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Elvish  作者: ざっか
第二章
45/117

今夜は食事でも 四


 休憩前と同じだ。

 それぞれの陣営が横に並んで、向かい合ってテーブルを囲む。

 並べられた料理の数々も相変わらずの凄まじい分量で、もう満腹のルネッタには見ているだけで苦しく思える。

 錯覚を覚えるほど似ていて、しかし、空気は遥かに重々しい。

 

 アスルムの手が、食器を掴んだ。


「まずは頂きましょう。冷めてしまいますよ」


 皆も続く。かちゃりという金属音が一斉に響き渡った。

 その中で、ふと横目で見たアンジェの顔に、刻んだような笑みが浮かんで――次の瞬間だった。

 

 煌々と輝くようだった室内が、真っ暗闇に閉ざされてしまったのだ。

 テーブルにいくつか置かれた蝋燭の炎だけが、頼りない光りを放っている。


「なんだっ!?」


 驚愕の声は男のもので、恐らくはアスルム。ざわつく皆の中で、一つの影が椅子から立った。

 影が勢い良く天井に手をかざすと、指先から強い光が放たれた。

 目が痛いほどに輝いて――あっという間に部屋に明かりが戻ってしまった。魔力を篭めなおした、といったところだろうか。

 

 立った人影、つまりルナリアはルネッタへと顔を向けて、直後に目を見開いた。

 悪寒。右を見る。すぐそこに侍女。深く被った帽子。はらりと垂れた髪の色は――雪のような純白。

 息が止まるほどの恐怖がルネッタの全身を包んだ。逃げるのか、それともアンジェを守るのか。守れるのか。

 

 逡巡は、けれども意味が無かった。

 凄まじい風を伴った何かがルネッタのすぐ脇を抜けた。鈍く、それでいて強い音。侍女の体が壁際まで飛んでいく。

 見事な蹴りを終えた体勢のまま、ディアが主に声をかける。


「ご無事でしょうか」

「当然ですわ」


 アンジェは、ぞっとするような視線をアスルムへと投げた。


「アスルム卿、これはどういうことかしら」

「し、知らぬ。私は何も知らぬ!」


 まるで、あざ笑うかのように。

 窓が幾つも割れる。扉が強引に吹き飛ばされる。紛れた数人の偽侍女が、テーブルへとかけてくる。それら三つが、同時に起こった。

 焔のように赤い光は――真実炎の槍だ。五本にも届く『それ』が尾を引いて空中に放たれた。狙いはアンジェか、あるいはテーブルそのものか。

 

 矢の勢いを伴って迫り来る炎は、けれど見えない何かに弾かれて、テーブルへと届かずに霧散してしまう。魔力の壁で防いだ、のだろう。誰のものかは判断がつかない。

 窓から、扉から、次々と敵影が現れている。数は十を下らない。


「なんだこれは!? どういうことだザイル! ……ザイル?」


 副官を呼ぶアスルムの声に、けれど返事が聞こえない。慌てふためくアスルムだが、状況はその間も進んでいく。

 既にテーブルは取り囲まれていた。

 侍女の姿をしたものが半数。くろい『ぼろきれ』を纏ったようなものが半数。あわせれば二十は居るだろう。

 

 侍女はそれぞれ短刀を。黒ずくめは長剣を持っている。刃は光を照り返す銀だ。

 アンジェのすぐ隣にディアとルネッタ。右手にルナリア、左手にエリス。テーブルの反対側はアスルムの部下が固めている。副官、つまりザイルの姿は――無い。

 

 エリスが、静かに言った。


「ディア、守りは任せましたよ」


 頷きすら待たずに、彼女は地を蹴った。向こうは帯剣、こちらは素手。あちらは複数、エリスは一人。そんなことは小さな問題だと、放つ蹴りの一撃が語っていた。

 頭部に喰らった侍女姿が血を撒き散らして壁まで吹き飛び、けれども左右の影は顔色一つ変えずにエリスに斬りかかる。

 体を屈めて初撃を避けて、後方に飛んで追撃をかわした。さすがに、一気に押し切れるような状況でも無いのか。

 

