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Elvish  作者: ざっか
第三章
62/117

任務 一


 ルネッタに役職がついた。

 第七騎士団書記官仮、というのが肩書きらしい。

 未だにすらすらとエルフの文字が書けるわけでもなく、当然水彩版を作る技術もない。仮、とつくのはこのあたりが原因で、はっきりと言ってしまえば役職を満たす能力は無い。

 

 それでも職業無しの浮浪人間よりは遥かに良い、とはルナリアの意見だ。基本的にはルネッタも同意なので、甘えることにした。

 これで、正式に騎士団の一員になった。ゆえに今回、同行を許可されているのだろうとルネッタは思う。

 

 先頭にルナリア、隣にエリス。頼もしい二人の後を、背筋を丸めて付いていく。

 見上げるような門へと入り、輝くような城内を歩き、まっすぐまっすぐ進んだ先には、広々とした空間があった。

 謁見の間。そして玉座。いずれも、以前は訪れなかった場所だ。無論、理由も無く入れるはずもないので、当然のことではある。

 

 正面の玉座に一人。その隣に一人。そして左右には近衛と思しき兵が二十人ほど。空気はやはり重苦しい。

 部屋の中央まで淡々と進むと、ルナリアは深々と頭を下げた。


「リムルフルト陛下、第七騎士団団長、ルナリア・レム・ベリメルス、ただいま参りました」

 

 王――リムルフルトは僅かに体を揺らしたが、それだけだった。

 彫りの深い、整った顔立ちだ。歳のころは若くとれば二十代後半に見えるほどで、魔力の強さと固定化の技術を存分に見せ付けるようだった。

 恵まれた体躯に、ひりつくような空気を纏ったその姿は、軍国の狂王とでもいうべき迫力がある。

 

 それでも、あるいはしかし、とルネッタは思う。

 威圧感を語るのならば、以前向かい合ったレシュグランテの第二継承者のほうが強い。加えて、不機嫌な時のエリス、そして戦場でのルナリアには到底届くまい。

 失礼ながら、ではあるが――仮初めの王という言葉もどこか納得してしまう。

 

 ――うひゃ

 目があった。到底口には出せないような思考を読まれたのかと、飛び上がるような恐怖がルネッタの心臓を掴んだ。

 悲鳴を飲み込み、頭を深く下げる。

 やはり失敗だったか。人間であるルネッタが、仮にも王の御前に姿を晒すなど不敬の極みだったろうか。

 

 王が口を開いた。深く、低い声で。


「ルナリア殿、突然の招集……苦労をかけるな」

「そのようなお言葉、恐れ入ります」


 どうやら杞憂だったらしい。王はルネッタのことなど毛ほども気にした様子も無く、ルナリアを見ている。ルナリアだけを。


「実はそなたらに――つまりは第七騎士団に、ぜひとも頼みたいことがあるのだ。いや、起こったというべきか」

「何なりと」


 ルネッタは、隣で同じように頭を下げたままのエリスの顔が僅かに歪むのを、確かに見た。


「ここより南東……セルタの地において市民達による大々的な反乱が起きたようなのだ。第二市民を中心としたその波は街を飲み込み、現在は中心たる老大樹に陣を組んだままである、という」

「セルタの地……とは、確か重要な養殖場のある街ですね」

「そうだ。かつては東の食糧生産の二割近くを担っており、物資は西にまで届くほど。故に今回の反乱は極めて重大な事件であるといってよい」


 ルナリアは顔を上げた。


「その反乱を、我ら第七騎士団が制圧せよ、と」

「……少し足りぬな」


 王が不適に微笑んだ。それは丁度、難解な仕事を部下に押し付ける商人のようだった。


「そなたら第七騎士団には、セルタの地で起きた反乱の鎮圧を命じる。ただし、可能な限り市民達に傷をつけるな。理想は血の一滴さえ流さぬことだ。彼らは騒動が終われば再び大事な労働力となりえるのだからな」


