寄り道 三
視界の先、畑の向こうにおよそ十。無造作に集まり、威嚇するように練り歩く。手には棒切れ、鎧は無し。
低姿勢で地を駆けながら、エリスはさて、と考える。
隙だらけの空気に微弱な魔力と、単なるチンピラであることはほぼ間違いない。であれば余計にこの奇行がありえなく思えてくるものだが。
――どーでもいいか。
真相などという代物は、地べたに這わせて聞くべきであると、エリスは常々考えている。余計な手間も気遣いも省けるというものである。
盗賊共の視線が一つ刺さり、二つ刺さり、ついには皆がこちらに気づいた。エリスは更に速度を上げる。それを見て――敵は逃げるでもなく、向かうでもなく、只その場で棒切れを構える。表情は困惑で満ちていた。
「あっは」
あまりの素人ぶりに漏れた笑いを噛み潰して、エリスは全力で地を蹴った。
宙を飛び、体をくるりと回転させ――その勢いの全てを乗せた踵を、先頭の脳天へと叩き込んだ。
足から全身へと伝わる奇妙な感触。痺れるような轟音と共に、男の体が地に叩きつけられて、派手に跳ねる。
どすん、という湿った音が響いた。二度目の着地を決めた男の体は、うつ伏せのままぴくりとも動かない。その背中をミシリと踏みつけながら、エリスは盗賊共をゆっくり見渡した。
声は、無い。飼い主を馬車に引かれた犬のような面を、どいつもこいつもしているものだとエリスは思う。
――さぁて。
ここからが難しい。逃がしてよい、殺してよいならば話は別だが、全員の無力化が目的となれば簡単にはいかないだろう。足蹴にしたままの一人目でさえ、殺さぬように手加減はしたのだ。
単純そうな相手だ。ならば手段も単純なほうが良い。
にこりと微笑んで、エリスは言った。
「一人ですよ、怖いのですか?」
少しの間、僅かな静寂、緩やかな溜め、激しい怒号。
蜜に集る蟻のように群がる賊共。とりあえずこれで逃走は無い。冷静になる前に全て平らにすれば終わりである。
エリスは大きく後方へと跳んだ。
釣られるように駆け出す賊は、歩調を合わせるわけでもなく、ばらばらと突っ込んでくる。
足に自信があるのか、腕に覚えがあるのか、あるいは単に無謀なのか。一人飛びぬけた男の棍棒が、うなりをあげて襲ってくる。
するりとかわし、勢いを乗せた肘を側頭部へ。骨が軋む異音と共に、男の体が脇へと吹き飛ぶ。
集団に動揺が奔ったように見えた。関係無いとも思った。
そのままくるりと回転し、上段への回し蹴り。粗野な女の顎に直撃し、骨を砕いて意識を刈り取る。
姿勢を整え、エリスは全力で地を蹴った。目標はすぐそこだ。行くか退くかさえ迷う賊の懐へと飛び込んで、隙だらけの腹へと拳を叩き込む。
胃液と血を吐きながら、枯れ草のように地を転がっていく。賊の動揺は恐怖に変わりつつある。
それでもまだ、元気なものが二人居る。
突っかけてきた巨漢を、正面への蹴りで跳ね返す。膝をついたが、意識も敵意も消えていない。さすがに頑丈だと思いつつ、蹴りやすい位置へと下がった顔を、飛び上がりつつ一撃。
歯と血を撒き散らし、白目を剥いて巨漢が倒れる。着地――その隙を『元気な片方』に狙われた。
細く引き締まった棍棒が、確かな勢いで横薙ぎに振るわれる。
――へぇ。
避けづらく、確実な傷を与える角度、速度である。頭の片隅で関心しつつ、エリスは全身に満ちた魔力を高ぶらせる。
頭頂部からつま先まで流れる力を、瞬時に右手に集めた、戦意を表すかのように、拳が仄かな光を放つ。
うなりをあげて迫る棒へと、真正面から拳をぶつけた。
「……へ?」
意外と高い声が出るものだ。
恐らくは渾身の一撃を、素手であっさりと砕かれた賊は、あっけに取られたように止まってしまった。
右手の魔力をそのままに、男へ拳を振り上げて、
「どけぇっ!」
もう片方、そして恐らくは集団の長である賊が、威勢の良い叫び声をあげた。
エリスはそちらに注意を向けた。長は手をかざしている。周囲の賊が、慌てて射線から逃げ出していく。
