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Elvish  作者: ざっか
外伝二
50/117

王都の片隅で 一


 この男、名をニルスと言うらしい。

 性は無く、当然のように格名も持ちえておらぬ。

 己の歳さえおぼろげではあるが、外見はまだまだ若い。内在する魔力の質、量を鑑みても到底百には届かぬだろう。

 

 記憶に、親の顔は無い。大方どこぞの娼婦が孕み、扱いに困った果てに寄り合い場にでも捨てたのであろう。

 子を持ち育てれば、それだけで王から報奨金が出る。故に拾い子を忌避する貧民などそうは居らぬ。奴隷を得るようなものであるからな。

 

 育った場所は王都、第十三地区。通称無泉街と呼ばれる地域である。名の通り、魔力を持たぬ無泉のための地……いや、隔離場であろう。

 僅かな、しかし確かな配給と、細々とした仕事を手に短い生を終える――いわばこの国の暗部である。

 

 食料は保証されている。住む場所もだ。百年足らずの生存を保つだけ、というのであれば何の不自由もあるまい。しかしそれは果たして生か。籠に入れられた獣のように、碌に歩き回ることさえ出来ずに。挙句周りの視線は下水を這い回る溝鼠を見るが如くであるというのに。

 ……いや、下らぬ話だ。この際私の感情など余談に過ぎぬ。

 

 ニルスの話に戻ろう。

 男は十数年の時を寄り合い場で過ごした。無泉街での暮らしは、外を知らぬ身にとってさえ苦痛であったらしい。男の幼少時の記憶にあるのは憎悪と憤怒と達観のみである。

 

 この国のものは、皆二種類の戸籍を持っている。それは王の支配する東側であろうと、古老共の領域たる中央であろうと、無法まかり通る西側であろうと変わらぬ。

 

 一つは存在を刻むためのもの。これは生まれた時に、名と共に領地に記録される。ニルスの場合は、寄り合い場から届けられたのであろう。

 二つ目は、魔力の質を表すもの。厳密な歳は問わぬまでも、十五に届く前には判断するのが通例であるらしいな。

 

 役所に赴き、魔力の多寡を調べる石へと触れ、力を流す。

 とりあえず程度に光れば第三市民。強く輝けば第二市民。目覚しい力を見せ付ければ第一市民の資格を与えられる。細かな基準など私は知らぬが、役人共がうまくやるのであろう。

 

 ニルスは、光らせることが出来なかった。無泉街で育った、親も知らぬ貧民の子としては、特別不思議な話でもない。

 現状が変わらぬ絶望と、半ば予想通りである達観、そしていくばくかの安堵の元、ニルスは帰路についた。

 

 僅かに魔力の兆しが体内で生まれたのは、その数年後であるらしい。この時の光景は驚くほど鮮明に残っている。当然と言えるがな。

 即座に役所に赴き、役人に訴え出れば第三市民にはなれるであろう。この下らぬ籠からも抜け出せる。外に出れる。

 

 ニルスは、選ばなかった。

 役所への道のりで、悟ったのだ。

 町を行き交う無力に見える一般市民の、なんと強大なことか。

 か細き腕と可憐な瞳を持った少女が、ニルスとそう変わらぬ重さであろう巨大な水桶を軽々と担いでいた。通りの屋台では半分に断ち割られた獣――どうやら牛のようだ――の死体を、二人の男が藁でも掴むかのように荷台に乗せている。

 

 思えば、この時点から魔力自体はあったのであろう。周囲の連中の放つ魔力を、確かに感じていたのだから。

 強き戦士共からすれば、そよ風のような魔力であったろう。しかし無泉に等しきニルスにとっては、暴風に煽られるが如き恐怖だったのだ。

 

 そうして、ニルスは無泉街に留まることを選んだ。魔力を開花させたにもかかわらず。

 結果として、そしてあくまで男の立場に立つのであれば、この選択は正解だったといわざるを得ない。

 

 無泉街において、ニルスは神であった。

 上にばれぬよう目立ちすぎる真似は控えたものの、私をして目に余るほどの横暴ぶりである。

 魔力が使えるか、使えぬか。それがどれほどの差を生むか。

 大した肉体も持ちえぬニルスは、しかし無泉街のチンピラ共をその腕力だけで屈服させてきた。

 

 元から無泉と呼ばれる連中は無気力なのだ。戦の訓練をつむでもなく、また戦い方を教える者もおらぬ。生まれついて体躯に恵まれたものが、多少幅を利かせる。その程度のものである。