 ――ルナリアさまは。

 そうルネッタが思った矢先に、ずん、と凄まじい音がした。同時に、部屋全体が確かに震えた。

 音のした方向には、無造作に立つルナリアの姿。足元に『潰れた肉塊』がある。飛び掛ったところを蹴り落とされた、そんなところだろうか。纏った黒い襤褸切れは血と肉にまみれて、おぞましさすら感じてしまう。

 人形のように表情の硬い黒ずくめ共だが、今は恐怖が顔に出ているようだ。

 

 数の差は未だに絶望的。しかし戦力の差自体は逆と言っても良いのだろう。アンジェの『策』がこれ以上無いほどに効果を発揮している。

 黒ずくめ達の動きが、変わった。

 皆一斉に下がり、軽く十歩以上の距離を保って、陣を作る。何しろ広い食堂だ。これだけの人数が整然と並んでも、尚余裕がある。

 からころと、音を立てて。

 石が二つ、何も無い床へと投げ放たれた。エリスの向きに一つ、ルナリアの向きに一つ。その形、色。嫌というほど、見覚えが。


「おやおや、これはこれは」


 弾んだ声で、アンジェが言う。

 まるでそれに応えるかの如く、石の周囲に黒い風が吹き荒れて――空間が軋んだような異音と共に、怪物が二頭、現れた。

 大きさは虎程度で、以前に比べれば遥かに小さい。しかしそれでも、黒い毛皮に突き出た牙、恐ろしげな顔。全てがあの『犬』と同じだった。


「契りの玉とは。暗殺騒ぎだけならまだしも、これは大問題ですよアスルム卿」

「知らぬ! わ、私は知らぬと言っておりますぞアンジェ様!」


 獣の唸り声が、食堂を侵食していく。

 アスルムが口から泡を飛ばすような勢いで叫んだ。


「そもそも、なぜ私がこの襲撃に関わっていると? 誰とも知らぬ第三者が我らを殺そうと企んだ、そう考えるが自然。あるいは……失礼ながら、アンジェ様こそが」

「なぜ? なぜかと? ふふふふ、見ればわかるというものですわ」


 黒ずくめ達、その全てにみしりみしりと殺気が満ちる。獣と連携し、一気に攻め込む算段か。

 まさしく戦場と化した部屋の中央で、アンジェは静かに向きを変え、そっとアスルムを指差した。

 静かな声で、


「なぜならこの連中、まるであなた方に襲い掛からないではありませんか」


 言葉の通り、ではあった。

 これだけの数、しかも取り囲むような陣にも関わらず、黒ずくめ達の展開する方向はあくまでアンジェの側。テーブルの向こうには五名もの護衛が剣を構えて立っているのだ。無視を決め込むのは不自然の極みだった。

 アスルムが掠れた声で言う。


「そんなもの……それこそ、私を陥れる――」


 言葉を最後まで紡ぐ暇も無く。

 二頭の獣が地を蹴った。唸り声と共に突進する様は砲弾のようですらあった。ルネッタなら、あるいは並の兵士ならば、無残に吹き飛ばされて肉にされるだろう。


「……そらっ!」


 正面から迎え撃ったエリスの蹴りが、獣を出発点へと叩き返した。追撃に走るエリスの顔は、いつものように、笑っている。

 援護に入った黒ずくめを殴り倒して、零れた剣をそのまま空中で受け止めた。

 

 銀刃が閃く。

 侍女姿の首が飛び、黒ずくめが腹から上下に両断された。

 ようやく起き上がりかけた獣の頭部に、根元まで剣が突き刺された。黒い血が溢れ、霞となって霧散する。


「はっはは」

 

 自由になった剣をその手に、さらにエリスは深く切り込んでいく。

 圧倒的だ。しかしそれも――隣の彼女に比べれば凡庸、になってしまうのだろうか。

 

