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Elvish  作者: ざっか
第二章
43/117

今夜は食事でも 二


 この瞬間のためなのだろうか。

 五名の配下を引き連れて、屋敷へと足を踏み入れるアスルムを、アンジェ自身が出迎える。

 この絵を、配置を、立場を欲していたからこそ、わざわざ送れてやってきた、のだろうか。


「お待たせして申し訳ない、アンジェ様」

「いいえ」


 声も顔つきも、とても穏やかにアンジェは返した。内心は火が渦巻いているのかもしれないけれど、表には欠片さえ出していない。

 アスルムの目がゆっくりと動いて――ルネッタを、捉えた。

 

 嫌な顔だと、ルネッタは思った。

 多少肉がついてはいるものの、肥満というほどでも無い。エルフの基準ではどうだか知らないが、ルネッタから見れば十分に整って見える。外見年齢もせいぜいが三十そこそこか。

 

 それらの美点をかき消す粘つくような雰囲気が、アスルムの全身から放たれているように感じてしまう。着ている上品な蒼い礼服でさえ、カンに触るだけに思えた。

 ――でも。

 これが普通ではないか、とルネッタは妙な安心感を覚えた。

 

 貴族、という種には人の世で会った事はある。誰も彼も傲慢な態度で、毎回のように虫でも見るような目を向けられたものだ。美麗な貴婦人、尊大な老人、豪胆な美丈夫、外見の差こそあったが、唯一それだけは変わらなかった。

 

 ルナリアが、あるいはアンジェが特殊なのだ。己のような下位層など、見下されて当然なのだから。


「そちらは?」

「説明は、向こうで致しましょう」


 返事を待たず、アンジェは背を向け歩き出す。譲るつもりなど無いらしい。ルネッタは仕方なく後を追う。わざとらしい咳払いを一つして、アスルム達も歩き出した。

 

 ルナリアは、この場に居ない。エリスも同じくだ。機というものは、何よりも大事であるらしい。正直言えば心細く、息がつまるような緊張が背筋を捉えて離さない。

 

 たどり着いた先は、大きな食堂だった。

 天井に吊るされた巨大なシャンデリアには、百を超える蝋燭の数々。全てに火が灯ってはいるものの、明かりのためでは無いだろう。なにしろ光りは天井そのものから溢れているのだから。

 

 赤い絨毯。白い石壁。このあたりはどの部屋も同じだ。中央には、牛が丸ごと三匹は乗りそうなテーブルが一つ。上には様々な料理が載せられているが、基本的にさめても問題無い品揃えのようだ。

 向かい合うように、腰掛ける。

 

 こちらはアンジェを中央に、左右にルネッタとディア。

 向こうはアスルムを中央に、五人の配下が分かれた。一人、明らかに服が派手に見える者が居る。彼が護衛の長だろうか。


「さて」


 アンジェが和やかに切り出した。


「人間がひとり、我らの地に迷い込んだ。その件については、アスルム卿はご存知だったかしら」

「知っておりますとも。やはり彼女がその人間かね」


 小さく頷くアンジェに、しかしアスルムは眉をしかめた。


「それは良い。しかしなぜこの場に?」

「……現在彼女は、王側の市民権を所持しておりますわ。扱いは第二級。本来この場に同席できる立場では無い」

「当然ですな」

「しかし彼女は……そう、わたくしの友人なのですわ。見聞を広めたいという彼女の望みを叶えるのも立派なつとめであり、それにはこの会への同席がふさわしい。なぜなら、正に貴族たるアスルム卿にお目通りが叶うことは、金にも勝る貴重な体験でしょうから」


 にこり、と微笑んだ。

 白々しい。恐ろしく白々しい。

 アスルムの顔は、今だ険しいままだ。


「聞いてはならぬことを、聞くことになるかもしれませぬぞ」

「問題ありませんわ。彼女は軽々しく吹聴して回るような者ではなく……仮にそうなった場合、わたくし自身の手で首を削ぎ落とすことになりましょう。無論、相応の責任は負った上で、です」