視界いっぱいに、灼熱の炎が広がっていく。
そっと、撫でるように。
魔力の塊と化した右腕で、己の手前を大きく払った。
「……なん、だよ」
恐らくは必殺であった炎の波を、そよ風のように消された長の顔は、ここ一月でも最高に笑えるとエリスは思う。
――なんだ、本当に素人か。
一足飛びで殴りかかれるような接近戦において、こんな広範囲へと広がる放出魔術を使うなど、ありえないのである。
威力は薄く、容易く消され、無駄に疲労は蓄積される。それは――この集団が正真正銘の盗賊に過ぎないと、証明するに足る要素であった。
長の戦意はこれで消し飛んだ。部下などもはや言うまでもない。逃げる気力さえ、無いのかもしれない。
あとは単なる処理だと、次なる賊を殴り倒しながら、エリスは心で呟いた。
小屋に戻り扉を開けると、二つの目線がこちらへと注がれた。片方は農場の娘であるサリア、もう片方は当然だがルネッタのものである。
互いに椅子へと腰掛けてはいるものの、微妙な距離がある。どんな会話をしたのかは、さっぱりと想像がつかない。
エリスは静かに言った。
「戻りましたよ」
がたりと音を立てて立ち上がり、ルネッタがこちらへと駆け寄ってくる。フードから見える黒い髪。その間から覗く茶色の瞳。
大きな目を輝かせつつ、言葉を捜すように口が動く。
ようやく思いついたのか、ルネッタは少し慌てたように言った。
「だいじょうぶ、でしたか?」
エリスは小さく肩を竦める。
「ええ、なんとか。一人も殺していませんよ」
「あの、ええと、そういうことではなくて……」
ルネッタは軽く俯きつつも、目線だけはこちらに向けたままである。言いよどむこの娘の顔はとても可愛く見えるものの、はてさて何が伝えたいのやら――もしかして、とエリスは思う。
「私を心配してくれたのですか?」
少し考えるように黙った後、こくり、とルネッタは頷いた。
――うーん。
中々に難しい問題である。
同じ状況を騎士団の誰かに与えたとして、エリスを心配するものは皆無であろう。事実、未だ帰ってきていないルナリアのことを、エリスは毛ほども気にしていない。
単なる賊の十や二十、傷一つ負うことさえ恥であると、少なくともエリスは考えている。
つまりこうして心配するということ自体が、侮辱にあたるものではないかと。
――どーでもいいや。
エリスが黙ったからか、段々と不安げになっていくルネッタの顔が、尋常でないほどに保護欲をそそる。
かわいい。とりあえず他のことは全て投げ捨てようと思う。
さっと手を伸ばして、ぐいと引き寄せ、ぎゅうと抱きしめる。
「だいじょうぶですよぅルネッタ。この通り、無傷で無事で元気です」
「ぁ……そ、それ、は……よかった、です」
上ずった声。それがますますその気にさせる。
手を動かして抱えるように抱きしめつつ、フードをずらして、すりすりと頬ずりをした。ルネッタは小さく呻いているものの、嫌というわけでは無いらしい。
ぴとり、と頬をくっつけたまま動きを止める。折れ曲がった耳に当たるルネッタの吐息がくすぐったい。
ふと、サリアと目が合った。
彼女は凄まじい勢いで顔を逸らして、体ごと横を向いてしまった。それでもどうして気になるようで、ちらりちらりと横目で見てくる。
なにしろ『こういうの』は貴族か戦士の趣味と相場が決まっているもので、彼女の反応は自然かと思う。頬の赤さを見れば見込みはあるのかもしれないが、エリスにとってはどうでも良いことである。
「ああ、そうでした」
このまま感触を楽しんでいたいのはやまやまだが、やるべきことは残っていたのだ。
エリスは再び小屋から出ると、扉の脇に転がしておいた『それ』の襟首を掴んだ。
引きずって、そのまま小屋の中へと放り投げる。
「がっ……ぐぅ……」
もがくだけの長に、威厳など欠片も残っていない。元から大してあったとも思えないけども。
