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Elvish  作者: ざっか
第三章
66/117

立場


 ごろりと右に寝返りをうつ。

 空振り。

 今度は左にごろりと転がる。

 無い。あるべき、あってほしい柔らかな感触も優しい匂いも温もりも。

 ――あぁそうか

 

 ベッドから体を起こして窓を見れば、既に日が差し込んでいた。時刻はもう朝、起きなければと目を擦り――ようやくルネッタの意識は活動へと切り替わった。

 

 壁も床も天井も木で、見る限り相当に古い。ひび割れ、痛み、隙間からは僅かに日が差し込んでいた。一見すれば廃墟のようだが、ベッドは新しく綺麗であり、部屋の隅々まで掃除が行き届いている。恐らく、第七騎士団が援軍に来ると決まり次第、慌てて整えたのだろう。

 

 街の外れにあった古い神殿が、騎士団の『宿屋』として解放された。兵達はその床に寝具を広げ、隊長格は隣に立てられた神官達の住まう館に寝泊りすることになったのだ。

 どちらも現在は使われていない。セルタの街よりも遥かに古い神殿は、既に形だけの残骸として放置されていたらしい。形骸化した信仰と同じように。


「おきないと……」


 自己に言い聞かせるように言葉を吐いた。ずりずりとベッドから這い出して、顔を洗い着替えを終えて、軋む椅子に座って深呼吸を一つ。

 

 一人だ。

 部屋割りは団長と副長が広い相部屋。ジョシュア、ラクシャ、ルネッタが狭い個室。

 

 たかがお飾り書記官としては恵まれているし、そもそも二人の部屋は隣だ。寂しければ向こうに行けば良い、だけとは分かっているけれど。

 あいにくと、そこまで積極的にはなれそうも無い。

 もし求め過ぎて拒否でもされれば――


「うー」


 ルネッタはぶんぶんと頭を振って、最悪の未来図をかき消した。心配性すぎると彼女達は笑うだろう。それでもこれが己の性分なのだ。

 携帯用の小型冷箱から水筒を出して、ごぼりごぼりと勢い良く。おかげで冴えた頭を使うために、ルネッタはボロ机へと紙を広げた。

 

 昨日ジョシュアからもらったものだ。紙には兵の名、数、そしてこの地で配給された物が細かく記されている。それらに不備が無いか確認して、一つにまとめる。

 それだけだ。

 

 はっきり言ってしまえば意味など無いし、この手の情報はジョシュアが完璧に把握している。掘った穴を自分で埋める程度の仕事ではある。

 それでもやる、あるいはくれるのは、無駄飯食らいだと隊の皆に思われないためだった。いわばこれはジョシュアの気遣いなのだ。ありがたい、と素直に思う。

 

 作業に取り掛かって数分も経たないうちに、ノックの音が室内に響いた。


「ルネッタ書記官、起きてますか?」

「あ、はい」


 ジョシュアの声だ。急ぎ扉に駆け寄って、やや錆びた鍵を開ける。

 彼は既に鎧を着込んでいた。手元には数枚の紙に、小さな布袋。


「追加と、朝食です」

「ありがとうございます」


 受け取って頭を下げる。机に戻って広げて見れば、追加の支給品と自由に動かせる兵が書き連ねてあった。どうやらこちらに軍権を渡すらしい。あらゆる意味で本気だということだろう。

 

 もちろん責任は半々で負うようにしましょう、としか読めない文もそこらに見られるのだが。

 ――あれ?

 ふと顔をあげてみると、今だにジョシュアは扉のところに立ったままだ。どうしたのだろう。


「あの、何か……」


 ジョシュアは答えず、一歩中に入ると扉を閉めた。すぐ傍の壁へと背を預けて、静かな眼差しをこちらへと向けている。

 表情は読めず、少し、怖い。

 軽く腕を組み、僅かに首を傾げて、彼は静かに呟いた。


「あなたが来てから、騎士団の空気が少々変わりました」


 声音は静かで表情も穏やかだ。けれども纏う雰囲気は――冷たく感じた。少なくともルネッタには。


「よく言えば和やかに、悪く言えば緩く。原因は単純にして明白ですね。嫌われ役となりつつも隊を締め上げていた鬼の副団長が、情にほだされ甘菓子のようになったからです」


 ジョシュアは目を細めた。


「元々うちは騎士団とは名ばかりのごろつき、弾かれ者の寄せ集めです。過剰な暴力と恐怖による統制も、いわば必要悪であったわけです。団長はそのあたりがどうしても甘く、私やガラムでは四桁に届くごろつき共を一人で恐れさせるとまではいきません。規律のために、副長は必須であったわけです」

