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Elvish  作者: ざっか
第二章
32/117

アンジェ・レム・ライール 一


 ルナリアが盗賊退治から戻ってきた。

 傷一つ、どころか服に汚れすらない。背後にはぞろぞろと亡者のような賊が数人。脅しただけで黙ったのでは無いかとルネッタは考える。

 

 彼女の顔は、けれど晴れない。

 残骸と化した小屋をぐるりと見渡した後に、ぽつりと呟いた。


「一人逃げられた」


 エリスが驚いたような声をあげた。


「本当に? 団長からですか?」

「……足も早かったが、何より気配を消すのが上手くてね。ふつーの賊じゃなさそうだ、あれは」


 くるり、とルナリアは顔を横へと向ける。


「それで、なんでお前がここにいるんだ?」


 言葉の矢先の主である女騎士――ディア・ラグ・ソークスは、びくりと体を竦ませた。

 柔らかそうな茶色の髪と、潤んだ蒼い瞳。少し苛めてみたいと、ルネッタでさえ思う。

 

 気まずそうに視線を泳がせながら、彼女は言った。


「その……どちらかと言えばそれは私の言葉ではないかと」

「どーでもいいですよ、もう」


 エリスが遮った。


「ディア、馬車を用意しなさい」

「とっ突然そんなことを言われても」

「ディア、馬車を用意しなさい」


 すぅ、とエリスの目が細まった。


「三度目はありません」


 息を呑み、目を泳がせた後、ディアは背を向けて走り出した。逃げたようにも見えるが、エリスが特に反応しないので、本当に馬車を用意してくれるのだろう。

 少し気の毒に思えてきた。


「大丈夫ですよ、ルネッタ」


 肩にエリスの手が置かれた。太陽のような笑顔で、彼女は続ける。


「ああ見えて喜んでいるんです」


 ルネッタには、返す言葉が思いつかなかった。


「かもなー」


 気の抜けた声で、ルナリアが返事をする。彼女はそのまま歩を進めて、原型すら留めていない小屋の中へと入っていく。

 二人で、後に続いた。

 

 ルナリアが積もった残骸を軽く蹴飛ばすと、中から賊の『親玉』が出てきた。

 なんと生きている。気を失ってはいるようだが、特に酷い外傷もなさそうだ。

 

 ルナリアが言った。


「犬が、出たのか」

「ええ」


 問いに、エリスが答える。一転して声は硬い。


「賊の頭らしき者――つまりはそれが、黒い球を持っていました」

「……契りの玉か?」

「おそらくは。現物を、それも使用前の物を見るのは初めてですので、断言は出来ませんが」

「私も見たことは無いさ」


 ルナリアがくるりと振り返った。


「こいつを起こして聞き出すにしろ、後ろの残党に聞くにしろ……私達の仕事では無いな」


 エリスが小さく肩を竦める。


「根が深そうですね」

「まったくだ」

 

 二人同時にため息をついて、ルナリアが小声で呟いた。


「休暇の続きを向こうで取る……そんな期待もあったんだけどな」




 新しい馬車は、さすがに少し小さかった。

 座席に三人、寄り添うように夜を明かし、その間も馬車は進み続けて昼になり。休憩、食事と一通りの手順を済ませて。

 ようやく目的地にたどり着いたのは、太陽も沈み始めたころだった。


「う、わぁ……」


 馬車から降りて、あたりを見渡し、ルネッタは思わず声を漏らした。

 古老が一、アンジェ・レム・ライールの治める地。ここはその首都であるらしい。

 

 地平の先まで建物が続くさまは王都と同じようではあったが、町並みはまるで違う。

 左右に立ち並ぶ建築物は、大樹を思わせるように高く、大きい。それこそ王都の二倍近いのではないかと思う。素材か技術か、あるいは両方か。いずれにしても恐ろしく高度な力の結晶だとルネッタは思う。

 

 壁はどれも滑らかに輝き、歪みもヒビも無い見事な石造りだった。王側であれば、城にのみ使われている素材ではないだろうか。

 しかし何よりも目に付いたのは、やはりこの地面だと思う。色は深い灰色で、水に濡れたようにてらてらと輝いている。けれど滑るわけでは無く、下手な土より歩きやすい。

 

 こんこんと、ブーツで軽く踏んで見る。

 ぱぁ、と。

 まるで星が砕けて光を放つように、体重をかけた部分が煌びやかに光るのだ。


「ついにここまで伸ばしたのですか」


 呆れたような声で、エリスが言った。


「派手好きだからなぁ。といってもさすがにこの通りだけらしいけど」


 ルナリアが答えて、歩き出した。

 後を追う。

 人影は十分すぎるほど多いが、あたりが埋まるほどではない。服装などは王都とそれほど変わらないように見える。皆小奇麗だし、色も様々だ。やはり国を通して豊かであるということだろうか。

