質疑応答
ライール領は、決して広く無いのだという話だった。
もちろんアンジェ自身が治める地に限った話であり、傘下の領主達のものを含めれば古老相応の広さにはなる。
けれどもそれらは、あくまでも領主が治める地だ。アンジェのものではない。
理由は、大きく分けて二つ。
一つ目は彼女の父が、己の土地を重視しなかったこと。方針の差なのだろうとルナリアは言う。政治のアレコレは、ルネッタにも正直なところ良く分からない。
そして二つ目。こちらこそ本命の理由なのだろう。
アンジェは、ライールを継いだ。四割に届く反対の声の中で、それでも古老となったのだ。最終的には、あるいは一時的には、反対派とて矛を収めざるを得なかった。儀式で力を見せ付けたのは間違い無いのだから。
とはいえ歓迎では決して無い。地位についたその後も、無理難題、難癖には事欠かなかった、とは本人の言葉らしい。
突き上げる領主達を黙らせるため、彼女は己の土地を切り取って分け与えたのだという話だった。
妙手だとは思えない。一人に与えれば次々と湧き出てくるのだろうし、今度はおとなしく見守っていた賛成派への示しがつかない。
無論、その程度は彼女とて承知の上だったはずだ。
彼には土地を、彼女には金を、あるいは誰かには情報、技術をと。正に身を切るようにして、地位を守りきったのだと。
あくまでも、第一印象に過ぎないが、それでも嫌というほどルネッタにも理解できることがある。
彼女は、アンジェ・レム・ライールは恐ろしく『ずるい』と思うのだ。
聞けば与えたはずの金は税として取り戻し、致命的な情報や技術は最初から選択肢にさえ入れていなかったらしい。もちろんそれはあくまでアンジェ側の視点であって、不満をもたれぬよう、怪しまれぬよう細心の注意を払いつつ、回収してきたという話だった。
それでも、彼女とて万有でもなければ全知でもない。一度与えてしまえば、そうそう取り返せないものがある。
ここまでしか、ルナリアは言葉にしてくれなかった。するまでも無いということだとは思う。
答えはつまり単純で――ようするに土地のことだろう。
そして、になるが。
最も大声で不満を唱え、結果最大の土地を引っ張っていった者の名を、アスルムという。
それを聞いてぞわりと背筋が総毛だったことを、今でもルネッタは覚えている。
何をする気なのか。黒い塊を腹に抱えているのは――果たしてどちらなのだろう。
空はどこまでも青く、高く。
吹く風もようやく温かくなりつつある。
時刻は昼前。場所は館の門のあたり。停められた堂々たる二つの馬車を、ルネッタはゆっくりと見回した。
アンジェが言う。
「今から出発すれば、日が沈む前にはつくはずですわ」
彼女の服装は変わらない。服なのか布なのかさえ悩む何かを纏って、足元は裸足に蔦のサンダル。真っ白な肌が陽光の中できらきらと光っているようにさえ見える。
確かに暖かくなってはきたけれど、それにしてもと思う。
「それはいいが、なんで二台だ?」
疑問の声をルナリアはあげた。隣にはエリスが仏頂面で立っている。二人とも服装はいつもどおりで、当然のように帯剣などしていない。
その背後には、ぴしりと礼服に身を包んだディアがいる。彼女も武器は持っていない。
これで、全部だ。
王にさえ匹敵する大貴族の遠征だというのに、ルネッタを含めてすら総勢五人。戦力として数えるならばわずか三人という状況だった。武装も無い。
「ちょっとした事情がありますの。あなた方は向こうの馬車を使い、道を変えて屋敷まで……ディア」
促されて、ディアは懐から小さな板を取り出した。エリスに手渡し、
「地図になっております」
中には水が見える。水彩版、だったか。
アンジェがにまりと笑って、
「細かな説明は向こうでいたしますわ。きっと時間には余裕がありますから。では、まいりましょう」
軽く肩を竦めて、ルナリアは馬車へと歩き出した。エリスも後を追う。小走りに、二人を追いかけようとしたルネッタを、
「お待ちなさい」
アンジェが引き止めた。
なんだろうと思う。振り返れば、やはり彼女は微笑んでいた。
