道中
「クソ親父に会ったぁ!?」
執務室に戻って報告するなり、ルナリアが声を張り上げた。
勢い良く椅子から立ち上がると、ルネッタの傍まで駆けてくる。反射的に一歩引きかけたところでがしりと両肩を捕まれた。それなりに力が篭っており、やや痛い。
「無事か? 何もされなかったか?」
「……え? いやその、大丈夫、です」
そう答えると、強張っていた表情が幾分か和らいだ。
――親子、なんだよね……
あまり仲が良くないのだろうか。
ルナリアは大きくため息をつくと、忌々しげに口元を歪めた。
「あのクソ親父め、次会ったらブン殴る予定だったのに」
「そーれが嫌だから使いにお土産と伝言まで頼んだのだと思うのですがー」
横から呆れた声を飛ばすのはエリスだ。腕を組み、壁に背を預け、やれやれと大げさに首を振る。
ルナリアはぎろりとエリスを睨みつけた。激昂しているというほどでも無いだろうが、不機嫌なのは間違いない。
「あの……」
なんだ、と言わんばかりにこちらを見たルナリアに、おそるおそる尋ねて見る。
「お父様、ですよね?」
「そうだ。クソ親父だ」
「えっと……お嫌いなのですか?」
少し溜めてから、はっきりと彼女は告げた。
「だいっきらいだ」
胸を張っている。もはや誇らしげに見える。
「いいか良く聞いてくれよルネッタ」
「はい」
「あれは忘れもしない私が八歳のころだ。上達を続け、ついには親父に迫る私をどう思ったのかは知らんがな、あのクソは訓練だというのに私の右手を根元から切り落としたんだぞ」
「それ、は……」
「八歳だぞ? それも自分の子供だぞ? 厳しく育てるとか寝言も大概にしておけよ。限度を知らんのかあのクソ親父は」
「まぁたその話ですか。根に持ちすぎでしょういいかげん」
凄惨すぎる凄まじい昔話に、なぜかエリスが口を挟んだ。
「はぁ!? そりゃ持つだろ! 腕一本だぞ腕一本! アレくっつけるのにどれだけ苦労したと思ってるんだ!」
「でもその次の年にやり返したんでしょう?」
「……そりゃ、返したが」
「四肢を切り落として体ごと山に捨てたんですよね?」
「……捨てたが」
――はい?
絶句とは、まさしくこういうことなのだろう。言葉も出ないルネッタを無視して、二人はなんともいえない温度のにらみ合いを続けている。
深い深いため息が、エリスの口から吐き出された。
「あの時は今までの人生で一番死ぬかと思った、だそうですよ。ヴァラ殿はなぜか毎回嬉しそうに語るんですけどね。あたまおかしいんですかねあのひと。団長も中々どうして同じ次元ですが」
「反撃しただけの私がなんで同列に」
「四倍返しは度が過ぎてるってことですよ」
ぎりぎりという歯軋りの音が静かな室内に響きわたる。あからさまに納得していないルナリアへ、エリスは穏やかに告げた。
「ま、父親が生きているってのは幸せなことです。もう少し優しくしてあげれば良いのでは?」
「……お前にそれを言われると、何も言い返せないだろう」
疲れたように肩を落としつつ、ルナリアは続けた。
「お前はうちのクソ親父に妙に甘いよな」
「それなりに恩がありますからね。もちろん父というだけで甘いというのも……否定はしません」
ルナリアは目を閉じて小さく頷いた。微かに結んだ口元に、やや硬そうな頬と、心情を想像するにはあまりに複雑な顔をしている。
ルネッタがそうして眺めていると、彼女はぱちりと瞳を開いて、視線はゆっくりとこちらへ。
「ルネッタはどう思う?」
「どう、とは」
「うちのクソ親父について、色々とてきとうに」
「色々と、ですか」
少し俯き、考える。とはいえ、
「その……あらゆる意味で強いひとだなと。でも」
続きを促すように、ルナリアは顔を傾けた。
「わたしは両親を知りませんので、親としてどうなのか、とか……そうしたことは上手く言葉に出来ません。ごめんなさい」
