休日 一
「決めねばならない大切なことがあります」
やたらと真剣な顔で、エリスは切り出した。
風呂から上がり、軽い食事も済ませた。もう後は寝るだけという時間だ。
借りた白い寝巻きは妙に下が短く、胸元はスカスカになってしまう。同じ服を着ているエリスは若干窮屈そうなあたり、互いに基準軸からずれているのだろうと思う。ちなみにというわけでも無いが、相変わらずルナリアは下着一枚のみだった。
ふかふかの感触をお尻で味わいつつ、それにしても広いベッドだとルネッタは思う。
足を投げ出し、だらりと座るルナリア。隣にちょこんと膝を抱えてルネッタ、正面に中腰で乗り出すようにエリス。こうして三人が占拠しているわけだが、まだまだ空間には余裕がある。それこそ十人寝れるほどだ。
「いってみ」
気だるそうに、ルナリアが返事をした。何を言い出すか、大体想像はついている、そんな顔をしている。
さらに身を乗り出して、エリスは言った。
「誰が! どこで! 寝るかですよ!」
沈黙に、ため息。ルナリアはひらひらと右手を振った。
「この広さだ。てきとーでいいだろそんなもん」
「ダメです」
すぱりとエリスが断言した。
「流れに任せて寝て起きれば、私だけのけ者にされてる絵が目に浮かぶようです。だからダメです」
「……そんなわけあるか」
ちらりと、ルナリアがこちらを見た。
「ルネッタはどうしたい?」
「え、と……」
返答に困る。ものすごく、困る。選べというのか、あるいは――
「私が中央! ルネッタは左、団長は右! 無論寄り添ってくださいね。せっかくの休みなんですから」
胸を張ってエリスは宣言する。
正直なところ、ルネッタに異論は無い。三人離れてすやすや寝るより、どちらかの胸に包まれていたいとは思う。思うが、さすがにそれを言い出すのは恥ずかしすぎて不可能だ。どっちが良いかと選ぶのも不可能だ。
こうしてエリスから申し出てくれるのはありがたい気もする。我ながらなんと小ずるい。
ルナリアはしばらく首を傾げていたが――やがてにやりと笑った。
四つんばいのままずりずりとベッドを移動する。美しいお尻がふりふり揺れる。
背を向けたまま、彼女は言う。
「別にそれでもいーんだけども、さくりと通すのはシャクだよな」
「……いえ、良いなら通してくれてまったくかまいませんが」
エリスの返事を気にした様子も無く、ルナリアはベッドの隅にたどり着くと、小さな木の棚を開けた。ごそごそと中をさぐり、あったあったと一言告げる。
彼女は背を向けたまま、何かを背後へと放り投げた。手のひら大の『木箱』は綺麗な放物線を描いて、エリスの元にやってくる。
ルナリアがずりずりと戻ってきて、ぺたんと座り込んだ。
彼女が言う。
「これは一勝負だろ。せっかくの休みなんだから」
「こ……これで、ですか」
苦々しく顔を歪めて、エリスが答えた。明らかに狼狽している。珍しいとさえ思う。
小さな箱をベッドにおいて、フタを開ける。中には――
「カード?」
「そう。トゥーヌという遊び道具でな、確か発祥はここ、ライールだったか。大抵は金をかけるんだが、今回はいらんね」
束となったカードを、エリスがさくさくと混ぜている。特に意味の無い、単なる手遊びなのだろう。
それにしても、と思う。
「ルールを説明するぞ。なに、そこまで難しくは無いし、ルネッタに合わせてゆっくりやっていくから大丈夫」
優しく微笑んで、ルナリアが説明を始めた。
山札が五十二。手札が五。絵柄を合わせて役を作り、その強弱で勝負する。掛け金を乗せるか、勝負を受けるか、そのまま引くか。その駆け引きが大事な遊び、らしい。
――これって。
本当に、似ている。
もちろん、差異はある。ルネッタの知るこの手のカードゲームは、山札は四十だったし手札は三だ。掛け金周りの攻防も遥かに単純だったように思う。
それでも、不自然なほどに似ている。まるでどちらかが元であるかのように。
「どした?」
「えっ? あ、いえ、大丈夫です。聞いてます」
意外と、誰の考えでもたどり着く先は同じ。そんなこともあるのだろうか。
ルナリアが手を差し出すと、エリスは素直にカードを渡した。
「じゃ、私が親。チップはこれ。上限は三で」
「……ちなみに、団長が勝った場合はどうなるんですか?」
「内緒。ルネッタは大丈夫か?」
「はい。なんとか」
自分が勝ったらどうしようかとは、あまり考えていない。二人に挟まれて寝るのが幸せの極致であることは簡単に分かるが、さすがに言えない。
「くばるぞー」
三者三様の表情のまま、寝場所確保の遊戯は始まったのだった。
「ふぐぬぬぐぬぬぐ……」
唸っていた。表情はまさしく悲壮感で塗りつぶされており、目には涙さえ見える気がしてしまう。さすがに最後のは錯覚だけども。
「次で空だぞーエリス」
にやにやと、意地悪くルナリアは笑っている。
結論から言うと、ルナリアの圧勝だった。より正確に言うならば、エリスの一人負けなのだ。
