事前準備
寂れた酒場だった。
軋む床に所々欠けたテーブル。魔力の照明もどこか頼りなく、外から差し込む日が無ければ碌に文字も読めそうに無い。かすかな異臭とほこりっぽい空気の所為で、倉庫か何かと勘違いしそうになる。
店主と思しき老人がカウンターに一人、他に客はいない。もっともそれは町が事実上の内戦状態だから、だけでは無いのだろう。
申し訳程度の筆記用具を握り締めて、ルネッタは歪んだ椅子に小さく腰掛けている。右にルナリア、その先にジョシュア。
そして正面には、交渉の橋渡しをしてくれるという男が一人。
――交渉……交渉かぁ
その男を一言で表すのならば――芸の無い話ではあるが、やはり『ごろつき』になる。それもそこらの下っ端ではない。町を丸ごと手中に収めている無法集団の長。染み出るような迫力を素直に受け取ればそうなるし、実際似たようなものだろうとルネッタは思う。
男はテーブルに肩肘をついた。浅黒い肌に、後ろへと撫で付けた濃い茶髪。目元も口元も共に鋭く、当然のように美形だ。
「さて、はるばるやってきて頂いた騎士団長殿は、この町の状態はごらんいただけましたかな?」
「……内乱をかな」
ルナリアの返答に、男は微かに笑った。
「それもある、がそれだけじゃない。おっと、申し送れました。おれはトゥルス・ディナ。この辺の……いや『境目』の顔をやらせてもらっています」
「ふむ」
トゥルスは置かれたグラスの中身を一息で飲み干すと、続けた。
「町の造りを見れば分かると思いますがね、ここは区別が強烈なんですよ。第一と第二、第二と第三、第三と無泉。そうした地位が一つ変わるだけで待遇が天地の如くでありまして」
「だろうな」
ルナリアはぐるりと店内を見渡した。この酒場は第三市民の区画にあり、今の言葉をそのまま証明するかのようでもある。
「厳密な区分けはさらに細分化され……まぁ半分ですな。第二市民の半分から下、無泉に至るまでの下位層はまさしく馬車馬のような環境ですよ。働いても働いても楽にならず、稼いだ金はほとんど税金で飛んでいく。飯に寝床、ついでに酒程度は全て面倒を見てもらえるんですがね、そいつが逆に良くない。稼ぎを丸ごと税で引っ張っていく口実みたいなもんでして」
「何が言いたいのかな」
「そうあせらず。基本町の居住権は領主が方針を決定するのは当然ご存知かと思いますが、ここはそれもことさら酷い。一度入ると出れんのですよ。確かな理由に加えて一定以上の魔力を見せんと市民権も居住権も他所に移せんのです。下位層にとってはまさしく地獄の釜ですよ。おれぁ無法極まる西方から圧制時代の中央と知ってはいますが、最悪は間違いなく今ですわ」
トゥルスが深く椅子に腰掛けなおした。
「ようするに俺……いや、俺らはこの反乱はまさしく起こるべくして起こっている、と受け止めております。町が回らぬのも滅ぶのも困りますが、心情的にどちらに付きたいか……大きな声では言えませんが、分かっていただけるかと」
小さなため息がルナリアの口から漏れると、トゥルスはにまりと微笑んだ。
「で、本題です。あなたがたがやってきたことも踏まえて考えれば、この反乱には先が無い。市民である我らが領主の側に付くのも当然というもの。鎮圧のために協力するのに異論はありません。しかしそれには……心情を埋め合わすだけのものが欲しい。おわかりでしょうか」
「私はただの援軍で、所詮一つの騎士団の長だ。約束できるものなどそうそう持ち合わせていないぞ」
「ご謙遜を。もはやあなたなくしてこの騒動は終わりません。相応の無茶も通るというもの」
大げさに手を広げてみせる。表情は、中々に嫌らしく歪んでいた。
「先ほど申したとおり、俺は境目の顔をやらしていただいております。何せ町の中央通は、横切るのにさえ許可が必要というこの現状。向こう側に溢れた酒やら葉っぱやら……そうした嗜好品ですな、それをこちらに流すのが主たる生業なわけですが……ご想像通り、表に出れない身にございます。必要悪、という奴ですかな」
「……それで?」
「要求は簡単ですよ。俺を、俺たちを合法化していただきたい。左右の橋渡しを一手に任せて頂きたい。後は……そうですな、税の免除、格名の授与、第一市民権と……こちらはまぁ順々にで構いませんよ。優先順位は今言ったとおりで」
