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Elvish  作者: ざっか
第三章
63/117

任務 二


 一気に冷めた。あるいは冷えたというべきだろうか。

 時刻は昼に差し掛かり、大通りには所々から食欲を誘う匂いが漂っている。人影はあたりを埋め尽くすほどで、喧騒は耳が痛いほどに。

 賑やかで、同時に平和だ。少なくともこの地区に入るまではそう見えた。

 

 まっすぐ伸びた道の先には巨大な建物がそびえており、地図から判断する限りはアレが目標の店のはずだ。歩いて渡して話して終わり。それで無事にお使い達成、となるはずなのだが。

 

 ――うう……

 大通りの隅に立ちすくんだまま、ルネッタはごくりとつばを飲み込んだ。

 人影自体に変化は無い。通りを塗りつぶすような人数に、隙間無く並んだ数々の屋台と、光景自体は平和なものだ。

 

 違いを一言で表すのならば――層だろうか。

 半裸に鎧のような筋肉を身につけた男が、射殺すような視線のままに手元の肉に食らいつく。見るからに剣呑そうな女が、脇に剣を吊ったまま酒瓶を派手に煽っている。ごろつきを通り越して山賊のような空気を纏った集団が、外に置かれたテーブルを丸々占領して騒いでいる。

 

 ガラが悪いと確かにエリスは言った。それでもこれほどのものだとは、到底ルネッタの想定には無かった。

 普段であればフードを目深に被り、人目も自身の不安も押し隠すように進むところだが、既に季節は春だ。外套などとっくに着ておらず、薄手のシャツに不思議な素材のズボンと軽い革靴と、身を隠すとは程遠い格好だった。

 

 当然、付け耳など無い。髪で隠してはいるが、逆に言えば容易く隠せてしまう程度の大きさだということなので、不自然さは残る。その所為か絶え間なく視線は感じるものの、ここまでは問題無く進んでこれた。色々あって現在王都には人間が住んでいると、それなりに噂になっているからかとルネッタは思う。もちろん市民権を獲得したことまで含めてのものだろう。故に無事なのだ。

 

 しかし、この先もそうだと言える根拠は無い。

 ――……よし

 ルネッタは再び歩き出した。そもそも行くしかないのだ。ようやくもらえた勤めを、ルナリアからの期待を、断じて裏切るわけにはいかないのだから。

 

 隙間を縫うように通りを進む。慎重に慎重に。僅かな接触から何が起きるか分かったものではない。向けられる意識の様々を、あえて気付かぬようにしながら、目的の店までまっすぐに。


「ねえちょっと!」


 そうして、いきなり腕を引かれた。驚いた。声も出ないほどに。人混みの中から通りの隅までぐいぐいと強引に引き出されて、


「……あれ? 間違えた」


 あっさりと、腕を掴んだ張本人はそう言った。整った顔立ち、綺麗な茶髪、透き通るような肌。エルフの女としてはどれも当たり前のものだ。

 

 目を見張るように巨大な胸を、僅かな、そして煌びやかな布で隠している。挙句ちょっと透けている。平気で肌を晒すエルフにおいてもこれは中々に中々だ。首や手首に巻かれた細い金糸に、足元は輝く石の埋め込まれたサンダル。手足の爪は桃色に輝いている。恐らくではあるが、娼婦だろう。

 

 ぱちくりとまばたきをして、ルネッタは彼女を見た。向こうは向こうで、なにやら不思議そうに首をかしげている。


「なにやってんのよ、あんたは」


 声と共に、似たような格好をしたエルフの女がもう一人やってきた。最初の女が取り繕うように笑い、


「いやほら、あたしは夕方までに絶対あと一人捕まえないとダメだからさ。これはもう背伸び盛りの少年でも引っ掛ければあっという間だなと思ったんだけど」

「……その子、どう見ても女でしょ」

「んだねぇ。後姿だけじゃ分からなかったんだよぉ。混んでるし」


 相手はルネッタより幾分か背が高い。だからだろうか、一人目の女は膝に手を当て、屈み込んでルネッタの顔をまじまじと見た。

 ふわりと香水の匂いがする。


「えへぇ、あなたかわいいねぇ。どうかなー、あたしはどっちでもいけるんだけど、今日のお客様になってみない? きもちいいよぉ? 忘れられなくなるよぉ? 値段は……ちょおっとお高いけど」

