表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Elvish  作者: ざっか
第二章
48/117

平等に


 目じりにうっすらと溜まった涙は、普段なら演技の道具だと軽く流すものだ。ルネッタもそのくらいには、彼女との付き合い方を覚えたのだから。

 だけど、今回のは、どうだろう。

 

 エリスはベッドの中央に、あぐらをかいて座っていた。服装はいつものメイド服で、ブーツは広い客室の隅に放り投げられている。むき出しの白い素足を手で何回もさすりながら、エリスは薄目でルナリアを見た。そして言う。


「……抜け駆けは無しだって言いませんでしたっけ」


 ――う、わぁ

 これはダメだ。涙声だ。洒落になっていない。

 ルナリアは、ベッドから少し距離を離して、立っている。両の手は困惑をそのまま表すかのように、そわそわと落ち着き無く動いていた。


「ええと、そんなこと言ったっけ……あああいや、ごめん、言った、言ったから。確かに約束してた、だからごめん、ごめんて」


 ルナリアがとぼけた瞬間に――実際は知らないけど――エリスの目じりの涙が倍になった。こんなの謝るしか無いと思う。

 じろり、と。

 エリスの瞳が、今度はルネッタを捉えた。


「あなたにも言ってるんですよ……?」

「え、あ……ご、ごめんなさい」


 謝る理由と必要性は――もちろんわかる。痛いほどわかる。ルネッタとてそこまで鈍くは無いのだ。

 むすっと口を尖らせて、涙を浮かべたエリスは素晴らしくかわいい。普段との差異でより一層強烈にそう思える。そんなこと言ってられる状況では無いけれど。

 

 エリスが、動いた。

 幽鬼のようにベッドを這いずって、ぺたりと裸足で床に下りる。


「済んだことを引きずっても無駄です」

「う、うん。そうだと思うよ、うん」


 上目遣いに、いやもうほとんど睨むように、エリスは、じ、とルナリアを見て――小声で、言った。


「……分かってますよね?」

「うぇ……?」


 ぺたぺたぺた。エリスが三歩進む。ルナリアは一歩下がる。

 距離はだんだんと詰まっていくけれど、片方が徐々に引く分、密着にはまだ少しあって。

 足が、止まった。

 

 ほとんど消え入るような、初めて聞く声音で、


「あたしは、いやなの?」


 すぅ、と涙のスジがエリスの頬を伝って床に落ちた。

 ルナリアが大きく目を見開く。彼女の瞳はちらりと横を向いて、ルネッタを捉えた。

 視線が絡んで、互いに表情を伺うような間があって。

 ルネッタは、大きく頷いた。

 

 何が正しいのかはさっぱりだった。愛人やら第二何々なんてものは貴族王族金持ちのもので、その心情を想像することさえルネッタには不可能だ。そもそも今の状況がそれにあたるのかさえ全然分からない。

 

 それでも。

 一つだけ確かなことがあった。

 エリスが悲しむのだけは――たまらなく嫌だ。

 一歩も動かなくなってしまったエリスの傍へ、ルナリアは迷い無く近づくと、腰へと手を回した。

 

 まばたきして、見詰め合って、言葉は無くて。

 二人はそっと、本当に音も立てずに、静かな静かな口づけをした。

 ――ああ。

 なんて、綺麗な光景だろう。

 現実感が喪失している。絵画から抜け出てきたようだと感じたが、すぐにそれ以上だと考え直した。どんな名画家にだって、こんな絵をかけるとは思えないのだから。

 

 唇が離れる。再び、二人は見つめあう。

 はにかむようなエリスの照れ顔は、遠くから見ているというのに、心臓がどきどきと音をたてるほどだった。

 彼女は微笑んで、言うのだ。


「好きだよ。大好き。今更すぎるけどさ。ルナリアは?」

「それも今更だろ。好きじゃなかったら誰がこんな――んむ!?」


 先ほどとは打って変わって、エリスは勢い良くルナリアの唇を奪った。右手は後頭部へ、左手は背中へ。胸の形が変わるほどに体を押し付ける。

 

 ――う、うわ、わ

 見ているだけで恥ずかしいけれど、目を逸らすのもためらわれる。

 息継ぎのために少し離れて、再びついばむように再開して。細かく震えていたルナリアの手をエリスが掴んで、指をこれでもかと絡めて。

 

 一分近くの接触の後に、ようやくエリスが顔を離した。息は荒く、顔は赤く、そして表情は凄まじく満足げだ。さっきの涙はどこへやら、だった。

 エリスは深く息を整えてから――嬉しそうに微笑んだ。

 

 ――おおう……

 直前までの透き通るような透明さは掻き消えて、もはや淫靡さすら感じてしまう。

 ルナリアはと顔色を伺うと、なにやら彼女は焦点の定まらない瞳で遠くをぼう、と見つめている。顔はゆでだこのようだった。

 