そう伝えると、彼女は僅かに眉根を寄せた。気まずげに唇をもごもごと動かしているところを見ると、余計なことを聞いたなと考えているのだろう。
ルネッタ自身としては、最初から知らないものなので悲しい寂しい以前の問題なのだけれど。
一歩、ルナリアが踏み出した。距離は完全に密着となって、彼女の手はそのままルネッタの背へと流れる。
「あの、お気になさらずとも……」
「んー、なんとなくね、なんとなく」
抱きしめられると、力が抜ける。頬ずりされると、背筋がぞくぞくと震えてしまう。
にやけた頬をぐいと引き戻すか、欲に釣られるままにルナリアの感触を味わうか。悩んで揺れるその最中に、ややイラついたようなエリスの声が聞こえた。
「で、団長。古参から百五十、新参から百五十。見繕いはもう終わってますが、出発は明日の朝ですか?」
「いや、今日の夕方には出る。途中で食事と休憩は取るが、後は夜通し歩いてさっさと向かうぞ」
「……ま、一日なら皆も文句は言わないでしょうしね」
ルナリアが体をそっと離した。
「前と同じように馬車を用意させるから、お前は私と一緒にそれに乗ると良い。知ってのとおり屋根は無いがな」
すこし、迷う。そして尋ねる。
「あの、わたしは歩かなくても良いのですか? あまりに特別扱いは……」
「平気だろう、たぶん。それにお前を歩かせるということは、皆の歩みもそれだけ遅くなるということだ。逆効果だと私は思う」
「……わかりました」
頷く。確かにその通りかもしれない。
それでも一抹の不安が染み出てくるのは――本当にここの一員になりたいから、なのだろうか。居場所が欲しいと。ルナリアやエリス以外にも受け入れてもらいたいと。
なんて贅沢なと思う。こんな自分が。全てを伝えることさえできない情けない自分が。
それでも――
三百の兵に数名の隊長、おまけの人間。総数は以前の十分の一にも満たないが、それでも列を成せばそれなりの長さにはなる。
先頭の馬車はガラゴロガラゴロと容赦の無い速度で進むが、歩兵は皆平然とそれについてくる。ルネッタからすれば全力疾走のような速度だ。確かに降りて歩けば多大な迷惑をかけてしまうだろう。
心地よい風が夕焼けに染まった草原を撫でる。川沿いを進めば水面に映った太陽が眩しい。速度を除けばいたって平和な道のりを、着実かつ順調に進んで、夜になった。
右手に川。左手に森。その間を良く整備された街道がどこまでも伸びている。
「一度休憩を入れるか」
ルナリアはそう言うと荷台に立ち上がって右手を掲げた。馬車は徐々に速度を落とし、やがて止まる。歩兵達もそれにならった。
手をくるくると回して、左を指差す。そうして休憩のために、皆で森へと入っていく。
生えた木々は太く逞しいが、数はまばらだ。空間は十分すぎるほどある。
歩兵は一斉に散らばると、薪を集めて火を起こした。幾つも浮かんだ魔力の光と合わさって、まるで昼間のように深い森を照らし出す。
自由となった兵達は、みな思い思いに寝転んだり携帯食料を齧ったりと、存分に休息を味わっているようだ。見たところ疲労も軽い。速度と時間を考えれば、さすがの体力だった。
「ぬー」
ルネッタ、ルナリアと同じ馬車に乗ったまま不満そうに渇いたパンを齧っていたエリスが、奇妙な唸り声をあげた。
「なんだよ。メシがまずくて量も足りないってか」
「大当たりですよ。さすが団長」
悪びれもしないエリスに、肩を竦めるルナリア。とはいえ空気は穏やかだ。
安全な場所の移動とはいえ一応軍事行動だからか、二人はその身に甲冑を纏っていた。闇夜にあっても尚白く輝くエリスの鎧と、闇に同化するようなルナリアの漆黒の鎧。こうして直接見るのは久しぶりではある。
「だいたいなんで硬パンと干し肉なんです。保存なら冷箱がある。分量だってたった三百人分で、挙句セルタまで向かうだけの行軍ですよ? 持ち運びに手間取るわけも無いのに」
一呼吸置いて、ルナリアがすぱりと言った。