「……へ? えっ?」


 何を言っているのか、飲み込めない。あえて飲み込もうとしていないともいう。

 呆れたような声音で、もう一人の娼婦が言う。


「馬鹿、そういう特殊なのは路上で引くものじゃないんだよ。ほら、この子ものすごく嫌そうじゃん」

「えーそんなことないよ。顔赤いし、まんざらでも無さそう。今からまたあの中突っ込んで客探すのいやだもーん」


 彼女の手が伸びてきて、そっと頬に触れた。びくんと体が小さく震える。払いのけるべきかと思ったが、なぜか体が動かない。鼓動だけが際限なく早くなる。囁かれる声が甘く甘く、芯の芯まで響いてくる。不自然な、ほどに。これは、まさか、魔術、なのか。


「……ね? こういうの慣れて無さそうだし、優しくするからさ……だから……ん?」


 頬を撫でていた手が、髪に隠れたルネッタの耳に触れる。同時に彼女の動きが止まった。考えるように彼女は口を歪めると、素早く、それでいて優しくルネッタの髪をかきあげた。


「この子、耳が無い」

「マジで?」

「いや、あるにはあるんだけどね、なんか小さいし、かといって千切れたような感じでも無いし」

「もしかして、この子が噂の『人間』なんじゃないの?」


 きょとん、とした顔で一人目の娼婦はまばたきを繰り返し――再びルネッタをまっすぐ正面から見た。


「そうなの?」


 頷いた。それはもう頷いた。以前ならともかく、今は伝えてしまったほうがよっぽど安全だと思うからだ。

 一人目の娼婦は――にへら、と笑った。


「運がいいよぉあたし。人間はどんな味なのか、ちょっと興味あったんだ~。しかもこんなかわいい子だし、楽しみだなぁ……いたい!?」


 ごん、という重い音。それは二人目の娼婦が一人目の後頭部を殴った所為だった。


「いた~い……なにすんのよもぅ」

「あんた正気? この子が人間ってことは、噂どおり第七騎士団預かりってことよ。で、第七騎士団ってことは」


 一人目がはっと息を呑んで、ごくりと喉を鳴らした。大きな瞳が左右に泳いで、ほほがひくひくと震えている。怯えている、のだろうか。

 一人目の両手が、ルネッタの肩に優しく置かれた。目と目が合う。表情はずいぶんと硬くなっている。


「あの、ごめんね……? 声かけたり、ひっぱったり、誘ったりさ、ほんと悪かったよぉ。ごめん。ね? ね? だから、だからぁ」

「な、なんでしょうか」

「今日ここであったこと、内緒にしてもらえる? 特に、えっと、あの赤い髪の……その……」


 ――これは……

 なんとなく察した。なんでこんな扱いになっているのかは知らないけれども。

 ルネッタは深く頷いた。


「わかりました」

「ほんと? ほんとだね? ありがとぅ~」


 ふわりと軽く抱きしめられた。それだけで彼女の規格外の胸が潰れてふにゅりと柔らかな感覚が伝わる。ルネッタは呼吸を止めて平静を保つ。別に女が好きなわけでは無い。あの二人が好きなだけであって、そっち専門に変わったわけでは無い。無いったら無い。

 

 触れ合うこと数秒が過ぎると、一人目の娼婦はゆっくりと離れ、ぺこりと大きく頭を下げた後、もう一人を連れて路地裏へとかけていった。

 ――まぁ

 あまりに予想外な出来事だったが、収穫もあった。

 とりあえず身の安全は何とかなりそうだと、確信できたのだから。






 そうして、あるいはようやく。

 目的の店にたどり着いた。単純な距離はそう遠く無いはずではあるが、既に体に疲労を感じる。思えばこれほど緊張が連続するのも、久しぶりかもしれない。

 

 ――それにしても

 立派を通り越して、もはや巨大と言って良い。食料品店兼酒場だという話だったが、ちょっとした屋敷のような規模だ。

 

 ――よし

 躊躇していても始まらない。ルネッタは大きく深呼吸すると、重い扉を押し開けて店の中へと入った。

 

 まず目に付くのはガラスの箱だ。大小さまざまなそれらの数は優に百に届くだろう。中には肉や野菜が敷き詰められており、外側には値段を現す紙切れや、あるいは直接ケースに光の数字が浮かんでいる。外にも負けない数のエルフたちが巨大な籠を片手に行き来をする様は、少々圧倒されてしまう。なにしろ皆目が真剣なのだ。

 

 隙間を縫うように抜けていくと、今度は開けた空間に出た。辺りには大量のテーブルと、備え付けられた椅子がある。ほぼ満員なのは昼時だからか、あるいは元から繁盛しているのか。

