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Elvish  作者: ざっか
第三章
65/117

領主

 朝が来て、昼が過ぎ、やがて太陽は森へと沈んで。

 そうしてセルタにたどり着いたのは、二度目の夜だった。

 

 巨大な門が正面にある。高さはそれこそ塔のようであるが、つくりは鉄格子だ。空いた隙間は軽く人が通れるほどで、防衛用としては大して役に立つとも思えない。

 

 門番らしき者はわずか二名で、日もとうに落ちたというのに門は開きっぱなしのようだ。馬車が一度止まり、ルナリアが手を軽く振って――再び集団が歩き出す。セルタに入るのに費やした手間はこれのみだ。

 

 まるで世界の一つと思えるほどに深い森。それを神が食器で丸くくりぬいたような空間に、見るも巨大な街が広がる。つまりは、この丸い空間がセルタだった。

 

 舗装された太い道は中央に一つ。左右に蜘蛛の巣のように広がる間に、二階建て程度の建物が延々と連なっている。空は頼りない星空だが、そこら中に浮かんだ魔力光によって、視界は良く通った。

 通りにエルフの姿は無いが、建物からは光が漏れており、食欲をそそるような匂いもふわふわと漂っていた。

 

 一言で表すと、平和に見える。


「ちょっと止まってくれ」


 ルナリアの声に、馬を操っていた兵が従った。


「どっちだったっけ……」

「私に聞かれても答えようがございません。初めてですので」


 エリスの返答に鼻を鳴らし、彼女は荷台の隅に放り投げられていた地図を引っ張り出すと、その表面を指でなぞった。


「あっちだ」


 ピンと伸びていた彼女の指が、そっと右を指した。

 馬車がならい、後続が追う。

 

 右手は一目で分かるほどに建物の造りが良い。ようは富裕層の住む区画なのだろう。終着点が街の支配者の館だとすれば、これほど分かりやすい話も無いか。

 左手は察しの通りに貧民街。中央を貫く道は緩い上り坂になっており、地平の彼方まで延びた先には凄まじい広さの畑が延々と広がっているように見えた。やがて舗装路は土に変わり、真ん中にそびえる小山を上れば――この距離からでさえ尚巨大な、一本の大樹が生えている。

 

 ルネッタの口から、自然と思ったことが漏れた。


「あれがこのセルタの老大樹、ですか」

「そうだ。北で見たものよりずいぶんと大きいだろう」

「それはここが大事な食料の生産地だから、でしょうか」

「まぁそれもある、が……ここのはラナティクシア製だからな。元から立派なんだろ、たぶん」


 ――ラナティクシア?

 聞き覚えのある名だ。咀嚼して聞き返そうと思ったところで、馬車が止まった。目的地についたらしい。

 石造りの巨大な建物は、屋敷というよりは神殿だ。壁には規則的に光りが灯り、幾つも存在する窓は全てにガラスが張ってある。かつてのアンジェの館には及ばずとも、十分すぎるほどに立派だと思う。

 

 ルナリアは斧槍を右手に抱えて荷台から飛び降りると、少しの間を空けて言った。声はいつものように風に乗せている。


「私、エリス、ジョシュア、ラクシャ、そして……ルネッタだ。残りはここで待機せよ」

「え?」


 思わず、聞き返してしまう。


「わ、わたしも、ですか?」

「一応お前は書記官だろ。一緒に話を聞くのも仕事だ」

「……はいっ」


 むずがゆいような嬉しさが半分に、言い知れない不安が半分。とはいえ選択肢は無いのだけれど。

 

 ルネッタは慌てて荷台を降りて、ルナリア達の後を追う。全員が甲冑を身に纏い、そして武装したままだ。抜き身の刃が美しいまでの光りを放つが、左右の門番は止めもしない。

 そういう作法、なのだろう。

 

 門を開けば磨きぬかれた石の床に、地で染めたように赤い絨毯が伸びている。まるで王城のようだ。

 

 しばらく進むと、礼服を着たエルフの男が駆けてきた。ルナリアの正面に立つと深々と頭を下げ、即座に踵を返して早足で絨毯を進む。

 ついてこい、ということだろう。その証拠にルナリアはこちらへちらりと視線を向けると、顎で軽く促した。

 

