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Elvish  作者: ざっか
第一章
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鉱山街 上


 まさに快晴だった。

 雲一つ見当たらない、抜けるように蒼い空が、果ての果てまで広がっている。

 太陽はすでに天高く上り、ほんのりと暖かな日差しが辺り一面に降り注いでいた。町の隅々に残っていた雪も、嵩を半分まで減らしているようだ。

 

 無数の人々が行き交い、賑わいで溢れる表通りを、三人は歩いている。

 さすがに遠出だからか、エリスも黒い外套を羽織っていた。


「出発が遅くなってしまいましたね」

「うん、お前の所為でな」


 澄まし顔でしれっと呟くエリスに、ルナリアは怒りと呆れと諦めが入り交じった視線を向けた。

 盛大に寝過ごしたエリスを、文字通り叩き起こしたのはつい先ほどの話だ。

 

 ルナリアは尻を蹴飛ばす勢いで彼女に支度を急がせた。挨拶もそこそこに、宿を引き払って飛び出したものの、既に町は活動を始めていた。

 路上の屋台には様々な品物が並び、客引きの声がそこら中から発せられている。

 これを、朝早く、というのは無理がある。

 

「急ぎましょうか」


 ルナリアは、もう口を開かなかった。

 背筋を伸ばし、きりっと引き締まった表情でこれだけのことを言ってのけるエリスに、ルネッタは軽い尊敬の眼差しを向けてしまう。

 ――絶対に真似出来ない。

 強いひとだと思った。いろいろな意味でだが。

 

 二人が足を速め、ルネッタは小走りでそれについていく。昨日と同じだ。

 十字路を、今度は左へと曲がる。しばらく進むと巨大な壁が見えてきた。

 ――城壁、なのかな。

 周囲の屋根よりも遙かに高い。積み重ねられた灰色の石は恐ろしく頑丈そうで、砲弾の一発や二発は平然と受け止めてしまうだろうと思う。

 

 中央に開いた空間は、普通に考えれば城門のはずだが――それらしき扉は何も無かった。門兵のような者も居ない。誰でも通り放題に見える。

 穴を抜けた。

 先には、まだ町が広がっていた。どうやら居住区であるらしい。人影は少し減ったが、それでも十分な数だと思う。

 

 ルネッタは、ちらりと後ろを振り返った。

 これだけ外部に広がってしまったのであれば、もう城壁は防衛の役に立たないだろう。

 名残、なのかもしれない。


「おーい」

「あ、ごめんなさい」

 

 駆けた。

 二人に追いついて、また小走りに戻る。

 左右には幾つもの家が建ち並んでいる。全て石造りだが、暖炉用の煙突は見えない。暖石、と教えられたあの不思議な石を、どこの家も使っているのだろう。

 

 もう一つ、目に付いたものがあった。

 畑がある。それも一軒に一つ、といった具合に、小さな規模の物が無数に存在していた。

 雪を被ってしまっているのだが、そんなことはどこ吹く風といった様子で、作物は力強く天へと伸びているようだ。

 土地が強い、のだろうか。しかし今は冬のはずだ。季節を問わない野菜というのもあるのかもしれないが――それにしては顔を出している作物は恐ろしく多彩に見える。これも魔術の恩恵なのだろうか。

 

 かなりの距離を歩き通して、ようやく町の外れに来たようだ。

 石造りの立て看板が一つ。文字は読めないが、なんとなく想像はつく。

 ルナリアが足を止める。すっと右手を伸ばして、遙か先を指さした。

 その向こうには、山がある。


「あそこがエメス山。お前を拾った場所だな」


 こうして遠くから見ると、決して高い山というわけではない。果てしなく水平に広がってはいるものの、標高だけで比べるならばもっと上は幾らでも存在するはずだ。

 しかし、あるいはそれでも、エメス山が異常であることは、一目で分かる。

 雲がかかっているのだ。空は青く、荒れる気配すら見せていない。だというのにあの山の上には分厚い雲が絶えず蠢き、訪れる生命を拒否している。

 中は地獄だ。それは身を持って知っている。

 ――そういえば。

 かねてからの疑問を、ルネッタは口にした。


「どうして、あの場所に居たのですか?」


 拾ってくれたのは道楽だろう。しかし国境付近まで極寒の中を進むのは、楽しいものとは思えない。

 ルナリアが顔だけをこちらに向けた。


「内緒」


 話すつもりは無いと、緑に輝く瞳が語っていた。

 ルネッタは素直に諦めた。聞き出す術など持っていない。それでも、態度一つで分かることもあった。

 ――なにか、理由があるんだ。

 重要なことかもしれない。違うかもしれない。ただ、理由があった、とだけ覚えておけばいいとルネッタは思う。

 

