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Elvish  作者: ざっか
第三章
67/117

地下

 不愉快である。

 一人道を歩くエリスの心情は、つまるところその一言に尽きる。

 

 詳しい説明は受けていないが、どうやら敵方との話し合いの場を作るらしい。より正確に言うと、そのための事前準備が必要なので橋渡し役となる者へと話をつけに行くのだと。

 代表者として当然のルナリア。主たる交渉役としてジョシュア。ここまでは良い。記録役としてのルネッタ。まぁこれも許そう。

 

 だがこの自分の同行が拒否されるのはどういうことかと、エリスはぷりぷり怒っていた。既に一時間以上前だというのに、待っててくれと告げるジョシュアの瞳が忘れられない。

 だってお前暴れるだろと言わんばかりの、冷たい冷たい光だったのだ。

 

 ――あいつめぇ

 時間に余裕が無いらしく、エリスもしつこく食い下がるような真似はしなかった。しかし納得とは大きく違うのである。

 

 神殿前の申し訳程度に舗装された通りを歩けば、幾人もの団員とすれ違う。みなエリスの顔を見るや否や、勢い良く脇へと逃げて背筋を伸ばすのだ。そのあまりの怯えっぷりが、かえってイライラとさせてくれる。

 

 空は晴天。少し強い風に煽られた麦畑が、さらさらと心地よい音を立てる。畑の真ん中に伸びた道を進めば、終着にはあまりに巨大な老大樹。街の命と呼ぶべき代物が、今は反乱軍の本拠地である。目を凝らせば木組みの敷居さえ見えるのだ。砦のつもりか馬鹿馬鹿しい、とエリスは思う。

 

 エリスは神殿通りから脇へと入り、畑の間へと歩みを進める。

 奥にある麦畑の入り口へとたどり着くと、見張りを任せた兵が一人、エリスに気付いて声をかけてきた。


「副長」

「見張りご苦労さまです」

「はっ。あの……この畑の先は一応敵地ということになっておりますが」

「知ってます」

「はっ。いえその、ですから、危険、では、ないか、と……」


 じろりと睨むと、見張りは口を噤み目を伏せた。


「知ってますとも。だから行くんです。心配しなくても軽い偵察程度ですよ。敵に会ったら逃げてきますから」


 現状のエリスは、上から下に至るまで完全武装である。特注品である純白の極光鎧に、愛用の極光大剣。視界と音を優先させて頭部がむき出しであることを除けば、不意の弓などあっさりと弾き『黒犬』であっても一刀に切り伏せることが出来る、まさしく戦闘態勢だった。

 

 幾人相手だろうと皆殺しに出来る、とまでは言わないが、数百程度であれば囲みをぶち抜いて逃げることは容易いだろう。

 ――さて

 農道の中央でエリスは立ち止まると、ぐるりとあたりを見渡した。

 

 それにしても不思議な街である。

 街の中央に老大樹を置き、緩衝材としての空き地を挟んで、さらに周囲をぐるりと畑が取り囲む。居住区は外側へと追いやられ、捻じ曲げた鉄板のように張り付いている形だ。

 なるほど、確かに効率は良い。老大樹からの魔力を一本化する必要が無く、周囲に均等に散らせばそれで十分なのだから。

 

 それほど優れているのであれば他所も真似すれば良い、と言いたいところだがそう単純な話でも無い。街の中央には、大抵は統治者の『屋敷』が置かれるものだ。

 矜持、見え、あるいは仕切りの作りやすさと伝統には一定の意味がきちんと存在するものである。

 

 その伝統を悠々と無視するこの設計は、つまりは食糧生産こそが他の全てに優先される街なのだと証明するに等しかった。

 周囲は延々と続く麦畑だが、遠くには果樹園も見える。野菜畑もあるだろう。見渡す限り、まさしく食料の宝庫だった。

 

 ふと、エリスは思う。麦も野菜も果物もある。東の食料地としてふさわしい姿だ。けれどもこれでは、足りないものがあるだろうと。

 老大樹は中央の小山に聳え立ち、周囲には浅い草原が広がっている。近くは魔力が強すぎるゆえ畑には向かず、大抵はあのような空き地が広がることになる。

 

 では町の外はといえば、深すぎる森が広がるばかりで適した空間とはとてもとても。

 ようするにここには、家畜の姿が無い。とはいえ存在はしているはずだ。肉とチーズは、セルタを代表する商品の一つである。

 

 ――ふーむ

 麦畑の中を縫うようにして、小さな農道をエリスは歩く。敵の姿も気配も無い。あるのは風のそよぐ音に、揺れる麦の音、土の匂い、柔らかな日差し。いたって平和なものである。

 とはいえ、只一点。

 

 ――乱れた魔力、それもやけに強い

 反乱が正確にいつ始まったのかは知らないが、少なくとも有事以降は老大樹の調律を行えていないはずである。地脈も相当に荒れていよう。

 

 ――ん?