口元はにやついたままではあるが、目は本気だ。この要求はどうやらけん制ではなさそうだ。
それを受けてルナリアは答えず、とんとんとテーブルを叩く指の音だけが響き渡る。
嫌な沈黙、だと思う。
「私にそんな権限は無い」
「いやある。無いと困るのですよ、お互いに。俺らは所詮橋渡し屋。だから今回の内乱でも橋を渡し、そして今後も橋を渡す。表に出て、堂々と。これが俺らの要求です。飲めぬのならば全ては無かったことに。雨のような血が流れるでしょうが、それもまた面白い、ですかな」
ルナリアは、
「……く、くく、く」
笑い、出した。ルネッタの背筋にぞくりとした悪寒が奔る。嫌な予感、そんな生ぬるいものではない。
彼女は椅子に深くこしかけ、そのまま後方へと滑ると、がごん、と大きな音を立てて右足をテーブルへと投げ出した。
トゥルスの顔が、目に見えて険しくなった。
「ジョシュア」
「はっ」
ルナリアの呼びかけに、彼は懐から一枚の紙を取り出した。受け取り、目を通して、わざとらしくひらひらと。
そして彼女は低く告げる。
「赤の宿木。トゥルス・ディナを中心とした練団。それなりの武闘派で通っており、西方から中央へと転々としながら戦果をあげる。東の地にてダークエルフと交戦、壊滅の危機にあうも王の騎士団に助けられ今に至る。もっぱら最近は武力をちらつかせた『交渉』と『売り買い』を活動内容とする、と……中々に立派な経歴だな」
「そりゃ、どうも」
「問題はここからだ。商売の内容は極普通の食料品や酒から製造禁止の違法薬物に至るまで多種多様。娼館や賭場の経営も行っているが、どちらも必要以上に荒っぽいと来ている。賭場は詐欺紛いと噂され、不服を申し立てるものは貴様らが直に制圧している。娼館は他に行き場の無い女共を酷使しつづけ、中には三日にわたり相手をさせ続け死んだ者までいるらしいな」
「知りませんなぁ。あいにくと俺の目は二つしかありませんので、全てを把握するのはとてもとても」
「結構。結構だとも、トゥルス・ディナ」
ルナリアはテーブルから足を戻すと、ゆっくりと、立ち上がった。
「貴様の勘違いを一つ正してやらねばならんな」
「……へぇ。そいつはいったいなんですかね」
目を細め、彼女は静かに微笑む。魔力は穏やかで、殺気も無い。しかし、驚くほど、周囲が寒い。凍えるように。
「噂か? 外見か? あるいは立場か? いずれにしても、どうやら貴様は私を『正義の味方』か何かと勘違いしているらしい。それは結構、確かに貴様らは法を犯すごろつき共で、私は王に属する騎士団の長だ。幸か不幸か、正義は私にあるわけだ、愉快なほどに」
「何をおっしゃりたいのか、わかりませんが」
ルナリアが少しだけ、首を傾げた。
「明日また同じ時間、ここで会おうかトゥルス・ディナ。赤の宿木残存兵力、ジョシュアが調べた範囲では六十二名か。その時までには半分に減っている」
「なん、ですって?」
「それでもまだ囀るなら更に次の日だ。その時までには貴様一人になっている。騎士団なぞ使わんぞ。私だ。私が一人で貴様ら全員皆殺しにしてやろう。戦いたいならば好きにしろ。兵隊も可能な限り集めるが良い。英雄ルナリアの噂とやらがどこまで本当か、骨の髄まで味わわせてやる。血と泥塗れのごろつき共が表に出たいと言ったな? その愚かさの代償がどれほど高いか、身に染みることとなる」
言い切った。強い口調で切り捨てるように。踵を返し背中を見せるルナリアへと、さすがに青ざめたトゥルスが叫んだ。
「お、お待ちください!」
テーブルへと手をついて立ち上がるその様子からは、全ての余裕が消えていた。
「ご冗談もほどほどにしてはいただけませんか、騎士団長殿」
「冗談に聞こえたか。面白い」
今度こそ正真正銘息を呑むトゥルスと、首だけで振り返り、凍りつくような視線を送るルナリア。
あまりに重苦しい空気をやぶったのは、ジョシュアの声だった。
「さて」
ぽん、と両手を打ち合わせると、驚くほど落ち着いた声でさらさらと告げた。