 街道を行く。

 辺り一面白銀の世界だったが、道だけはしっかりと露出している。これも暖石なのだろう。

 上り坂になった。

 

「はぁ……ふぅ……」

 

 息が荒くなってきた。背嚢もより一層重く感じる。

 ゆっくりとは言え、走りっぱなしなのだ。体力自慢というわけでは到底無いルネッタからすれば、戦いのようなものだった。

 様子に気づいたのか、ルナリアが振り返った。


「辛そうだな。もう少し遅く歩くか?」


 エリスが懐から小さな時計を取り出した。


「むしろ急がないと間に合いませんね」

「あ、その、大丈夫です。急ぎます」


 作り笑いを浮かべる。息もごまかせればもっと良かったのだろうけれど、それは無理な相談だった。

 それでも、迷惑はかけたくない。

 ルナリアが、エリスを鋭く睨みつけた。


「あのな、そもそもお前が――」

「ですから」


 エリスが側まで歩いてきた。仏頂面。紅の瞳。


「私が抱きかかえて歩きましょう。遅れた責任を取るのにちょうど良いと思います」

「……え?」


 声音は平坦だった。言っている内容はともかくとして。


「い、いい、いえ、そんなことまでしてもらうわけには。死ぬ気で歩きますからっ」

「歩くだけで死なれたら困ります。それに、このままでは間に合わないのも事実です」


 さあ、と続けて、彼女は右手を差し出した。

 ――うううう、本気なのかな。

 助けを求めるようにルナリアへと視線を送る。彼女は少しだけ迷うそぶりを見せたものの、


「……仕方ないか。間に合わないと困るのは確かだしね」


 ごーせいな昼食はちゃんと食べたい。そう締めくくって、ルナリアは背を向けてしまった。


「さあ」


 同じ言葉を吐いて、ぐい、とエリスが迫ってきた。

 ルネッタは、エリスの顔を見つめて、次にルナリアの背中へと視線を送り、もう一度エリスに視線を戻して――諦めた。


「……お願いします」


 応えを聞いた後は早かった。子供でも抱えるように、彼女はあっさりとルネッタを持ち上げる。左手には剣を持ったままなので、当然使えるのは右手一本だけだ。


「首のあたりに掴まっていてくださいね」


 折り曲げた右手に腰掛け、言われた通りに首へと手を回した。令嬢が高価なお人形を抱えている、と表すのがもっとも近い気がする。自分が高価かどうか、という点においては疑問符が山ほどついてしまうけど。

 とにもかくにも、

 ――死ぬほど恥ずかしい。

 顔は、間違い無く赤い。たまに吹く寒風がほどよく思えるほどに頬が熱い。


「行きましょう」


 ぐん、と。

 加速という言葉がぴったりな歩き出しに、ルネッタの上体が泳いだ。

 必死に掴まる。結構な力がかかってしまったが、エリスの顔は涼しげだ。

 ちょっとした馬に乗っているかのようだ速度だった。今までどれだけ加減してくれていたのかが良く分かる。

 触れる体はなんだか体温を分け合っているようで、気恥ずかしさを紛らわせようと遠くの景色を見渡した。

 頭一つ視界が高くなっただけなのに、ずいぶんと辺りが違うように感じる。

 左手に、先ほどまで居た町が見えた。雪で彩られた石の住処は、遠くから見ると尚大きい。

 

