理由
無論、想定はしていたのだ。
報告を受けたルナリアは即座に兵に命を下した。実際に刃を交えるかはともかくとして、無防備に眺めている道理も無い。
反乱軍が戦いを選んだ理由の詮索など、全ては後回しだ。
第七騎士団の兵に加えて、エレディアから預かったセルタ兵と共に、こちらも草原に陣を組んだ。騎兵も弓も無く、全て歩兵。ただしこれはお互い様のようだった。
段差の上、畑の端に本陣を置き、セルタ兵を草原に並べた。引き連れてきた騎士団の兵は三つに隊を分け、脆い隙間を塞ぐように配置したのだ。
とはいえ、元が三百しか居ない。三つに割れば一つ百だ。そしてアンジェからもらった兵はともかくとして、古参は経験こそあれ魔力が並かそれ以下だ。精兵には程遠い。結局のところ要となるのは率いる将の力――つまりはいつもどおり、らしい。
「それにしても……」
本陣から草原を見下ろしつつ、ルナリアは忌々しげに呟いた。
「合わせて三千そこそこが精一杯とはね」
ジョシュアから受け取った紙には、百人長の名前とそれぞれが率いる数が書いてあるだけだった。それでも合わせれば五千に届く計算のはず、なのだけど。
――ひどい、よね、やっぱり
紙に記された百人長のうち、実に三分の一近くが姿を消していた。不毛な内乱を嫌って逃亡した、であればまだマシなほうで、少なくない数が反乱側に回っているのだろうとジョシュアは言う。
どうにか残った兵をかき集めたが、謎の欠員はそれらの部隊にも及んでいる。その結果が、現状の総兵力三千だ。
反乱軍側が市民兵混じりとはいえ、数で僅かに負けるとは思ってもみなかった。
もっとも、だから敗北するのかと言えば話は変わる。
「さて」
ルナリアが巨大な斧槍を肩に掲げた。当然、彼女も光を吸い込むような漆黒の鎧に身を包んでいる。
そうして彼女はこちらへと振り返り、右から左へと視線を流した。
ルナリアの前に立つのは三人。
「ジョシュア、左翼は任せる。始まったとしても押し込むなよ。そして押されるな」
「はっ……簡単に言いますねホント」
やれやれといった具合に、彼はため息をついて肩を竦めた。
そういえば、ジョシュアの鎧姿をまじまじと見るのは初めてだった。やはり全身隈なく漆黒であり、手に持つ武器は身の丈の倍はあろうかという黒槍だ。彼も錬騎兵の一人、そして騎士団の主力の一人だという。少なくとも、戦い直前だというのに微塵も緊張した様子が無いのだから、凄まじい腕なのはルネッタにだってはっきりと分かる。
「エズバハ、右翼はお前だ。うちで戦うのは初になるが、ラクシャの片腕と言われるだけの力、存分に見せてくれ」
「はっ、尽力いたします」
ラクシャ率いる錬団の幹部で、ラグの名を持つ実力者、らしい。あいにくルネッタは話したことは無いが、長斧を持った姿は恐ろしく様になっている。
最後に残った一人に、ルナリアは声をかけた。
「シンシア、先ほど伝えたとおりだ。上手くやってくれよ」
「お任せください!」
純白の鎧に身を包んで、細長い漆黒の大剣を手に持ち――なのに彼女はエリスではない。シンシアと呼ばれた彼女は第七騎士団の百人長であり、アルスブラハクとの戦いに向かう最中、馬車を操っていたのも彼女だ。こちらも会話をしたことは無いが、顔は良く知っている。
彼女は大きく深呼吸をすると、手にした白い兜を被った。頭の全てを覆う造りであり、もはや誰かは分からない。
白い鎧、黒い剣、見えない顔、そして居ないエリス。当然全てに意味があるのだろうけれど、説明は後回しだとルナリアは言っていた。