 セルタという南東の土地。そこに広がる街。反乱の規模。市民の数。何一つ知らないルネッタにも、これが無理難題であることは嫌というほど分かる。


「承知致しました。第七騎士団全霊を持って、反乱鎮圧に尽力いたします」


 ルナリアは再び深々と頭を下げると、音も立てずに踵を返した。エリスが続き、ルネッタも僅かに遅れて彼女を追う。

 頭を上げて、背を向ける。その動作の間に映る視界の中で、王がルナリアへと向ける視線に明確な敵意があることに、ルネッタは気付いた。

 あからさまだ。隠すつもりなど感じない。

 ――嫌われている、だっけ

 臣下との不和。さして珍しい話でも無い。そのはずだ。




 執務室に帰り着くなり、ルナリアは何枚もの紙を机に広げた。帰り際に側近の一人から手渡されたもので、口頭で説明しきれなかった資料である、らしい。


「なんともまぁ面倒なことだ」


 資料に目を通しつつ、ルナリアは呟いた。

 それによると、反乱を起こしたのはあくまで一部の第二市民であり、多くのものは緊迫した状況に怯えながら、日々を過ごしているのだという。

 

 占拠された場所は、まず中央にして中心たる老大樹。そして周囲に広がる極大の『養殖場』らしい。戦場と化した地はせいぜい全体の十分の一にも満たないが、よりにもよって街の命を乗っ取られた形になっている。状況は、深刻の一言に尽きる。

 領主は一体何をしているのか、資料には無い。

 同時に、なぜ反乱を起こしたのかも不明だ。

 

 しかし。

 なにやらルナリアには心当たりがあるらしい。


「ようはアルスブラハクの影響なのさ。裏切った領主に街ごと売られるのも御免で、ほったらかしにされた挙句ダークエルフに食い尽くされるのも御免だと」


 エリスが答える。


「アルスブラハク領無き今、確かに最も水際であるのはセルタの地。そうした心配も理解できなくはありませんが……より東に街が無いというだけで『向こう側』とはそれなり以上の距離がある。そこそこの軍備も備えてあるはずでしょう。いささか臆病が過ぎると思いますがね」

「そればかりは当事者にならんと分からんものさ。あるいは、お前のように強いものには理解できないことかもな」

「……それにしても、領地の兵は何をやっていたのでしょうね」

「外部に備えていても、同じように内部に備えられるとは限らん。少人数で手際よく――さらには老大樹を盾にされては手詰まりにもなるだろう。皆殺して取り返すなら容易だろうがね、元通りを望むなら難問だ」


 腕を組み、ため息をついて、エリスは気だるげに言った。


「その難問を我らが押し付けられたわけですか」

「そうなるな。このありがたい紙切れによると『英雄ルナリア』の威光を持ってして、無血にて事態を収めるべし、だと。捻り潰してやろうかあのクソ役人め」


 声音は、それなりに本気だ。

 手元の紙を机へと放り投げて、ルナリアはため息を一つ。ペンを手に取り、真っ白な紙を取り出して――止まった。


「五百……いや、三百だな」

「……連れて行く兵数ですか? さすがに少なすぎるのでは」

「制圧ならそうだろうが、説得だからなぁ。威圧を与えすぎるのも問題だ。向こうの領主の兵にも協力を呼びかけるし、最悪の最悪は私とお前だけでなんとかなる。というかする。所詮は小規模な反乱だろう」