 ふと。

 町の外れ、周りに建物すら無い場所に、一本の木が立っていた。

 高さは城壁の倍はある。太さはそれこそ家のようだ。雪で化粧したその姿は、いっそ神々しささえ感じるほどだった。遠くから俯瞰しただけでこの印象なのだから、近くで見上げたらどれほど感動するのか想像もつかない。


「あれは……」


 漏れた声に気づいたのか、エリスがちらりとルネッタを見た。そのまま視線の先へと顔を向ける。


「老大樹、と言います。我らの要のようなものです」

「かなめ?」

「大地を潤し、作物を実らせ、そして水を浄化します。地脈を整え、霊脈を吸い上げ、魔力に変えて辺りに行き渡らせるのです。この寒さに加えてあたりは雪だらけでしたが、作物はきちんと実っていましたでしょう? つまりはそういうことです」


 エリスは続ける。表情は、特に変わらない。


「この上無いほど重要な存在ですので、あれこそ城壁で囲むべきなのですが……周囲を石で閉ざすと露骨に働きが悪くなるのだそうです。木の柵でさえよろしくないと」


 そうそう都合良くは行かないものですね、と彼女は呟くように言った。

 ――なんだろう。

 違和感があった。

 魔力、というものが現実にあるのは分かった。その力も見せてもらった。

 しかしその力を振るっているのはエルフだ。暖石、という物もあるが、あくまで石だ。生き物では無い。

 だけど、あれは、木だ。当然だが、人間の世にあんな便利な木は無い。有るはずもない。

 

 黒い獣を思い出した。あれは死ぬと霧になってしまったが――ではあの大樹も、切り倒せば霞となって消え去るのだろうか。

 ―ーそもそもエルフはどうなるんだろう。

 巧く飲み込めなかった干し肉のようだと、ルネッタは思った。

 

 

 

 凄まじい落差だ。失礼なのは分かっているが、素直な感想だった。

 お人形のように抱っこされながら、雪道を上り続けること数時間。おしりの痛さが限界に達しようとするころに、ようやく鉱山へとたどり着いた。

 炭鉱夫が住み込みで働くための町、なのだろう。

 立ち並ぶ建物は家とも倉庫ともつかない無骨さで、何より木造だった。路面には所々に雪が残っている。暖石は無いのか、あっても量が少ないのか――もしくは機能させるだけの魔力が無いのだろうか。

 人影は無かった。ちょうど労働時間なのかもしれない。

 エリスの紅の瞳が、じっとルネッタを見つめてきた。


「着きましたが、このまま屋敷まで運びますか?」

 

 ぷるぷると、細かく首を横に振った。


「い、いえ、自分で歩きます。ありがとうございました」


 腕から降りる。足がふらついて倒れかけたところを、エリスがそっと支えてくれた。頭を下げるが、彼女はすまし顔のままだ。

 道の向こうから、男が一人、走ってくるのが見えた。体は細く、背は高い。顔にはうっすらとしわが刻まれている。人間で言えば四十歳くらいだろうか。当然だが、耳は長い。

 服は簡素だが、それなりに上等に見える。同時に、丈夫には見えない。

 炭鉱夫では無いのかもしれない。


「ようこそ。ようこそいらっしゃいました、ルナリア様」


 媚びるような笑顔。まくし立てるような早口。自分もこんな感じだったのだろうかとルネッタは思う。


「ん、出迎えご苦労。そんなにかしこまる必要も無い」

「そういうわけにもまいりません。その……お二人と聞いていたのですが」


 男がちらりとルネッタを見る。表情は微かに不安げだ。


「うちの新入りだ。急遽同行することになった。気にせずとも良い」

「そう――ですか。では早速お屋敷の方へ。お食事も用意出来ております」


 歩き出した男についていく。寂れきった道を進むと、緩い坂が見えた。上った先に、建物が一つ。

 文字通りの屋敷だった。艶を放つ木材に、白く磨かれた石材。幾つもある窓は全て透明なガラス張りだ。二階にはバルコニーすらあった。

 不釣り合い、という言葉がこれほど似合うのも珍しい。

 音一つ立てず、木造の扉が開かれる。促されるままに中へと入った。

 