なにしろ表情に出る。手札の良し悪しが全て顔で分かるのだ。大小さまざまな嘘を交えて圧倒するルナリアに対して、それはあまりに致命的な弱点だった。
――意外だなぁ。
普段の印象からすれば、むしろ逆になるかと思っていたのだ。
もちろん、本来エリスは良く笑うことは知っている。ルナリアが、必要であれば幾らでも表情を作れることも。
それにしても、この大差とは。
ちなみにというわけでも無いが、ルネッタのチップはほとんど変動していない。表情を読むことなど最初から全て諦めて、手札がよければ行く、ダメなら下がると繰り返しただけだ。ルナリアも、どこか遠慮してそんな分かりやすい自分を食いにこなかった。それも大きな理由だろうとは思う。
「勝負、します!」
「そりゃ乗せる弾が無いしな」
二人同時に、ベッドにカードをさらりと広げた。
「戦槌の三揃い!」
「私も同じ三揃い……が、こっちは大樹。ざーんねんだったなエリス」
こてん、と。
姿勢はそのまま、エリスは器用に横へと倒れた。
「ううぅぅう……ひどい。私がこの手の勝負が苦手なのを知っててこの仕打ち」
「負けてから言うなよと」
呆れたように返すルナリアだが、どこか楽しそうでもある。
「どうするかなー。どうしようかなー」
もはや表情に悪意さえ感じる。
「これで、ひとり……私は、ひとり……無情です……」
呟くエリスは倒れたまま、もぞもぞと揺れている。表情は明らかに気落ちしており、ルネッタが保護欲に駆られるほどに頼りない。
演技、かもしれない。というか半分はそうだろうと思う。
そのあたりを大幅に差し引いたとしても――ぞくりと背筋に何かが奔るほどに、今のエリスは可愛く見えてしまった。普段との差というものが如何に強烈なのか、まさに今実感しているところだ。
思わず、ルネッタは動いた。エリスの傍まで這いずる。近くにぺたりと座りなおす。
「ルネッタ……?」
見上げてくる。顔が横向きなのでその表現が妥当かは分からない。一つ確かなのは、犯罪的に可愛く見えるということだけだ。
なんだか言葉も思いつかないので、投げ出された手をそっと握って見る。
「あ……あはは」
笑った。心臓が跳ねるかと思った。
「優しいですね」
エリスが妙に素早く動いて――あっという間に、膝枕の体勢になってしまった。
以前してもらったことはある。そしてするのは始めてだ。
伝わる重さ。肌の感触。たまらない、と思う。
「良い匂いがしますね、ルネッタは」
「そ……その言い方はすごく恥ずかしいです……」
顔が熱い。どこか体も熱い。言葉の所為、だけでは無い気がする。
「……これはあれか、要するに私の負けか」
なんとも言えない表情で、ルナリアが言った。
――あ。
まずかった、だろうか。ほとんど衝動に任せてしまったのだけど。
けれどもルナリアは――優しく、本当に優しく微笑んで。
「ルネッタが真ん中だな。それが一番丸く収まる」
――え、と。
ある意味勝った、のか。
下を見る。エリスと目が合う。何かに引かれるように、手を伸ばして――そっと、彼女の頬を撫でて見る。
エリスは気持ちよさそうに目を細めて、小さく吐息を吐き出した。
――こんな感じなんだ。
ふわふわとした何かが体の中に広がって、息苦しいほどなのに、不快感は少しも無くて。
「もうすこし」
エリスが、そっと呟いた。
「いえ……休み、ですしね」
この場が三人でよかったと、ルネッタは思考の片隅で、そんなことを思った。
目が覚めると、一人だった。
既に日は高く、大きな窓からは輝く日光が部屋に降り注いでいる。気温はほのかに暖かく、二度寝の誘惑が強く体に巻きついてくる。
――おきないと。
もう少し、ああもう少しという欲を振り切って、ルネッタは上体を起こした。
――きのう、は。
結局三人寄り添って、柔らかくて、暖かくて、むしろ暑くて、でも気付けばあっさり寝てしまって。
で、今一人なわけで。
「うぅー」
呻く。そして動く。はっきり言えば寂しいが、子供じゃあるまいしとも思う。
テーブルには、冷たい飲み物に軽めの食事まで用意されていた。食べて、飲めば、さすがに目も覚める。
――なにしよっか。
休み、らしい。そういわれても困ってしまう。
「……あれの続きでもしよ」
部屋の隅に固めて置いてある荷物から、本と紙を取り出した。食器を片付け、テーブルに広げる。
前に進めたあたりまでページを広げて、気合を入れた。思ったよりも、疲れるものなのだ。
「るーねったっ」
「ひぃいい!?」
ひょこ、と目の前に、突然エリスの顔が現れた。服装は、いつものメイド服になっている。
「……幾らなんでもその反応はどうかと思いますが」
「だ、だって、その……」
普通に登場できないのだろうか。これも一つの楽しみなのは分かるるのだけど。
エリスが小さく首を捻る。
「何してるんですか?」
「ええと、ですね」
