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Elvish  作者: ざっか
外伝二
53/117

理由 二


 王都は、全部で十三の地区に分かれている、とルナリアは言った。

 特権階級とでも言うべき者達の住む第一地区。

 平民の住まう二から十二の地区。

 そして魔力を持たぬ無泉が済む――あるいは隔離されている十三地区。

 

 区分けとしては分かりやすい。

 裕福なものほど一に近い場所に暮らし、十二ともなれば貧民街のようなものであるらしい。

 もっとも、餓死する者などそうは居ない、とのこと。そのあたりは、やはり老大樹の恩恵ゆえ、なのだろう。

 

 その地区に住む、あるいは家を持つために要求されるものは、結局は金だという。とはいえ、それも前提条件をしっかりと埋めての話になる。

 

 第一地区に住むためには、第一級の市民権が必要だ。

 平民地区においても、上半分に住むためには最低でも二級の市民権を要求される。外から訪れる程度のことに制限は無いが、土地を買おうと思えば抜け道は無い、らしい。

 

 現在ルネッタは、第二級の市民権を持っている。理屈の上では、第二地区に家を持てるというわけだ。

 無論そんな金は無く、現実として許可が下りるかは微妙なところであるらしい。

 

 市民権は魔力に応じて与えられるものという話だ。ルネッタが第二級を持つことは、特例以外の何物でも無い。

 しかし、と言ってルナリアが首をこちらに向けた。

 

 広い道に、多数の人々。喧騒と、数多の視線。

 あのときに比べれば幾分か柔らかいが、一人で歩きたくは無い。

 どこか――達観したような瞳で、ルナリアは言った。


「お前と同じことをすれば、無泉だろうが第三市民だろうが、同じようにもらえるさ。単にやらんだけ、やりたくないだけだ」


 エルフは、固体差が激しい。

 真っ当に鍛えた兵士数十人でさえ、エリス一人に叶わないのだから、その格差は人間など比べ物にもならないだろう。

 

 生まれ持って優れた者は、どこまでも上を目指す。そうで無い者は己の枠を作り、そこで満足する、と。

 正直なところ、無理も無い話だとルネッタは思う。仮に自分がそこそこ強いエルフだったとして、ルナリアに対抗心など燃やすだろうか。見込みが皆無では、立ち上がろうとさえしないのは、至って普通なことだ。

 

 とはいえ。

 どうやらエリスにしろルナリアにしろ、ルネッタの『足掻き』を評価してくれているようなところもあり――つまるところエルフという種の持つ『諦め』は、人間のソレとは根本的に違う、といったところか。

 

 一歩前を進んでいたルナリアが立ち止まって、一つの建物を指差した。


「で、今日のお昼は、ここ」


 二階建てで、木造りだ。使われている木材は美しく輝いており、単に切って組んだというわけではなさそうだ。

 ――高そう。

 それが、ルネッタの素直な感想だった。

 

 扉を開けて、ルナリアが中に入る。扉は僅かな軋み音さえ立てない。

 後に続くと、思ったよりも狭い空間が広がっていた。

 左右に扉。正面には――階段か。

 給仕と思しき男が小走りでやってきて、深々と頭を下げた。


「これは騎士団長殿。いつもごひいきにありがとうございます」

「ん……上、空いてるかな」

「もちろんです。その……そちらの方は」

「私の連れ。今日は二人だが、料理はいつもどおりで良い」

「かしこまりました」


 男はそそくさと引っ込んでいった。一瞬ルネッタに向けられた視線が、気にならないと言えば嘘になる。

 とはいえ、悪意がむき出しというわけでは無いのだけど。

 