 ――ふぁ。

 漏れかけた声を、必死で押さえる。

 赤い絨毯が敷き詰められており、天上には見事なシャンデリアが四つ。明かりが点っていないところを見ると、装飾品目的としてのみ使われているのかもしれない。贅沢にもほどがあると思う。

 壁には幾つもの剣が飾られていた。部屋の隅には黒光りする甲冑が佇んでいる。

 貴族の館とはかくあるべし、と言わんばかりの光景だった。

 当然のように、中は暖かい。


「ささ、こちらです」


 広い廊下を抜けた先には、大きな扉があった。表面には文様が刻まれている。

 男が扉を押し開けた。


「ふぁ」


 今度は声が漏れてしまった。

 ベッド二つ分はある巨大なテーブルの上に、山ほどの料理が盛りつけられている。

 うす紅色のスープには、溢れるほどの野菜と肉。中央に置かれた皿には、焦げ目も鮮やかな鳥が丸ごと一匹乗っていた。柔らかそうなパンは取り放題とでも言うべき量で、なんと生野菜すら出されていた。

 燻製らしき肉もある。形を保ったまま焼かれた魚の上には、橙色のソースが輝く。

 

 お祭りのようだと思った。昼食にこれほどの料理が出たことなど、当然ルネッタの経験には無い。

 ルネッタが熱い視線を向けるその先では、給仕と思しき二人の女が、次々と小皿に取り分けていた。服装は――エリスとはだいぶ違う。むしろ彼女のほうが特殊なのか。


「では、ご堪能くださいませ」


 そう言って、男は部屋から出て行く。

 しっかりと彼が退室したのを確認すると、エリスは二人の給仕に声をかけた。


「後は私がやりますから、もう結構ですよ」


 二人はあからさまに困惑していた。それも当然だと思う。仕事をさぼって良いですよ、と言われたようなものだ。


「身内だけで静かに食べたいんだ。よろしく頼む」


 微笑みかけるルナリアの言葉に納得したのか、いそいそと給仕も部屋から出て行く。

 それを見送ると、エリスが扉に鍵をかけた。

 

「もう外套を脱いでも大丈夫です」


 ありがとうございます、と言ってルネッタは頭を下げた。気遣ってもらえたのは素直に嬉しい。

 外套を椅子にかけて、改めてテーブルを見渡した。


「とても豪華ですね……」


 子供のような感想しか出なかった。だってこんな料理を食べれることなんて無かったのだから、仕方がないと思う。

 ルナリアが、隣に並ぶように近づいてきた。

 そっと、呟く。


「まぁ、お前の分は無いんだけどね。二人分って連絡送っていたわけだし」


 ――え。

 こんなにあるのにとか、そんな理不尽なとか、思うことが無いわけでは無いけれど。

 抗議をする力も、立場も、気力も、ルネッタは持っていない。

 少しうつむいて、応えた。


「そう、ですよね。申し訳ありません。当然のことだと思います」


 ルナリアはほぼ間違い無く貴族だ。そして自分は――平民以下の、異物だ。彼女のために用意された食事に、ルネッタが口をつけられることこそおかしな話なのだ。

 落胆した表情を見せるのも失礼だと思ったので、口元を引き締める。

 それが、とても難しい。

 

 ――でも、見せられちゃうとお腹はすくんだよね。

 こっそりとため息をつく。ばれてない、と信じる。

 ふと横を見ると、ルナリアが体を細かく震わせていた。

 何かまずいことを言ってしまったのだろうか。尋ねようと思った瞬間、肩に軽い衝撃が奔った。

 ルナリアが、抱きついてきた、ようだった。


「え、あ、あのっ」

「ああもう、分けてやるに決まってるだろ。どうしてそう、反応がいちいち殊勝なんだろうね」

 

