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Elvish  作者: ざっか
第一章
7/117

王都へ 上


 草原に響き渡るその音を、人の世では銃声と呼んだ。

 空にはぽつぽつと雲が見えるけれど、あくまで主賓は青い空だ。

 寒さは軽く肌を舐める程度だが、冬であることに変わりはない。しかし、地をどこまでも覆う草は鮮やかな緑だった。

 正面には、森がある。木はやはり青々と茂っていた。

 

 鉱山街を引き上げた三人は、王都にある騎士団本部への帰路についた。二人だけならば徒歩で帰るらしいのだが、当然ルネッタが追いつけるわけもない。交互に抱っこで良いじゃないか、という提案もあったが、やんわりと拒否させてもらった。

 対案として出た馬車に乗り込み、街道を進んだ。北の町で丸ごと借り受け、御者はエリスだ。本当に器用だと思う。

 速度はかなりのもので、何よりまるで休まない。馬へとかける術でもあるのか、エリスとルナリアが定期的に馬の体を摩っていた。それだけでほぼ丸一日動いてしまう。おかげで相当な距離を進んだはずだ。

 中で一晩明かし、今は二日目の昼だった。

 丁寧に舗装された道の脇へと馬車を止め、周囲に人影が無いのを確認すると、銃の試し撃ちをしようとルナリアが提案した。

 それが、ついさっきの出来事だ。

 森の中で、一際目立つ太い幹。その脇から生えた、細い丸太のような枝の一つに、小型のイノシシらしき動物が括り付けられている。

 手足を縛られ、体勢は逆さだ。首に刻んだ刀傷からは、既に血も滴りきったようだった。

 毛で覆われた体。そのちょうど真ん中に、黒い穴が開いている。銃創だ。

 穴を開けた張本人は、先ほどから沈黙したままだった。

 右手に銃を持ち、風に金髪を靡かせているルナリアの顔は、どこか不満そうに歪んでいる。


「頭を狙ったんだけどなぁ」


 ようやく、呟いた。

 イノシシまではかなりの距離がある。当てるだけで立派であるし、同時に幸運でもあった。

 必死にルネッタがそう説明すると、若干表情が和らいだ。


「もう一発撃つにはどうするんだ?」

「はい、それはですね――」


 破岩灰を詰め直し、しっかりと突き固める。爆発力が強いことが分かったので、一発当たりの量は減らした。補給が少なく済む分、利点に数えて良いと思う。銃が耐えてくれるのであれば、という前提はつくが。

 手順をまじまじと見つめていたルナリアに、装填完了した銃を渡す。


「ふむ」


 彼女は受け取り、無表情のまま何度か銃身を摩ると、

 ――え?

 ゆっくりと、やや離れて試射を見守っていたエリスへと向け、


「ちょ」


 あっさりと、引き金を引いた。

 爆発。閃光。煙。音。不発になることもなく、弾は出てしまった。


「うびゃっ」


 言葉に出来ない悲鳴と共に、エリスの上体が大きく泳いで――それだけだった。

 距離はイノシシまでの三分の一も無い。先ほどの様子を見る限り狙いを外すとは思えない。

 にも関わらず無事ということは、何らかの手段で弾いたことになるのか。

 剣は持っておらず、腕を使った様子も無かった。手品の種は――ルネッタには分からない。十中八九魔術ではあるのだろうけど。


「い、いい、いくら何でも酷いとは思いませんかっ」

「こんな見え見えの直撃するなら、即座に副長クビだばかもの」


 全面的に同意できるエリスの抗議を、無茶な理屈で一刀両断にする。凄まじいとしか言えなかった。自分ならば間違い無く死ぬ。

 とはいえルナリアがこんな行為をルネッタにするとも思えない。エリスだからこそ、というべきなのだろう。

 ――信頼、か。

 少しうらやましいと思う。

 銃を肩に掲げ、ルナリアがこちらへ振り返った。


「このように、エリス並の腕があれば多少の不意ではダメだな。警戒されてしまえば二回り落ちる相手でも防ぐだろう。弾も傷も小さい。正確に急所を射貫かなければ時間稼ぎにしかならんし、再装填には相当の手間がかかるときている。射程も短く、精度はあまりに悪い」