「互いに存分に分かり合えたところで、現実的な落としどころを探るとしましょうか。こちらの、つまりは我々第七騎士団の要求としましては反乱の首謀者との直接会談。そちらの要求は先ほどのとおりで構いませんね? ああ、どうぞおかけください。立って警戒する意味も特に無いかと思いますよ。何しろ――」
わざわざ指を一本立てて、弾むような明るさで、
「団長がその気になってしまえば、文字通り一瞬でしょうから」
その言葉にトゥルスはごくりと喉を鳴らした。
もっとも――そう、もっとも彼とて歴戦の戦士らしく、顔に張り付いていた恐怖の表情はあっという間に消えて、先ほどまでの余裕が復活しつつあった。
冷や汗だけは収まっていないようだが。
ジョシュアが続ける。
「まず最初に。先ほど団長の言葉にもあるように、我らは所詮援軍、所詮一騎士団です。セルタの内政に干渉するような真似は基本的に出来ません。あなたの要求はたとえ一つであろうとかなえることは出来無いのです……本来は」
「本来は、ね」
「そう。先ほどあなたも申したとおり、現在反乱を丸く治める鍵は我らが握っていると言っても良い。成果には対価、報酬が出るものです。無事セルタを元に戻すことが出来たならば、相応の要求が通るというもの。法そのものを弄り回すのは困難でしょうが、あなた方のみを救い上げるのであれば可能かもしれません。ただしその場合は、現在行っている業務の大幅な見直しは必須になります。違法品の取り扱いにしろ、賭場と娼館の商い方にしろ、です」
トゥルスが僅かに鼻を鳴らすが、ジョシュアは気にした様子も無い。
「次に税の免除。これは困難でしょう、が、減税対象にならばあるいはといったところ。格名の授与はさすがに不可能ですね。完全なる越権であり、エレディア候が容易く首を縦に振るとは思いませんもので。最後に第一市民権の獲得、ですが」
一度言葉を切った。
「これはあなた次第でしょうか。見たところ魔力は十分にあるようで、残りは『幾ら積めるか』にかかっているのでは? 減税を上手く利用して存分に稼がれるがよろしいかと。最悪の場合一度ここを出て王都で取得し、再度戻ってくれば良いでしょう。向こうでの推薦程度であれば協力を惜しみませんよ。ああ、練団の構成員全てにというのはあまりに過ぎた要求です。そちらは諦めていただきたい」
「……まぁそんなところですかね。満足は到底できませんが」
あからさまな強がりにジョシュアはにこりと微笑んで――纏った雰囲気が急に変わった。
毒で塗り固めた槍のように。
「さて」
「……っ」
「当然理解していることと思いますが、これらは全てこの反乱が無事に終わることが大前提となります。会談がうまくいかぬ場合……とまでは言いませんが、順調に鎮圧できぬ場合は被害に応じて要求が難しくなることはお分かりかと」
「そ……そいつは少々惨い話ですな。俺らとて今回のは相当の無理を押して――」
被せるように、ジョシュアは言葉を紡いだ。
「我ら第七騎士団に課せられた任務はセルタの内乱の穏便なる解決。しかし最優先目標は解決です。穏便ではない。本当に最後ともなれば反乱分子を皆殺しにしてでも町を取り戻すのが勤めです。それほどの事態となった場合、あなた方との約束を守れる余裕は無い、と理解していただきたい。もしもあなた方が向こうに付くのであれば……いや、辞めましょう。下らぬ過程でしたね」
「はは、そう、ですとも。今更反乱分子に付こうなどとは思いません」
「それは結構。はてさて、今度はこちらの要求。といっても繰り返しになるだけですが、どうか反乱の首謀者と直接会って話す機会を作っていただきたい。それも可能な限り早くです。できるのならば明日にでも」
トゥルスは若干眉をしかめた。さすがに、無理難題なのだろう。
「明日、ですか。まぁ努力はしますが、その前に一つ」
「何か?」
「俺らは『話し合い』の場を提供するんです。断じて暗殺の機会を与えるわけでは無い」
「無論です。今の段階でそのような手段を取る意味もありません」
「……何か、示すだけのものが欲しい。当然の要求とは思いませんかね。ましてや背筋も凍るほどの殺気で脅されれば尚更だ」
「ふーむ、そうですねぇ」
役者のような過剰さで考え込む仕草をした後、ジョシュアはルナリアへと視線を送り――次にその瞳はまっすぐルネッタに注がれた。
――へ?