 押しつけられる体からは、服越しでもしっかりと柔らかさが伝わってくる。少し恥ずかしい。

 エリスが呆れたような声を出した。


「何もそんなからかいかたをしなくても。子供ですか」

「なーにを言う。エリス、お前少しはルネッタを見習って、かわいく反応する努力をしろ」


 ルネッタの肩にぐりぐりと頬をこすりつけながら、ルナリアは毒づいた。

 かわいい、のだろうか。気弱なだけだと自分では思う。

 エリスが、妙に真剣な表情になった。


「彼女のように受け応えれば、そうやって抱きしめてくださいますか?」

「……考えておく」

「では、私も考えておきます」


 どこまで本気の会話なのか。かといって聞くのも怖い。

 ぽん、とエリスが手を打った。


「冷める前にいただきましょう」


 それぞれが席に座る。目の前に広がる料理の数々は、近くで見ればより迫力に満ちている。

 ふと、気になるものを見つけた。

 ――これって。

 不思議な料理だった。妙に分厚く、白黒に塗り分けられた皿に、五切れほどの肉が乗っている。それぞれは一口大で、おそらく牛肉だ。やはり良いものなのだろう、彩る赤さはあまりにも鮮やかだった。

 そう、血のように、肉は赤い。


「なま……」

「ん……そうか、そうだったな」


 漏れた声に、ルナリアが応えた。自分の隣の椅子をぽんぽんと叩く。こっちにこい、ということだと思う。

 頷いて、素直に移った。


「何も団長がなさらなくても」

「良いんだよ。最近実家に帰れてないから、焼いてあげる相手が欲しかったところだ」


 彼女はナイフで器用に肉を持ち上げると、皿の黒い部分に押し当てた。開いた左手を皿に添える。指で、縁を軽くなぞった。

 じゅう、と音を立てて、みるみる肉に色がついていく。片面を炙り終えると、裏返して同じことをした。

 赤さが軽く残るうちに肉を持ち上げ、側に置かれていたソースをかける。


「さ、食え」


 差し出された肉にそっとフォークを突き立てる。ゆっくりと口に運ぶさまを、ルナリアがにこにこと見守っていた。

 食べる。

 肉は信じられないほどに軟らかく、あっという間に溶けて消えてしまう。脂はほのかに甘く、ソースの辛さと調和していた。


「うまいかな?」


 ルネッタは、黙ったまま幾度も頷いた。

 満足げに微笑んで、ルナリアは次の肉を焼きはじめる。

 ルネッタはパンを手に取りひと千切り、小皿のスープも口に運ぶ。

 どれも頬が緩むほどにおいしかった。

 唯一気がかりがあるとすれば、

 ――この量だよね。

 鍋一つ丸ごと残っているスープと、手をつけてすらいない鳥の丸焼きを見つめながら、ルネッタはそんなことを考えていた。




 結論から言えば、余りはルナリアが全て食べた。

 一定の調子で食べ続ける様子はまさに圧巻だったが、慣れつつあるのもまた事実だった。

 とはいえ、いくら彼女といえどもこの量はたやすくは無かったのだろう。

 ルナリアはだらりと椅子に体を投げ出しつつ、両手でお腹を摩っている。

 ここに来てから、ずいぶんと時間も立った。窓から見える空には、薄い闇が広がっている。。

 ルナリアがのそりと立ち上がった。


「さて……仕事に行ってきますかね」

「今から、ですか?」


 疑問の声をルネッタは上げた。炭鉱夫も、家に引き返している時間だと思う。視察ならば明日の昼に行くべきでは無いだろうか。


「まとめ役何人かと一緒に酒でも飲んで、状況と悩みを聞いてやる。そーいう『視察』なんだ。取り立てる側に直接現場を見られてたら、息苦しくてしょうが無いだろうさ」


 ひらひらとルナリアは右手を振った。エリスも続けて椅子から立ったが、それをルナリアが制した。


「良いよお前は。一人でいく」

「ですが――」

「お供もつれず、わざわざ集まりに顔を出す……ま、悪い印象は持たないんじゃないか?」

「……わかりました」


 軽く伸びをしながら、ルナリアは出て行った。

 今度は――エリスと二人きりだ。正直言えば緊張する。

 空いた皿をひとまとめに積み上げると、エリスがこちらに顔を向けた。


「念のためにフードを。今日は全員分の個室がありますよ」