 並べられる欠点に、ルネッタは反論の言葉が思いつかなかった。

 精度の不足や再装填の時間はまさしくマスケットの問題点だった。音と光で士気を砕くのが主目的とさえ言えるのだ。単純な撃ち合いならば訓練された弓兵に勝てないことも知っている。

 しかし、弾き、防ぎ、あまつさえ耐えるというのはエルフだからこそで、人間相手であれば議題にさえならないような欠点のはずだ。

 ――でも。

 売る相手も、使う相手も、そのエルフだ。どのような弁明も、安い言い訳にしかならないだろう。

 うつむいて沈黙していると、肩にそっと手が置かれた。

 顔をあげる。緑の瞳が、すぐそこにある。


「そう落ち込むことは無いぞ。まずダメな所から触れただけだ」


 口元に、裂けるような笑みが浮かんだ。


「相手に向けて引き金を絞るだけだ。高い練度も熱心な訓練もいらんだろう。傷は小さいが、貫通力と速度は良い。下手な石弓よりもよほど強い。そして、何よりもだ」


 緑玉に灯る強い光が、僅かに狂気を孕んだものに見えて、

 ルネッタの体は、少しだけ震えた。


「使用に魔力がいらん。これ以上の利点があるだろうか」


 お前は素晴らしい物を持ってきたぞ。そう言って、彼女は顔を離した。銃を見つめ、瞳を細め、含み笑いを続けている。

 それは、会ってから初めて見る、軍人としてのルナリアの表情だった。

 力を振るう様は見た。返り血に染まった服も見た。彼女が戦士であることはしっかりと理解していたはずなのに。

 国家転覆を企む大罪人である、というエリスの言葉が胸の内を覆っていた。当然本人に聞けてなどいない。恐ろしくもあったが、同時にどこか信じ切れなかったのだ。あれはルネッタを試しただけなのでは無いか、あるいはエリスの悪戯なのでは無いか。それにしては物騒過ぎる冗談だけれど、エリスであれば、という思いもあった。