 どしゃり、と湿った音と共に、黒い物体が床に投げ放たれた。

 もちろん、突っ込んできた『黒犬』だ。顎の下に空いた信じられないほど大きな穴は、ルナリアが素手で貫いたものだ。

 顎を砕き、喉を抉り、そのまま脳と頭蓋骨を貫通する。彼女の手刀は一撃でそれだけの破壊を見せた。

 

 ルナリアが首だけで振り返った。残りで唯一、戦力となっているディアに声をかける。


「綺麗にしてくる。注意しておいてくれ」

「お任せください」


 柔らかく頷いて――ルナリアは床を蹴った。あまりの衝撃にヒビが入り、同時に彼女は風のように加速した。

 正面。振るわれる右足。軌道上には何一つ残らず、骨と肉が微塵となって吹き散らされる。戦いというよりは、まさしく掃除だった。

 

 まるで午後のお茶でも飲むが如く、アンジェは緩やかに腕を組んで、


「順調ですわね。このまま綺麗に片付けて……あら」


 声と共に、アンジェが部屋の隅へと顔を向ける。

 釣られてルネッタがそちらを見ると、護衛を引き連れたアスルムが、正に今逃げ出すところだった。

 アンジェは顎に手を当てて、数秒の沈黙を挟んで、言った。


「ディア、後をつけなさい。深追いはしなくて良い」

「……よろしいのですか? お二人では」


 肩を竦めて、アンジェが軽く手を払った。


「周りを見なさい。既に半壊。後一歩で全壊ですわ」


 言葉の通りだ。部屋のところどころに死体が転がり、状況はもはや敗残兵を処理して回っているも同然だった。


「了解しました」


 応えて、駆け出す。音も立てずに扉まで進んで。風のように出て行った。やはり、というべきか、彼女もまた一流なのだろう。

 エリスの側は残り二人。ルナリア側が三人。どちらも引け腰で、それゆえ多少時間がかかっている――そんな程度だ。


「さて、やらねばならぬことが無数に増えましたわね。アレの処分、その方法。そして……ん?」


 不思議そうな声と共に、アンジェの視線がルネッタに注がれた。目が合う。見詰め合う。その表情が、急に歪んだ。

 ――なにを。

 まずいことでもしただろうか。失礼なことを言ったろうか。そんな馬鹿な、さっきから碌に声も出せていないのに。

 

 アンジェの手が――こちらへと伸びてきた。同時に、背後から床を踏み切るような音が、聞こえた。

 風。息遣い。嫌な気配。

 正体を確かめる前に、胸元を捕まれて、恐ろしい力で引っ張られた。

 そのままアンジェの背後へと、放り投げられる。

 

 恐怖が背筋を覆う。理性が現実的な予想をする。

 背後から飛び掛ってきた黒ずくめから、アンジェが助けてくれた。頭の中、僅かに冷静な部分がルネッタにそう言っている。湿った音、不穏な匂い。

 

 どうにか振り返り、瞳に飛び込んできた光景は――息が止まるような代物だった。

 黒ずくめの構えた長剣が、アンジェの胸を貫いていた。背中から飛び出た刃には、これでもかと血がこびりついて。

 

 ――アンジェ、さま?

 凍った。まさしく心が凍りつくようだった。見知った誰かが刺された。ルネッタを庇って刺された。これ以上無いほどの大貴族が、自分なんかの所為で死んだ。

 保身がちらつき、責任が脳で周り、こんなときにそんな思考をする己を嫌悪して。

 

 動けもしないルネッタと、刺したまま動かない黒ずくめ。

 その中で唯一動いたのは――なんと、アンジェそのひとだった。

 右手が黒ずくめの首へと伸びる。ぐしゃり、という異音。アンジェはそのまま勢い良く体を捻ると、黒ずくめを床へとたたきつけた。

 