「かねがない。くれなかった」
「……結局それですよね」
ため息をついて、手元のパンを力強く噛み砕く。皮袋の酒を一気にあおり、靴ほどもある干し肉を食いちぎって――エリスの動きが止まった。
長い耳をぴくぴくと動かして、森のほうへと視線を投げる。
「どうした?」
ルナリアの問いに、しかしエリスは答えず。
手元の食料を適当に荷台へと置くと、隅へと手を伸ばした。そこにあるのはエリスの大剣、ルナリアの斧槍、そして数本の槍だ。
彼女はそのうちの一本を手にとって、静かに荷台へと立ち上がると、
「……っし!」
短い呼吸音と共に、森の奥へと投げ放った。
攻城弓と見間違うような勢いと共に、風を穿ち空気を裂いて、槍は森の闇へと吸い込まれて――耳を劈くような悲鳴が、あたりに大きく木霊した。
それは人やエルフではなく、獣のものに思える。
ぐるぐると右腕を回し、にこやかな笑顔でエリスは言う。
「よーしよしよし。追加の食材を手に入れましたよ」
荷台から飛び降りるエリスに対して、ルナリアが疲れたような声で告げた。ちなみに彼女は右手で両方の瞳を隠している。
「おまえ……ここは、もう、セルタ領だから……森の、獣は……」
「どうせ食料の提供はさせるんでしょう? ちょっと順番が入れ替わるだけですよー」
エリスが歩兵達へと体を向けて、右手を掲げた。
「森豚を仕留めましたよ。解体を手伝った者には余分に分けてあげます」
軽やかな足取りでしとめた獲物へと向かうエリスと、後に続く二十名近い歩兵達。皆、やはり肉は食いたいようだ。
水を運んで肉を裂き、骨を削いで火を起こす。エリス達が流れるような一連の作業をあっという間にこなすと、あたりには香ばしい匂いが立ち込め始めた。
荷台の縁に寄りかかりながら、憂鬱そうにルナリアが呟いた。
「黙って隠すか開き直るか、金くれないんだものと矛先変えるか……あああ面倒くさい」
ルネッタの知る限り、森の獣というものは基本的にその地を治める領主なり貴族のものだ。勝手に狩れば罪となるし、狩猟権を得るにもそれなりの困難がつきまとう。
彼女の反応を見る限り、エルフの社会でもそう違いはなさそうだ。以前街道で食べた森豚は、王の領地だから問題無い、といったところだろうか。
いまだぶつぶつと小さく言葉を紡いでいるルナリアの傍に、歩兵の一人がやってきた。
中肉中背、まさしく青年といった様子のエルフだ。ややガラが悪く見えるのはいつものことではある。
彼は手にもった巨大な串をかざした。当然先には立派な肉が刺さっている。
「団長、食います?」
「……そりゃ食うよ」
ルナリアは差し出された串をほとんど奪い取るように掴むと、大口を開けて肉にかぶりついた。翳っていた表情が既に綻びかけているあたり、食欲には勝てないらしい。
青年はその様子を見て僅かに笑い、くるりとこちらへ向きを変えた。
「書記官殿はどうだい。食うかい?」
「え、と……良いんですか?」
「当たり前だろ。ほらよ」
渡された肉には、見る限り何種類もの香辛料がふりかけてある。匂いは――率直に言って、とても食欲をそそる。
誘われるままにかぶりつくと、肉汁が口の中で弾けた。少し熱い。
「ま、腹いっぱい食いな。あんたにゃちょっとした恩があるしな」
ルネッタは顔をあげて首を捻る。
――恩?
青年は取り繕うように両手を振った。
「ああ、深く考えんで良い。おかげで最近副長のご機嫌が、てだけだからよ」
少し笑ってそう告げると、彼はそのまま火の元へと駆けていった。
――言っていることは、分からなくも無いんだけど
思わずルナリアを見る。彼女は少し困ったように、あるいは僅かに呆れたように、微笑んだ。
「あいつが楽しいならそれで良い……と言えたら簡単なんだがね」
彼女は残った肉を一気に口に詰め込むと、乱暴に噛み砕いて飲み込んだ。
「もう少し休んだら出発だ。お前は寝てて良いぞ。揺れるのはどうしようも無いけどな」