 先頭にルナリア。後ろに三人の隊長達。その僅か半歩後ろを、ルネッタは背筋を丸めてついていく。

 ――うううぅ

 だんだんと不安が優勢になってきた。

 

 武具を纏い、ただ歩く。それだけで様になっている隊長達の中に、なぜ自分が混じっているのだろうと。

 侍女や警備兵、あるいは召使か、数人のエルフとすれ違えば、皆必ずルネッタを凝視する。人間だからというだけの視線とは、少し違うと思ってしまう。


「なんとまぁ……」


 小声で呆れたように呟いたのはラクシャだ。その原因となったのは、恐らく眼前に現れた巨大な木の扉だとルネッタは思う。

 何かを塗りつけているのか、光沢さえ放つ表面には過剰なまでの金細工。所々には宝石が埋め込まれており、もはや悪趣味といった様子だった。

 

 先ほど走ってきた礼服の男が扉を開く。軋み音さえしない。

 その先にあるのは広々とした部屋だ。テーブルから照明器具、床から壁に至るまで、すべてがきらきらと輝いて見えた。かつてのアンジェの屋敷と派手さでは良い勝負だが、こちらは徹底して魔術抜きでも成り立つ造りのようだ。

 

 中央に、女が一人。お付きと思しき影が数人。

 女の外見は恐らく二十歳前後か。明かりを反射するかのように明るい茶髪を肩に流して、くっきりとした目鼻立ちはまさしく美人の一言だ。幼さと妖しさを素晴らしく混ぜ合わせたような顔を、娼婦もかくやと言わんばかりの体つきが引き立てる。

 

 薄っすらと透けた輝く白い布と、全身ところどころに身に着けた金細工。豊満な胸を半ばさらけ出し、腰布は僅かに下半身を隠すばかり。足元のサンダルには宝石の数々が埋め込まれている。もはや見れば分かるの域だった。あの女こそ、この地を治める領主だろう。


「ああっルナリア殿……ようこそおいでくださいました……」


 過剰に見えるほどの仕草から高く甘い声を出して、彼女はこちらへとやってきた。

 ルナリアが頭を下げる。


「第七騎士団ただ今到着しました、エレディア候」


 エレディア・レメント・クラフィス、だったか。ルネッタが事前に聞いたのはその名だけだ。

 彼女は――淫靡さを撒き散らすような仕草で、ルナリアの手をそっと握った。

 

 ――むぅ

 少し、面白くない。ここに来る前にあわや娼婦に連れ込まれかけた自分が言えた立場では無いが。

 

 それに、と思う。

 豊満な胸、くびれた腰、白く輝く太ももにほっそりとした足。体の全てが挑発するかのような彼女だが、その表情には――隠しきれない恐怖と不安がしっかりと刻み込まれている。

 

 ルナリアに対するものという可能性も無くは無いが――やはりこれは、現状に対するものだと考えるのが自然だろう。

 エレディアはまるでルナリアの機嫌でも取るかのように、猫なで声で告げた。


「こんなにも早く来ていただけるとは思いませんでした。急ぎの行軍ゆえお疲れでしょう。既に寝床は確保させてありますので、細かな話は明日にでも」


 ルナリアは考えるような沈黙を挟み、答えた。


「それでよろしいので?」

「もちろんです。もちろんですとも。ああ、こんなに頼もしいことは無いわ。ルナリア殿のご助力があれば、この下らない、忌々しい、許しがたい反乱も、すぐに鎮圧されることでしょう」

「……尽力いたします」


 顔を綻ばせ、握り締めた手は指を絡めるように。少々わざとらしくはあるが、同時に全てが演技にも見えない。エレディアにとって、ルナリア率いる第七騎士団は貴重な救いの手なのだろう。

 彼女は弾んだような声で言った。


「後ろの方々は第七騎士団の隊長達なのかしら。是非紹介してほしいものですわ」

「はい、エレディア候。まず彼女が団の副長をつとめる――」


 軽く翳したルナリアの手はエリスを向いて、続いてエレディアの視線もそちらに流れる。説明の言葉、頭を下げる動作。一人一人と装飾めいた言葉で表し、ついにはルネッタまで順番がやってきた、その瞬間だった。

 エレディアが僅かに震えた声を出した。


「か、彼女は……?」

「彼女はルネッタ・オルファノ。境界を越えてやってきた……いわば罪人ではありますが、紆余曲折を経て我がほうの預かりとなりました。見ての通りの人間です。が、きちんとした市民権も持っておりますよ」