 びりびりと衝撃に肌が震えた。首をあらぬ方向へと曲げられた黒ずくめは、びくんびくんと小さく痙攣している。

 アンジェは――無造作に、本当になんでも無いことのように、己の体に刺さった剣を引き抜いた。

 ――なに、それ。

 抜いた傍から再生しているのか、僅かに血がもれただけだ。

 突然、剣の柄がルネッタの前に突き出された。


「この程度では起きてきますわ。トドメを」

「わ……わたし、が?」


 アンジェの瞳が、険しくなった。


「今はあなたも騎士団の一員でしょう。ならば務めです」


 ごくり、とルネッタは息を呑む。正論、だと思う。

 剣を受け取った。重い。刃を、黒ずくめの喉元へと狙いをつけて。

 一思いに、突き刺した。血が溢れて、肉が裂かれて、手元から体の奥底にまで、たまらなく嫌いな感触が溢れた。

 ルネッタは大きく深呼吸した。そうでもしなければ吐いてしまいそうだったからだ。

 

 アンジェは満足げに微笑む。ルネッタは奇妙な達成感とたまらない嫌悪感の競演に頭がくらくらする。

 思わず、言葉を捜した。逃げるように。


「あの……おつよい、のですね」


 アンジェは怪訝そうに眉をしかめた。


「わたくしが? 強い? 冗談はほどほどにしなさい。強いというのは――」


 そこで言葉を切って、にまりと笑った。

 彼女がそっと指を指す。ルネッタは素直にそちらを見る。

 短刀を構えた侍女姿が、正に今、ルネッタを殺そうと踏み込んでいるところだった。

 

 ――ひ。

 逃げる。逃げたい。間に合わない。奇妙に遅く流れる時間の中で、確かに死を覚悟した、次の瞬間。

 横から割り込むようにやってきたエリスの、目に見えて発光する右足が、侍女の頭部を消し飛ばした。

 血が吹き出るまでに、明らかな猶予があった。つまりは――それほどの威力、なのか。


「ああいうのを、強いと表すのです。わたくしなど力があって体が丈夫なだけですわ」


 楽しそうに、弾んだ声でアンジェが言う。この状況でその余裕、一生ルネッタに持てるとは思えない。

 エリスが、


「ライール卿、お怪我のほどは?」

「すごおおおおく痛かったですわ。それだけ」

「……ルネッタを守っていただけたこと、心から感謝します」

「あら、えーちゃんに褒められてしまいました」


 くすくすと笑う。エリスは顔をしかめる。

 ――あ。

 そういえば、礼も言っていない。口を開きかけたところで、アンジェに先手を取られた。


「いりませんわ」

「え、あ、その……」

「同じことを何度も言うのは無駄の極みでしょう。手が届く範囲にいたから助けた。当然のことで、それだけのこと。おわかりかしら」

「……はい」


 ゆっくりと部屋を見渡して、アンジェは言った。


「片付いたようですわね」


 千切れた手足、絶たれた体。無数の肉片、もはや模様に見えてくるほどの血。食堂はまさしく地獄絵図だった。

 体のところどころを血に染めたルナリアが、コツコツと音を立ててこちらへと戻ってくる。


「全員始末してしまったが、良いんだよな?」

「無論ですわ。どうせ何も話しません」


 エリス、ルナリア、どちらにも外傷らしきものは見えない。全て返り血のようだ。

 ルナリアが、アンジェに尋ねた。


「で、この後はどうするんだ?」

「やることは山ほど。けれど全ては帰ってからですわね。とりあえずはディアを待ちましょう」

「ふむ」


 ――おわり、か。

 ルネッタは小さく息を吐いた。大したことはしておらず、危険はあったにしろ無傷で済んだ。それでも、この異常な緊張に包まれるのは辛いと思う。

 

 部屋の隅には、怯えた顔で固まる侍女が何人も居た。皆が皆、刺客だったわけでは無いらしい。ああした第三者に被害が出ていないところを見ると、黒ずくめが目標のみを狙うという話は本当のようだ。前に自分が襲われたのは――正に不幸だったと言うしかない。

 エリスが伸びをして、ルナリアがゆっくりと首を回す。アンジェはどこか楽しげに、己の頬を指先で撫でていて。

 