 

 進むごとに段々と人影が減ってきた。同じように建物もまばらになりつつある。しかしそれに反するように、道は輝きを増していくようだ。

 向かう先に、広い屋敷が見える。恐らく――あるいは当然のように、あれこそがアンジェの宮殿なのだろう。

 

 壁面は白一色。高さはあくまで一階分のみで、横へ横へと広がっている。驚いたことに囲いが無い。防衛用と思われる『あれ』や『これ』は存在しないように見えた。

 門番らしき者だけは二名居り、どちらも完全武装のまま、続く道の左右を固めていた。

 

 視線がこちらを捕らえて、構えた槍が交差された。

 ルナリアが軽く手を振ると、応えるように槍が引かれる。もちろん向こうも承知の事なのだと思う。

 門が開かれた。

 女が一人、立っている。


「お待ちしておりました」


 茶色の髪をふわりとなびかせて、ディアは深く頭を下げた。

 馬を走らせ先んじ帰り、こうして出迎えまでしてくれる。中々に多忙だと思う。

 

 当然甲冑姿ではなく、体に密着するような黒い服を身に纏っていた。上は胸の形まで分かるようであり、下は太ももがむき出しのスカートだ。扇情的ではあるが、靴だけは丈夫そうなブーツのままだった。


「こちらへ」


 そう言って、ディアは背を向けた。

 廊下を歩く。只それだけのことだというのに、感嘆のため息を我慢するのも大変だ。

 

 床は白い。壁も白い。大理石を更に磨きぬいたような輝きの中に、定期的に細い光が走る。

 赤く流れれば血のようで、黄色に抜ければ蛍の通り道のよう。

 

 エルフの国にやってきて、それなりに時間が経った。少なくない不思議を、この眼に焼き付けたと思っていた。

 ――すごい。

 こんな陳腐な感想しか出てこない。今までの体験の中でも、図抜けてここは幻想の世界だ。

 

 大きな扉の前でディアが足を止めた。軽く手を上げ、再び頭を下げる。


「どうぞ」


 そう、促した。

 ――自分で開けるんだ。

 言われたルナリアが扉に手をかける。客なのに、あるいは客だからか。それともここは古老の屋敷で、彼女はあくまで騎士団長に過ぎないからか。このあたりの礼に関しては、今でもさっぱり分からない。

 

 開いた向こうは、庭園だった。

 生い茂る木々の間から注がれる木漏れ日が、輝く床を赤く染める。太陽はやや傾き、風は少し肌寒い。

 小さなテーブルに、椅子が六つ。幾つかのグラスと、皿に盛られた菓子の数々。

 

 貴族の休息所とでも言うべき空間に、エルフが一人、こちらに背を向けたまま、立っていた。

 顔は当然分からないが、恐ろしく目を引く点が一つある。

 ――水色だ。

 腰まで届く長い髪は、透き通った空のように真っ青だった。

 風が吹く。髪がなびく。さらさらと流し、それを軽く手で押さえて。

 

 エルフが、こちらへ振り返った。


「ようこそ――あるいは、遅かったと言うべきかしら」


 花すら霞む笑顔と共に、青髪のエルフが微笑んだ。

 古老が一、アンジェ・レム・ライール。

 

 若い。まず何よりも強く感じたのはそのことだった。年のころで言えば十五、六に見える。ルナリアの妹と同じくらいか。

 柔和そうな、それでいて大きく輝く瞳。通った鼻筋に、細い顎。幻想的なまでの美しさを、青い髪が何倍にも引き立てている。

 

 身に纏った白いドレスのような服は、驚くほど露出が多い。こぼれそうな胸元に、太ももまでむき出しの短いスカート。白く輝く綺麗な素足には、蔓で編んだようなサンダル。

 

 服装を一見すれば娼婦のようですらある。だというのに、下品さの欠片も感じない。

 ――妖精、か。

 ありふれたはずのその言葉を、ルネッタは頭の中で繰り返した。

 単に美しさを競うのであれば、ルナリアのほうが上だろう。けれども、どちらが幻想的か、あるいは非現実的かとなれば――彼女の纏った雰囲気に、勝るものなどあるのだろうか。

 

 ルナリアが一歩踏み出し、頭を下げた。


「申し訳ありませんでした、ライール卿。途中で――」

「あぁもう、そういうのは必要ありませんの」


 す、とアンジェはテーブルを指差した。


「まずそちらへ。挨拶の前に一杯、ですわ」


 輝く瞳が、ルネッタを捉えた。思わず固まる。鼓動が少し早くなる。


「あなたも」


 そう言って艶やかに微笑んだ。

 促されるままに椅子へと腰掛ける。横並びになった三人の前へと、ディアがグラスを置いていく。

 並々と注がれた液体は、不思議な色をしていた。橙色というには赤く、血というには黄色い。

 

