。無視しきれる量では無いが、こいつを殺す分には問題無いだろう。

 力が満ちる。なぜか戦えば戦うほどに力が増していくように思えた。

 

 ――次か

 剣を腰だめに構えた。当たるにしろ、外すにしろ、大きなことが起きる。起こす。そのための構えだ。

 ルースも構えた。まっすぐに。受け入れるように。ありがたいとエリスは思う。こんな相手、そうそうめぐり合えるものではない。お互いに。

 

 決する。そのために踏み込む。エリスが決心する、ほんの少し前。エリスの後方で、殺気と魔力が膨れ上がった。

 ――なっ!?

 背後を確かめる、暇さえ無い。もはや足だけで横に飛ぶ。空気を裂く音。襲い来る鋼。避けきれず、灼熱が奔る。

 

 エリスの左手が、その肘の部分から、宙に飛んでいた。


「ぐぅうううっ!?」


 ごぼりごぼりと吹き出る血をなんとか止めて、エリスは敵を睨みつけた。背後から突如エリスを襲い、片腕を切り落としたその影は、そのままルースの隣まで逃げるように飛んだ。

 黒い鎧。短い髪。見覚えのある顔。


「ウェール、殿」

「すまないな、エリス副団長殿。私はもはや手段を選ぶ余裕も無いのだ」


 声音はあくまで静かだが、表情はいやと言うほど張り詰めていた。

 ぎり、とエリスは歯軋りをした。当然ではないかと思う。ここは敵地だ。本拠地だ。戦っている最中に背後から襲われるなど、当たり前すぎて笑い話にもならないはずである。

 

 もっとも、そんな後悔をする時間など無い。

 負った傷は大きい。流した血も多い。そして敵は単体で脅威となりえるルースに、おまけとしては多きすぎるウェールだ。

 ――どうする

 もはや勝ち目は無い。逃げるのさえ困難である。ここで死ぬのか。それを黙って受け入れるのか。ありえないとエリスは思う。

 

 逡巡する中で、突然重く、同時に甲高い音が響いた。それは高速で振りぬいた刃物が鎧を切り裂く音であり、鳴らしたのは――ルースだ。

 ウェールが膝をついて、驚愕の瞳でルースを見た。


「ルクサレス殿、なに、を」


 エリスは思わずまばたきをした。眼前で繰り広げられた光景が、一瞬飲み込めなかったからだ。

 ルースが突然、ウェールの脇腹を背後から切り裂いたのだ。夥しい血が地面へとしみこみ、臓物さえこぼれかけている。ウェールほどの錬騎兵なら治療に専念すれば死にはすまいが、重症であることは間違いない。

 ルースは言った。驚くほどに冷たい声で。


「ウェール、これでは契約違反だろう」

「いま、は、そのような、ことを言っている、場合では……」

「そちらの事情など知らない。おれたちを雇う時に伝えたはずだ」


 ルースの表情が再び変わった。おもちゃを取り上げられた子供のように口を尖らせ、


「すまないなエリス殿。またやろう。出来れば明日にでも。今日は邪魔が入ったからこれでお開きだ」


 奴はそう告げると、手を天に翳した。その先から三本の雷が迸ると、複雑に絡み合って空へと上っていく。

 何かの合図、なのだろうけれど。

 幸運だ。助かった。それは分かる。もちろん分かるのだが。

 

 エリスは血が出るほどに歯軋りをすると、剣を口にくわえて、切り落とされた己の片腕を拾った。

 砦内部の足場を使い、壁のほうへと飛んでいく。反乱軍は動かない。追ってさえこない。当然だろうとは思う。

 

 砦を抜け出して草原を駆ける。怒りとふがいなさで頭がくらくらする。

 負けた。それは良い。それだけなら我慢できる。

 敵に命を助けられた。情けをかけられたのだ。それが何よりも許せない。己に情けをかけて良いのは、国中探しても三人だけのはずなのだ。

 傷の痛みなどまるで感じず、その事実だけが地獄の業火のようにエリスの頭を焼き続けた。

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