 皆が、一斉に、そちらを見た。

 部屋の隅に、一人。少し破れた侍女の服。華奢な女の体。低い背。浅く被った帽子から垂れた、銀色の髪。手にした長剣。

 浅黒い、肌。


「エリス!」


 ルナリアが叫んで、ルネッタ達を庇うように前に出た。

 緩んだ全てが一気に張り詰める。針で刺すような圧力は、ルナリアの放つ桁外れの魔力だろう。部屋が軋んで、ガラスがびりびりと音を立てた。先ほどまでが児戯にさえ思える、ルナリアの本気を受けて。

 それでも、その侍女――ダークエルフはにたりと笑った。

 

 細い腕がそっと正面に突き出されると、部屋の反対側に、黒い嵐が吹き荒れる。

 空間ごと砕くようにして、今度は巨大な『黒犬』が、食堂にその姿を現した。


「お前は犬を」

「分かりました」


 エリスが床の剣を拾いなおして、犬の正面に立ちはだかった。

 ――ど、どうすれば。

 戦いに加わる、という選択肢はありえない。これ以上ないほど邪魔なだけだ。考えるべきは、この場に留まるか、逃げるかだった。

 逡巡は、アンジェの声で中断された。


「この場でおとなしくしていなさい。たぶんそれが一番ですわ」


 彼女の顔は、声は、恐ろしいほど固く――それはルネッタが始めて見る、余裕の消えたアンジェの姿だった。

 つまりは。

 それほどの状況ということになる。

 ダークエルフが剣を正面に掲げると、刃が黒い霧のようなもので包まれた。

 

 ルナリアは大きく舌打ちすると、足元に落ちていた短刀を拾う。得物の差は歴然だが、それでも不利には思えない。何しろ彼女は、ルナリア、なのだから。

 駆けた。互いが互いを目標に、力強く床を踏みつける。距離は一瞬で詰まり、得物が虚空に軌跡を残す。

 

 その中で、確かに見た。

 黒い霧を纏った長剣が、ルナリアの短刀を根元から切り飛ばしていた。


「ちぃっ!」


 即座に下がる彼女の腹から、血が噴出した。一瞬で止まり、傷も治る。しかし事態が好転するわけではない。


「アンジェ、派手にやるぞ」

「任せますわ」


 答えを聞くと同時に、ルナリアが構えた。

 右手を開き、腰の後ろまで引っ張るように。ルネッタにさえはっきりと視認できるほどの魔力が、彼女の右手に集まった――次の瞬間だった。

 

 青白く輝いていた魔力の塊は、荒れ狂う雷の奔流と化して、ダークエルフに襲い掛かった。

 部屋の全てが白く埋まるほどの光。落雷そのものと錯覚しそうな轟音。撒き散らされる衝撃に、思わずルネッタは顔を覆った。


「……まぁそうだよな」


 低く呟いたのも、ルナリアだ。

 光と衝撃が収まって、舞ったほこりもおとなしくなった部屋の片隅には、傷一つ無いダークエルフの姿がある。

 ガラスは全て砕け散り、壁には巨大なヒビがいくつも入っている。これら全てが彼女の魔術によるものか。そして、それだけの術を敵はあっさり防いだのか。

 

 ダークエルフが軽く剣を素振りした。誘っているようにすら見える。


「団長!」


 あっさりと獣を始末し終えたエリスが、ルナリアへと向かう。それを、


「来るな!」


 振り向きもせずに彼女は止めて、続けた。


「どこから何が出るか分からん。二人を守れ」


 エリスは一瞬悩むように目線を動かしたが、すぐにこちらまでやってきた。

 アンジェとルネッタ、二人の中央に立ち、どこへとも無く剣を構える。

 正直言えばほっとする。けれどそれは、ルナリアが敵と一人で戦うという現実と引き換えだった。

 再び、ルナリアは構えた。魔術のためのものには見えない。雌雄を決するのは、結局は肉体であるようだ。

 

 先に動いたのは、ルナリアだった。風のように距離を詰めて、間合いの直前でぴたりと止まる。

 鼻の先を黒い軌跡が通り抜けた。避けて、踏み込み、体を捻って勢いを篭めて、


「……くっ!?」


 再び、彼女は大きく後方に飛んだ。直前まで彼女が居た場所には、ダークエルフの刃が一直線に伸びている。

 戻りが早い。二の太刀も早い。それも桁外れに、だ。

 