 ふと視界の隅に違和感を感じた。農道は麦畑の中央へと伸びているが、他よりも少々幅が広い。その終着点に、

 ――穴? 地下?

 

 疑問に思い近づけば、乱れた魔力が肌を撫でた。どうやらこの先に、明らかな異常があるらしい。

 悩んだのは僅か一瞬、エリスは剣を肩に掲げたまま、地下の道を降りていった。

 

 規則的に並ぶ魔力の明かりに綺麗に整えられたそれなりの広さを持つ土の道と、反乱前までは使われていたことは明らかである。

 下った先に現れた木の扉を開くと――広大な空間が広がっていた。

 

 数えるのも馬鹿らしくなる木の柵に、土の匂いと草の匂いと糞便の匂いが入り混じった凄まじい悪臭。薄暗い地下空洞の隅々には、蠢いている無数の物体。

 ――なーるほど

 

 どうやらここが噂の『養殖場』らしい。来た道の幅を考えれば繁殖用の魔術儀式から食肉への解体に至るまで、全て地下で終わらせる造りになっているのであろう。歪んでいる、と見るか徹底していると見るか。エリスはさして興味も無いが。

 

 上がこの様子では餌の管理はどうしているのだろう。そう思いエリスが一歩踏み出すと――瞳が、それこそ数百に届く獣の瞳が、一斉にエリスへと注がれた。

 ――げ

 血走り、挙句不自然に光る目。荒々しい息に加えて全身に魔力が漲っている。

 ――ああクソ、調律サボりすぎでしょあの女

 

 乱れた地脈が地下を駆け巡り、家畜共の体を隅々まで侵してしまったようだ。獣でありながら一目で分かるほどに正気ではなく、求めるのはより強い魔力――即ち今のこのことやってきたエリスの体だ。

 

 冗談ではなく、負ければ食われる。そして魔力を注ぎ込まれた家畜の力はそこらの凡兵など問題になるまい。挙句三桁に上る数である。黒犬数匹相手取るより遥かに面倒だ。

 

 考えるまでも無く引くべきである。上に逃げれば兵もいる。ジョシュアやラクシャも呼べば来る。最後は渋い顔をしたルナリアが全て平らげて終わらせてくれるかもしれない。貴重な家畜を全て死肉にかえればあのクソ女は怒り狂うかもしれないが、知ったことかとエリスは思う。一度こうなればもはや元には戻せない。殺すのが唯一の解法であり、同時にここで一人で命をかける意味などどこにも無い。

 

 家畜共から視線を外さず、後ずさるように引こうとして、エリスの足が止まった。

 見間違いかと思い、目を凝らすこと数度。

 居る。地下空洞の奥も奥、敷居で囲まれた家畜部屋の隅も隅。小さな人影が蹲っている。

 

 この距離からでも分かる。子供である。汚れた服とくすんだ髪を見るかぎりは少女か。これだけ暴走している獣共の中にあっても無事であること、そして毛ほどの魔力も感じないことを合わせれば、無泉だろう。

 ――どうする

 僅かの間に理由を探す。幾つも幾つも。

 

 見知らぬ子供である。最底辺たる無泉である。今まで無事なのだからこれからも無事である。少なくとも獣はエリスを狙うはずである。

 ましてやエリス自身が捨て身になるほどの価値など、いったいどこにあるというのか。

 

 エリスは風を裂く勢いで地を蹴り飛ぶと、右手の大剣を横薙ぎに払った。数匹の牛が、豚が、血と涙を撒き散らして絶命した。

 ――ああああああああ……

 

 理由、理由。仲間を殺されたからか、魔力の塊が目の前にやってきたからか、家畜はさらに猛り狂う。そう、猛ったのだ。エリスの所為で。状況は変わってしまった。

 

 縦に一振り、踏み込んで再び横。回転しつつ背後へと袈裟斬りを放って、左後方から迫った豚の頭部を肘で砕いた。

 

