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Elvish  作者: ざっか
第二章
42/117

今夜は食事でも 一


 屋敷というよりも神殿だった。

 左右には深く生い茂った森があり、それらを貫くように見事な道が伸びている。馬車三台分にさえ見える道は手前で三本に分かれていて、一本は右上へ、一本は左上へ、そして残った一つが神殿への順路となっているようだ。

 

 既に空は闇が七割を占めており、純白の壁面を微かな残り日が薄赤く染める。高さはおよそ三階分、広さは思わず見渡すほど。アンジェ自身の屋敷よりも、一回り大きく見えてしまう。

 

 立派だ。それは間違いない。けれども少し地味に見えてしまうのは、魔術的な『何か』が無いからだろうか。

 壁も床も光らない。不思議な光沢も無い。極普通の、それでいて見事な石だ。


「さて」


 一声告げて、アンジェが歩き出した。付き添うようにディア。慌てて追うルネッタ。

 門は無く、入り口には石柱が並ぶのみだ。左右に二人、性別は女で、服装は侍女のそれ。門番には見えない。


「お待ちしておりました」


 二人は同時に、深々と頭を下げる。足元まで延びたスカートに、ゆったりとした長袖。驚くほどに露出が少ないな、と浮かんだ印象に思わず吹きだしそうになった。こちらが普通なのだ。

 

 大気は肌寒く、着込んだコートが少し頼りなく思える。長袖一枚で平然としている侍女を褒めるべきか、ほぼ半裸にも関わらず震えもしないアンジェを恐ろしく思うべきか。

 アンジェが侍女に尋ねた。


「アスルム卿はどこに?」

「それは……少し遅れて到着すると」


 ふん、とアンジェは小さく鼻を鳴らした。


「まぁいいでしょう。中で待たせてもらいましょうか」

「ライール様」


 侍女が、ちらりとルネッタを見る。


「そちらの方は」

「連れですわ」


 ぴしゃりと言い切った。

 侍女は――明らかに困惑している。それはそうだろうと思う。予定ではアンジェとディア、二人のはずだからだ。


「その……おふたりでいらっしゃると」

「増えましたの。それが?」


 おずおずと侍女は言葉を紡ぎ、冷たくアンジェが切り返した。

 沈黙。

 恐らくこの侍女はアスルム側だ。故に対処に困っている。判断を仰ぐべき対象も、ここには居ないからか。

 

 アンジェを守るため、あるいは――威圧するためか。ディアがわざとらしく足音を立てて、侍女の前に立ちはだかった。

 侍女は小さく息を呑む。目に見えて、怯えている。


「……では、入りますわ。構いませんわね?」


 返答は無い。気にせずアンジェは歩き出した。慌ててルネッタも後を追う。止める者はいないようだ。


「そうそう」


 アンジェが、肩越しに振り返った。


「少し遅れてもう一組来ますわ。通すように」

「し、しかし」

「通すように」

「……はい、かしこまりました」


 頭を下げる侍女に、ぞっとするような視線を投げて、アンジェは再び前を向いた。

 石柱の間を抜けて、建物の中へ。

 静かで、それでいて不機嫌そうな声で、アンジェが呟いた。


「居ない、とは。わざわざ分かれる必要もありませんでしたわね」


 内部の通路に至るまで全てが石造りではあるが、壁が直接光ったりはしない。強い輝きを放つ炎のような物が一定の間隔で置かれてはいるものの、真昼のように、とはいかないようだ。

 ディアの声が、後ろからする。


「駆け引きのつもり、なのでしょうか」

「まさか。単にプライドの問題でしょう」


 そういえばとルネッタは思う。それなりに歩いたが、案内役らしき侍女が出てこない。国家有数の大貴族を迎えるのに、この態度とは。もはや隠すつもりさえ無いということか。

 もっとも、アンジェの不機嫌はそんな小さな物では無さそうではあるけれど。

 

 コツコツと歩き、くるりと曲がり、ついには階段まで登って、立派な扉の前にたどり着いた。これは木造りだ。

 扉は――なんとアンジェ本人が開けた。ディアではなく、だ。二人とも、当たり前のようにそうしている。

 

 中は、応接室だろうか。

 大きな椅子。立派なテーブル。なぜか仕切りのための大布に、幾つもあるタンス。床も壁も純白の石で、真っ赤な絨毯が引き立てる。

 

 アンジェはまっすぐ椅子まで進むと、深く腰掛け足を組んだ。

 ため息を一つ。

 部屋の隅に置かれた柱時計の音だけが、静かな空間に響いている。

 

 声をかけづらい。それでも、聞いておきたいことがある。


「あの、ライールさま」


 瞳がこちらを捉えた。口元は不機嫌そうに結ばれたままだ。

 ごくりとつばを飲んで、ルネッタは尋ねる。


「お聞きしたいことがあります」

「……言ってごらんなさい」

「その、ですね……なぜ、わたしもご一緒させていただけたのでしょうか」


 当然の疑問だとは思う。

 大貴族の、それも多分に闇を抱えた会合だ。ルナリアが呼ばれた理由は良くわかる。エリスも立派な補強要因なのだろう。けれども自分はどうだろう。何をすれば良いのか、何を求められているのか、さっぱりルネッタには分からない。