 ルナリアは再び床を蹴って、今度は壁へと飛んだ。まるで猫のような、いやそれ以上の身軽さで窓の柵を蹴り、天井さえ足場にして多角的に攻める。

 振り下ろされる踵。轟音と共に、床に巨大な穴を穿った。一階への穴が開くほどの威力だったが、つまりそれは――外れたことに他ならない。

 

 一瞬二人が絡み合って、離れた。

 ルナリアの右腕から鮮血が散っている。彼女の顔が歪んでいるのは、けれども痛みのためでは無いだろう。

 見る限り、純粋な身体能力ではルナリアが数段上だろう。現状の不利は即ち武器によるものだ。どんな魔術なのか、ダークエルフの構えた剣は信じられないほどの切れ味を見せている。魔力を篭めた手足どころか、同じ剣さえ両断してしまうのだから。

 

 ルナリアが――急に構えを解いた。

 無造作に歩き出す。ダークエルフは不思議そうに首を傾げた。彼女は巨大なテーブルへと近づくと、その縁をそっと掴んで、言った。


「好きなだけ食え」


 一瞬、目を疑った。

 牛を複数載せられる、冗談のように大きなテーブルを、ルナリアは相手に向かって放り投げた。

 残った料理を撒き散らしながら、巨大な木の板は一直線に飛んでいく。十分すぎる勢いを持ってダークエルフに直撃する、その瞬間。

 かん、と高い音と共に、テーブルが中央から半分に割れた。現れるのは、剣を振りぬいた敵の姿。

 

 しかし。

 ルナリアは既に動いていた。

 既に目の前。二歩で手が届く。不意をついてそこまで詰めて、だというのに。

 動いたのは、ダークエルフが先だった。

 

 ――あ。

 剣の先端が、ルナリアの背中から生えていた。

 ルネッタは呼吸も忘れた。エリスの歯軋りが重い音を響かせた。ダークエルフの満足げな顔が、この距離からでも良く分かった。

 言った。


「つかまえた」


 誰の言葉か、一瞬悩んだ。答えはあまりにも当然だった。

 大きく左右に開かれた手が、風を裂くように閉じられた。肉が軋む、なんて甘いものでは無い。骨が砕けるばきばきという音が、部屋中に響き渡っていた。

 まるで抱きしめるように、ダークエルフをその胸に抱いたルナリアは、大きく頭を後方へと曲げる。

 

 攻城槌のような頭突きが、敵の頭部に突き刺さった。

 響いた音は、湿っていた。

 ルナリアが手を解くと、ダークエルフが床に崩れ落ちた。肩は不自然に歪み、腕はありえない方向へと曲がっている。

 首は――明らかに折れているのが分かるほどで、頭部の左半分は吹き飛んでいた。

 

 ルナリアが自身を貫いたままの剣を引き抜いて、遠くに投げる。

 ため息が、聞こえる。あまりの凄惨さからだろうか、エリスもアンジェも一言も発しない。

 そんな静寂を破ったのは、誰のものだろうか。


「はは……くはは……」


 震えて弱弱しい。死の匂いが濃厚な声音だ。いやむしろ、まだ生きているのか、と驚くのが正しいのだろう。

 壊れた人形のように、ダークエルフの首だけがカタカタと動いて、瞳がルナリアを正面から捉える。片方しか残っていない濁った瞳が。


「なる、ほ、ど……つよ、い……つぎ、は……ちょく、せ、つ……」


 そこで声は途切れて、それきり、ダークエルフは動かなくなった。

 壊れた窓から入る空気は冷たく、静寂の中に混ざった侍女達のすすり泣きが痛々しい。

 ルナリアが、ぽつりと言った。


「こいつは、なんだ?」


 アンジェは静かに首を振る。

 ようやく一段落したというのに、ルネッタの背筋を覆う恐怖は一向に晴れそうになかった。

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