「では配置につけ」
言葉と共に三者が駆け出した。風のように走り抜けて、率いるべき兵の群れへと入っていく。
ルナリアは本陣から動かない。そして要となりうるもう一人の隊長も、本陣に控えたままだ。
その一人――つまりラクシャは、軽い調子でルナリアに尋ねた。
「これってつまりアレですよね、予備隊の余裕が無いからどこか危なくなったら俺が一人でなんとかしろと」
「そうだ」
「……いや、努力はしますがね」
凄まじい無茶を言っている。とはいえ彼もエリスが認めるほどの腕、らしく。やって出来なくは無いからこそ、方針を受け入れているのだろうけど。
「で、副長はどこいったんすか。ついでに団長ご自身はどうするんでしょう」
「どっちから答えて欲しい?」
「あー……後者からで」
ルナリアは肩越しに草原を見やった。
「機を待っている」
「機を、ですか。ちなみに具体的にはどんな感じを」
「そこで答えが前者に移る。エリスが『仕事』を終え次第、私は全力で『威嚇』をするつもりだ。上手くいけば、流れる血は極めて少量で済むはずだ」
「仕事……仕事ねぇ」
考えるように首を捻り、微かに唸って――ラクシャは再び尋ねた。
「どちらですかね?」
「……優先が場所。もし居れば奴だ。可能な限りは生け捕り、最悪は仕方が無い」
「なーるほど。そりゃ確かに副長でないとキツいでしょうな」
ラクシャの目が、こちらを見た。
「なんとなく分かったかい、ルネッタの譲ちゃん」
「いえ、その、えっと……あまり」
情けなく返した言葉は、ルナリアの優しい瞳が受け止めてくれた。
「戦いにはまず士気が必要だ。そして士気を保つためには柱が必要だ。今回の反乱軍にとってそれは恐らく二つ。一つ目は無論ウェールの存在で、奴が消えれば烏合の衆など霧散するはずだ。そして二つ目は――」
彼女は斧槍の先端で、遥か遠くの老大樹を指した。巨大な木の周囲は強固な木の柵で囲われており、ちょっとした砦になっている。
「場所、だ。帰るべき拠点があるから士気を保てる。草原に孤立してしまえばもはや風に吹かれる枯れ草のようになるだろうし、その状態で私の魔力で撫でられれば……素直に降伏するだろうと、少なくとも私とジョシュアは思っている」
ルネッタにも段々と見えてきた。同時に、信じがたい予想が鎌首をもたげて首筋を撫でる。
「えっと、それじゃエリスさんの仕事って……」
「あいつは今頃大樹の後方だ。魔力を探ろうにも一人で動かれれば難しく、同時にそんな豆粒を目で見つけるほどに警戒する余裕も無いだろう。正面にこちらの全軍がいるのだからな」
「それじゃ……ひ、一人で砦を制圧させるのですかっ!?」
「そうだ」
冷酷にさえ思える様子で、ルナリアは頷いた。
「幸いにして向こうも総力戦のつもりなのだろう。わざわざ砦から打って出てるのは老大樹を傷つけるわけには行かないからだ。お互いにとって命綱なのは変わらんからな。となれば砦に残るは極少数。エリスであれば問題無く殲滅できる量のはずだ」
「でも……危険、では」
「当然無理なら逃げて来いとは言ってある。そして……たぶんこれが一番『マシ』なんだ。市民兵を山のように殺さずに済む、ほとんど唯一の。仮にだルネッタ、頼る柱があるままに力の限り『威嚇』をされれば、逆に決死となる恐れがある。そうすれば少なく見ても半数は殺さねば終わらない。エリス一人の無茶で、その地獄が回避できるなら安いもの……と言いたくは無いがな」
「わかり、ました……」