 けれど――

 力と凶暴さに充ち満ちたその顔は、十分過ぎるほどの説得力を持っている。

 引けた腰に、背後から手が添えられた。首を捻って背後を見る。いつのまにか、エリスが傍まで来ていた。


「そこまでですよ、団長。彼女が怯えています」

「……へ?」


 その言葉で、ルナリアの表情を覆っていた鬼気が消えた。残ったのは、いつも通りの精巧さに愛くるしさを上乗せした、まさに妖精の顔だった。

 ほっとした。


「すまん」

「皆が皆、ずぶといわけでは無いのですよ。彼女のような……と、そういえば」


 何かを思い出したように、エリスは目を見開いた。じ、とルネッタへと視線を送ると、


「一度も名前でお呼びしたことがありませんでしたね。どう呼べば良いでしょうか」


 ――ほんとだ

 今の今まで、あの、や、その、や、彼女、などの言葉でやりとりしていたのだ。若干の不便さはあったが、どうにも機会を失っていたのは確かだった。

 ルネッタは小さく首を振った。


「わ、わたしなどは呼び捨てで構いません」

「ふむ」


 応えて、エリスは顎を摩る。

 ――ええと。

 こっちからはなんと呼ぼう。単なる侍女では無いと薄々思ってはいたものの、さすがに副団長というのは予想の外だった。

 彼女もやはり貴族なのだろうか。だとすると――


「エリス、さま」


 それを聞くと、エリスは眉をしかめ、瞼を歪め、唇を不愉快そうに波打たせた。


「私は、様付けで呼ばれるような柄ではありませんよ。体中がかゆくなりそうです」

「それでは、その……さん、では?」


 彼女は小さく頷いたが、なぜか小さく首を傾げた。


「……思えば私をさん付けで呼ぶのは、あなただけかもしれません」

「副長か、殿か、呼び捨てか、鬼、だものな」


 からかうようなルナリアの声は、あまり頭に入らなかった。

 ――あなただけ。

 それが、少しくすぐったかった。

 エリスの目は、何かを待っているように見えた。だからルネッタは背筋を整えて、彼女の瞳を真っ直ぐ見つめた。

 そして呼んだ。


「エリスさん」

「はい、ルネッタ」


 答えたエリスは、うっすらと微笑んでいた。

 交わる視線は、どこか気恥ずかしくもあり、同時にどこか嬉しくもあった。

 無言で何秒そうしていたのか。

 ぬ、と、視界を遮る何かが現れた。ルナリアの側頭部だった。長い耳が鼻先でぴょこぴょこと揺れている。


「なーんか面白く無い空気なんだが」

「おや、焼いておるのですか団長」


 お返しとばかりにくふふと笑うエリスに、


「多少」


 あっさりそう返すと、ルナリアは右手をすっと伸ばした。先には、イノシシが吊されたままだ。


「お腹減った。昼。肉」

「はいはい、分かっておりますよ」

 

 イノシシの解体作業が始まった。革や臓物は地に埋めるつもりらしく、手順はおおざっぱだ。広げた布に、食べれそうな部分を端から切り落としていくだけのようだが、何しろ力がある。骨をチーズのように断ち割っていく様は凄まじく豪快だった。

 やがて布には山と肉が積まれた。一家総出どころか、一族総出とも言うべき量だ。

 エリスが刻んでいる間に、薪はもうルナリアが準備していた。手近な、それでいて太い枝を一本へし折ると、指でつまんで縦に裂いた。火をつけやすくするため、なのは分かるが、相変わらずの怪力だと思う。

 火元の安全のために草を刈り、木を並べ、肉を鉄串に刺していく。その間にルネッタがしたことと言えば、全員分のパンと飲み物、そして食器を並べただけだ。手伝うと邪魔になる気がしてしまったのだ。

 積んだ木に、ルナリアがそっと手を向ける。ぽう、と薄く光ったと思った次の瞬間、薪に小さな火がついていた。

 エリスが肉に香辛料を揉み込んで、端から火元に並べていく。肉の焼ける音が、薪の弾ける音と混じる。

 匂い立つ香りが、とても食欲を刺激した。

 木の皿に、焼き上がった肉が置かれる。表面は油と肉汁で光り輝いていた。

 齧りつく。少し堅いが、香辛料のおかげなのか、臭みは無い。肉の味が残るうちに、パンを千切って口に放り込んだ。

 鉱山街での昼食は、まさに貴族の食事だった。

 今はまさに野生の食事だ。それでも、決して悪いものでは無い。

 肉の一切れ目を食べ終えて、喉を潤すために水筒を傾ける。水は、冷えている。

 山のようだった肉が、ついに半分というところまで来たあたりで、ルナリアがぽつりと言った。


「飽きた」

「でしょうね」


 エリスの返しに異論は無かった。

 ルネッタは早々に脱落、エリスも巨大な塊を一つ食べた辺りで戦線を離脱していた。残りを単騎で黙々と処理していたルナリアだが、さすがに限界が来たらしい。

 なにしろ肉とパンしか無いのだ。香辛料の種類で細かく味を変えるにも限度というものがあった。


「まだ冷箱あったか?」

「おそらくは」


 そう言うと、エリスは馬車へと駆けていった。手に大きな箱を二つ抱えて戻ってくる。全体は石で、一面だけがガラスになっている。

 上を開くと、残った生肉を放り込んでいく。ガラスが真っ赤に見えるほどに詰め込むと、蓋を閉めて手を当てた。

 薄く、そして青く光る。


「もう本拠まで数時間ですし、兵の夕食にでもしてしまいましょう。ですから凍らせません」


 ルナリアが頷いた。

 箱は、冷石、というもので出来ているらしい。名前の通り暖石の対になるもので、魔力を冷気に変えてしまう。他にも幾つか馬車には積まれており、中には飲み物が入っていた。水筒が冷えていたのもこれのおかげだ。

 食料保存問題をたった一つで覆す、凄まじい道具だと思った。

 同時に、魔力が無ければただの石箱であるというのもまた事実だった。本当に残念だけど、人の世では役に立たない。

 火を消して、馬車まで戻る。草を食んでいた馬の脇腹を、エリスがそっと撫でた。


「もう少しだな」

 