「集団の長か、それに近い立場のものと思われます。片方の膝を砕いてありますし、残った部分も適度に痛めつけてありますから、暴れる心配も無いでしょう」
魔力を使うそぶりを見せれば、その瞬間に肋骨の一本でも砕くつもりである。長もそれは承知しているのか、不自然なほどにおとなしくしている。
残りの賊は適当に木に縛り付けてある。全員がそこそこ重症であるため、逃げられる心配も無いだろう。
エリスは、じ、とサリアを見た。
「殺さない程度に、好きにしてよろしいですよ? 恨みがたっぷりとある相手でしょうから」
サリアは――頷くでもなく、否定するでもなく、その場から一歩も動けないようだ。そんなものか、とエリスは思う。
「なん、で……はなしと、ちがう、ぞ……」
掠れたような声で、聞き捨てならないことを言う。
エリスは長に近づいた。傍に屈みこんで、頭を掴む。
「はなし? はなしとは?」
恐怖に満ちた長の目が、エリスへと向けられる。だというのに、まるでこちらを見ていない。
ぼそぼそと、言う。
「こんな……第三市民どもの……集まりで……ああ、ああ、そうか。おまえが、そうか。錬騎兵が、くる、て。おまえが、そうか。そのとき、こうしろと。あれを、こうしろ、と」
長が、震える手を、懐へと入れる。
エリスは、ただ、それを見ていた。
魔力の『おこり』はまるで見えない。刃物の類であれば即座に奪える。何をするつもりであろうとも、その前に仕留められると思ったからだ。
懐から引き出された男の手には、黒い玉が乗っていた。
――これは?
迷いがあった。不吉だとは思うが、それだけだ。エリスの記憶にこんな魔術道具は存在しない。
それが、行動を遅らせてしまった。
男の指が玉に食い込む。魔力が、乗っていた。
いったいどんな素材で出来ているのか、玉の外皮はひび割れて砕け、中から柔らかな黒い肉が溢れる。
血のように赤黒い液体が漏れて――爆発的な魔力が、周囲に解き放たれた。
「なっ……!?」
エリスは叫び、飛びのいた。即座に舌打ちをする。気にするべきはサリアであり、何よりもルネッタだ。
暴風を伴って吹き荒れる魔力が、ぼろ小屋を軋ませる。ルネッタとサリアは、床へと倒れこんでいた。とりあえずは無事なようである。
強引に進んで駆け寄るべきか、あるいは収まるまで待つか。
悩むその一瞬の間に、事態は進んでしまった。
荒れ狂う黒い風が一点に集まり、虚空に不思議な『ひび』が入った。音すら立てて空間へと穴が開き、そこから黒い霧が噴出してくる。
広がり、集まり、ついには小屋の天井を抜いて、黒の霧は一つの姿をとった。
それは、見覚えのある姿であった。
肌すら痺れるような咆哮が、黒い『犬』から放たれる。
無論、この程度で怯むつもりは無い。恐怖もまるで感じない。しかしそれは――あくまでエリスだけの話であった。
「ひ、ひぃ、ひぃ」
乱れた呼吸から必死の悲鳴を漏らして、サリアはもつれながらも駆ける。外へと逃げ出すつもりなのだろう。
それが、犬の気を引いてしまった。
丸太のような前足が、彼女に向かって横薙ぎに振るわれる。
止める暇も無い。
放たれた一撃は小屋の壁をまるごとくり貫いて、軌道に何も残さなかった。
サリアは――無事、だった。
直前に飛びついたルネッタが、床へと押し倒していたらしい。
すばらしい。なんとすばらしい。後で全力で撫でてあげないと。
思考をどけて、体を捻り、全力を篭めた蹴りを、獣の足へと叩き込んだ。
轟音と共に獣の体が揺らぐ。痛みのためか、甲高い悲鳴が犬から漏れる。
しかし、それだけだ。未だ犬は健在である。
獣の顔がエリスへと向けられた。どうやら、脅威だと認識してくれたらしい。好都合である。
小屋の入り口へと飛びのいて、足元に散らばる木片を蹴った。獣に木が刺さり、血がにじむ。
エリスはさらに後方へと飛ぶ。怒りに満ちた呻きと共に、獣がこちらへと突っ込んでくる。
ついに、小屋はただの残骸となった。
日の落ちかけた畑で、獣とにらみ合うように対峙する。
