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Elvish  作者: ざっか
第二章
30/117

寄り道 三


 視界の先、畑の向こうにおよそ十。無造作に集まり、威嚇するように練り歩く。手には棒切れ、鎧は無し。

 低姿勢で地を駆けながら、エリスはさて、と考える。

 

 隙だらけの空気に微弱な魔力と、単なるチンピラであることはほぼ間違いない。であれば余計にこの奇行がありえなく思えてくるものだが。

 ――どーでもいいか。

 

 真相などという代物は、地べたに這わせて聞くべきであると、エリスは常々考えている。余計な手間も気遣いも省けるというものである。

 

 盗賊共の視線が一つ刺さり、二つ刺さり、ついには皆がこちらに気づいた。エリスは更に速度を上げる。それを見て――敵は逃げるでもなく、向かうでもなく、只その場で棒切れを構える。表情は困惑で満ちていた。


「あっは」


 あまりの素人ぶりに漏れた笑いを噛み潰して、エリスは全力で地を蹴った。

 宙を飛び、体をくるりと回転させ――その勢いの全てを乗せた踵を、先頭の脳天へと叩き込んだ。

 

 足から全身へと伝わる奇妙な感触。痺れるような轟音と共に、男の体が地に叩きつけられて、派手に跳ねる。

 どすん、という湿った音が響いた。二度目の着地を決めた男の体は、うつ伏せのままぴくりとも動かない。その背中をミシリと踏みつけながら、エリスは盗賊共をゆっくり見渡した。

 

 声は、無い。飼い主を馬車に引かれた犬のような面を、どいつもこいつもしているものだとエリスは思う。

 ――さぁて。

 

 ここからが難しい。逃がしてよい、殺してよいならば話は別だが、全員の無力化が目的となれば簡単にはいかないだろう。足蹴にしたままの一人目でさえ、殺さぬように手加減はしたのだ。

 単純そうな相手だ。ならば手段も単純なほうが良い。

 

 にこりと微笑んで、エリスは言った。


「一人ですよ、怖いのですか?」


 少しの間、僅かな静寂、緩やかな溜め、激しい怒号。

 蜜に集る蟻のように群がる賊共。とりあえずこれで逃走は無い。冷静になる前に全て平らにすれば終わりである。

 

 エリスは大きく後方へと跳んだ。

 釣られるように駆け出す賊は、歩調を合わせるわけでもなく、ばらばらと突っ込んでくる。

 

 足に自信があるのか、腕に覚えがあるのか、あるいは単に無謀なのか。一人飛びぬけた男の棍棒が、うなりをあげて襲ってくる。

 するりとかわし、勢いを乗せた肘を側頭部へ。骨が軋む異音と共に、男の体が脇へと吹き飛ぶ。

 

 集団に動揺が奔ったように見えた。関係無いとも思った。

 そのままくるりと回転し、上段への回し蹴り。粗野な女の顎に直撃し、骨を砕いて意識を刈り取る。

 

 姿勢を整え、エリスは全力で地を蹴った。目標はすぐそこだ。行くか退くかさえ迷う賊の懐へと飛び込んで、隙だらけの腹へと拳を叩き込む。

 胃液と血を吐きながら、枯れ草のように地を転がっていく。賊の動揺は恐怖に変わりつつある。

 

 それでもまだ、元気なものが二人居る。

 突っかけてきた巨漢を、正面への蹴りで跳ね返す。膝をついたが、意識も敵意も消えていない。さすがに頑丈だと思いつつ、蹴りやすい位置へと下がった顔を、飛び上がりつつ一撃。

 

 歯と血を撒き散らし、白目を剥いて巨漢が倒れる。着地――その隙を『元気な片方』に狙われた。

 細く引き締まった棍棒が、確かな勢いで横薙ぎに振るわれる。

 ――へぇ。

 

 避けづらく、確実な傷を与える角度、速度である。頭の片隅で関心しつつ、エリスは全身に満ちた魔力を高ぶらせる。

 頭頂部からつま先まで流れる力を、瞬時に右手に集めた、戦意を表すかのように、拳が仄かな光を放つ。

 

 うなりをあげて迫る棒へと、真正面から拳をぶつけた。


「……へ?」


 意外と高い声が出るものだ。

 恐らくは渾身の一撃を、素手であっさりと砕かれた賊は、あっけに取られたように止まってしまった。

 