 あくまでも、言葉だけなのは分かってはいるけれど。

 首を跳ねるといわれれば、動揺くらいはしてしまう。

 アスルムの顔つきが、少し変わった。責任、という言葉に反応したような気がする。


「今回、アンジェ様ご自身とソークス殿、お二人でという約束だったと記憶しておりますが」

「わたくしの配下は一名のみ、そういう約束でしたわね。この娘は友人、配下でも部下でもありませんの」


 アスルムの目が、ルネッタを正面から捉えた。舐め回すような視線に悪寒が走るが――別段薄着だからという理由にも思えない。

 軽く睨みつけるようだった表情が、ふ、と和らいだ。


「彼女は人間……つまりは無泉と同等であると?」

「そうなりますわね」


 アスルムが笑顔になった。


「いや、私は下らぬ差別など致しませぬぞ。つまり――」


 言葉がそこで止まる。名乗るべき、だろうか。

 

「ルネッタ・オルファノと申します」

「ふむ、ルネッタ殿。今宵は趣向を凝らしたゆえ、楽しんでいかれるが良い。そのほうが私も嬉しい」

「ありがとうございます」


 深く頭を下げると、アスルムが陽気そうな声をあげた。


「しかし、部下ではなく、友人ですか。アンジェ様にはかないませぬな」


 綻んだ理由は、簡単に想像できた。

 ようするにルネッタを脅威にはならないと判断したから、だろう。その通りだとは思うけれど。

 アンジェがテーブルに肩肘をついた。


「ところでアスルム卿。もうひとつ、ありますの」

「何ですかな?」

「見ての通り、彼女は人間。つまりは無泉。昨今『盗賊騒ぎ』が頻発している我が領内において、単独で旅するにはあまりに無力ですわ。治める者としては心苦しくもありますが」

「……それは、そうですな」


 アスルムの口元が、微かに震えた。アンジェは追求もせず、部屋の隅へと手を翳す。

 扉が開いて、二つの人影が中へと入ってきた。


「な……」


 ぽかんと口をあけるアスルムを無視して、アンジェは言葉を続けた。


「二人は……ふふ、当然ご存知でしょうけれど、一応紹介致しますわ」


 さくさくと絨毯を踏みしめて、二人はアンジェの背後へと立つ。さながら近衛のように。


「こちらはエリス・ラグ・ファルクス殿。王下直属第七騎士団副団長にして、かの高名なる決闘狂い。一月の間休まず戦い続け、屍山血河を築いたのはあまりに有名ですわね。名実共に、国家最強の剣闘士の一人ですわ」


 なんだか凄まじい昔話と共に、エリスが小さく頭を下げた。


「そしてこちらは……ふふふ、知らぬはずもありませんわね。単騎で砦を落とすとさえ言われたラムリア・レム・ベリメルス。その娘にして、両親を遥か凌駕するという、まさに怪物。第七騎士団団長、ルナリア・レム・ベリメルス殿です」


 ルナリアが礼をすると、ドレスに包まれる大きな胸がふるりと揺れた。異様に高まる緊張の中で、それが妙におかしく見える。

 耳が痛くなるような静寂の後。

 低い、そして押さえつけるような声音で、アスルムが言った。


「アンジェ様、これはどういうおつもりか」

「どう、とは?」

「とぼけないで頂きたい。戦力はソークス殿一人というお約束のはずである。これでは」

「戦力も何も」


 呆れたように、アンジェは右の手のひらを上に向けた。


「彼女達はこの人間の護衛ですわ。私のものではありません」

「そのような理屈が――」

「アスルム卿」


 恐ろしく冷たく、彼女は続けた。


「今回の会において、わたくしは多くを譲歩しましたわ。屋敷の侍女の一人まで、あなたにお任せしましたの。引き連れる護衛は配下一人のみ、そんな約束まできちんと守ってここに来ているのです。だというのにそのような難癖をつけられては……」