 豪快に焼かれた肉や、見るも鮮やかな魚のスープ、ふわふわに柔らかそうなパンと――時間など知ったことかといわんばかりの大量の酒。それらを豪快に平らげる喧騒は、少々耳が痛いほどだった。

 

 ――おなか減った

 当然だが昼食は済ませていない。空いた席に座り込んで食事にしたいのはやまやまだが、まだ仕事は終えていない。

 さらに奥を見れば、巨大な店の端から端まで届くような長いカウンターがある。店主と思しき強面と、十人近い給仕が慌しく働いている。調理場は――裏ということか。

 

 あのひとに渡せばとりあえずは終わりだろうとルネッタは思う。はやる気持ちで一歩を踏み出そうとしたときに、丁度横から声がかかった。


「あれ? ルネッタの嬢ちゃん、ここで何してるんだ」


 驚いて背が伸び、その所為で別のエルフにぶつかりかけた。慌てて謝り一歩下がり、ようやく声の主を確かめる。

 やや長い髪に、大きな瞳。化粧で誤魔化せばあるいは、というほどの美形であるが、あくまで男で。

 

 名はラクシャ。アンジェからの支援としてやってきた練団の長であり、今は第七騎士団の隊長の一人だ。初対面は――敵みたいなものだったけれど。

 彼は深く椅子に腰掛て、テーブルの上に広がる料理をつまんでいる最中だった。


「えと……仕事、です。この店の主に渡して来いとルナリアさまが。ラクシャさんはなぜここに」

「そりゃ決まってる、メシだよメシ。ちょうど時間も昼で、ここは美味くて安いと来てる」

「……お一人なのですか?」

「ああ。この店いつも込んでるからね、部下連れてきたら迷惑になりそうだ」


 ラクシャがひょい、と肉の串焼きを手に取った。


「食うか?」


 ごくりと喉が鳴る。気を抜くと腹も鳴りそうだ。とはいえ、ここで誘惑に乗るわけにもいかない。

 ルネッタは小さく首を横に振った。


「いえ、仕事がありますので」

「真面目だねぇ」


 小さく笑ってラクシャが肉を口元へ運ぶ、ちょうどその瞬間だった。

 ゴグン、という重い音。思わずそちらに目をやると、壁際にあった巨大な扉が勢い良く開いたところだった。どうやら、この店の入り口は三つあるらしい。

 

 男が一人、入ってきた。

 異様だった。

 所々擦り切れた、泥と埃で飾り付けたような外套を纏い、使い込まれたブーツと傷の目立つ黒い服。遠出帰りの旅人か、下手すれば野盗の類にさえ見える。恵まれた体躯に加えて回りを圧するような異質な雰囲気が、物騒さを激しく助長している。

 

 しかし何よりも目立つのは、その顔、その肌、そして髪だった。

 堀の深い――を通り越して肌には深い皺があった。髪は見事に全てが白いが、古老の使いやダークエルフのものとは違い、輝きがほんの欠片も無い。くすんだ様な色合いは銀髪ではなく、まさしく白髪だ。

 つまりは、老人なのだ。

 

 エルフの町において、老人はとても珍しい。聞いた話では皺を消せないほどに魔力が衰えると、滅多に人前に出なくなるのだという。確かに通りに激しく老いたエルフの姿は無い。極稀にに見かけるご老体もせいぜいが初老までといった様子で、歩くのも困難なほどの老エルフなど見かけた覚えさえ無いくらいで。

 

 皆の視線が一斉に彼に集まる。物珍しく感じるのは、何もルネッタに限った話ではない。いや、普通に生きる市井のエルフたちのほうこそ、だろう。

 その老エルフは――さして気にした様子も無く、一歩一歩と店の中を進んでいく。ごりごりごりごりと重い音を立てながら。

 

 ――いったい何の

 音の正体はすぐにわかった。

 その老エルフが、革ヒモにくくりつけた『木箱』を引きずりながら歩いているのだ。大きさは、それこそ棺桶ほどもある。

 奇妙に、そして当然のように静まる店内でルネッタは、


「げぇ」


 聞いた。確かに聞いた。ラクシャの漏らした、そんな言葉を。

 嫌な予感がする。逃げるべきだろうか。それとも急ぎかけよって、何かが起きる前に紙を渡してしまうべきだろうか。

 