 言われたとおりに外套を被り、背嚢を背負って食堂から出た。廊下を歩くエリスの後を追って、そのまま階段を上る。

 二階。長く伸びた通路の脇には、いくつもの扉があった。そのうちの一つの前で、エリスは足を止める。


「ここがあなたの部屋になります。鍵はかけておいてくださいね。長耳が無いことを知られると面倒ですから」


 頷いて、ルネッタは部屋に入った。


「後で破岩灰を持ってくるかもしれません」


 そう言って、エリスが扉を閉める。

 久しぶりに、一人になった。

 背嚢を置き、外套を脱いで、部屋をゆっくり見回した。

 穏やかな印象を受ける茶色の絨毯。石と木を混ぜるようにして作られた壁。ベッドは驚くほど大きく、窓の外にはバルコニーがある。外から見えたのはこの部屋のものだったらしい。

 貴族の部屋、だった。どんな上宿でもこうはいかないだろう。

 

 手近な椅子に腰を下ろして、息を吐いた。

 ――ここは。

 別荘、というのは無いだろう。誰が好きこのんで極寒の鉱山などに休息に来るのか。遠方から視察に来るルナリアを出迎えるためだけに、こんな屋敷を作るとも思えない。

 聞けば昨日の町も王都では無く、彼女達の本拠地は遙か南らしい。ますますこの屋敷の存在に霞みがかかる。

 扉を叩く音が響いた。


「は、はい」

「私です」


 エリスの声だった。慌てて駆け寄り鍵を開ける。

 彼女は、手に小さな袋を持っていた。


「砕岩灰です。地下の倉庫にありました」


 とりあえずはこの量でよろしいですね、とルネッタに袋を手渡した。

 受け取り、頭を下げる。


「ありがとうございました」


 エリスは軽く小首をかしげると、あっさりと扉を閉めてしまった。

 再び鍵をかける。

 部屋の中央にあるテーブルに袋を置き、紐を解いて中を確かめた。

 灰、という名前の通り、白い粉が詰まっている。

 

 ――やることも無いし。

 背嚢から銃と火薬を取り出して、テーブルへと並べた。紙で包まれた火薬を解いて、中身を破岩灰と入れ替える。三発分の紙があったので、大、中、小と灰の量を分けて入れた。

 それぞれの上から鉛玉を滑り込ませ、しっかりと封をする。

 後は、実践しかなかった。


「ふぅ」


 余った火薬はどうしよう。何か使い道がありそうなものだけど。

 ――ゆっくり考えれば良いか。

 銃も灰もそのままに、バルコニーへと向かった。開けて外に出る。当然のように恐ろしく寒いが、好奇心のほうが強かった。

 日は落ちた。天は闇に侵蝕されている。

 坂の下に広がる寂れた町には、ぽつぽつと小さな明かりがあるだけだ。

 それを、二階から見下ろす。少しだけ、偉くなったような気がしてしまう。


「くしゅん」


 ――寒い。

 引き返して、窓を閉める。暖かい空気は、それだけで心が安まるものだ。

 ――この後どうするんだろう。

 そういえば、何も聞いていない。ルナリアはいつ帰ってくるのだろう。もう寝てしまっても良いのだろうか。

 ――なんてね。

 さすがにそれは早いし、自分一人では明かりさえ消せない。せっかくなので、部屋を物色することにした。荒らさなければ大丈夫、だと思う。

 

 まず目に付くのは、やはり壁にかけてある剣だった。

 交差するように二本。長さは一般的な長剣程度で、刀身は薄く、少し細かった。刃が銀ではなく、黒い。エリスの剣も同じ色だった。どんな素材を使っているのだろう。

 手に取ってみた。

 

 ――これって。

 刃は潰していない。装飾品としてではなく、紛れもない武器であるようだ。不自然なほどに軽い。斬り合って折れたりしないのだろうか。

 振ってみる。縦に一回、左右に二回。

 驚くほどに使いやすかった。しかしこれだと軽すぎて、ルネッタの力ではまともに切れないかもしれない。

 

 ――なつかしい、な。

 昔、剣を習ったことがあった。

 正確に言うと、強制的に使い方を覚えさせられたのだ。

 重さに腕は痛くなるし、手のひらには血豆が沢山できた。練習と称して殴られるのは痛くて辛かったし、何より、そんな目にあってもまるで上達しない自分が嫌で嫌でたまらなかった。