 ルナリアが階段をそっと指差して、歩き出した。

 後に続いて上り進み、現れた扉も彼女があけて。

 たどり着いたのは『個室』だった。

 大きなテーブル。豪奢な装飾。真っ赤な絨毯と、立派な窓。脇に置かれた水槽には――なんとまぁ、小さな魚が元気に泳いでいる。


「こっちこっち」


 一足先に腰掛けたルナリアが、ちょいちょいと手招きをした。

 向かい合って座ると、改めて室内の豪華さが良く分かる。

 はっきり言えば、自分なんて場違いに思えてしまう。無論、この前の『貴族の集まり』に比べれば幾分か劣ってはいるけれど。


「結局お昼食べるだけだし、私とお前だけだし、緊張しなくていいよ?」

「ひゃ、い……!」


 裏返った声で返事をすると、くすくすとルナリアが笑う。恥ずかしさに少し俯き、誤魔化すように外を見た。


「お待たせしました」


 ノック、声、そして扉が開かれる。

 小さな車輪がついた台座を給仕が押してきた。上には――唖然とするような大きさの鍋が一つ。スープは薄紅色で、浮かんでいる食材はもはや数えようとさえ思わないほどに豊富だった。

 

 給仕はテーブルのすぐ隣まで運ぶと、再び頭を下げて、さっさと退室してしまう。

 ルナリアはテーブルに伏せられていた巨大な皿を手に取ると、豪快に鍋から『中身』を注ぐ。

 

 置く音は、ごとん。ルネッタにとってはこの一皿が余裕の一食になる計算だ。

 自分用にも取り置いて、彼女は笑顔で一言告げる。


「さあどうぞ」

「は……はい」


 赤いスープの中は、さながら祭りのようだった。

 軽く押せば解れる魚に、あまりに分厚い肉の塊。色とりどりの野菜に紛れて、小さな芋が幾つも転がる。

 とりあえずと口に放り込んだ肉は、驚くほどに柔らかい。

 

 ――おいしい、のかな

 なにぶん味が複雑すぎて、即座に判断出来無い。それでも即座に二口目を運びたくなるのだから、おいしい、のだろう。

 

 ふと正面を向くとルナリアと目があった。なんとなく頷くと、彼女は嬉しそうに微笑んで、自分も一口。

 もきゅもきゅごくんと飲み込んで、ルナリアは言った。


「ここは私の行き着けで、これが定番の料理、と言えばいいのかな。とりあえず都合がついた食材を全部ぶち込んで煮てるだけなんだが、ま、それなりにおいしく仕上げてくれる。良い腕なんだろうね」

「おいしい、と思います。その……すごい量ですけど」

「まーね」


 ルナリアが人差し指をそっと立てた。


「前に言ってたよな、随分と我らの食は豊かだと」

「はい。そう思います」

「それはね、どっちかというと逆なんだな」

「逆……ですか?」


 そう、と彼女は頷いて、再びスープを豪快に掻き込んだ。あっさりと空になった皿に二杯目を注ぎながら、


「私はこの通り凄まじい大食い。エリスだって相当な物だろう。この強烈な食欲はどこから来ているのかと言えば……そりゃあ、持ってる魔力に比例してるってわけだ」

「……なるほど」


 正直なところ、そんな気はしていた。


「特別な力を持たないエルフであっても、それなり以上の量を食う。人間であるお前から見れば異常と表すような量をね。力をつければさらに増え、練騎兵級ともなると牛と競えるほどに」


 ルナリアは一際巨大な肉の塊に、とん、とナイフを突き刺した。


「つまり我らは、食が豊富だから良く食べるんじゃない。大量に食わざるを得ないから、それを可能にする技術を発展させた、というのが正解だ。無論、最近はそれが行きすぎて飽和しつつあるが」


 彼女は少し目を細めて、囁くように続ける。


「ちなみに、というわけでも無いけど……私の弱点は要するに『それ』だ。兵糧攻めされると死ぬ。冗談抜きで死ぬ。まぁ最悪は殺した相手を食うハメになるが――さすがにやりたくないぞ」