 右手の魔力をそのままに、男へ拳を振り上げて、


「どけぇっ!」


 もう片方、そして恐らくは集団の長である賊が、威勢の良い叫び声をあげた。

 エリスはそちらに注意を向けた。長は手をかざしている。周囲の賊が、慌てて射線から逃げ出していく。

 

 視界いっぱいに、灼熱の炎が広がっていく。

 そっと、撫でるように。

 魔力の塊と化した右腕で、己の手前を大きく払った。


「……なん、だよ」


 恐らくは必殺であった炎の波を、そよ風のように消された長の顔は、ここ一月でも最高に笑えるとエリスは思う。

 ――なんだ、本当に素人か。

 

 一足飛びで殴りかかれるような接近戦において、こんな広範囲へと広がる放出魔術を使うなど、ありえないのである。

 威力は薄く、容易く消され、無駄に疲労は蓄積される。それは――この集団が正真正銘の盗賊に過ぎないと、証明するに足る要素であった。

 

 長の戦意はこれで消し飛んだ。部下などもはや言うまでもない。逃げる気力さえ、無いのかもしれない。

 あとは単なる処理だと、次なる賊を殴り倒しながら、エリスは心で呟いた。




 小屋に戻り扉を開けると、二つの目線がこちらへと注がれた。片方は農場の娘であるサリア、もう片方は当然だがルネッタのものである。

 互いに椅子へと腰掛けてはいるものの、微妙な距離がある。どんな会話をしたのかは、さっぱりと想像がつかない。

 

 エリスは静かに言った。


「戻りましたよ」


 がたりと音を立てて立ち上がり、ルネッタがこちらへと駆け寄ってくる。フードから見える黒い髪。その間から覗く茶色の瞳。

 大きな目を輝かせつつ、言葉を捜すように口が動く。

 ようやく思いついたのか、ルネッタは少し慌てたように言った。


「だいじょうぶ、でしたか?」


 エリスは小さく肩を竦める。


「ええ、なんとか。一人も殺していませんよ」

「あの、ええと、そういうことではなくて……」


 ルネッタは軽く俯きつつも、目線だけはこちらに向けたままである。言いよどむこの娘の顔はとても可愛く見えるものの、はてさて何が伝えたいのやら――もしかして、とエリスは思う。


「私を心配してくれたのですか?」


 少し考えるように黙った後、こくり、とルネッタは頷いた。

 ――うーん。

 中々に難しい問題である。

 

 同じ状況を騎士団の誰かに与えたとして、エリスを心配するものは皆無であろう。事実、未だ帰ってきていないルナリアのことを、エリスは毛ほども気にしていない。

 単なる賊の十や二十、傷一つ負うことさえ恥であると、少なくともエリスは考えている。

 

 つまりこうして心配するということ自体が、侮辱にあたるものではないかと。

 ――どーでもいいや。

 エリスが黙ったからか、段々と不安げになっていくルネッタの顔が、尋常でないほどに保護欲をそそる。

 

 かわいい。とりあえず他のことは全て投げ捨てようと思う。

 さっと手を伸ばして、ぐいと引き寄せ、ぎゅうと抱きしめる。


「だいじょうぶですよぅルネッタ。この通り、無傷で無事で元気です」

「ぁ……そ、それ、は……よかった、です」


 上ずった声。それがますますその気にさせる。

 手を動かして抱えるように抱きしめつつ、フードをずらして、すりすりと頬ずりをした。ルネッタは小さく呻いているものの、嫌というわけでは無いらしい。

 

 ぴとり、と頬をくっつけたまま動きを止める。折れ曲がった耳に当たるルネッタの吐息がくすぐったい。

 ふと、サリアと目が合った。

 

 彼女は凄まじい勢いで顔を逸らして、体ごと横を向いてしまった。それでもどうして気になるようで、ちらりちらりと横目で見てくる。

 

 なにしろ『こういうの』は貴族か戦士の趣味と相場が決まっているもので、彼女の反応は自然かと思う。頬の赤さを見れば見込みはあるのかもしれないが、エリスにとってはどうでも良いことである。


「ああ、そうでした」


 このまま感触を楽しんでいたいのはやまやまだが、やるべきことは残っていたのだ。

 エリスは再び小屋から出ると、扉の脇に転がしておいた『それ』の襟首を掴んだ。

 