言ってしまえば単純な話で、要するに字を覚えているのだ。
音は同じ。意味も同じ。違うのは形だけ。とはいえやはりとっさに理解するのは中々に難しい。だからこうしてコツコツと、照らし合わせながら本でも読んでいるわけだ。ついでにこちらの国の知識にも触れられるのだから、有意義の極みだと思う。
エリスは――なぜか、眉をしかめている。
「はぁ……真面目ですねぇ」
「そう、ですか?」
「まー本人がしたいなら止めませんけども。ところで……団長は?」
「いえ、わたしも今起きたばかりで」
ぴょこりとエリスの長耳が動いて、扉のほうへと首を向ける。
「ちょうど良いみたいですね」
扉が開く。金の髪をさらりと流して、ルナリアが戻ってきた。こちらも、普段の白い礼服だ。
「おー起きたな。じゃあ――」
「団長」
エリスが言葉を遮った。
「どした」
「これを」
小さな『石版』を、エリスは懐から取り出した。ルナリアが手招きしたからか、その場で放り投げる。
受け取ったルナリアは部屋の隅に置かれていた『ガラスの棚』へと近づいた。中にはたっぷりと水が詰まっている。単なる装飾品だと思っていたのだが。
ぽかりと開いた隙間に、ルナリアが石版を差し込んだ。大きさはまさに丁度良く、どうやらこのためにあるらしい。
かすかに光る指先で、そっとなぞる。恐らく魔力を通したのだろう。
中に詰まった水に――光で出来た文字が、浮かび上がった。
「……なるほどな。アレが特別じゃなかったわけか」
「そのようです。境界際の盗賊騒ぎが、この半年で四件。それら全てにアスルム側は不干渉を決め込み、結果ライール側が秘密裏に討伐をした、と」
「……ふん」
ルナリアが、くしゃりと頭を掻いた。
「誰が悪いのやら、元凶なのやら」
「いずれにしても、次の食事会、穏やかに済むかは怪しいものですね」
「そりゃそうだ、てところか」
くるりと振り返り、ルナリアがこちらまでやってくる。
「ルネッタ」
「なんでしょう?」
「手を出しなさい」
はて、と思う。言われたからには出すのだけれど。
差し出した手のひらに、ルナリアが小さな布袋を置いた。それなりに重い。
「お前に給料をやる」
「……え? えええ?」
言われてみれば、布越しの感触はまさに硬貨だ。
「い、いただけません! わたしはまるで役に立たないどころか、迷惑ばかりかけて――」
「あぁもうそういうのはいいから」
返そうとした手を、逆に押し留められてしまった。
「お前もとっくにうちの一員なわけだし、酷い目にもあったし苦労もしたしで、代価を受け取る権利はある。だから素直にもらいなさい。反論はダメ。絶対に許さない。分かったか?」
「う……はい」
もちろん、ありがたい。もらって嬉しくないはずが無い。
けれども、どこか申し訳ない気持ちのほうが強かった。
「いいではありませんか」
言葉、同時に柔らかい感触と、暖かさ。背後から抱きしめられて、いつものように頬ずりされる。
「こうして私達の心を癒す仕事を、懸命にしているのですから」
「……そ、そういうものですかね」
頷くかわりに、エリスは上下に二回、頬を擦り付けて、
「ところで団長。私の分は?」
「あるかそんなもん……と言いたいところだが、実はある」
皮袋を、嬉しそうにエリスは受け取った。
「ちなみにどっちもアンジェがくれたものだ」
一瞬、エリスが固まった。
「……いえ、さすがにここはありがたく思うべきですね」
「そりゃそうさ」
ルナリアの視線が、再びこちらに向けられた。
「というわけで、本当の意味で今日は休暇だ。こうして資金も手に入ったわけだし、せっかくだから街でも見てきたらどうだ」
「ええと、いいんでしょうか」
彼女は頷いて、ちらりとエリスを見る。
「二人で行ってくると良い」
「団長はどうするのですか?」
小さく息を吐いて、ルナリアは言った。
「アンジェの相手だ。今日は丸一日付き合わされる気がする」
「む」
エリスの手がするりと解けた。彼女は足早にルナリアの傍まで行くと、両肩をがしりと掴んだ。
「間違いだけは、起こさないでくださいね」
「……その言葉、そっくりそのままお前に返してやる」
じとり、とルナリアの瞳がエリスとルネッタを行ったりきたりする。言葉の意味は――まぁ分からないでも無いのだけど。
「エリス」
「分かっておりますとも。いらぬ喧嘩はしません」
「違う」
硬い声。不思議そうに首を傾げるエリス。
ルナリアが、じ、とこちらを見て、
「ちゃんと守れよ」
「……無論、です」
ふう、と彼女は肩の力を抜いた。
「厳密に言うと、ルネッタの市民権はこっち側じゃ使えないんだ。が、そこはアンジェになんとかしてもらえる。まさか官憲に捕まることも無いだろうし、安心していい。ああそうそう、ちゃんと金は自分のために使えよ。約束だぞ?」
頷いてから、実感する。
制約も無くエルフの街を歩くのは――これが始めてなのだ。