 防ぐのだけは巧い、と言われたこともある。別の人に、当然だ、攻めようと思っていないのだから、と笑われたこともある。

 ルネッタ自身は、必死だっただけだ。そして結果がついてこなかっただけでもあった。

 だからこそ無意味だったと、誰よりも自分が理解している。

 

 ため息が出た。

 郷愁と共に思い出す記憶には、楽しいものなどまるで無い。今まで食べた食事の中で一番おいしかったものは、さっきの牛肉だと思う。普段寝ていたベッドよりも、宿のソファーのほうがよほど柔らかかった。

 ――それに。

 ルナリアは、今まであった誰よりも優しくて綺麗だと、ルネッタは思う。

 

 絹糸のような髪。宝石のような瞳。白い肌は柔らかく、暖かい。声は胸に染みこむようで、甘い匂いは頭がぼう、と熱くなる。作り物のように整った顔なのに、表情がころころと変わる。笑顔は堪らなく愛らしいし、不満げな様子でさえ魅力に溢れていた。こんな自分にも細かく気をつかってくれて、偉いはずなのにまるで威圧する様子も無くて、そして。寒い。

 

 ――寒い?

 ここにも暖石があるのかは分からないけれど、間違い無く室内は暖かいはずだ。すきま風が入り込むような粗雑な造りだとは思えないし、扉には鍵をかけてある。そもそも廊下も暖かい。残りはバルコニーへと繋がる窓くらいで――

 

 確かに、窓は、締めたはずだ。

 それを確認することさえ無く、転がるようにルネッタは左へ飛んでいた。

 単なる勘だ。けれど、素直に従うほうが生き残れることは知っている。

 一瞬前までルネッタの頭があった場所を、何か鋭いものが通り過ぎていくのが、はっきりと分かった。

 剣を自分に刺さないよう注意しながら、それでも限界まで早く体勢を整える。

 震える手で剣を構えて、必死に窓のほうを睨みつける。開いていた。人一人ぎりぎり通れるほどの隙間を作って。

 

 そして見た。

 黒ずくめだった。上から下まで炭のように漆黒で、闇に紛れてしまえば見つかるとも思えない。

 顔の部分もぼろ布で被ってはいるが、腕が二本、足も二本、もちろん胴体もある。人間、か。いやこの場所を考えれば、エルフなのか。

 右手に持っている長剣が、鈍く光りを反射している。

 背筋が泡立つのがはっきりと分かった。

 

 ――敵。

 なにが敵なのか。そもそもこの国に味方なんてどれだけいるのか。そんな理屈なんてどうでもよくなるほどの殺気を、目の前の黒ずくめは放っていた。

 なんで自分が。溢れる疑問を食い殺すように押さえつける。

 手には剣。中央のテーブルには銃。背後には廊下への扉。間違えれば死ぬのか。

 扉には鍵がかかっている。銃には弾も火薬も込められていない。黒ずくめがルナリアの十分の一程度でも力を持っているならば、剣で斬り合うなんて自殺と変わらない。

 

 死。濃厚に匂い立つそれに膝が震えて折れそうだった。

 ぼろの隙間から、うつろな瞳だけが見える。

 来た。一瞬で距離が詰まる。

 一閃。真っ直ぐ構えていた剣に、強い衝撃が伝わる。

 ――え。

 体ごと吹き飛ばされていた。背が扉に打ち付けられて、わずかに呼吸が止まる。

 痛み。恐怖と緊張でそれさえ良く分からない。それでも、手の剣だけは離さなかった。

 

 追撃は――なぜか来ない。

 ぎょろぎょろと動く瞳が、ルネッタの顔を凝視していた。

 ――なんで。

 即座に斬りかかれば、間違い無く殺せたはずだ。何を警戒しているのか、気にしているのか。

 耳、なのか。人間だから。エルフでは無いから。

 扉はすぐ後ろだ。今のうちに鍵を開けて逃げて、そして――。

 