 前者は安全だが、無責任すぎる。ルナリアの期待を裏切るのかと思うとめまいがする。

 後者はあまりに無謀だ。なにしろあの老人は、まさしく店主の待つカウンターへと向かっているようなのだから。


「おいこら、ジジイ」


 低く威圧するような声が、テーブルの一つから飛んだ。老エルフは僅かに顔をそちらへと向ける。


「うるせえんだよ。それに汚ねえ。てめえみてえな醜い老いぼれが昼に来るような場所じゃねえんだ。さっさと出ていきな」


 負けず劣らず、こちらもごろつきの集団にしか見えない。もっとも見渡す限り客の半分はそんな感じなのだが。

 老人は、意外にも穏やかな声で言った。


「すまんね、なに、カウンターまでだから少々我慢していておくれよ」


 そう言葉を返して、再び歩みを進める――はずだった。


「俺は出てけつってんだよクソジジイ!」


 老人の羽織った外套に、拳ほどもある肉が投げつけられた。弾かれたそれは重い音と共に床に落ちる。

 店内は怯えたように静まり返るのが半分。にたにたと笑うのが半分。

 

 極度の緊張を砕いたのは、老人その人だった。

 振り返る。全身をごろつき達のテーブルへと向けるが、顔は僅かに俯いている。

 棺桶からは手を離し、そちらへ一歩二歩と近づいて、


「ああ? んだこらやんのかクソジジぶっ……!?」


 殴った。躊躇無く、容赦なく、老人の右拳がごろつきの顔を打ち抜いた。

 ごろつきは凄まじい勢いで壁まで水平に飛んでいく。テーブルを蹴散らし、楽しそうに見ていた別の男を吹き飛ばし、ついには壁へと突き刺さる。

 

 ――なん、て

 凄まじい、という言葉が生ぬるい威力だ。それこそエリスと変わらない。

 老人がゆっくりと顔をあげると――その表情は、息を呑むほどの憤怒に染まっていた。


「グダグダグダグダとクソガキがぁ……ひとがおとなしく済まそうと思ってりゃ舐めた口ききやがる。何より、俺はジジイじゃねえぞ!」


 テーブルを囲んでいたごろつきの仲間も、あっけにとられたように動けない。

 もちろんそれは、時間にすれば僅か数秒の間だ。仲間をやられた怒りが驚愕を塗りつぶすのに、そう時間はかからない。

 

 しかし。

 老人のほうがさらに早かった。

 手近にあった『頭』を掴むと、テーブルへと一直線に叩き付ける。轟音と共にテーブルが砕け散り、怒号と悲鳴が店内を包む。

 無視して次の目標に前蹴り。吹き飛んだ一人が地に着く前に次を殴り倒す。暴力が暴力を呼んで、店の全てを舐め尽して行く。

 

 ――う、うえええええ

 大乱闘に、なってしまった。

 顔見知り程度だとしても、最初に殴られたごろつきはこの街の住人。老エルフは見る限りよそ者だ。仲間意識と呼ぶほどのものはなくとも、面白くは無い。

 だからわらわらと向かうのだろうが、その恐るべき老体はまったく怯む様子も無く、向かい来る男女を次々と返り討ちにしていた。

 

 それから一分もかからずに脅威を全て排除しきった老エルフは、かろうじて無事なテーブルへと腰掛けて、置いてあった酒瓶をあおる。


「ぐは、はは、は。もっと鍛えろよぉガキ共」


 死屍累々だった。

 ――いや、そうでもない、かな

 よく見れば一人も死んでいないようにも見える。怪我の程度も軽いのか、既に最初に殴られたと思われる面々は起き上がっていた。もっとも戦意など欠片も残っていなそうではあるが。

 

 単なる喧嘩、のつもりなのだろうか。少々規模が大きすぎると思うけれども。


「なぁ、あんた」


 声の主は、おそらくここの店主だろう。おそるおそるといった様子で老人へと近づくと、困ったように周囲を見渡した。


「こいつはちょっとやりすぎというか、困るんだが」

「おらぁ売られたのを買っただけだ。誰が見ても悪いのはこいつら、こっちは被害者だ。誰が悪いかとどっちが床に転がるかは別の話だろう。えぇー?」

「ぬ……ぐ……そりゃ、そうだが」

「おら、受け取れ」


 老エルフが懐から小さな皮袋を取り出すと、店主へと放り投げた。中身を確認し、再び口を閉めると、諦めたように店主は息を吐いた。


「気にせず全部とっときな。どうせ拾った金よ」

「……金もいいが、出来れば来る度に騒動をおこさんよう努めてくれ」

「ならおのぼりさん共にきちんと毎年教育しとくんだなぁ。ぐはは」


 豪快に笑って再び酒を飲み、隣のテーブルから肉を回収して大きく齧り、ぎょろりと店内を見渡して。

 目が合った。

 ――ひ

 とっさに逸らした。背筋に冷たい氷が奔るが、押さえ込むように腹に力を入れた。ここで逃げ出すほうが目立つ気がしたからだが。

 

 ――ちょ

 老エルフが、テーブルから降りた。一歩、一歩、一歩、一歩と。

 ――な、ひゃ、な、なんで、こっち、くるのぉ!?