 おどけた口調で、冗談のように。けれども内容は深刻で、その上だいぶ強烈だ。少なくとも食事中にはご遠慮願いたいようなものだった。

 ルネッタの表情を読み取ったのか、誤魔化すようにルナリアは言った。


「で、私がここに良く来る理由は……味とか距離も大事だが、何より費用が経費で落ちるんだな」

「無料、ですか」

「ちょっと違うが、結果は一緒か。前に言っただろ、王は碌に第七騎士団に金くれない代わりに、食費やらなんやらは面倒見る約束になってると。この店がちょうどその範囲で、どーせだから最大限有効活用させてもらってるってだけ。前は誤魔化して軍費に回してやろうかと考えたこともあるけどね、さすがに無理だった。バレるし、私のおなかも減るし」


 ナイフに刺した肉塊を持ち上げると、そのまま一息にほおばる。

 彼女の幸せそうな顔を見て、そりゃ無理だろうなとルネッタは思う。

 いつかは――それをからかうような度胸を自分は持てるものだろうか。




 食事を終えて、再び街道を歩く。正直言うと苦しい。

 鍋を空にしたルナリアは平然としているが、これも慣れたものだ。もはや驚くことは無い。

 

 日差しは暖かく、人の数はさらに増えた。気を抜くとはぐれそうになるので、ほとんど肩を擦るようにして進む。

 手は、さすがに、繋いでいない。人の目が無ければ――もちろん、繋ぎたい、けれど。


「ここでいいか」


 今度の建物は石造りで、扉は開け放たれていた。

 中に入ると、無数の棚に様々な木の棒。それら全てに圧倒されるような量の服が置かれている。

 布の状態のもの、あるいは手直しが前提であろう品が三割。七割はそのまま袖を通せそうに見えた。


「いらっしゃい」


 少々ふくよかなエルフの女がそう言った。見た目は三十半ばくらいか。彼女が店主なのだろう。

 ルナリアがこちらを指差して、


「この娘に合いそうなものを、適当に持ってきてくれ。その中から選ぶから」

「はい、かしこまりました」


 店主は応えて、奥へと引っ込む。

 ――ええ、と

 ルネッタは悩んだ。まだ現物が並べられたわけでもないのに、と言われそうなものだが、一応理由はある。


「あの、ルナリアさま」

「ん?」

「わたしは、その……おしゃれといいますか、着飾るために服を買った経験がありません。どういったものを選べばいいのか、基準が分からなくて……」


 彼女は不思議そうに首を傾げ、その後薄く微笑んだ。


「悩む必要も無いさ。見て気に入ったのを適当に買えばいい。金はそこそこあるわけだし。それに、お前は何を着てもかわいいと思うよ」

「う……あ……えと……」


 褒められているのは分かる。けれど恥ずかしさが先に来る。熱い頬を誤魔化すように、わざとらしく左右を見渡した。

 まさしく色とりどりだ。これほど多数の服など、それこそ貴族の領分だと思う。

 

 ――でもなぁ

 心配事が一つあった。それはたとえば壁から吊るされているワンピースの形であったり、その横にある純白のスカートであったり。

 共通点は、わりと単純だ。


「こちらなどは、どうでしょうか」


 そんなことを考えてる間に、店主がまさに山のような服の束と共に戻ってきた。

 目が少々ぎらついて見えるのは、商機を逃さない本物だからか。


「ん、そっちの奥で試着させてもらえるかな? ちゃんと幾つかは買うからさ」

「もちろんです。さ、こちらへ」


 勢い任せでつれられて、店の隅、布で仕切られた小部屋に入った。足元にどさりと服が置かれて、


「ご自由にどうぞ」


 そうして布が閉じられた。

 ――ええ、と

 準備は全て整ってしまったわけで。となれば着るしかないわけで。

 上着を脱ぎ捨て、ズボンを下ろして、置かれた服を身にまとってみる。ご丁寧にも、中には小さな鏡が備え付けられていた。


「……これは」

「着てみたかー?」


 外から聞こえるルナリアの声に、どう返したものか。


「一応、ですが……でも、えっと……ひゃっ!?」


 布の幕は勢い良く開かれて、その向こうには興味津々といった表情のルナリアが立っている。

 彼女はルネッタの身体を上から下までじっくりと眺めると、満足そうに頷いた。


「うん、かわいいじゃないか」

「そ……そうですか? いや、それよりですね……えっと」


 この、短い、短すぎるスカートはどうにかならないものだろうか。

 少し跳ねればもう下着が見えそうというか、そもそも立って歩くだけで怪しいというか。

 上にしたって布は薄く、面積も明らかに少ない。脇が丸出しで、胸がはみ出るようなつくりになっている。ルネッタは――はみ出すほどのものが無い所為で、別の心配が出てくるけれど。平たく言うと、動くとずり落ちそうなのだ。