 

 力しか知らぬ愚鈍なごろつきを、更なる力でニルスは叩き伏せる。そやつらを顎で使い、酒や食い物を集めさせた。気に入った女が居れば力ずくで犯した。抵抗するものなど、居なかった。

 まさしくニルスは神であった。故に傲慢に侵される。

 

 そこは娼館であった。

 場所は十三地区の端も端、十二地区までわずか数十歩の距離である。

 働く女、そして働きたく思う女は多い。何しろ金が手に入る。無泉としての仕事では到底手にできない量が、である。

 

 隣の第十二地区は無泉街ではなく、第三市民の住む地となっている。こちらから向こうには、よほどの理由が無ければ行くことも無いが、逆は、まま、ある。

 理由のほとんどは、その娼館であるがな。

 

 魔力を持たぬといっても、エルフの容姿は元からして美しいものだ。固定化が不可能であれば、単に若いものを抱けば良い。幸いにして、女は腐るほどそこに居た。

 ニルスが見つけたのは、そんな一人であった。

 

 さて、これは男の記憶から探ったものではないが、どうやらその女、館でもたいそうな人気で、いわば看板であったらしい。

 素直に店に入り、金を包んで客として会えば、あるいは何も起きなかったであろう。

 

 ニルスにそんな選択肢は無かった。

 金はそれなりにあるつもりだが、所詮は無泉のチンピラにかき集めさせた代物である。娼婦を抱いても尚余裕が出るとは、少しも思えなかった。

 何よりも、馬鹿馬鹿しく思えたのだ。女に金を払うことが、である。

 

 だから後をつけた。無用心にも裏路地を通って帰路につく女を、その場で犯した。

 普段通りだ。何も問題は無い。少なくともニルスはそう思い、満足してその日は眠った。

 

 間違いは、すぐ分かった。

 どうやらその娼館は、こちらのものではなかったらしいのだ。

 雇う女はほぼ無泉。客は半々。しかしあくまでその館は、隣を領域とする無法者共のものだった。

 

 無泉ではない、確かな魔力を持った第三市民共の集まりである。もっとも――まともな戸籍があるのかは分からぬ連中ではあるが。

 ニルスは恐怖し、憤怒し、そして戦った。

 結果はこの様であった。

 

 ここは、地下室である。娼館のものではなく、どうやら無法者共のアジトのようだ。かび臭い床にはコケが生えており、転がった幾つもの樽からは腐った匂いがあふれ出す――らしいな。あいにく私とてそこまで把握する力は無い。もう少し、ではあるが。

 

 それにしても、無残なものである。

 明かりは小さな魔力球のみであるが、それゆえ全貌がはっきりと見えぬ救いになっている、と言っても良い。もっとも見るものなど誰もおらぬが。

 

 ニルスは首を鎖に繋がれていた。これだけならば、捉えたものの扱いとしては極普通のものであろう。これだけならば。

 

 右目が、くり貫かれている。

 左耳が、削ぎ落とされている。

 右腕が、引きちぎられている。

 左足が、切り落とされている。

 そして。

 だというのに、まだ生かされていた。

 

 この拷問――というよりもほぼ処刑だが――は、なんでも数年前までこの辺りで強力な勢力を誇っていたごろつきが、好んで行った手法らしい。既に壊滅した組織であるが、やはり同じ手合い、憧れの一つもあるのだろう。

 

 止血されてはいるものの、もはやニルスの魔力ではどうにもなるまい。緩やかな死を待つのみである。男のこれまでの生を思えば、助けが入る可能性さえ無い。まさしく絶望であろう。

 

 それなのに、だ。

 私は口元が歪むのを我慢できなかった。

 もはや半死に等しきこの男の心中に渦巻くのは、それでも抱えきれないほどの憎悪と何もかも焦がす憤怒であった。

 貧しき小山の上だったとしても、これまでに至る王の如き振る舞いは、ニルスの精神をある種強烈に育んだらしい。

 

 私はそれが、とても気に入った。故に今日ここにいる。

 それに、あるいは、なにしろ。

 どう死んでも何一つ心の痛まぬクズであることも、盛大に後押ししてはいるが。

 ――おい。


「……ぁ……?」


 私の呼びかけに、微かに男の首が動いた。虚ろな瞳で声の主を探している。残念ながら見つかるはずも無いのだが。

 ――貴様、助かりたいか?