 

 結局聞けず、こうして現地まで来てしまった。今更ではあるが、教えてもらえるのであればぜひ、なのだ。

 アンジェはぱちくりと瞬きをして、細い指で顎を撫でた。


「すぐに分かりますわ。大したことでもありませんし、あなたに何かさせようとも思っていません。そう緊張しないで」


 微笑んだ。淡く、優しく。これでは、とても追求できない。

 ――できれば、その、帰りたい、気も、するんです。

 だって怖い。言えたものでは無いけれど。

 

 こんこんと、扉を叩く音が聞こえた。

 ルネッタは振り返る。アンジェは、


「どうぞ」


 やってきたのは、ルナリアとエリスだった。眉をしかめて、不思議そうに彼女は言う。


「なんか普通に正面から入れたんだけど」

「アスルムが未だにおりませんの。よって小細工の必要さえ無し。つまらないですわ」

「平和が一番だが」


 ルナリアがくるりと部屋を見渡した。


「何時からだ?」

「さあ? アスルムに聞いてくださいな」


 ふたりして、肩を竦めた。

 窓の外は、すでに暗い。

 アンジェがそっと、部屋の隅を指差した。布の仕切りがあるあたりだ。


「準備くらいはしておきましょう。服は適当に、あったものを」

「やっぱり着替えないとダメか……?」


 にこり、とアンジェが微笑む。有無を言わせぬ迫力と共に。

 とぼとぼと、ルナリアがそちらに向かう。一瞬遅れてエリスもだ。

 ――なるほど。

 単純な話で、ようするにパーティ用の服に着替えるのか。そのための仕切りと、数々の箪笥。貴族ともあれば専用の部屋でもあるのかと思ったが、このあたりも文化の差だろうか。単に時間短縮だけかもしれないけど。

 

 着替えは、思ったよりも早く終わった。

 布に二人の影が写って、ゆっくりとこちらへ。

 ――はぁ

 ため息が出た。

 

 二人の服装を、一言で表すならば、やっぱりドレスになるのだろうか。

 好みが出るのか、ルナリアは輝くような純白のものを、エリスは炎と血が混ざり合ったような真紅を。

 これでもかと胸元が強調されており、二人とも今にも零れそうだ。スカートは短く、太ももまでもがむき出しで、おなかの辺りに布は無く、頼りない紐が数本上下を繋いでいるだけ。

 

 予想通りではあるけれど、露出は多い。見方によっては下品かもしれない。

 そんな印象を掻き消し塗りつぶし、神々しさすら感じさせてしまうのは――身に着けている二人の美しさゆえだろうか。

 

 ちなみに、というわけでも無いが、エリスは平然としているものの、ルナリアは少し恥ずかしそうに瞳を左右に動かしている。暇な時はだいたい下着一枚なのに。


「きれいです……とても」


 本音だ。心からの言葉が自然と口から漏れてしまった。

 エリスは嬉しそうに首を傾げて、ルナリアは困ったようにはにかんだ。

 

 ――あれ。

 一つ、違和感があった。服は見ての通りなのだが、足元が普段のブーツなのだ。不釣合いに思えるその組み合わせは――荒事を想定しているからに決まっている。


「決めましたわ」

「ひっ!?」


 突然背後から声がした。振り返ると、どこか意地悪そうに口元をゆがめるアンジェがいる。


「人間の服のまま、それが一番面白い……当初はそう考えておりましたが、やはり地味です。ルネッタ、あなたも着替えなさい」


 拒否権は――無いことくらい分かってはいる。

 布の向こうに引っ込んで、ソファーの上に投げ出されている幾つもの服を見渡した。どれもこれも、中々に中々で凄まじい。

 

 着替えた。着替えたのだ。諦めて服を脱いで、適当に掴んだものを身に纏って。

 布を払って皆の前に出ると、視線が突き刺さるような感じさえ覚えた。


「こ、こ、これ……この……わたし、ほんとうにこれを着ないとダメでしょうか。着る意味、あるのでしょうか」


 声が震えてしまった。

 何しろ恥ずかしい。顔が熱いやら寒いやらでおかしくなりそうだ。胸元はスカスカで、なのに腰はわりときつい。生まれてこの方、こんなにも肌を晒した服を着た覚えが無い。

 

 右手で胸を隠して、左手でおなかを覆う。コレに慣れないと歩けないのは分かるが、そんな無茶なと思う。

 エリスが、


「わかりませんか、ルネッタ」


 やたらと真剣な声だ。つかつかと傍までやってくると、がしりとルネッタの両肩を掴んで、続けた。


「そうやって恥ずかしさに悶えるあなたを見ているだけで――私の胸が一杯になります」

「……は、はぁ」


 真顔で何を言うのだろうかこのひとは。

 アンジェのほうは、顎に手を当てて、ぽつりと漏らすのだ。


「不思議と罪悪感を覚えますわね。平坦だからかしら」


 何がですか、とは聞くまい。

 ふ、と。

 アンジェが窓を見た。さくさくと絨毯を踏みしめて傍まで歩き、庭を見下ろし、笑うのだ。

 とびきり邪悪に。


「来ましたわ」


 あまりに物騒な夜が、こうして始まった。

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