今の今まで、一言も発せず縮こまっていたというのに、なぜ急に。思わず背筋を伸ばしてしまう。
「彼女が何者か分かりますか?」
「……はて、気になってはいましたが」
「人間が一人、我らの地に迷い込んだという噂は?」
「聞いたことくらいなら」
「彼女がそれ、です」
少しだけ驚いた、ようだ。
ジョシュアが静かに続けた。
「加えて言うのであれば、彼女は第七騎士団の書記官でしてね」
「なっ……!? 人間が、ですかい」
「そうです」
刺さる視線に、思わずルネッタは頭を下げた。他にどうすれば良いのだろうと思う。
「我らの噂は聞いていますね? 第三市民から無泉に至るまで分け隔てなく登用すると。このように人間でさえそれなり以上の地位につけるのです。それらの証明に十分ではないかと思い……同時に」
彼は声を一際小さくして、
「我らも『心情的にはどちらの味方か』分かっていただけるのではないかと。悪いようにはしませんよ。信じてみては、いかがでしょうか」
そう締めくくると、驚くほど柔らかく、そしてぞくりとするほど優しげにジョシュアは微笑んだ。
一応、と頭につくものの交渉の第一段階は無事に終わった。帰路となる街道をコツコツ歩いている最中に、突然ルナリアが盛大なため息をついた。
「いくらタチの悪いごろつき相手とはいえ……これじゃ私が大悪党じゃないか。本当に必要だったんだろうなージョシュアー」
「何しろ時間がありませんので。あの手の手合いは最初に脅したほうが早いのですよ。だらだら続けていては何週間もかかりますし、そうなれば……最悪セルタは崩壊です」
「ふん……ま、確かにとてもじゃないがエリスはつれてこれなかったな」
「脅してる最中に勝手に盛り上がってそのまま手が出ますから。台無しでしょう」
言って笑う。くすくすと。ルナリアも釣られたように。
――て、ことは
「え、演技だったんですか?」
ルネッタの言葉に、当然だろうと彼女は頷いた。
「可能なら一人の死者も出すなって言われて来たんだぞ。無法者相手とはいえ、私が直々に市井の者を殺して回るだなんてもはや喜劇だ。危ないものでも食べたのかって話だよ」
「それは、確かに、そうですけど……」
あの表情と威圧感は全て本気だったように見えたが、彼女がそう言うのであれば、そうなのだろう、か。
「さてルネッタさん」
「ひゃいっ!?」
横からのジョシュアの言葉に、変な声が出てしまった。
「今回は失礼ながらあなたという存在を利用させていただきました。恐らくは本番でも同じようになります」
「……はい」
「不愉快でしょうか」
ルネッタは大きく首を横に振った。
「お役に立てるのであれば、それだけで私は……えっと」
突如横から伸びてきた手に、わしわしと頭を撫でられる。まるで子供扱いで、けれどもやっぱりルナリアの手は気持ちが良くて。
どうしても顔がにやけて、誤魔化すように視線を泳がして、そうして向こうからやってくる兵士が目に留まった。
装備に加えて顔にも見覚えがある。確実に第七騎士団の兵だろう。
彼は急ぎ足でこちらまでかけてくると、ルナリアへと声をかけた。
「だ、だ、だん、ちょうっ。はぁ、はぁ、報告が、二つ、ありますっ」
「分かったから落ち着け……よし、平気だな。一つ目は?」
「ひ、一つ目は、ですね」
兵士の目がくるくると回る。どう説明しようか、悩んでいる顔だった。やがて諦めたのか、渋い顔で彼は言った。
「副長が、子供を拾ってきました」
「は?」
ぽかんと口を開けて、抜けた声をルナリアは吐いた。ジョシュアでさえ怪訝そうに眉を潜める。
「……ま、まぁそれは分かった。細かいことは後で聞く。二つ目は?」
「二つ目、二つ目は……」
兵士は目を閉じ、なぜかそっぽを向いて、とても辛そうに、
「副長が、養殖場の一つを壊滅させました」
「…………はぁ!?」