 誰に言うでも無い、ルナリアの声。

 ――ついに、なのかな。

 もうすぐ、王都につく。




 並ぶ屋根が途切れない。

 市街に入ってから、もうどれだけ馬車で進んだだろうか。夕陽に照らされる町は地の果てまでも続いているのでは無いかと思う規模だった。

 家の造りは北の町と同じ石作りだったが、こちらのほうが壁がより滑らかに見える。三階建て、四階建ては当たり前といった様子で、恐ろしいほどのエルフがこの町に暮らしているのが容易に想像付いた。

 王都、なのだ。当たり前なのかもしれない。

 群れのような人影の中を、馬車はゆっくりと往く。飛ばすことなど不可能だった。


「止めてくれ」


 ルナリアが言った。

 十字路だった。北の町の倍はある。もはや広場のようだ。


「鉱山の件、特に税の件を報告しに城まで行ってくる。エリスはルネッタを執務室まで」

 

 エリスが頷いたのを見ると、ルナリアは馬車から飛び降りた。足早に十字路の正面へと歩を向ける。

 良く見ると、そちらは緩い下り坂になっていた。遙か先には、遠目からでも偉大さが伝わる巨大な城。四方から伸びた四つの塔は、雲にも届かんばかりだった。

 妙だ、と思う。

 堀も何も無い。低地に城を造る、というのも防衛を考えればありえない。そういえば城壁は見ていない。北のように、名残らしき後すら無い。

 馬車が、動き出した。

 ――ううん。

 明かな軍事関係の話は、どうにも気軽に聞きづらい。向こうも答えづらいだろう。

 人影が減ってきた。空き地も増えてきたように思う。上に伸びる建物はほとんどが消えて、代わりに横に広いものが次々と目に入る。兵営、なのだろうか。

 そういえば道行く人々にも、鎧を着た者が目立ち始めた気がする。

 のろのろとしばらく進み、巨大な建物の前で馬車が止まった。

 ここだけは、木造だった。

 若干歪な柵。庭とも訓練所ともつかない広々とした空間。急作りの兵営に思える。しかし騎士団というからには馬が居るものだと思うのだが――見える範囲に厩は無い。裏手にでもあるのだろうか。あるいは別の場所か。


「ここが本拠なのですか?」


 エリスは小さく頷いた。説明のためか、口を開こうとしたその時、


「や、やめてくださいっ」


 切迫した声だった。

 聞こえた方へと視線を向ければ、本拠を囲う柵の傍に、女性が一人、男性が二人。外見は、皆二十台そこそこに見える。無論全員エルフだ。

 女は、ルネッタには到底持てそうもない、大きな荷物を背負っている。商人か、運び屋なのか。男の手にはそれぞれ瓶があった。酒、だろう。

 足早に立ち去ろうとする女を、男がへらへらと笑いながら引き留める。絡まれている、というのが正しい表現だと思う。

 ――いやだなぁ。

 こういうことは、どこの世界でも変わらないのか。暗澹たる気持ちにルネッタが包まれていると――エリスが、急に馬車から飛び降りた。

 いつも通りに背筋を伸ばし、足早に男達に近づくと、


「何をやっているのです」


 明かな怒気を吹くんだ声で、そう告げた。

 酔いが周り、赤い顔をした男達は、不愉快そうに声の主を睨みつけ――見る見るうちに、顔が青くなっていく。


「ふ、副長……」


 ぼそり、と男の一人が呟いた。足すら震わせ怯える二人を無視して、エリスは女性に近寄ると、頭を下げた。


「うちの者が迷惑をかけて申し訳ありません。どうか今後も、よろしくお願い致します」


 女はおろおろと慌て、エリスよりも深く頭を下げた。顔を少し赤らめたまま、足早に駆けて去っていく。町娘でさえあんなものを抱えて走れるのだから、やはり人間とは違うと思う。