「……はい」

「それが今やあの腑抜け具合。兵達もそれを心から喜ぶ始末です。現状これといって問題は起きていませんが、状況が逼迫すればどうなるか、楽観はできません。あなたとて、以前それなりの目にあったでしょう」


 彼は深く息を吐いた。


「あなたは新たな兵器を我らにもたらしました。人間という、無泉以下の立場であることも意味を持つかもしれません。それを踏まえた上でも、ルネッタ・オルファノの存在が第七騎士団の益となるのか、正直なところ疑問なわけです」


 ルネッタは、ただ、俯いた。

 返す言葉は無い。徹底して正論だと思う。手を握り締める。強く強く。爪が食い込み鋭く痛むが、ジョシュアの指摘に比べれば雫のようなものだ。

 この上自分には隠し事さえあるのだ。胸と腹を焼くこの重苦しい感覚を、罪悪感と呼ぶのだろうか。

 ジョシュアは、


「とまぁ、これは第七騎士団の隊長としての意見です」


 彼の雰囲気が一気に綻んだ。たぶん、わざと、だと思う。


「エリス・ラグ・ファルクス。あの我侭で気分屋で暴力的な癖にやたら強いという、大変面倒な女の友として俺個人の意見は――奴の機嫌が良いというのはとてもとてもありがたい。八つ当たりされないしね。気を使わなくて良いというのは天国だよ」


 ジョシュアは朗らかに笑った。過剰なまでに見えるのは、きっとルネッタを気遣ってくれているから、と思えてしまう。


「そのあたりを足したり引いたりして考えた結果、あなたを現状どうこうするつもりは無い、というのが私の結論です。少々怖がらせてしまいましたが、ま、私の苦労も多少は分かっていただきたい。それだけですよ」

「は、はい……えと……ありがとう、ございます」


 例を言うのが正しいのか、と言われると微妙なところかとは思う。しかし、他に言葉も思いつかない。

 そんな様子がおかしかったのか、ジョシュアは苦笑するとより深く壁へと寄りかかった。

 

 沈黙が部屋を包む。少々気まずい。会話の話題がこれといって思いつかず、ならば仕事の質問でもすれば良いのか。

 そんな空気を破ったのは、突如開いた扉の音だった。


「る~ねったぁああああぁぁ」


 不思議な抑揚、気の抜けるような声。赤い髪をさらりと流し、長い耳をぴょこぴょこ揺らし、エリスが部屋へと入ってきた。

 下半身は甲冑だが、上半身は鎧の中に着るような薄着だ。抑えるための布さえしていないのか、歩くたびにその大きな胸が揺れている。なんというか、複雑な気持ちになる。

 

 丁度開いた扉の影になったからか、彼女はジョシュアに気付いていないようだ。ずるずると足を引きずるようにしてルネッタの目の前までやってくると、


「わっちょっひゃっ」


 押される。押される。ずりずりぐいぐいと体を押されて、ついにルネッタは後方にあったベッドへと座り込んでしまった。


「聞いてくださいよもぉおおぉ」


 彼女は床へと膝立ちになると、ルネッタのおなかのあたりにしがみついたまま、ぐりぐりと頭をこすり付けてくる。


「団長がぁ今回は繊細な任務になるんだから腹立っても殴るな怒鳴るなおとなしくしてろってぐちぐちぐちぐちぐちぐちぐちぐち……私のことなんだと思ってるんですかね。ちょっとイラついたらすぐ跳ね飛ばす災害か何かかって。おかしいですよ。おかしいですよねぇルネッタ」