「ルネッタ、あなたはこちらですわ」
「……え?」
思わず聞き返してしまった。失礼にあたるかもしれないが、そんな気遣いさえ疑問にかき消されてしまう。
戸惑うルネッタのかわりか、ルナリアが静かに尋ねた。
「理由は何かな、アンジェ」
「些細なことですわ。この娘と話をしてみたい。本当に――それだけ。ダメかしら」
訪れる沈黙。見つめあう二人。
一応は許可でも求めるかのような言葉ではあるが、彼女の表情を見る限り――きっとルネッタに拒否権は無い。それは、ルナリアとて同じことのように思える。
くすくすと、アンジェがわざとらしく声にだした。。
「大丈夫、身の安全は保障しますわ。何もとって食べたりは致しません」
「……わかった」
ちらり、とルナリアがこちらへと視線を送った。
頷く。それしか無い。不安は、ある。少し怖い。けれどもこのひとは、きっと敵じゃないのだから。
それぞれが、己の馬車へと歩を進める。アンジェは――驚いたことに自らで扉をあけて、中へと乗り込んだ。ルネッタも続いて中へ入る。
内装は豪華だ。座席も驚くほど柔らかい。しかし基本的には、ここまでの道中で使った馬車と同じものに見える。
「さぁ、こちらへ」
彼女がにこやかに手をかざした先は、見事にアンジェの正面だった。
ごくりとつばを飲む。ここで臆してみせるほうが、彼女の気に障るのかもしれない。
ルネッタが座ったところで、アンジェは外へと合図を送った。とんとん、と壁を叩いたのだ。
そういえばディアは中へと入っては来ない。他に人員も居ないのだから、やはり彼女が馬を扱うのだろう。
くん、と引っ張られるような速度と共に、馬車は一気に加速して。
息の詰まる道中は、こうして始まった。
驚くような速さで馬車は進む。窓からのぞく木々は飛ぶようにやってきては去っていく。これほど激しく走らせているというのに、振動は極僅かだ。車輪に秘密でもあるのだろうか。
「ところでルネッタ」
「はいっ!?」
裏返った声で返事をすると、アンジェは僅かに苦笑した。
「そう緊張しないで。わたくしがこんな提案をしたのは……そう、聞いてみたいことがあったのですわ。いくつか、些細な疑問を。いいかしら」
「わ、わたしに答えられることでしたら」
ぺろりと唇を舐めたあとに、アンジェは切り出した。
「あなたは、確か自身を商人と」
「……はい」
きたか、とルネッタは心の奥底で身構えた。
思えば、ルナリアもエリスも、その辺りの追求はまるでしてこなかった。どうでも良いのかもしれない。あるいはルネッタの言葉を素直に信じてくれているのかもしれない。
どちらにしても、用意した『言葉』を使う機会は、この国にやってきた初日くらいなものだったのだ。
アンジェの目が細まった。心中は、ルネッタに察せれるような相手ではない。
「たとえばどんな品を扱っていたのかしら。迷惑でなければ、ぜひ聞いてみたいものですわ」
「はい、それはですね」
不自然にならない程度にはっきりと。ここでうろたえれば全てが台無しになるかもしれない。
「貴金属や装飾品……像や小さな壷など、いわゆる『趣味』の品を扱っておりました。とある町で買い付け、とある町に売り。多少の目利きは出来はしますが、基本的には上から言われたように品を売り買いしていただけです。行商、というには少々頼りなき者だったかもしれません」
「ふむ……それでは客となる相手はそれなりに『裕福』である、と考えてよろしいのかしら。もちろん、我らエルフとあなた方人間の経済の仕組みが似ている、というのが前提ですけど」
小さく、ルネッタは頷いた。
「はい。町の有力者や、別の大商人など……さすがに王侯貴族さま相手とまではいきませんが、豊かなお客様がほとんどだったように思えます」
「ひとつ、いいかしら」
どくん、と心臓が悲鳴をあげる。それを表情に出さぬよう、ルネッタはおなかに力を入れた。
「貴族でないまでもかねもち相手、となればそれなり以上の信用が必要となりますわね。少々失礼ながら、あなたはとてもかわいらしいけれど、故に信頼足りえる商売人には見えませんわ。そのあたりはどうやって?」