「違うんです、副長。別に俺たちはですね――」


 説明とも言い訳ともつかない言葉を睨み一つで黙らせて、エリスは馬車へと戻ってきた。冷箱を二つまとめて抱え、残った手に剣を持つ。ルネッタも一緒に馬車から降りた。

 男二人は、気まずそうに後をついてきていた。

 視線が体に突き刺さる。当たり前だが、気になるようだ。フードは当然被っているので、気づかれてはいないだろうと思う。


「あの、そちらは……」

「馬車は借り物です。組合に戻しておきなさい」

 

 男の発言をエリスは無視して、そう告げた。


「入り口で待っています。急ぎ戻ってくるように」


 その言葉の意味を理解しているのか、男達に目に見えるほどの震えが奔る。

 慌てて馬車に飛び乗ると、馬の尻を引っぱたいた。嘶き、駆け出す。あっという間に道の向こうへ消えていく。


「そのまま逃げ出しそう……」

「戻ってきますよ。死にたくは無いでしょうからね」


 漏れてしまった独り言に、エリスが返事をする。言葉の意味を理解して、ルネッタの体はぶるりと震えた。

 建物の入り口に向かう。木造の扉は大きいが、どこか歪んでいる。急ごしらえなのが目に見えていた。

 軋んだ音と共に開かれる。中へと進むエリスの背を、小さくなりながら、ルネッタは追った。

 大広間だった。床は石材だが、壁は木だ。装飾など無い簡素な造りで、実用性以外に興味は無いとでも言わんばかりだった。

 壁には武器が掛けてあり、辺り一面に幾つものテーブルが置かれていた。大食堂として使っているのだろう。有事には片付けて、集合場所にでもするのかもしれない。

 広いだけが取り柄の空間だろうけれど、それ故数百人は入れそうだ。

 今も――百人近いエルフ達が、喧噪と共に居る。驚いたことに、男女比はほぼ均等だった。

 一斉に、視線がこちらに向けられた。

 百近い目は、それだけで圧倒される。恐怖にも似た緊張が、ルネッタの体を覆った。

 ――え。

 座っていたものは跳ね起きて、寄りかかっていたものは弾かれたように躍り出る。

 エルフ達が、一斉に背筋を伸ばした。

 皆の表情にはありありと緊張が見える。その深刻さは、ルネッタの心境など比べものにならないだろう。

 やがて三人のエルフが、こちらに駆けてきた。男一人、女二人。動きやすそうな服装で、男女の差は太さくらいのものだろう。

 顔付きはやはり全員美しい。彼ら基準では普通なのかもしれないが、少しずるいとは思う。

 姿勢を整え、女が言う。声は堅い。


「おかえりなさいませ、副長。予定よりも早かったようで……」


 エリスは女を一瞥し、冷箱を渡した。


「森豚の肉です。夕食にでも出してあげなさい」

「はっ」


 頭を下げて、女が小さな扉へと駆けていく。おそらく先が厨房なのだろう。

 特に見届ける様子もなく、今度は男へと声をかけた。


「テーブルをどけて、中央に空間を作ってください。馬鹿共のしつけをせねばなりません」


 聞いた男は明らかに体を震わせていたが、特に何をいうでもなく、部屋の真ん中へと急ぎ走る。

 周りに指示し、テーブルを動かし、やがてちょっとした間が出来た。

 ちょうど、軽く、暴れられるくらいに、見える。


「ごめんなさいねルネッタ。少しやることが出来ました。待っていてください」


 ルネッタが小さく頷くと、最後に残った女が怪訝そうな視線を向けてきた。


「あの、副長、そちらの方は」

「客です。丁重に扱いなさい」


 すぱりと言い切って、細かいことは何も告げない。女もそれきり聞いてこない。力関係が、嫌でも分かる。

 ルネッタは壁際まで歩くと、背嚢を下ろして床に置いた。食い込む重さが見知らぬ視線を誤魔化してはくれるが、やはり辛さのほうが勝つ。

 また何人かがエリスに駆け寄り、一言二言会話して、すぐに去っていく。

 見知らぬ集団の中での一人は、心細かった。この国へ来る前なら当たり前であったはずなのに。当然故郷には人間しか居ないのだから、同じように語るべきでは無いのだけど。