 黒ずくめの殺気がふくれあがった。ダメだ。開ける暇なんて、無い。そもそも廊下に出ても助かるわけじゃない。

 再び黒ずくめが地を蹴った。合わせるように、ルネッタも前に出た。小柄な体。転がるように脇を抜ける。銃。銃だ。こんなの勝てるわけない。火薬も弾も紙の中だ。それを破って。


「あ」


 背中に、灼熱が広がった。

 斬られた。縦一文字にさくりと。でも浅い。体は動く。熱いだけで、痛くない。

 テーブルにたどり着く。剣を足下に放り出して、銃と紙袋を掴む。振り返った。

 すぐ、そこに、いた。

 

 ――ひ。

 振り下ろされる。必死に体を捻った。また灼熱。鮮血が散って、服を赤く染め上げる。

 肩を斬られた。これも浅い。怖い。でも体は動く。死にたく、無い。

 そもそもどうしてまだ生きている。

 なぜ、切り口が浅い。


「ま、まって!」


 かすれる声で叫んだ。

 とどめのためか、剣を振り上げていた黒ずくめの動きが、一瞬止まった。

 理由は分からない。でも止まった。瞳は困惑している。

 ルネッタは銃を手放した。足下の剣を掴む。

 声に反応した。ルネッタの存在を不思議がっているのも分かる。

 それでも、絶対に、味方では、無い。

 

 剣を、黒ずくめの太股へと突き刺した。ずぶりと肉に食い込む。感触が手のひらに広がった。

 うめくような声。ルネッタは渾身の力で、残った足を蹴飛ばした。大きく体が泳いで、黒ずくめはそのまま後方へと転んだ。

 ルネッタは銃をつかみ、紙袋の口を食いちぎる。恐怖と衝撃で手が震えている。着火用に上から、本来の用途に銃口から。紙ごと弾も滑り込ませ、ラムロッドで押し込む。棒はそのまま投げ捨てた。

 

 どさり、という音。黒ずくめが刺さった剣を抜いて、床に放ったのだろう。

 銃を向けた。

 武器、なのは分かるのだろう。どんな武器なのか、は分からないのだろう。

 黒ずくめは、静かに剣を構えていた。一部の隙も無い。瞳には震えがくるほどに強い殺気が灯っている。

 破岩灰は、きちんと爆発してくれるのだろうか。

 

 しっかりと、腹に狙いを定める。頭部ではブレて当たらないかもしれない。

 相手は警戒していた。どんな手段が来ても、防げると思っているのだろう。

 知らない。だから死ぬ。

 引き金を――引いた。

 爆発は、予想よりも遙かに大きかった。

 じん、と手が痺れる。音で耳が痛む。

 黒ずくめは、腹部に開いた穴を、そして漏れて流れる赤い液体を、不思議そうに見つめている。

 

 剣が、手から落ちた。

 大きな大きなため息を吐いて、ルネッタは銃を手放した。終わった。そう思うと涙が出てくる。手で擦ると、顔にも血がついてしまった。右半身が真っ赤だ。もうすぐ痛みもくるのだろう。

 左の脇腹に、衝撃が奔ったのは、その時だった。


「がっ……あ……」


 壁際まで地面を転がされる。目の前が一瞬白くなった。血とも痰ともつかない何かがのど元からせり上がってくる。

 べちょりとはき出して、ルネッタは顔を上げた。

 黒ずくめが、立っていた。

 どうやら蹴りを食らったらしい。

 腹部は黒く濡れているものの、これ以上広がる様子も無い。血は、止まっている。

 影がのそりと動き、剣を拾った。

 

 ――そんな。

 撃った。確かに当たった。なのに。

 一歩、一歩と。周囲を、そしてなによりもルネッタを警戒しながら、黒づくめが距離を詰めてくる。

 目の前で、止まった。

 ゆっくりと剣を振り上げる。ルネッタの体は、もうほとんど動かない。

 

 ――しぬ、の?

 こんなところで。分けも分からないうちに。

 雪山は抜けられたのに。協定に殺されずに済んだのに。

 ルナリアにも、あえたのに。

 目を閉じる。刃を睨み続ける力は、もうルネッタには残っていなかった。

 諦めに隅々までを侵されて、体の強ばりさえ消えていく。

 ――だめか。

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