よほどの顔を、ルネッタはしていたのだろう。まるで慰めるかのように明るい声で、ルナリアは言った。
「なーに、今言ったことは全て戦闘になった場合の話だ。このままにらみ合いだけで済めば良く、もしかすればその途中で諦めて降伏するかもしれない。最悪を想定するのは大事だが、あまりソレばかりでは潰れてしまうぞ」
当然、と言うべきか。
この甘い希望が砕かれたのは、それから僅か数分の後だった。
騎士団兵の一人がルナリアまで駆け寄ると、報告をする。
「敵軍、前進を始めたようです」
「ああ……見えてるよ」
互いの距離は相当にあるが、それでも様子を見る時は過ぎた。
ゆえにルナリアは号令を出す。風に乗せて、隅々まで。
「全軍ゆるりと前進。敵を草原中央よりこちらへと引きつけよ」
たかが三千、しかし三千。それら全てが同時に動き出す迫力は、ルネッタのおなかをビリビリと震えさせるだけのものがある。
こちらの兵も青々と茂った草原をゆっくりゆっくりと踏み進めていく。
距離が、詰まる。明らかな安全圏から見ているはずなのに、息苦しくてたまらない。
敵軍が中央を越えたあたりを見計らってか、ルナリアが天に手を翳した。その先から、血のように赤い光が空へ空へと上っていく。
エリスのへの合図、らしい。
その光を見て、ルネッタは芯から実感した。
戦が始まったのだ。下らなくも悲しい内乱が。
「ごめんな、ルネッタ」
「えと、何がでしょうか」
隣に立つルナリアが、不思議なことを言う。小声で、周りに聞こえないように。
「本当は戦場になどつれて来たくは無いんだ。たとえ本陣だろうと、何があるか分からない」
「……いえ、わたしも騎士団の一員ですから」
いかなる立場であろうと、現場を嫌うものは認められない。読んだ書物の全てにその点ははっきりと記してあった。
たとえルナリアやエリスが許したとしても、それではいつまでも自分は『お客さん』だと思う。
だからここにいる。怖くても。逃げ出したくても。
ルナリアと目があった。彼女は深く微笑んで――再び視線を戦場に戻した。
遠いが、分かる。ルネッタにも良く。
最前列の兵と兵が、互いを見分けられるまで近づいて、そのまま止まらず、止まらず、進んで。
今、敵味方の槍が絡み合った。
思わずルネッタは己の服を掴んだ。初めてでは無いはずなのに、軽い吐き気とめまいがする。
「大丈夫だ」
隣の声は、妙に明るく。
「見てみろ、互いに腰が引けてるだろ。こういう時は驚くほど死なないもんだ」
それはまるで、自分に言い聞かせているようだった。
五分か、十分か。気が遠くなるほどの時間に感じてはいるものの、たぶん実際に過ぎたのはその程度か。
ルナリアは遠く、戦場の向こう側を険しい瞳で見つめていた。恐らくはエリスからの合図を待っているのだろう。
不思議と本陣は静かだ。視界の端に捉えたラクシャも、やけに穏やかに水筒の水をちびちび飲んでいた。前線とはそれなり以上の距離があるが、彼が全力で走ればきっとあっという間なのだろう。
絡み合った歩兵と歩兵は押し込むでもなく、押されるでもなく、悪くいうなら『だらだら』とした小競り合いを続けている。先ほどの言葉の通り、そして狙い通りなのだろう。確かに、死者は少なそうに見えた。
ルネッタは一度空を見て深呼吸をした。気を取り直すように、あるいは張りなおすようにして、視線を再び前線に戻す。
すると、奇妙なものが見えた。
前線の一つ、ほんの一箇所が、一瞬確かに赤く染まった。僅かに遅れて、何かを『なぎ払う』轟音の残滓が耳に滑り込む。
――え?
