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Elvish  作者: ざっか
外伝一
24/117

とあるエルフの一日を 五


 おっかなびっくりと隅を歩くのは終わり。

 無駄に音は立てないが、それでも急いで廊下を進む。狭い砦だ。普通にしていればあっという間に外につくだろう。

 

 角を曲がり更に進むと、大きな扉が目に入った。確か中は広々とした大部屋のはずである。同時に、外へと繋がる扉も存在するはず。

 要するに、玄関だ。

 

 黒ずくめの姿は無い。耳が痛いほどの静寂が、どこか現実感を失わせる。それでも――油断だけはしていない。

 少し歪んだ扉を開けた。どう足掻いても音が響くが、今更である。

 

 部屋に入った。窓は無いが、中は比較的明るい。外に面しているわりには気温も高いようだ。それだけ大量の魔石を活性化させたということだろう。

 

 床はむき出しの石であり、壁には汚れたぼろ布がところどころから垂れている。

 錆の目立つ剣や槍が隅に放り捨てられているのは、昔と何も変わらない。いざ進入された時にこの場で食い止めるためなのか、広さは十分すぎるほどあった。

 

 目的の扉は、まっすぐ正面に存在する。

 ヒビが入り、腐りかけてはいるものの、分厚く大きなそれはまさしく門であった。

 さっさと開けて、走って逃げる。疑問など既に山ほど沸いているが、全て後回しだ。

 

 足早に部屋を突っ切って、門に手をかけた。肌に刺さる隙間風に耐えながら、門を――


「くっ!?」


 空を切るような音と共に、何かが門に突き立った。思わず身を翻したが、刺さった場所を見る限り、最初から当てるつもりなど無いようだ。

 長剣である。勢い良く振り返れば――投げ放った張本人が、扉の辺りに立っていた。


「正面からとは。思ったより、度胸があるんだな」


 銀の髪を揺らす男の声は、弾んでいた。ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 ――どうする。

 逡巡は一瞬で済んだ。開けて逃げる間に背中からやられる。

 視線を逸らさず、剣を門から引き抜いた。正面に構えて、男を睨みつける。既に、相手は部屋の中央まで来ていた。

 男が笑う。ぐつぐつと。

 声の震えを強引に抑えて、セラヴィアは言った。


「……他の奴は?」

「さて、散歩かな」


 ふざけた答えだが、その態度と表情から分かることもある。

 おそらく、こいつは一人で戦うつもりだ。舐めているのか、他に理由があるのかは判断がつかないけれど。

 

 セラヴィアは、深く深呼吸して――抑えていた魔力を、体の隅まで行き渡らせた。

 血液に混じるようにして、頭頂部からつま先まで、満遍なく流れていく。もう隠れる意味も無いのだ。

 威嚇も篭めたセラヴィアの全力を、恐らくは肌で感じたその男は、小さく鼻で笑った。

 

 一歩、更に相手が踏み出してくる。

 男から魔力は感じない。古老の黒ずくめは皆そうなのだという。暗殺と奇襲のために、雫一つ漏らさない術を体に仕込まれるのだそうだ。

 もっともそれは、使う必要の無い状況の話で――つまり男にとって、セラヴィアはその程度の相手であると。

 

 腹も立つ。怖くもある。しかしどちらも酷く薄い。

 自分でも不思議なほどに、セラヴィアは冷静だった。

 いざ避けられない状況になったら『必ず先に殴りつけろ』と、姉の副官に教えてもらった。

 

 だから動く。

 剣を構え、迎え撃つ振りを見せて――即座に右に飛びつつ火球を生み出す。

 放出魔術とは、つまりイメージだ。頭で描いた空想を、現実に侵食させる。乖離しているほどに難度は上がり、分かりやすい絵ほど容易くなる。

 手間と威力の狭間で、火球は最も効率の良い手段の一つである。

 