 少しだけ、アンジェの首が斜めに傾く。


「その見っともなさが他の諸侯にどう映ってしまうか……わたくしは心配でなりません」


 表情。声音。全てが挑発に思える。

 アスルムは――けれど騒ぐようなことは無く、


「……そうですな。まったくです、お恥ずかしい」


 多少引きつりながらも、作り笑いをしてみせる。なるほどと思う。彼とて、立派な貴族なのだと。

 このまま素直に食事が始まるのかと思った矢先に、アスルムが静かに席を立った。


「申し訳無いが、少々席を外させていただく。すぐ戻ってまいりますゆえ、どうかお待ちください」


 アンジェは黙って頷いた。アスルムと、脇の副官らしき者が一緒に部屋から出て行く。

 その副官が、随分とルネッタの印象に残った。

 髪はせいぜい首までだが、横顔は妙に女のようで、正直性別が判断出来無い。エルフは皆美形だからなお更だ。

 アンジェが軽く首を振ると、ルナリアとエリスも席についた。身内にだけ聞こえるようにか、アンジェが小声で呟く。


「なんの相談かしらね」


 声は弾んでいる。この状況を楽しめる胆力が、ルネッタには恐ろしくも羨ましい。

 ほんの数分で、アスルムは戻ってきた。

 顔には再び、どこか嫌悪感を抱かせる笑みが張り付いている。冷静さを取り戻したというべきか。


「はは、失礼致しました。ひとつ思い出したのですよ。どうかアンジェ様に召し上がっていただきたい料理のことを」

「ほう?」


 アスルムが手をかざすと、侍女が大きな皿を持ってやってきた。失礼しますと一声告げて、アンジェの前にそっと置く。

 ――うわぁ。

 ほかほかと湯気が立っており、香ばしい匂いはルネッタの鼻までしっかりと届いてくる。かかったソースは色鮮やかで、焼き色も素晴らしく美しい。

 

 一つだけ、問題があるとすれば。

 その肉が、トカゲの物だというくらいか。

 信じられないほどの大きさと、見るからに凶悪そうな面構え。しかも丸焼きだ。こんな生き物はルネッタの記憶にどこにも無い。仮に食卓に並ぼうものなら、子供であれば泣いてしまうと思う。

 

 アスルムが、嬉しそうに続けた。


「西方の料理になります。デリザルド……つまりはその、腕ほどもあるトカゲをですな、特性のソースに漬け込み焼き上げ、さらに数種のソースをかける。結婚祝いなどに出される、由緒正しきものだそうですよ」


 なんという笑顔だろうか。これが厚意からくる品目でないことくらい、誰にだって分かる。

 アンジェは手元のトカゲへと視線を落として、パチクリと瞬きをした。ナイフやフォークは最初から置かれているものの、そういう問題では無いだろう。

 

 ――どうするんだろう。

 考え、悩み、いっそ自分が食べると言うべきなんだろうかと、混乱の極みに落ちてしまう。けれどもアンジェは涼しい顔で――そのトカゲの胴体を、なんと素手で掴んだ。

 息を呑んだ。ルネッタも、恐らくアスルムも。

 

 アンジェはトカゲをそのまま口元に運ぶと、わざわざ、頭部に齧りついたのだ。

 歯でかみ締めて、力を篭めて引っ張れば、当然首は千切れて頭は彼女の口の中へ。

 

 ばりばりぐちゃぐちゃむしゃむしゃごくん。


「美味ですわ、とても」


 太陽にも負けない笑顔で、アンジェは言った。


「あ……それは、なにより」


 掠れた声で返事をすると、アスルムは自分の席へと戻っていった。

 ――はぁ。

 こんな緊張が今夜中続くのかと思うと、憂鬱が体の隅々までを侵すようだ。

 小さく息を吐くルネッタの隣で、


「本当においしいですわね、これ」


 ぽつりと小声で、アンジェはそう漏らしたのだった。無論、即座に二口目を齧りながら。

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