「それは、ですね」
目を逸らさず、続ける。
「わたしは、とある商会に属しておりました。国と国との垣根さえ超え、海をも股にかける大商会です。所属するのはもちろんのこと、手形一つ頂くにも多大な障害がございます。だからこそ、その効果はとても大きく……わたしが使いであることを伝えれば、大抵の場所へは通していただけたのです」
「……もうひとつ」
す、とアンジェは指を立てた。
「有る意味繰り返しになりますけれど、それほどの商会、それほどの手形を、あなたはどうやって手に入れたのかしら」
「わたし、は」
続けようとして、言葉が切れてしまった。
なにしろ。
今までは、混ざり混ざりの半々だったが。
ここからは、純粋な嘘になるからだ。
「わたし自身は……商会の代表者たる者の、孫、にあたるからです」
「へえ」
さも面白そうに、アンジェは答えた。
「けれど、それにしては妙ですわね。あなた方にとって血がどれほどの意味を持つのかは知りませんが……仮にも跡継ぎ候補たるあなたが、わざわざ右に左に歩き回るものかしら」
「それは……」
ぎゅう、とズボンを握る。嘘をつくのが辛いのか、本当のところはルネッタ自身にさえよく分からない。
アンジェの瞳を、正面から見る。
「わたしは、妾の子なのです」
少しだけ、アンジェは目を見開いた。
「なるほど。だいたい想像はつきますわ。それで……なぜ我らエルフの国へ?」
「閉ざされた道、まだ見ぬ地、それこそ金脈であると、わたしは――」
「ああ、そういうのはいりませんわ」
アンジェの瞳が暗く光る。指先がくるくると宙を掻いて、するりと足を組みなおした。
ごくり、とつばを飲んで、ルネッタは言葉を選ぶことにした。
「……エルフの地から『何か』を持ち帰れれば、これは歴史に残るほどの偉業となるでしょう。商会にとっても多大な利益となるはずです。たとえ、異領協定を破るだけの危険を冒したとしても」
「そうすれば、こんな自分でも認めてもらえるのではないか?」
「そう……です。仮に失敗したとしても、代償はわたしの命ひとつで済む――協定は、そういうものだと聞いております」
適度に欲を混ぜた、もっともらしい回答だと、少なくともルネッタは思っている。
沈黙し、指先で幾度か頬を撫でて――にまり、とアンジェは笑った。
「ま、いいでしょう」
空気がだいぶ軽くなった。そんな錯覚をしてしまいそうだ。息を吐いて、肩を落とす。額から垂れた汗が、鼻の先までやってきた。
塗り固めた嘘を、アンジェが信じたかは分からない。けれども、彼女の雰囲気が柔らかくなったのは確かだ。今は、それに何より救われると思う。
「ルネッタ」
「ひゃい!?」
「ふふ、本当にかわいい反応をしますわね、あなたは」
驚くほど無邪気にアンジェは微笑んだ。
――きれい。
口元は甘く、目元は優しく。陶器のように白い肌の上を、さらさらと蒼い髪が揺れている。美しい。現実感を失いそうなほどに。
窓の外へと視線を送って、アンジェが言う。
「これから向かう先。つまりは目的地ですわね」
「はい」
「わたくしの地と奴の地の、ちょうど境。今や空白となった場所に、ちょっとした屋敷がありますの。元はと言えばあちら方面の領主達と食事でも取るために作らせた、と聞いてはおりますが、あいにくわたくしの生まれる前の話ですわ」
アンジェの口元が、少しだけ、鋭くなった。
「今回の『食事会』は、場所の指定はこちらで致しました。その代わりに、居る使用人の一人までも、全てアスルム側が用意することになっておりますわ。事前に屋敷に入るのも向こう。わたくし達は最低限の人員のみで、もちろん武器の持ち込みは無し」
瞳の色が、かわったような気さえする。
「そもそもの提案は向こう。にもかかわらずこれだけの譲歩。部下にも言われましたわ、これではアスルムの腹の中に入るも同然ではないか、と」
顔が。
まさしく妖精だった面影も、どこかに消えてしまったようで。
背筋に刃物が当たるかのような圧力と共に、けれども静かに告げるのだ。
「笑わせてくれますわ。いったい『誰の腹の中』なのか。今から楽しみで仕方がありません」