「そりゃそうですが」


 凄まじい話をさらりとする。とはいえ慣れたものだとルネッタも思う。

 ルナリアは先ほど投げた紙切れを指差して、ちらりとエリスを見た。


「ちなみに、三百に抑えるもっとも大きな理由がそいつだ」


 エリスは怪訝そうに顔を歪めて、紙を手にとって目を通した。

 その顔が怒りに染まるまで、一秒も必要としなかった。


「なんですかこの金額は」

「な? 五百も連れて行けば初日で食費が尽きる。本気で道中分しか寄越さないとはね」


 ぐしゃり、とエリスが紙を握りつぶした。


「いずれにしても、向こうで摘発するのは必然ですが」

「それはあっちの領主に出させるさ。無血を謡って略奪してたら話にもならん。とにかく兵数は三百。内訳は半分が古参、半分がアンジェからもらった錬団だ」

「丁度良い機会だから馴染ませると?」


 ルナリアは頷き、続ける。


「私にお前。隊長格はジョシュアとラクシャ。百人長が二人と二人の計四人。留守番は全てガラムに任せる」

「ガラム一人にですか」

「そうだ。初の混合なのだからラクシャは必須。交渉が主たる仕事となればジョシュアも絶対に必要だ。ガラムには済まんと思うが、こればかりはどうにもならん」


 しかたないか、とでもいわんばかりにエリスは鼻からすぴーと息を吐いた。まさしく戦の話をしているというのに、ずいぶんとそれが可愛らしく見える。

 我慢できずに笑ってしまったルネッタに、二人の視線が注がれた。

 ――ひぃ

 思わず背筋を伸ばす。

 

 ルナリアは――少し不思議そうに首を傾げると、何事も無かったように手元の紙へと視線を落とした。するするとペンが動いて、エルフの文字が刻まれる。

 そして言うのだ。


「ルネッタ、お前に一つ仕事を与える」

「は、はいっ」

「聞いていた通り、これから遠征だ。つまりは弁当を用意しなければならない。一緒に簡単な地図を渡すから、お前はその場所まで行ってこの手紙を店主に」

「ええええええっ!?」


 反応したのはエリスだった。大げさに感じるほどの声を上げて、目をこれでもかと見開いている。少し怖い。


「あそこまでルネッタを行かせるんですか? 本当に?」

「なんだよもう。別にそんなに遠くないだろ」

「ガラ悪いですよ? 二つ先は第三市民の区画ですよ?」


 なるほどとルネッタは思う。要するにエリスは心配してくれているのだ。嬉しくはあるが、同時に複雑な感情も出てくる。

 一歩踏み出して、ルネッタは言う。


「あの……わたしも子供ではありませんので」


 それに応えたのは、しかしルナリアの細目だった。


「ある意味子供より非力だけどな」

「うっ……」


 返せる言葉が何も無い。事実として魔力を扱える子供であれば、ルネッタよりも遥かにたくましいのだから。

 小さく息を吐いた後、ルナリアはとんとんと指で机を叩いた。


「今後のことを考えて、あの程度の場所まで一人で出歩けないのでは困るだろう。私が、エリスが、そしてなによりルネッタ自身が、だ。何のために市民権まで勝ち取ったのか分からなくなるというものだ」

「むう」


 エリスは唸り、それきり口を噤んだ。一応納得してくれたようだ。

 ちらりとこちらへ目を向けて、ルナリアが告げる。


「できるな?」

「はいっ!」


 多少の不安はあるものの、確かに安全な王都内でさえ歩けないとなれば、もはやどこにもいけないだろう。


「この間のような事件はそうそう無いとは思うが……危ないと思ったら当然逃げるんだぞ?」


 頷く。それだけは自信がある。少なくとも事件に首を突っ込もうとは毛の先ほども思わないのだから。

 地図と紙を受け取って、ルネッタは小さく頷いた。仕事だ。仕事なのだ。たとえどれほど小さな物だろうと、翻訳以外に初めてまともな役目をもらったのだ。

 

 不安が無いといえば嘘になるが、ちょっとした高揚感のほうが強い。なにしろこんな自分でも、ルナリアの役に立てるのだから。


「では、いってきますね」


 頭を下げて、振り返る。まさにその動作の中間に、エリスから声が飛んできた。


「ルネッタ、ちょっと」

「はい?」


 目が合う。彼女は――なぜか目を閉じ両手を後ろに組み、腰を僅かに曲げてその小さな口を突き出したまま、止まった。


「……は?」

「もうっ!」


 片方の目だけを開いて、首を傾げつつエリスは言う。


「ほーら、遠くまで行くんですから、行ってきますの口づけですよ」


 再び彼女は目を閉じる。

 沈黙に包まれる部屋の中、数秒待ってもぴくりとも動かない。

 ――おおぅ……

 本気、らしい。

 陶器のように白い肌と、仄かに赤い柔らかな唇。蕩けそうなほどに甘い甘いその味を、もちろんルネッタは知っている。

 それでも、こんな提案にいきなり乗れるほど慣れてはいない。

 