――さぁて、どーするか。
状況は良くない。なにしろ素手である。
この犬を素手で軽く縊り殺せるのは、それこそルナリアくらいなものだ。その特殊な存在ゆえか、魔術の効きも非常に悪い。どうにかして武器が欲しいというのが本音であった。
とはいえ探しにいけるわけも無い。逃げれば矛先がルネッタ達に向くかもしれないのだ。
エリスは呼吸と共に、みしりみしりと、全身に万遍なく魔力を行き渡らせた。調子は悪く無い。ならば前向きになるべきだ。ようするに今は。
素手で犬殺しが出来る機会というわけである。
地を蹴った。迎え撃つような獣の前足を、姿勢を下げて潜り抜ける。
残った足に拳を叩きつけて、くるりと体を返して脇へと逃れる。戸惑う獣のわき腹を、全力で蹴り上げた。悲鳴と共に体が浮き上がる。
エリスは小さな溜めを作り、追撃を繰り出そうと――
予想外の衝撃が、側頭部を襲った。視界が揺れる。世界が揺れる。地に叩きつけられて土を噛む。鉄の味が口に広がる。
ルネッタの声も聞こえる気がする。
跳ね起きた。獣の顔がすぐそこにある。太い牙が見える。
――ばーか。
口には出さず、代わりに犬の顔へと拳を打ち込む。呻き、下がり、再びこちらを睨んでくる。
口の中にたまった血を、地面に吐いた。獣の心が不思議と分かる。それが嫌に腹が立つ。何を。
「何を勘違いしてんのかね、このいぬっころは」
ぎちり、とエリスは嗤う。
再び地を蹴った。犬にも知恵はある。同じような軌道で腕は振るわないようだ。
関係無かった。逆から来た腕を、エリスは正面から弾いた。生まれた隙にさらに踏み込み、獣の体を駆け上がる。
首の上に、またがった。
――ルナリアだったら。
ここで、頭蓋を砕いて終わりなのだ。まったくあいつは凄い。とんでも無い怪物だ。
あいにく自分はアレには勝てない。
だからもっと、えげつなく。
左手で獣の頭を掴み、右手を大きく振りかぶって。
獣の巨大な目玉へと、渾身の突きを放った。
なにしろ柔らかい。どうあがいてもここは柔らかい。心地よくて気味の悪い感触と共に、様々な液体が噴出していく。
耳を劈く悲鳴をあげて、獣が暴れ馬のようにもがき苦しむ。
「そら」
こんなものでは死なない。だから次の手を打つのだ。
満ち満ちた魔力は手の平へと集まって、一つの結果を現世に描き出す。
そうして生まれた雷の束が、獣の頭部を中から焼いた。
如何に魔術に耐性があっても、中から放たれれば防げない。
重い音と共に獣が崩れ落ちる。エリスはその背を蹴って、地に降り立った。
「ふうー……」
黒い体は、徐々に霧へと変わっていく。残ったのは静寂に、少し混ざった風の音。後は馬のひづめくらいなもので。
――うまぁ?
視界の先に、五頭ほど。上には完全武装の兵が乗っている。
先頭の一人が速度を上げて、どうにか小屋から抜け出していたサリナの傍へと近づいた。
兜を脱ぎ、馬から降りる。農民相手だというのに。
良く通る声で、その女兵士はサリナへと語りかけた。
「私はライール近衛騎士団、ディア・ラグ・ソークス。賊が出るとの届出、確かに受け取った。事情が事情ゆえ、少人数となってしまったが……」
くるり、とディアは頭を回した。こちらには気づいていないらしい。
顎のあたりまで伸びた茶髪は緩く波打っており、堅物そうな顔つきを柔らかく彩っている。蒼い瞳に映るのは困惑だ。
「賊はどこに? そしてこの残骸は」
相変わらず一歩抜けている。そこがかわいいのだけれど。
知らぬ場所で知った顔を見るというのも、中々に新鮮であった。
「ディア」
エリスの声に、ようやく気づいたのか。
ディアはこちらを見て――目を見張った。
気まずそうに視線を泳がせて、あからさまに恐怖の張り付いた顔で、静かに言った。
「……エリス殿、なぜ、ここに?」
「さあ?」
肩を竦めて、意地悪く言う。
――とりあえず。
これでライール領まで向かう足を、気にする必要は無くなったようだ。