「え……えっと」


 顔がぐるりと器用に動いて、片目だけが見上げてくる。


「こーいうときは、そうですねって言うんです」

「……そうですね」


 エリスはおなかから僅かに顔を離すと、不満げに口を尖らせた。


「心がこもってません」

「いえ、その、えっと」


 ジョシュアがそこにいるんです、と言うべきなのだろうけど。

 既に機を逃してしまった気がしてならない。


「もう。傷心の私がこうして助けを求めてきたんですよ。だったらここは優しく抱きしめて、頭を撫でるまでが礼儀でしょう」

「な、なでる、んですか?」

「んふふ、私結構甘えるほうが好きなんですよー?」


 上目遣いでわざとらしく首を傾げる。演技なのは分かってはいるが、何しろエリスは極上の美形だ。その彼女がこんな仕草をするのだから、それはもう凄まじい破壊力になる。

 

 背筋がぞくりと、喉はごくりと。ルネッタは言われるがままに手を伸ばして――ふと、扉の影から動かないジョシュアを見た。

 彼はまさしく呆然といった様子で、ぽかんと口をあけたまま怪訝そうな瞳でエリスの後頭部を眺めていた。

 気持ちは、分からなくも無い。


「はーやーく」

「っ!? はいっ!」


 ゆっくりと彼女の頭に手を当てると、つやつやの髪が手のひらに心地よい。

 撫でる。ゆっくりと撫でる。


「ふふ……」


 エリスは気持ち良さそうに目を細めて、耳を上下に動かした。

 ――ううう……

 貴重な体験だ。素晴らしい時間だと思う。普段と逆の立場になったエリスは、それはもう可愛らしい。

 

 とはいえ、と再びルネッタは視線をあげる。

 この時間を堪能していい状況かどうかは、もはや驚きのあまり声も出ないと言わんばかりのジョシュアを見れば明白だった。


「どうしたんですルネッタ」

「……えっ!? え?」

「いや、普段だったらなんだかんだと照れながらも、最後はもっと積極的になるはずなのに、今日は……」


 エリスの言葉は、そこで途切れた。どうしても動いてしまうルネッタの目線についに気付いたのか、彼女はゆっくりと背後へと首を回した。


「…………へ」


 固まって、息を呑み。

 ――おお、赤い

 見る見る間に、彼女の美しい長耳が果実のような色になった。

 勢い良く立ち上がり、肩を小さく震わせて、


「なっ……おっ……こっ……みっ……」


 ジョシュアへと右手の指を突き出しつつ、言葉のような何かを吐き出している。とにかく、驚くほど動揺していることだけは分かる。

 その突き出した指先は、ゆっくりと扉へと動き、


「出て行きなさい」

「はい」


 素直に従うジョシュアの背中へと、エリスは静かに言った。


「言いふらしたら四肢を千切って畑の肥料だから」

「はいはい」


 どこか呆れたように返事をして、ジョシュアは部屋から出て行った。

 エリスはぶるぶると肩を震わせ、その後大きなため息をついた。

 ――ええと

 やっぱり最初に言うべきだったか。改めて考えると当然の話だ。


「あの……」


 声をかけると、エリスは幽鬼のようにふらふらと揺れながら、こちらへと振り返った。


「ううううぅぅうぅぅう」


 唸っている。その表情は羞恥と後悔と怒りがない交ぜになったようで、水面に複数の絵の具を放り込んだとでも言うべきか。


「えっと、ご、ごめんなさい。わたしが最初に言えば」

「いいです。手遅れです」


 エリスは再び近くまで来ると、膝立ちになっておなかの辺りに抱きついてきた。手に篭る力が、やや痛い。

 ――と、とりあえず

 そっと彼女の背中へと手を回して、覆うように抱きしめる。心地よい匂いに、柔らかな感触。少し硬かったエリスの肩から、だんだんと力が抜けてきた。満足してくれている、と思う。


「ああそうそう」


 がちゃりと扉が開いたかと思えば、ジョシュアがいきなり戻ってきた。エリスはびくりと肩を跳ね上げるが、もはや諦めたのかしがみついたまま離れない。顔はルネッタのおなかに深く埋めている。

 ジョシュアの表情は――にやにやと笑っているように見える。たぶんこれは、わざとなんだろう。


「ルネッタ書記官、食事を終えたら下に来てください。あなたに頼みたい仕事があります」

「はい、わかりました」


 つとめがもらえる。とても大事なことだ。でも、今はそれよりも、と思う。

 エリスの後頭部を優しく撫でながら、このぴくぴく良く動く耳を触るとどうなるんだろうと、ルネッタはずっと考えていた。

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