「そっ……」


 目を見開いた彼女の顔は、一つの感情に染まりきっていた。

 他人から見て尚一目で理解できるそれは、溢れんばかりの嫌悪だ。


「そういう問題ではありません! ああ……人間が紛れ込んだという噂は聞いてはおりましたが、まさかこの場に居るだなんて」

「……失礼ながらエレディア候、単なる不法侵入者のままであればともかく、現在の彼女は東側の市民です。ですから――」

「そういう問題では無いと言ったはずですよ! そこのものは人間、つまりは無泉。欠片ほどの魔力も持たぬ下賎の身が、この館の中に存在するだなんて……おぞましい、おぞましいわ。お前達、何をしているのです。すぐにそこの『ソレ』を外に放り出しなさい」


 ――ひ

 部屋に居た男達が、一歩ルネッタへと踏み出した。向けられた敵意に体が固まる。恐怖で喉の奥が詰まる。それでも逃げ出さなかったのは、彼女達への信頼からだとルネッタは思う。

 

 衛兵の歩みを止めたのは、ルナリアの低い低い声だ。


「エレディア候」

「なっ……なんでしょうルナリア殿」


 部屋の全てが、その一言で凍りついた。

 ゆっくりと、睨みつける。震えるような威圧を放ちながら。


「彼女は第七騎士団の書記官であり、私の大事な部下です。大事な、部下です。おわかりか」

「……ここは私の館です。私の領地です。いくらルナリア殿といえども、口を挟むことは許しませんよ」

「ほう」


 ルナリアは勢い良く背後を向いた。身に着けた甲冑は、なぜかほとんど音も立てない。


「では帰らせていただく。部下を侮辱され、不愉快を押してまでここに留まる理由もありませぬ」

「ルナリア殿! あなたは今御自分が何を言っているのか理解しておりますか」

「エレディア候こそ、己の置かれた状況を良く見つめなおすことです」


 ルナリアは肩越しにエレディアを睨む。細められたその瞳には、静かな憤怒が見て取れた。


「我々が引き返し、王に次の戦力を請う。準備から到着までに何日かかります。その間に状況が悪化しないという補償は? 放り出した私はこっぴどく『叱られ』その後面倒な役目を負わされるでしょうが、それだけです。ではあなたは? 果たして次お会いするその瞬間も領主でしょうか」

「ルナ、リア、殿……」


 確かに聞こえるほどの歯軋りの後、エレディアは深く呼吸をした。


「ルネッタ・オルファノでしたわね。失礼な言葉、謝罪いたしますわ」


 瞳に宿る光は変わらず、声音はあくまで白々しい。とはいえ、だからと文句をつけるつもりなど無い。

 ルネッタは深く頭を下げた。きっと会話はしないほうが良い。

 取り繕うような咳払いを一つして、エレディアは続けた。


「今日はここまでに致しましょう。では明日から、くれぐれも、よろしくお願いしますよルナリア殿」

「承知しております」


 ルナリアが歩き出し、後を追う。部屋に響く言葉はそれだけだった。

 帰りはずいぶんと早足だったように思う。

 馬車の荷台まで戻り、同じようにルナリアの隣に座る。寝床まで先導するためか、エレディアの兵と思しき者が馬にまたがってやってきた。

 