 放心状態のルナリアが、ぺたりと床に座り込んだのをにこにこ笑顔で見つめた後に、エリスはこちらへ顔を向けた。

 目が合う。彼女は進む。ぺたぺたぺたと。もちろんルネッタは引かない。

 ルネッタの肩に、エリスの手が、そっと置かれた。

 

 囁くように、彼女は言う。


「もし嫌なら、辞めますよ」


 ルネッタは大きく首を左右に振った。嫌なわけが無い。二人を思う気持ちに差は無かった。自分が異常なのだろうか。あるいは彼女達が異常なのだろうか。この状況が異常なのだろうか。

 些細なことだと思う。

 

 エリスの手を握る。彼女は少しだけ驚いたような顔をして――深い笑みを、浮かべた。

 ゆっくりと唇が近づいてくる。

 自分から受け入れるように、ルネッタは少しだけ前に出た。触れた唇は温かく、柔らかく、そして少しだけ、湿っていた。

 

 ――あ。

 エリスが顔を離した。なごりおしい、と思ってしまった。

 彼女は笑う。何一つ隠さぬような素顔で。


「あはは……なんか照れるね」


 そう言って、もう一度。今度はもっと深く。彼女の唇が少し開いて、ルネッタの唇を甘く噛んだ。体が震える。背筋にぞくぞくとした何かが奔る。

 

 握り合った手に力を篭めて、お返しとばかりにルネッタも自分の唇で彼女の唇を挟んでみる。互いの吐息が混ざり合って、体の芯まで分かり合うように。

  

 再びエリスの顔が離れた。

 真っ赤だ。息も荒い。そしてその軽く二倍は、ルネッタの息は荒いと思う。苦しくて、少し目の前が怪しく見える。ふわふわと浮いてしまうようで、それがどうしようもなく気持ち良い。

 

「好きだよルネッタ。ルナリアと同じくらい。ちょっとずるい言葉かもしれないけど」

「私だって大好きです。その……選べない、くらい」


 もう一度。じっとエリスの瞳を見て、そう考える。彼女も気持ちを汲んでくれたのか、再び顔が近づいて――ぴたりと止まった。

 にまりと笑う。少し意地悪そうに。


「今度は、ルネッタからしてほしいな」


 言葉。表情。あまりのかわいさに心臓がどきりと跳ね上がった。おずおずと握り合った手を解いて、彼女の腰を掴んだ。一歩、踏み出す。彼女の胸がこれでもかと当たる。ぞわぞわという不思議な快感が、もう体中を奔りまわっていた。

 

 エリスが瞳を閉じて、少しだけ唇を突き出した。

 ごくりとつばを飲む。彼女の桃色の唇に、狙いを定めるようにして、さらに前へと踏み出して――

 にゅ、と。

 白い腕が、なぜか彼女の背後から伸びてきて。

 エリスのおなかを、がしりと抱えた。


「やりっ! すぎっ! だっ!」


 そのままエリスを持ち上げると、ぶん、と勢い良くベッドに放り投げた。

 あまりの不意打ちだったからか、エリスは見事に顔面からベッドに落ちた。お尻を高く上げた体勢のまま、ぴくりとも動かない。

 

 ぜぇぜぇと肩で息をするルナリアが、ぎろりとこちらを睨んだ。思わず背筋が伸びる。少し怖くて、固まってしまう。

 肩をつかまれ、一気に引き寄せられて――そのまま唇を奪われた。最初のよりもずっと、深い深い口づけ。舌が、少しだけ、絡んで、離れた。

 真っ赤な顔と潤んだ瞳。ルナリアは何かを言おうとして――結局口を噤んでしまった。

 

 エリスがむくりと起き上がり、こちらへと向き直って、あぐらをかいた。


「むぅ、何も投げなくても」

「明らかに私よりお前のほうが! その、なんだ、ええと……」


 彼女は再び、むき出しの素足をすりすりと撫でる。最初と同じような体勢だが、表情はまさしく真逆だった。


「んふふ。おおむね、満足しました」

「そりゃそうだろうよ……まったく」


 満面の笑みを浮かべるエリスに、呆れながらもまんざらでもなさそうなルナリア。そんな空気と雰囲気が、たまらなく、心から、嬉しかった。


「へへ、えへへ……」

「どうしたルネッタ、突然笑い出して」


 心情をそのまま吐露するのは、やっぱり少し恥ずかしいけれど。でも良いことは、出来るかぎり言葉にするべきかとも思う。

 だから、顔をあげて、しっかり言う。


「幸せ、です」


 照れて笑う二人の顔は、本当に、本当に可愛かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] わ!あ、あっまっっっっ!!!!うつくしい
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