 

 色は白を基調とした上品なものだし、布の触り心地も素晴らしい。きちんとした品だというのは、もちろん分かる。

 けれど、だけど、とルネッタは思う。そして己の体を隠しながら、


「ちょっと、ですね……露出、多すぎませんか?」

「そうか? 普段のエリスだってそんなもんだと思うけど」

「エリスさんは平気でしょうけど……」


 彼女は胸も大きく、だというのに腰も足も細く、同姓から見て尚完璧な体つきをしている。もちろんルナリアも同じだ。

 あれだけ立派な『もの』を持っていれば、出しても恥ずかしくないのかもしれない、とは思う。

 

 そして、もう一つ。

 エルフは、暑さや寒さをある程度魔力で調整できるようだ。分かりやすい例をあげるならばアンジェで、半裸で野外に出ていたようなものだが、僅かな震えさえ見せなかった。

 ルネッタが真似れば、体調を崩すのは当然だと思う。


「風邪をひいてしまわないかと」

「別に無理して寒い中着なくてもいいだろ。もっと暖かくなってからで……ああ、そうだ」


 いいことを思いついた、とまさしく顔で表現したルナリアは、なにやら店の隅まで小走りに駆けて――すぐに戻ってきた。

 手に持つのは、サンダルだ。まるで蔓で編んだような形だが、不思議と光沢があり、何よりも真っ白。アンジェの履いていたものに近い気がする。

 

 にこにこ笑顔で差し出す彼女。何をすればいいかは一目瞭然ではある。

 ブーツを脱ぎ捨て、サンダルに足を通す。大きさは――丁度いいくらいだ。若干慣れるまで手間取りそうな形だけれど。


「うん、やっぱりごつい靴よりそーゆうのが合う服だよな」


 顔をあげると、丁度目があった。


「かわいいぞー」


 あまりにもはっきりとした言葉に、頬がどうにも熱くなる。

 とんでもなく機嫌よさそうに笑うルナリアは、直視するのも厳しいほどに綺麗で美しくて可愛らしい。そんな彼女の笑顔を崩す度胸なんて、ルネッタにあるはずもなかった。




 結局買ってしまった。

 大した重さも無いはずの布袋が、やけにずしりと手に食い込む。

 ――ほんとに着るのかなこれ

 思えば、スカートなんてまともに穿いた記憶が無い。女らしさの毛ほども感じないようなものを、がしりと着込む日々だった。

 だというのに、一気にこれは、手順を飛ばしすぎではなかろうか。

 

 ちらりと横目でルナリアを見る。すまし顔だが、若干頬が緩んでいる。自分の服でも無いというのに、これほどまでに嬉しいものだろうかと思う。

 

 ――そういえば

 服で思い出すのは、セラヴィア――つまりはルナリアの妹の言葉だ。以前会ったときに、確かこんな話をしていた。

 皆がやたらと肌を晒すような服を着るのは、つまりは価値観なのだそうだ。

 

 肉体的な若さは、エルフにとってそれだけ尊い。強い魔力で固定化を維持している証拠だからだ。そのように尊い体は、つまりは誇りであり、周囲に誇示するような服を着るのもそうした意識の流れであると。

 

 もっとも自分は、そこまで派手な服は苦手なのだけれど。そう言ってあのこは笑った、はずだ。

 ――とは言うけれど

 セラヴィアの体つきは――その、姉に似て凄まじいものだった。あれで歳は十六だというのだから恐れ入る。

 