 変わった。ここで引けば興奮した獣にあの子供は食われるかもしれない。牛の顔に剣を突き刺し、引き抜いた勢いで更に次を殺す。そもそも勘違いか。無駄な心配か。結局こいつらは魔力にしか反応しないのか。殺す。まだ殺す。それでも敵は軽く百以上残っている。あるいはやってきたのが間違いか。絶妙な緊張をエリスが壊しただけなのか。

 

 豚の背を踏み台にして、僅かな隙間へと飛んで逃げる。周囲はもはや波である。地下空洞自体は広いが、魔術の使用は控えるべきか。あの子が死んでは意味が無い。

 打ち払う。切り払う。一心不乱に。思考が、迷いが、消えていく。こいつらを皆殺しにして、あの子を助ける。そのためだけに剣を振るう。

 

 仮にあそこで蹲るのがルネッタであれば? 愚問である。では見知らぬ子供なら? 難しい問題だ。けれども答えが生まれつつあった。

 非力で貧弱でか弱い少女を、危ないからとあっさり見殺しにして、その後どんな顔でルネッタを抱きしめるというのか。これは良い。十分すぎる。命をかけるのに、こいつらを仕留めるのに、過不足無い理由となりえる。


「がぁっ……!?」


 背中に強烈な衝撃が奔った。大きく揺らいだところを、正面の牛に跳ね飛ばされた。宙を舞う。視界が回る。地に叩きつけられて息が詰まる。剣が手からこぼれて離れる。

 ――しまっ

 

 牛が、豚が、殺到する。三、四、五。踏みつけられた腹の辺りからミシミシと嫌な音がする。食われる。食われる。食われて、


「あああああああっ!」


 全身に漲らせた魔力が地下の全てを照らし出した。怯んだ牛の顎へと手を伸ばすと、そのまま力任せに引きちぎった。逆の手を送って脳まで貫いて、死んだ牛を両足で蹴り飛ばす。跳ね除け、跳ね起き、一歩下がる。体内で爆発しそうな魔力の塊を順序四肢の先端へと。右拳で一つ、左拳で一つ、左右の蹴りで一つ、二つ。命を散らし、出来た余裕で剣を拾う。

 

 喉奥からせりあがってきた血を地面へと吐き出し、剣をゆっくりと腰打めに構えて、エリスはぽつりと本心を呟いた。


「楽しくなってきた」


 残りおよそ半分である。






「はっはっはっはっ……」


 玉のような汗を滴らせながら、エリスは肩で息をした。足が震える。全身から全ての力が抜けているかのようだ。これほどの疲労は、久しく感じたことがない。

 地下の養殖場には、めまいがするほどの匂いが充満している。草の匂い、土の匂い、糞便の匂い。そしてそれらを容易く打ち消すほどに濃い血の匂い。

 

 死屍累々。この状況を表すのに、それ以上の言葉はあるまい。

 ――やればできるものだね

 深く深く息を吸う。はっきりと臭いが、それ以上に呼吸が必要なのだから。

 

 どうにか落ち着くと、エリスは再び剣を肩に掲げてゆっくりと歩き出した。子供は――どうやらきちんと生きているらしい。背中を壁にこすり付けて、ふるふると小さく震えている。薄汚れた茶髪の間から、蒼い瞳がのぞいてる。恐怖に染まりきったソレは、今にも泣き出しそうであった。

 

 エリスは足を止めた。少女まではおよそ数歩である。

 ――どうしたものかね

 聞くべきことは山ほどあるが、兎にも角にも外に連れ出すべきである。それは分かる。もちろん分かるが、現状のエリスの姿は中々に凄まじいのだ。

 

 純白のはずの鎧はもはや朱で染め上げたようであり、髪には家畜共の肉片がこびり付いていた。ちょっとした地獄の軍団兵である。怯えるなと言うのも無理があるかとエリスは思う。

 首を捻り、少々考え込んでいると、


「……なさい」


 少女が消え入りそうな声で、告げたのだ。


「ごめ、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


 謝っている。繰り返し繰り返し。まるで折檻された犬のように。必死に許しを請うように。

 エリスは――大きなため息をついた。

 

 一歩踏み出す。少女が固まる。気にせず歩いて目の前までたどり着くと、少女の頭をぐしぐしと撫でた。血がつくが、まぁ我慢してほしい。


「こーゆうときは、ありがとうって言うんですよ」


 ようやく、だろうか。

 少女の瞳から大粒の涙がこぼれて落ちた。

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