 扉が、開かれた。

 男が二人入ってくる。もちろんさっきの者達だ。表情は――気の毒なほどに青ざめている。


「来なさい」


 エリスが一声かけて、出来た空間へと歩を進めた。

 渋々、嫌々、あるいは恐る恐るか。足を引きずるようにして、男二人も後に続く。

 中央に三人が集まった。

 こきこき、とエリスが首を鳴らす。


「副長、あの、ですね……何も俺たちは手込めにしようとか、攫っちまおうとか、そういう悪意はこれっぽっちもなく――」

「決まりはいつも通りです。素手のみ、魔術の放出は無し。反撃は自由。私は殺す気はありませんが、そちらは私を殺すつもりで構いません」


 すぅ、とエリスの目が細まった。


「どちらからですか?」


 男達が顔を見合わせる。表情は必死で、涙すら浮かんでいた。

 一瞬の差だったのだろう。一人が飛ぶように脇へと逃げた。

 残された男は手を翳し、言葉にならない音を口からばらまいていた。ルネッタの位置から見えるのは、今は背中だけだ。

 エリスが歩き出した。

 覚悟が決まりきっていないのか、男は後ずさりながらも何かを喚き続けている。

 まるで意に介す様子も無く、一歩一歩とエリスは進むと、

 男の顔に、躊躇無く右手をたたき込んだ。

 凄まじい、一撃だった。これだけ離れて見ているのに、どういう軌道を描いたのかさえ分からない。

 殴られた男は宙を飛び、床を転がり、やがて入り口の扉へとぶつかって、ようやく止まった。ルネッタから僅か数歩の距離だった。

 うつぶせに倒れた体は、小さな痙攣を繰り返している。じわじわと床に広がっていく血は、きっと鼻から出ているのだろう。

 ――ひいいぃぃ。

 ルネッタはただ震えていた。殺す気無いなんて言ってるけれど、人間だったらこれで死んでると思う。

 右手についた血を払い、エリスが残った男に体を向ける。


「次です」


 死刑宣告にしか聞こえない。残った男は、泣き笑いのような表情をしていた。

 やがて諦めたのか、手を挙げて構える。食いしばった口元からは、うっすらと血さえ見えた。

 エリスは変わらない。着実に一歩をつめていく。

 男が地を蹴った。ルネッタから見れば十二分に鋭い。しかし足りない。

 自暴に塗れた拳の一撃を、エリスはあっさりと掴んで止めてしまう。短いスカートを翻して、蹴りが飛んだ。

 右脇腹に突き刺さる。壁際まで一直線に飛んでいく。

 地をこすり、そのまま壁へとたたき付けられる。重い音が広間の隅々まで広がった。

 もんどり打って苦しむ男を、エリスは遠くから冷たく見ていた。

 と――

 その衝撃で、壁にかけてあった剣が床に落ちた。男のすぐ傍だ。響き渡る金属音は、嫌な緊張を走らせる。

 脇腹へと手を当て、口から胃液を吐きだしながらも、男が剣へと手を伸ばした。

 ざわつく周りすら目に入っていないのか。ふらつく体。血走った瞳。狂気に満ちた視線をエリスへと注ぎ、男が叫んだ。


「いつも、いつもっ。ちょっと女にちょっかいかけたくらいで、なんでここまでやられなきゃいけねえんだ!」


 腰は引けている。それでも、手には剣がある。あたりにまき散らしているのは、間違い無く殺意だった。

 それを見て、エリスの顔から表情が消える。

 空気が、明らかに、冷えた。

 

「そうですか」


 それは、本当に小さな声だった。本来であれば、周りの音に飲まれて消えてしまうほどだろう。

 なぜいやにはっきり聞こえたかと言えば――エリスの空気が変わったときから、声を発する者が一人も残っていなかったからだ。

 痛いほどに、静かだった。

 既に男の殺意は萎えているように見える。手に持った剣は細かく震えていたし、口は開きっぱなしだった。

 それでも、剣は手放さない。

 ――なんで。

 もう剣を投げ捨てて謝るしか無い。少なくとも自分ならそうする。そもそもルネッタが同じ原因、状況になることなどありえないが、それを踏まえてもどうすれば良いかなんて分かる。