なんだろうとルネッタは思う。あまりに遠く、よく見えない。同時に、それだけ遠いにも関わらず、その赤さだけは確かに分かった。
飲み込めず、思い当たらず。一瞬呆けてしまった意識を、二度目の『同じ赤』が覚ました。
今度はそれだけでは終わらなかった。三、四、五六七と。合わせて七個の赤と、微かな音。全てぶつかり合う前線、それでいて全て違う場所。
――あれは
もしかして、と思う。だけど、他に無い。
あれは、血煙だ。
「――なんだ!?」
驚愕するような、ルナリアの声。だっておかしい。血があんなに出るわけが無い。飛び散るわけが無い。
あんなのはそれこそ、一振りで五人は殺してしまうような、怪物じみた一太刀でなければおこせるわけがない。
ぶるりと体が震えた。分けも分からぬ恐怖に飲まれそうで、助けを請うようにルナリアを見ようとして――次の瞬間に、七本の雷が地から天へと逆流した。
場所は同じく前線、ちょうど血煙が吹いた辺りからそれぞれ空へと伸びている。魔術だろう。それは明白だ。けれど、なんであんな真似を。
「団長っ!」
ラクシャが駆け寄り、叫んだ。
「あの派手な合図、敵は黒爪樹です」
「こく、そうじゅ……? 黒爪樹!? 間違いないか!?」
「ほぼ。俺は前にやったこともありますんで」
ルナリアが大きく舌打ちをした。
「戦に踏み切った理由はアレか。いつのまに……まぁいい。そんなことは後だ」
斧槍を掲げて、彼女は本陣をぐるりと見渡し――頷いた。
「行ってくる。お前は本陣を守れ」
「了解です……それだけで?」
「……それだけ、だ」
ラクシャはほんの少し目を動かして、ルネッタを見た。そして微笑む。不敵に、あるいは大胆に。
「いざとなったら抱えて逃げます。これは俺の独断ですので、勘違いなきよう」
「――すまん、恩に着る」
低く答えて、彼女は地を蹴った。
もはや羽でも生えているのか勘違いするような速度と高さで、まさしく疾風のようにルナリアは戦場へと向かっていく。
味方歩兵の後方に混ざり――見えなくなった。
「さーて」
ラクシャが腰に下げた武器を抜いた。漆黒の刃に、大きな反り。それは二本の大きな曲刀だった。
他の隊長と同じく鎧は黒いが、見たところ皮がだいぶ混じっているようだ。
「安心しなよルネッタの嬢ちゃん。たとえ命に変えても守ってやるからさ。なにしろ……あんたが死んで俺だけ生き残ろうもんなら、あのおっかない二人になぶり殺しにされそうだからな」
「そんな……いえ……ありがとうございます」
言葉を受け取り礼を言う。けれども頭は、起きた事態に追いついていなかった。
武器の具合を確かめつつ、ラクシャが呟いた。
「黒爪樹ってのはようするに練団の名前でね、その実態は少数精鋭、下手すりゃ十に満たないと言われてる。一小隊にさえ劣る数にも関わらず、奴らは中央の練団でも間違いなく最強の一角だっていう話。なぜなら」
曲刀が美しい軌跡を宙に描いた。怖気さえ覚えるほどの太刀筋だ。
「その僅かな団員、全員が練騎兵。それも望めばいつでも軍団を与えられるような最上層の錬騎兵。ようするに今の状況を簡単に説明するとだね――」
ラクシャの声も、どこか上手く入ってこない。なぜなら思い出したのだ。聞き覚えのある響きだと、さっき確かに思ったのだ。
「現状確認できたのは七。つまりはやる気に溢れた七人のエリス副長が敵の戦列に加わった、ていうのが近いかな。それにしても最初からじゃなく途中で急に、挙句目立つ真似して存在を誇示したってのが厄介だ。士気砕きを向こうにやられちまった形だなぁ」
ルナリアから借りた本。貴族の戦に混じって、僅か八人で数千からなる戦を終わらせた怪物たち。
「正直、俺も勝てる自信はこれっぽっちも無いからね。危ないと思ったら即逃げるんで、その時は体を掴んでも怒らんでくれよ」
練団の名は、確かに本に記してあった。
黒爪樹と、はっきりと。