 ルネッタは思わず自分の胸元をまじまじと見てしまう。あんなにも色々と実っているなら、今日買った服を着ることにも、躊躇せずに済むんだろうか。


「ルネッター」

「……ひゃい!?」


 慌てて振り向くと、ルナリアが脇の小さな路地を指差して、立ち止まっていた。


「こっちから行こう。早いし」

「はい」


 狭い路地裏だが、綺麗に掃除はされていた。治安が悪そうな空気も無いし、そもそもルナリアの隣なのだから。

 会話も無く、静かに歩く。

 周りに人は居ない。喧騒は遥か向こう。まるで自分達しか居ないような錯覚を覚える。

 

 ――あ

 唐突に、思い出してしまった。せっかく今の今まで意識しないでこれたのに。

 ――どうして、一緒に寝てくれないのですか

 喉元まで出かかった言葉を、ルネッタはそっと飲み込んだ。

 

 聞きたいという欲はあった。答えが欲しいという思いも。けれどそれ以上に、恐怖のほうが大きかった。

 一歩前を歩くルナリアの背中を見て、小さなため息をついた。

 

 ぴたり、と。

 急に、ルナリアの足が止まった。


「どうしたんですか?」

「ん……人は……いないよな」


 きょろきょろとあたりを見回して、彼女は小さく頷くと、少々演技の匂いがする咳払いを一つ。

 首を傾げたルネッタの頬に、彼女の手がそっと触れた。

 

 一瞬固まって、直後にほぐれて――緩んだ心の隙を、彼女の唇がゆっくりと埋めた。

 あくまで浅く、軽く触れる程度のもので。

 だというのに、一瞬にして鼓動は早くなって、ぞわりとした快感が背筋からつま先までを走りぬけた。

 

 もう一度。

 今度は少し深く、軽く甘噛みするように。


 離れて、見つめあう。

 ルナリアは――照れくさそうに、微笑んだ。


「誰もいないし、久しぶりだし、ね」


 ――あ

 氷を日が溶かすようにして、心に巨大な隙が出来る。

 それはそのまま涙となって、ルネッタの瞳からあふれ出してしまった。


「う……ぐっ……ひぐっ……」

「な、な、な……なんで、泣く!? 嫌だったのか!? ダメだったか!?」


 目に見えて狼狽するルナリアに、そうではないと伝えるために、ルネッタは必死で首を振った。


「ちが、違うんです……ちがう……」

「じゃあなんで泣くんだよ……言ってくれないと、その、困る」


 手が優しく回ってきて、ゆっくりと抱き寄せられた。

 目の前にはルナリアの顔。身震いするほど美しいそれは、困惑に歪んでいた。

 流れる涙も拭わずに、どうにか呼吸を整えて、ルネッタは言った。


「どうして、一緒に寝てくださらないのですか?」

「そっ……それ、は……」


 彼女の目は、ごまかすように左右に泳ぐ。

 堰を切ったように、ルネッタの口から言葉があふれ出した。


「いや、なのですか? 狭い、とか……邪魔だと、か……わたしが、いやだ、とか……い、言ってくださらなければ、わかりま……せん……」


 もうほとんど叫ぶように、なのに段々と音量は下がって。

 どうして、と思う。こんなときでも、自分には吐き出すことも出来無いのか。

 

 俯いて口を噤むと、涙が口にまで入ってきた。

 しょっぱい。なさけない。

 拭こうか一瞬考えた。その直後に手が伸びてきて、顔をあげられた。

 ルナリアの瞳が、すぐそこにあった。


「ん……」


 彼女の舌が、口元に溜まったルネッタの涙を、そっと舐めている、ような気がする。

 再び離れて、見つめあう。


「ごめんな」

「……はい」


 分からない。まだ良く分からない。それでも返事をしてしまう。


「えっとね」

「はい」

「んっとね……」

「……はい」

「あー……その……なんだ」

「――ルナリアさま?」


 驚いたように、彼女が顔を引いた。

 不思議と、頬が赤い。


「わかった、言う。言うから」

「お願いします」


 ルナリアは――目線を逸らしたまま、小さな声で、


「あの、ライール領の時以来な、ちょっと意識しちゃって。その、寝巻きで抱きつかれたまま、一緒に寝ているとね。その、ええと……い……一線を、越えてしまいそう、で……ね……それで、その……うん……」