 引きずって、そのまま小屋の中へと放り投げる。


「がっ……ぐぅ……」


 もがくだけの長に、威厳など欠片も残っていない。元から大してあったとも思えないけども。


「集団の長か、それに近い立場のものと思われます。片方の膝を砕いてありますし、残った部分も適度に痛めつけてありますから、暴れる心配も無いでしょう」


 魔力を使うそぶりを見せれば、その瞬間に肋骨の一本でも砕くつもりである。長もそれは承知しているのか、不自然なほどにおとなしくしている。

 残りの賊は適当に木に縛り付けてある。全員がそこそこ重症であるため、逃げられる心配も無いだろう。

 

 エリスは、じ、とサリアを見た。


「殺さない程度に、好きにしてよろしいですよ? 恨みがたっぷりとある相手でしょうから」


 サリアは――頷くでもなく、否定するでもなく、その場から一歩も動けないようだ。そんなものか、とエリスは思う。


「なん、で……はなしと、ちがう、ぞ……」


 掠れたような声で、聞き捨てならないことを言う。

 エリスは長に近づいた。傍に屈みこんで、頭を掴む。


「はなし? はなしとは?」


 恐怖に満ちた長の目が、エリスへと向けられる。だというのに、まるでこちらを見ていない。

 ぼそぼそと、言う。


「こんな……第三市民どもの……集まりで……ああ、ああ、そうか。おまえが、そうか。錬騎兵が、くる、て。おまえが、そうか。そのとき、こうしろと。あれを、こうしろ、と」


 長が、震える手を、懐へと入れる。

 エリスは、ただ、それを見ていた。

 魔力の『おこり』はまるで見えない。刃物の類であれば即座に奪える。何をするつもりであろうとも、その前に仕留められると思ったからだ。

 

 懐から引き出された男の手には、黒い玉が乗っていた。

 ――これは?

 迷いがあった。不吉だとは思うが、それだけだ。エリスの記憶にこんな魔術道具は存在しない。

 

 それが、行動を遅らせてしまった。

 男の指が玉に食い込む。魔力が、乗っていた。

 いったいどんな素材で出来ているのか、玉の外皮はひび割れて砕け、中から柔らかな黒い肉が溢れる。

 血のように赤黒い液体が漏れて――爆発的な魔力が、周囲に解き放たれた。


「なっ……!?」


 エリスは叫び、飛びのいた。即座に舌打ちをする。気にするべきはサリアであり、何よりもルネッタだ。

 暴風を伴って吹き荒れる魔力が、ぼろ小屋を軋ませる。ルネッタとサリアは、床へと倒れこんでいた。とりあえずは無事なようである。

 

 強引に進んで駆け寄るべきか、あるいは収まるまで待つか。

 悩むその一瞬の間に、事態は進んでしまった。

 荒れ狂う黒い風が一点に集まり、虚空に不思議な『ひび』が入った。音すら立てて空間へと穴が開き、そこから黒い霧が噴出してくる。

 

 広がり、集まり、ついには小屋の天井を抜いて、黒の霧は一つの姿をとった。

 それは、見覚えのある姿であった。

 肌すら痺れるような咆哮が、黒い『犬』から放たれる。

 

 無論、この程度で怯むつもりは無い。恐怖もまるで感じない。しかしそれは――あくまでエリスだけの話であった。


「ひ、ひぃ、ひぃ」


 乱れた呼吸から必死の悲鳴を漏らして、サリアはもつれながらも駆ける。外へと逃げ出すつもりなのだろう。

 それが、犬の気を引いてしまった。

 

 丸太のような前足が、彼女に向かって横薙ぎに振るわれる。

 止める暇も無い。

 放たれた一撃は小屋の壁をまるごとくり貫いて、軌道に何も残さなかった。

 

 サリアは――無事、だった。

 直前に飛びついたルネッタが、床へと押し倒していたらしい。

 すばらしい。なんとすばらしい。後で全力で撫でてあげないと。

 

 思考をどけて、体を捻り、全力を篭めた蹴りを、獣の足へと叩き込んだ。

 轟音と共に獣の体が揺らぐ。痛みのためか、甲高い悲鳴が犬から漏れる。

 

 しかし、それだけだ。未だ犬は健在である。

 獣の顔がエリスへと向けられた。どうやら、脅威だと認識してくれたらしい。好都合である。

 小屋の入り口へと飛びのいて、足元に散らばる木片を蹴った。獣に木が刺さり、血がにじむ。

 

 エリスはさらに後方へと飛ぶ。怒りに満ちた呻きと共に、獣がこちらへと突っ込んでくる。

 ついに、小屋はただの残骸となった。

 日の落ちかけた畑で、獣とにらみ合うように対峙する。

 