 エルフの男は、ルネッタから見れば怪物のように強いのだろう。

 エリスは、その男から見ての怪物なのだ。どうして引かないのか、ルネッタには理解出来なかった。

 もはや開き直ったのか、男が踏み出しかけたその瞬間。

 まるで全身を滝に打たれたような衝撃を、ルネッタは感じていた。

 瞬きをする。深い呼吸をして、自分の体を確かめる。

 ――なにが。

 特におかしなことは無い。汗が噴き出し、悪寒が背筋を伝っているが、直接何をされたわけでも無い。

 男の手から剣が滑り落ちた。唇は震えている。倒れ込まないのは、最後の意地なのだろう。

 殺気、だったのか。エリスが、脅しつけるように凄んだ、のか。

 信じられなかった。何かの魔術でも使ったとしか思えない。

 ついに何もかも折れたのか、男がその場で座り込んだ。

 だというのに、


「ひっ」


 エリスが、一歩を踏み出した。

 紅い瞳に映る光は、恐ろしく冷たかった。

 男の傍に立つ。顔には、変わらず色が無い。

 ――まさか。

 嫌な想像が頭の中を駆け巡った。思いつく絵は真っ赤に塗れている。きっと皆が同じ考えだろう。

 なのに誰も止めない。エリスが恐ろしいのか、男がいけ好かないのか、軍規は何にも増して大切なのか。

 あるいは、全部か。

 陽炎さえ放ちそうな殺気を纏って、エリスの右手がゆっくりと振り上げられると――


「なんの騒ぎだこれ」


 入り口、ルネッタのすぐ傍から覚えのある声が響いた。弾かれたようにそちらを見る。

 白衣、金糸、緑玉。ルナリア、だった。扉を開けた音にすら、誰も気づけなかったらしい。

 彼女は足下に倒れている男を一瞥し、次に座り込み失禁しかけている男へと視線を送った。頬を掻いて、ため息を一つ。


「だいたい分かった」


 そう言って屈むと、未だ動かない男を抱き起こした。顔へと当てた手は、うっすらと発光している。


「え……あ……だん、ちょう」

「起きたな。じゃあ後は自分でやれ」


 目を覚ました男の頬を軽く叩いて、中央へと進む。今度は座り込んだ男の傍に屈むと、脇腹へと手を当てた。時間にして僅か二秒足らずだったが、それだけで男の顔から険が消えている。治療、というよりは心を落ち着かせるためのものなのかもしれない。

 正気を取り戻した男の頬を、再び軽く叩く。完全に毒気を抜かれたようだ。

 ゆっくりと立ち上がり、ルナリアは平坦な声で言った。


「エリス」

「はい」

「こっちへ来い」

「はい」


 隣に立ったエリスの顔に、ルナリアはそっと右手を近づけると、

 細い指で、彼女の額を弾いた。

 音。大きな木槌で、頑丈な机を全力で叩くと、こんな音がするかもしれない。

 エリスの頭が大きく揺れた。足を開いて踏みとどまる。ゆっくりと姿勢を戻す。

 額からは一筋の血が流れ、顎を伝って床を染める。

 

「やりすぎだばかたれ」

「はい」


 ルナリアが、周囲を見渡した。時が止まったように動かない皆へと、落ち着いた声で告げる。


「お前らも良く知っての通り、我ら第七騎士団は民の支持がある故存続していられる。その我らが民に害を加えるなど、あってはならないことだ。今回エリス副長は少々過激すぎたが、行動そのものは間違っていない。民に疎まれれば第七騎士団など一瞬で崩れ去る。そうなれば荒くれ自慢のお前らに残った道など、西方での傭兵くらいなものだ」


 腰に手を当てた。


「今回はこれで終わりとする。監督責任も連帯責任も問わぬ。だが次は無いぞ。今度何かやらかした奴は、私と丸一日模擬戦だ。以上」


 言い切って、歩き出す。エリスも後へと続く。一瞬こちらへと向けた目が、付いてこいと言っていた。

 背嚢を持ち上げ、二人の元へ駆ける。無数の視線がちくちくと背後に刺さった。

 やはり軋む扉を開けて、三人は大広間を後にした

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