 対面へと座ったアンジェは、一人グラスを手に取ると、


「お酒ではありませんの。もちろん毒でもありません」


 いたずらっぽく笑い、彼女は一息で飲み干した。

 ここで飲まないほうが失礼にあたるのだと思う。ルネッタは慌ててグラスを掴んで、口元へと持っていく。

 柑橘系の匂いが、優しく鼻をくすぐった。口に含むと濃厚な甘さが広がっていく。水のようにさらりと飲みやすく、けれども果汁のように味わい豊かだ。

 

 なんだろう、と首を捻る。


「単なる果汁ですわ。いろいろ混ぜてはおりますけれど」


 視線を戻すと、アンジェと目があった。


「おいしいかしら」

「はっはい!」


 上ずった声が漏れてしまった。それが面白かったのか、アンジェは少し笑い、グラスを掲げた。

 彼女の目が、ルネッタの横へと流れる。


「冷やせば保存もそこそこ利いて、味も良い。いいものだとは思うのですけれど――如何せん高価ですわ。これ一杯で、日雇い労働者の稼ぎが消えてしまうの」


 思わずルネッタは手元のグラスを見つめてしまった。

 アンジェが続ける。


「毎日毎晩、とは言わないまでも――週末程度なら誰でもこれが飲めるようにするというのが、最近のわたくしの興味かしら……ディア」


 呼びかけた声に、即座に黒衣のエルフが反応した。

 彼女のグラスにたっぷりと、二杯目の果汁を注いでいく。


「あっ」


 手元が狂った、のだろうか。瓶がゆれ、中から果汁があたりに飛び散る。零れた先はテーブル、ディア自身の手元、そして――


「……ディア?」

「もっももっもうしわけ、あ、ありませんっ」


 美しく組まれたアンジェの膝元へ、少なくない雫が垂れていた。陶器のような膝からすねへ、そして整ったつま先へと、液体が道を作って落ちていく。

 ディアは目に見えて血相を変えて、瓶をテーブルへと置いた。

 

 アンジェの目が、ゆっくりと流れた。

 静かに言う。


「汚れましたわ。綺麗になさい」

「た、ただいまっ!」


 隅へと駆け寄り、白い布を水でぬらし、急ぎ戻ってアンジェの傍へと跪き――


「違いますわ」


 氷のような声音が、その動きを止めた。

 アンジェの目が、すぅ、と細まる。薄く開いた唇から、血のように赤い舌が見える。


「ディア……分かっているのでしょう?」

「……は……い」


 ディアは、布をそっとテーブルへと置いた。アンジェの足元へと屈み込んで、紐のように足に巻きつく蔓を解いていく。

 

 解かれた素足を、宝石でも持つかのように大事に掲げて、

 ――え。

 雫がぽたりと垂れるつま先へと、ゆっくりと、舌を這わせた。

 ――う、わ、ぁ

 漏れかけた声を、ルネッタは必死に噛み潰した。

 

 舐めている。

 猫のように丁寧に、それでいて目を奪われるほど淫靡に、ディアはアンジェの足を舐めている。

 垂れる果汁を吸い取るように舐めとって、軌跡を逆走するように脛を登る。舌はやがて膝へとたどり着き、始点である太ももまで――


「そこまでよ」


 アンジェの声で、動きが止まった。少し熱っぽく聞こえる。

 体勢はそのまま、ディアは顔をあげた。

 うなされたような瞳、一目で分かるほどに赤い頬。荒い息。震える喉。

 

 顎の先へと、アンジェの手がするりと伸びて、


「いいこね……後でご褒美をあげますわ」


 大きくつばを飲み込んで、ディアは頷いた。立ち上がって布を手に取り、己の舐めた後を丁寧に拭いていく。

 ルネッタは、ただ、それを見ていた。あっけに取られていた、というのが正しい表現かもしれない。

 

 ようやく正気を取り戻し、ちらりと横目で確認したところ、ルナリアもエリスも我関せずといった態度で、ちびちびと果汁を舐めていた。

 よくある、ことなのか。これが当たり前の光景なのか。

 拭き終わったディアは隅へと戻る。

 アンジェは体の向きを戻すと、少し胸を張った。

 

 目が合う。瞳は、確かにルネッタを見ている。


「そうそう、飲み終えたのだから挨拶ですわね。わたくしはアンジェ・レム・ライール。古老の一人ですわ」


 淫魔も逃げ出すような笑みで、彼女はそう告げた。

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