 生死のはざま、強烈な痛み、暗がり、静寂。あらゆる異常は、どうやら男の精神を――極めて激しく揺さぶったらしい。


「がぁああああああぁああぁっ!」


 もはや言葉にさえならぬ。死にかけの体のどこにこんな力が残っているのか、不思議に思うほどに男は叫んだ。

 しかし、しかしだ。奴の心は、何よりも雄弁に語っている。

 ――良いだろう。

 

 魔力を編み。

 魔力を刻み。

 魔力を送る。

 黒い靄の如き魔力の塊が、男の体の隅々までに行き渡っていく。上々だ。

 ニルスの瞳に芯の篭った、それでいて暗い光がともった。


「なんだ……どうなった?」


 ――ふむ、良さそうだ。しかしまだ不便であるな。

 何しろ無い部分が多すぎる。耳や目はまだしも、手足は必須であろう。私とて、この場で手足を一から生み出すのは不可能である。そのあたりに転がっていればどうにでもなったろうが、あいにく処分済みらしい。

 

 ――おや?

 足音がする。どうやら廊下からのようだ。踏みしめる勢いは荒々しく、微かに混ざる金属音。得物付きか。僥倖である。

 扉が蹴り開けられた。


「何を騒いでやがる。まだそんな余裕があったのかよ」


 凶悪な面構え、目に付く巨躯。反するように魔力は乏しい。典型的な、魔の不足を肉で補う型であろう。悲しいかな、この時点で三流だと宣伝しているようなものだ。

 

 故に、容易く行える。

 そのごろつきは大股でニルスまで近づくと、躊躇無く顔に蹴りを入れた。


「がっ……」


 苦悶の声とは裏腹に、ニルスの精神は動揺が占めていた。当然であろう。何しろ、だ。

 ――どうだ、まるで効かぬだろう

 私の魔力が隅々まで行き渡った今のニルスは、既にそこらの錬騎兵程度の力はある。このようなごろつき風情、好きに殴らせても問題無いほどである。

 

 ――欲しいものが三つも来たな。刃物、手、そして足だ

 巨漢の顔に、見る見る怒りが満ちていく。思ったよりニルスが堪えぬ様子が気に入らぬのか、単に呆れるほど短気なだけか。

 蹴った感触で、多少の違和感は感じ取ったのであろう。その巨漢は素手での拷問を早々に諦め、手にした刃を振り上げた。

 

 もう少し腕があれば、あるいは勘が鋭ければ。あるいは背を向けて逃げるという選択が出来たのかも知れぬが。

 まっすぐ天へと突きつけられた剣が、風を切るように振り下ろされる。まさしく同時に、ニルスは床から跳ね上がった。

 剣は空振り、首に巻きついた鎖は千切れて、そしてニルスは巨漢の首へと喰らいつく。

 命の火は一瞬で消え、ニルスは含んだ肉片を床へと吐き出した。

 

 困惑はますます強まっているらしい。喉笛を食いちぎるような真似までしたというのに、大した動揺も奔らぬ。その事実にこそ動揺しているようだ。

 ――さっさとしろ、道具はそこにあるだろう

 何をすべきか、それは言われずとも分かるようだ。

 

 床に零れた剣をその手に持ち、巨躯の死体から必要な手と足を切断する。まるでチーズでも切り落とすような容易さである。そこに再び困惑するさまが、もはや愉快に思えてくるものだ。

 それぞれを失った己の切断面に当てれば、そこから黒い炎が噴出して――砕いた鉄を混ぜるように、新たな手足となりはてた。

 

 長さは調整できたが、さすがに太さはそうもいかぬ。少々不都合もあるだろうが、なに、どうせ日が落ちるまでの話である。

 ――調子はどうだ。


「良い。すこぶるいい。今までで一番良い」


 ――それは重畳、では貴様は何をしたい


「殺す。あいつら。あいつらを。俺に、こんな真似を。殺して、殺して、あいつらを」


 どうやら既に意識の混濁が始まってしまったようだ。なにぶん手足の接着などという真似をしたのだからな。私の魔力が既に許容量を超えて体を舐め尽している。あの人形共であれば、もっと持たせることも出来ようが……やはり生身は難しいものだ。

 

 ――そうか、では殺すが良い。奴らは上に居る。お前には力がある。自由もある。全てがある

 ふらふらと揺れ、瞳がぐるぐると回り――そしてニルスは走り出した。速く、それでいて足音を抑えている。このあたりの冷静さが残るのも、未だに私にも良く理解できぬ事象であった。

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