 ルナリアが合図をすると先頭に回り、馬車を初めとした第七騎士団はその後を追う。

 少し肌寒い夜風が流れる中で、ぽつり、とルナリアが言った。


「嫌な思いをさせたな」

「あ……いえ、平気です」


 まったく気にならないと言えば、嘘になってしまうけれど。

 それ以上に、と思う。


「……なんだよ」

「えへへ、なんでもありません」


 騎士団の一員として、無責任かもしれない。喜ぶほうが間違っていると、理性は言っている。

 けれども。

 ルナリアが、無理を押してでも庇ってくれたことが、今はとても嬉しかった。


「ま、いいけど」

「まるで良くありません」


 応えたのはルネッタではなく、男の声。

 いつのまにか、ジョシュアが馬車の真横を並走していた。徒歩でかけているわけではなく、どこから調達したのかも分からない馬に乗っている。


「結果は丸く収まったからいいものを……団長、さすがにここで引き返したら大問題になりますよ」

「わーかってる。それに……どうせ追い返すわけが無いさ。そうだろう?」


 問いかけに、ジョシュアはゆっくりと頷いた。金色の髪がはらりと揺れて、高貴な狐のような顔をさらりと撫でる。


「やはり団長もそう思いますか?」

「当たり前だろ」


 いまいち要領の得ない会話をして、二人は同時に小さく頷く。

 ルナリアの顔がくるりとこちらを向いた。


「最初から聞くか?」

「は、はい」


 軽く苦笑して、彼女は続けた。


「エレディア・レメント・クラフィス。セルタの領主だな。生まれも育ちも私は碌に知らんが、どうやら東の富豪の出だとか。その才を王に見初められ、セルタという豊かな土地を授かった……と言えば聞こえは良いが」

「違うのですか?」

「……誤魔化すのも面倒だからはっきり言うが、ようするに彼女はリムルフルト王の情婦だったのさ。どこぞの富豪がもろもろと引き換えに売ったというのがもっぱらの噂だ。よくある話、ではあるが」

「よくある、ですか」


 人間の社会にとっても、確かにそう珍しい話ではなさそうだ。もっとも、その後領主にまで成り上がるとなれば別だとルネッタは思う。


「ここからがさらに複雑でな。彼女は確かに領主であるが、格名はレムではない。レメントというのは他でもないリムルフルト王が作った格名で、東の地でしか通用しないんだ。そもそもセルタの地以外を納める権利さえ持てないはずで、これは卵と鶏の話になるな」

「……彼女のために、格名を作ったのですか?」

「そうなる。しかしここが重要でな、格名を作ったのはエレディア候のためだが、セルタを治めさせたのはエレディア候のためではない。分かるか?」

「なんとなく……は」


 つまり彼女は。


「エレディア候は高い魔力を持つが、技術は一つを除いて極めて稚拙だ。まともに火さえ起こせるか怪しいものだという。挙句武術もダメ、学もこれといって無し。頭の中身は全てが乳と尻にいったのだと、口さがなくいうものもいる。得意なのはほんの一点、ただ一つ。そしてその一つとは……老大樹の調律なんだ」

「魔力は高いのに一つだけ……まるで」

「アンジェのようだと?」


 ルネッタは小さく頷いた。


「確かに似ているが、根本が違う。アンジェは自身のために最適を探した結果、固定化を果てしなく伸ばしたわけだ。対してエレディアが『そう』なったのは自身で選んだわけではなく……王が都合良く仕込んだと、そういう話だ」

「この地を治めるための……えっと」

「そうだ。従順で、裏切らず、老大樹だけを維持できる領主のような何か、が欲しかったんだろう。魔力に拘るのも、まぁそうした理由があるんじゃないかなと私は思う」


 ルナリアはにまりと笑った。なぜか――獰猛さを感じる。


「さて本題はここからだ。説明の通り、彼女にあるのは老大樹をいじくり回す力のみ。領主としての資格には十分だが、それだけでは街は回らない。金の動きを、人の動きを、政を司る誰かが必要なわけだな」

「それは……そう思います」

「当然セルタにはそれが居る。財務官のウェール・ラグ・ララザルム。中央から流れてきた古強者で、頭の回転はもちろんのこと魔力から武術に至るまで全てに長けた傑物である、と。なぁジョシュア」


 首を捻り、彼に言う。そしてジョシュアは落ち着いて応える。


「以前城でお会いしたことがありますね。無論団長も一緒に。確かに一目で分かるほどの者でありました。セルタの地が維持できているのも彼のおかげであるとの評価、嘘偽り無く思えたものです」

「この通り、物腰より遥かに口の悪いこいつでさえこの言いようだ。さあここで問題だぞルネッタ」


 思わず背筋を伸ばした。それを見て、ルナリアは小さく笑う。少々子供のようだったかと思う。


「反乱が起きるなどという一大事、ようやくやってきた王からの援軍。待ちに待った状況の打開を、待ち焦がれていた夜の会。そんな極めて重要なはずの対面だというのにだな」


 ルナリアはぐるりと上半身を捻った。

 段々と離れていく煌びやかな館を睨みつけて、そしてなぜか少し楽しそうに、


「そのウェールは、なぜあの場に居ないのかね」

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