「……へ? あ……えと……」


 先ほどのスープのように赤いルナリアの顔。けれども自分も、たぶん似たようなものだろう。

 悩んだ。悩んだが、上目遣いで彼女を見つつ、ルネッタはとにかく言葉を捜した。


「あの、わたしは……その、ルナリアさまが、よければ、えと……」

「――あはは」


 誤魔化すように笑って、ルナリアが抱きしめたままの手を解いた。一歩離れ、二歩離れ、そして彼女ははっきりと言う。


「そーゆうのは、そーゆうときに、考えよう。それに、私もいい加減寂しくなってきたところなんだ。だから今日、こういうのが無くても一緒に寝ようと、うん、言うつもりだった。どうかな?」

「……はい!」


 願っても無い提案だ思うのが半分。

 残り半分は何かといえば――心配して損したと、愚痴のようなものが占める。

 もちろん、ルナリアの『それ』を受け入れるということは、つまり。

 

 ――ええと

 悶々と考え込んでしまうルネッタに、さらけ出した羞恥が今更やってきた、といった表情のルナリア。

 結局そこから騎士団宿舎までの短い帰路では、何も言葉を交わせなかった。




「あー、やっと帰ってきたんですね」


 不満を隠そうともしない、まっすぐなエリスの声に出迎えられた。

 

 ここはルナリアの執務室であり、なぜ彼女が堂々とそこにいるのか、とか。

 なんで部屋の中央に接客用のソファーがどん、と置かれているのか、とか。

 疑問の種は尽きない。


「ひとが面倒ごとを潰して戻ってみれば……ルネッタも団長もいないではありませんか。暇だし寂しいしさめざめと泣く数時間だったんですよ?」

「……休憩にしちゃ長すぎないかそれ」

「いーんです。今日はもう一区切り。ルネッタ、こっちこっち」


 手招きされると、素直に向かってしまう。お互いに手馴れたものだと思う。


「んふふ」

「ひゃっ!?」


 傍まで進むと、一気に引き寄せられて、あっという間に彼女の隣に寝転がされた。

 後頭部に彼女のおなか。側頭部には巨大な胸の感触がふにふにと。そのまま頬を撫でられると、思わず顔が緩んでしまう。


「独り占めは良くないですよ。ねールネッタ」

「え、と、はい」


 それは、そのとおりだと思う。

 エリスのゆびが頬から動いて、そのまま唇をそっとなぞる。手は段々と下りてきて、首筋をこちょこちょと擽られた。

 笑い声が漏れる。当たり前だがくすぐったい。けれども、少しも不快では無い。


「……つかぬ事をお伺いするんだがね」


 低く、同時にどこか震えたルナリアの声。


「君らは、ええと……どこまで進んでいるのかな?」


 ぱちくりと瞬きをして、頭を動かしエリスを見た。

 彼女もまた、不思議そうに首を傾けていたが――やがて、にまりと笑った。


「それは……ほら、ねぇ?」


 意地悪く、そしてとても楽しそうに。

 それを受けたルナリアは大きく目を見開いて、まるで助けを求めるかのような視線をこちらに注いだ。

 ルネッタは――悩み、考え、そして決めた。精一杯、本当に全力で意地悪な顔を作って、


「んふふ、ないしょ、です。ね、エリスさん」


 エリスは少し驚いて、次に深く優しく微笑んだ。

 ルナリアは猛烈に驚いて、苦々しく顔を歪めた。

 いいのだ、このくらい。散々不安にさせられたのだから、とルネッタは思う。

 今日はもうしがみつくようにして寝よう。その先のことは――成り行きに任せることにする。




 ちなみに、だが。

 結局その後何も無かった。期待と不安と恥ずかしさと欲に塗れたはずの夜は、密着するように抱き合って眠りにつき、それで終わってしまった。

 次に進むには、たぶんもう一歩必要なんだろうと、そんなことを思う。

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