 木の実程度を三つ。拳程度を一つ。軌道に不規則さを混ぜつつ、最大の速度で相手に投げつける。

 男は――避けた。あっさりと。

 着込んだ甲冑を物ともせず、火球の隙間を縫うように、距離を詰めつつ避けてしまった。

 

 思わず舌打ちをする。強い。思ったよりずっと。

 廊下の壁で火が弾けた。周囲に強い光が満ちる。


「次は?」


 その態度を油断と言えるだけの力は、セラヴィアには無かった。

 距離はせいぜい十歩。次の手をしくじれば接近戦だ。

 位置が変わり、背後は門でなく壁になった。錆びた剣、痛んだ槍が後方に散らばっている。

 

 ――だったら。

 再度、火球を生み出した。大きな物を二つ。

 男の顔が、つまらなそうに歪む。

 

 放った。部屋の中を、軌跡を残して火の球は飛ぶ。男は軽く横に飛び――次の瞬間、球の中から、一回り小さな火が飛び出した。

 大で小を包んでおいた。注意深く魔力の流れをなぞれば分かったはずだが、余裕に溢れる男にそんな考えは無かったろう。

 

 既に飛んだ後である。とっさに動けぬ男の身へと、小さな火は吸い込まれて――。

 あっさりと、男の体に触れる直前で、弾けて虚空に消えてしまった。


「へぇ、工夫してるな」


 ぎり、とセラヴィアは軽く歯軋りをした。

 分かってはいるのだ。

 魔術というものは、生み出すよりも消すほうが圧倒的に簡単である。

 ありもしない『何か』を魔力で強引に存在させているのだ。防ぐには、その嘘を暴くだけで良い。

 

 きちんと訓練を受けた戦士、ましてや一対一であれば、取れる戦術など単純なものである。

 防御の膜を隅々まで張り、残った全てで身体の強化を行う。後は正面から叩き潰す。火の球などは、曲芸にしかならない。

 

 防ぐために使ったからか、男の体には魔力が満ち満ちていた。肌に伝わる感覚が、量と質を物語る。

 姉よりは遥かに少ない。そして、セラヴィアよりは随分と多い。

 だからといって、膝を折ろうとはまるで思えなかった。

 

 握り締めた剣の硬さ。男から伝わる圧力。埃っぽい空気。興奮と緊張の入り混じった体温。

 首筋に奔る、馴染んだ感覚。

 ――え?

 それを確かめる暇もくれず、男が地を蹴った。

 

 手にはいつの間にか剣が握られている。刀身は薄く、細く、そして漆黒だった。

 ――極光製。

 わざと、だろう。振り下ろされた見え見えの上段を、必死に受けた。剣も力もまるで違う。鍔迫り合いなどしていられない。

 絡めるように剣を捻って力を逃がし、全力で後方へと飛ぶ。埃が舞う。サンダル越しに、硬い石の感触があった。


「小細工はなかなかだが」


 追撃が来た。

 鋭い横薙ぎをやり過ごしたかと思えば、即座に刃が返って来る。

 鋭く、重く、速く。受けきれ、ない。


「がっ……」


 力を逃がす余裕も無く、真正面から受け止めてしまった。

 飛ばされて、壁に背中を強かに打ちつける。息が詰まる。涙が出る。それでも目は逸らさない。

 

 男の顔からは――笑みが消えていた。

 不愉快そうに眉をしかめ、唇を尖らせている。

 追い詰めたにも関わらず、来ない。間合いの外に立ったまま、男が呟いた。


「その顔で……」

「――は?」

「なぜそんなにも弱い!」


 怒りを篭めた咆哮。

 踏み込まれた。構える。遅れた。受けた剣が、手から弾かれて飛んでいく。

 素手にされて、体勢も揺らいだ。隙の塊となったセラヴィアは、一瞬、確かに死を覚悟した。

 