 皆が道を譲り、空いた空間を悠々と歩いて、距離がすでに十歩しか無く。

 

 ――ら、ラクシャ、ラクシャさんは!?

 助けを求めようと横を見ると――既に誰も、いなかった。

 木の軋む重い音。ゆっくりと、顔を戻す。

 

 居た。

 手を伸ばせば届く距離に、巨大な老エルフが立っている。その鋭い両の瞳は――まっすぐとルネッタを捉えていた。

 重圧に押しつぶされそうだ。膝が笑っている。あと少しで座り込んでしまうだろう。

 

 老エルフは、微かに眉をしかめた。見下ろしたままの目に、鈍い光が灯る。


「耳が無く、魔力も感じぬ……つまりはあれか」


 笑った。皺は更に深くなり、口がそれらを裂くように開かれる。


「嬢ちゃんが噂の人間か。名はたしか……ルネッタだったな」

「……へ?」


 恐怖も圧迫感も綺麗に消えて、疑問が頭の中を占めた。

 けれども老エルフは気にした様子もなく、


「てぇことは使いはこの嬢ちゃんか。てっきりサボりも兼ねてエリスあたりが来るかと思ったんだがなぁ……ラクシャぁっ!」


 三つ離れたテーブルの影から、のそりと姿を現した。表情は見え見えの作り笑いだ。


「あー……ははは、お久しぶりで」

「ひと見て隠れてんじゃねえぞお前。まぁいい、俺が引いてきた箱持って帰れ。この譲ちゃんにゃ無理だろうよ」


 顔が再びルネッタへと向けられた。


「紙、もらってるだろう。出しな」

「っ!? は、は、はい。あ、でも、これは、えっと……」

「心配すんじゃねえよ。向こうに渡すだけだ」


 そう言うと老エルフは片手をひらひらと振った。気付いた店主が駆けてきて、紙を受け取り再び奥へと戻っていく。

 ――こ、これで、いい、の?

 仕事は無事終えた、と表現できるかどうか。

 その慌てぶりがおかしかったのか、くつくつと老エルフが笑った。


「小心だなおい。そこが気に入ってるのかもしれんがなぁ」

「あの……ええと……」

「それより、娘とは仲良くやってるかね、小さな来訪者よ」

「むす、め?」


 老人は僅かに目を見開いた。


「そういやぁ自己紹介さえしてなかったな。おれぁヴァラ。ヴァラ・レム・ベリメルス。つまりは――ルナリアの親父よ」


 ――へ?

 言葉を飲み込み、頭で噛み砕く。

 すると異常な強さの謎は解けるが、しかしあまりに聞いていた話と違う。想像と逆方向に走りすぎている。

 

 とはいうものの、思い返せば凄まじい腕の剣士だということしか聞いてなかったような。レムの格名を持ち領主の妻を持つ大貴族ではあるが、確かに誰も盗賊頭のような雰囲気を持っていないとは言ってないかもしれない気がしなくもなく。そもそも強いエルフほど老けないのではなかったのか。それほど高齢ならばあらかじめ特徴として聞きそうな気もするがわざわざ言うかといわれると悩んだり悩まなかったり。

 

 ヴァラが身を屈めた。凄まじい強面との距離が一気に近づいて、威圧に心臓が締め付けられる。

 ――こ、怖いんですがっ


「娘に伝言を頼めるかね」

「はいっ!?」


 彼はゆっくりと『棺桶』を指差した。


「ライールの兄からの贈り物だ。面白いから使ってみろ。それと」

「そ、それと……」

「セルタの反乱は中々に厄介そうだ。気を抜くなよ……以上だ」


 すぱりとそう言いきると、外套をなびかせてヴァラは背を向けた。

 そのまま店から出るのかと思いきや、彼はまっすぐカウンターまで進むと――周りの全てを無視して、堂々と食事を始めるのだった。

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