 ――ど、ど、どうすれば

 はやく、とでも言いたげに体を揺らすエリスと、その様を心底呆れたように眺めるルナリア。

 挟まれている。それも驚くほど様々なものに、だ。何も考えずに重ねてしまえばとてもとても気持ち良いだろうけれど、ルナリアはそれを見て何を思うとか、仮にも仕事中にコレは許されるのかとか、かといって拒否したらエリスが悲しむだろうかとか。

 

 思考が嵐のように渦巻いた先にたどり着いた答えは、欲には素直に従うべし、だった。重い足を一歩踏み出し、エリスとの距離をつめようとした、その矢先。

 ――へ?

 目の前の光景を飲み込むのに、軽く二秒は必要だった。


「……んむっ!?」


 いつの間にか動いていたルナリアが、エリスの唇を堂々と奪っていた。匂いと味で分かったのか、目を見開いて思わず逃げかけたエリスを、もはや肉食獣のように捕まえると――舌と舌が絡むような、互いの全てを交換するような、深い深い口づけをする。

 

 ちゅぱ、とか、じゅるり、とか、形容しづらいその手の音が静かな室内に木霊して、ルネッタは思わず目を逸らした。無論、結局横目でその光景をしっかり見続けてしまったことは言うまでも無い。

 

 現実感さえ薄れるほどに美しい二人が、まるで反するような肉感と淫靡さで作り上げた口づけをする。こうして目にするのは二度目のはずだが、最初と何一つ変わらない衝撃がルネッタの心臓をぐらぐらと襲う。

 

 頬が熱い。奇妙な感動すら覚えてしまう。

 短くも長い接触の後、ようやく満足したのか、ルナリアは抱え込むようだった両手を開いてエリスを『開放』した。

 ほとんど飛びのくように一歩距離を取って、荒く肩で息をしたエリスは、


「なっ……なっ……ちょっ……ぁ……」


 顔を愉快なほど真っ赤に染めて、言葉のような何かを呟き続けている。

 ルナリアはといえば――こちらも十分すぎるほどに頬は赤いが、エリスよりはだいぶ冷静なようだ。

 ぺろりと自分の唇を舐めて、にまりと笑って彼女は言う。


「目を閉じるのが悪い」


 どんな理屈かとルネッタは思う。

 ――逆転してきたなぁ

 いつのころからか正確には分からないが、からかい役が綺麗に入れ替わったように感じる。ルネッタに対する接し方はこれといって変化は無いのだけど。

 

 ――むう

 しかし、そしてとはいえ。

 踏み出し勇んだ『何か』をぶつけそこなったのは事実なわけで。なんとなく置いていかれたような寂しさもある。

 だからルネッタはてくてくと歩いて、にやけたままのルナリアへとまっすぐ進み、


「あむっ」


 極々自然に、唇を重ねた。柔らかい。暖かい。舌を出してぺろりと舐めると、二人の味がする。勘違いかもしれない。

 肩に手を当てて、ゆっくりと離れる。ルナリアの瞳は大きく見開かれたまま、落ち着く様子も無い。

 

 どうやら予想の外をつけたらしい。ルネッタには、それがとても誇らしく思えた。


「……えへへ」


 我慢できず漏れた笑みをかみ殺して、ルネッタは二人に背を向けた。


「行ってきますね」


 返事も聞かずに部屋から飛び出す。

 体が浮かぶような錯覚に、どきどきとうるさいくらいの心臓。けれども恐ろしく心地よい。

 一階にたどり着く前に緩んだ頬を正すには、どうやら渾身の力が必要なようだった。

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