 ――さぁて、どーするか。

 状況は良くない。なにしろ素手である。

 この犬を素手で軽く縊り殺せるのは、それこそルナリアくらいなものだ。その特殊な存在ゆえか、魔術の効きも非常に悪い。どうにかして武器が欲しいというのが本音であった。

 

 とはいえ探しにいけるわけも無い。逃げれば矛先がルネッタ達に向くかもしれないのだ。

 エリスは呼吸と共に、みしりみしりと、全身に万遍なく魔力を行き渡らせた。調子は悪く無い。ならば前向きになるべきだ。ようするに今は。

 

 素手で犬殺しが出来る機会というわけである。

 地を蹴った。迎え撃つような獣の前足を、姿勢を下げて潜り抜ける。

 残った足に拳を叩きつけて、くるりと体を返して脇へと逃れる。戸惑う獣のわき腹を、全力で蹴り上げた。悲鳴と共に体が浮き上がる。

 

 エリスは小さな溜めを作り、追撃を繰り出そうと――

 予想外の衝撃が、側頭部を襲った。視界が揺れる。世界が揺れる。地に叩きつけられて土を噛む。鉄の味が口に広がる。

 ルネッタの声も聞こえる気がする。

 

 跳ね起きた。獣の顔がすぐそこにある。太い牙が見える。

 ――ばーか。

 口には出さず、代わりに犬の顔へと拳を打ち込む。呻き、下がり、再びこちらを睨んでくる。

 

 口の中にたまった血を、地面に吐いた。獣の心が不思議と分かる。それが嫌に腹が立つ。何を。


「何を勘違いしてんのかね、このいぬっころは」


 ぎちり、とエリスは嗤う。

 再び地を蹴った。犬にも知恵はある。同じような軌道で腕は振るわないようだ。

 関係無かった。逆から来た腕を、エリスは正面から弾いた。生まれた隙にさらに踏み込み、獣の体を駆け上がる。

 

 首の上に、またがった。

 ――ルナリアだったら。

 ここで、頭蓋を砕いて終わりなのだ。まったくあいつは凄い。とんでも無い怪物だ。

 

 あいにく自分はアレには勝てない。

 だからもっと、えげつなく。

 左手で獣の頭を掴み、右手を大きく振りかぶって。

 獣の巨大な目玉へと、渾身の突きを放った。

 

 なにしろ柔らかい。どうあがいてもここは柔らかい。心地よくて気味の悪い感触と共に、様々な液体が噴出していく。

 耳を劈く悲鳴をあげて、獣が暴れ馬のようにもがき苦しむ。


「そら」


 こんなものでは死なない。だから次の手を打つのだ。

 満ち満ちた魔力は手の平へと集まって、一つの結果を現世に描き出す。

 そうして生まれた雷の束が、獣の頭部を中から焼いた。

 

 如何に魔術に耐性があっても、中から放たれれば防げない。

 重い音と共に獣が崩れ落ちる。エリスはその背を蹴って、地に降り立った。


「ふうー……」


 黒い体は、徐々に霧へと変わっていく。残ったのは静寂に、少し混ざった風の音。後は馬のひづめくらいなもので。

 ――うまぁ?

 

 視界の先に、五頭ほど。上には完全武装の兵が乗っている。

 先頭の一人が速度を上げて、どうにか小屋から抜け出していたサリナの傍へと近づいた。

 兜を脱ぎ、馬から降りる。農民相手だというのに。

 

 良く通る声で、その女兵士はサリナへと語りかけた。


「私はライール近衛騎士団、ディア・ラグ・ソークス。賊が出るとの届出、確かに受け取った。事情が事情ゆえ、少人数となってしまったが……」


 くるり、とディアは頭を回した。こちらには気づいていないらしい。

 顎のあたりまで伸びた茶髪は緩く波打っており、堅物そうな顔つきを柔らかく彩っている。蒼い瞳に映るのは困惑だ。


「賊はどこに? そしてこの残骸は」


 相変わらず一歩抜けている。そこがかわいいのだけれど。

 知らぬ場所で知った顔を見るというのも、中々に新鮮であった。


「ディア」


 エリスの声に、ようやく気づいたのか。

 ディアはこちらを見て――目を見張った。

 気まずそうに視線を泳がせて、あからさまに恐怖の張り付いた顔で、静かに言った。


「……エリス殿、なぜ、ここに?」

「さあ?」


 肩を竦めて、意地悪く言う。

 ――とりあえず。

 これでライール領まで向かう足を、気にする必要は無くなったようだ。

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