 来たのは、蹴りだった。

 腹部に刺さる。地面を転がる。視界がゆれるような衝撃が、体の芯まで染み渡った。

 土と埃が口に入った。擦った耳から血が出ている気がする。このまま寝てしまいたい。そんなことで良いわけも無い。

 

 震える膝に渇を入れて、どうにか立ち上がる。床に散らばる剣が刺さらなかっただけでも幸運だ。

 男は、動かなかった。

 人質として使うのだから、殺すわけにはいかない――どうにも、そんな単純な話ではなさそうだ。

 セラヴィアがその言葉を吐いたのは、本当になんとなく、だったと思う。


「あんた……誰なの?」


 それを受けて、男がゆっくりと剣を下ろした。

 少しの沈黙を挟んで、口を開きかけ――激しく咳き込む。

 どこからか布袋を取り出すと、そのまま口をつける。これ以上無いほどの隙だったが、見送った。そのほうが時間を稼げると思ったからだ。

 

 男は砂のような薬をごりごりと咀嚼し、憎悪に揺れる瞳でセラヴィアを睨みつける。


「王下直属第五騎士団百人長、イヴァレ・ラグ・タイタヌス」


 声音は、いやにはっきりとしていた。

 ――騎士団の、百人長?

 何よりの問題がある。

 第五騎士団は、あのアルスブラハクの裏切りによって、まさしく壊滅したはずである。

 前面のダークエルフ、背後から迫る裏切り者共の挟撃によって、地獄の釜で煮るに等しい惨劇だったと聞いている。


「生き残りがいたの……?」

「そうだ」


 イヴァレが布袋を投げ捨てた。


「それで、今は古老の犬ってわけ」

「犬、犬か。そうだな、確かにそうだ」


 奴が笑う。小さく、含んだように。


「気づけばこんな体にされて……お前を攫って帰れば戻してくれるという話だが、どうでもいい、そんなことは」


 男の瞳に映る光は、溢れるほどの狂気を孕んでいた。


「元を正せば我らの団長が馬鹿すぎたのさ。お前の姉への下らぬ反発で、援護を断り独断専行。結果はあの様、無残なものだろう。使えぬ上官へ復讐しようにも、団長はとっくに土の下だ。アルスブラハクにやられてな」


 軽く咳き込み、続ける。


「そのアルスブラハクも死んだ。お前の姉に殺された。分かるか? もう相手は、ルナリアしか残っていない」

「……とんだ逆恨みだね」

「知っているさ。それがどうした」


 一歩、セラヴィアは下がった。思ったより、まずい、かもしれない。


「本人に直接行けば良いんじゃないの?」

「俺が? あれと? 冗談も大概にしておけよ。出来もしないのに突っ走るのは馬鹿の所業だ。我らの団長のようにな」


 イヴァレが剣をゆっくりと掲げる。光を浴びても、漆黒の刀身は少しも輝かない。


「奴は高速馬車で王都を出たそうだ。最初の予定では明日のはずだが、この調子ならば今夜にはつくだろう。お前の儀式に間に合わせるつもりなのだろうな」


 ――姉さんが。

 帰って来る、のか。


「そうしてやってきたルナリアの目の前で、お前の首を削ぎ落とす。どうであろうと、第五騎士団は俺の『場所』だった。似た思いを、あの女にもかみ締めさせてやる」


 目にも声にも、欠片の嘘も無い。本気だ。


「そんな真似して、姉さんがあんたを生かして帰すとでも?」

「二度言わせるなよ。知ってるさ、もちろんな」

 

 姉は、優しい。他に対してどうであろうと、セラヴィアには驚くほど優しい。甘いと言い換えても良い。まともに怒られた記憶すら無いほどだ。

 愛されているというのも、自惚れでは無いとセラヴィアは思う。

 そんな姉の前で、自分の首が刎ねられるようなことになれば、どうなるか。己の所為で妹が死んだとすれば、どれほどの傷を負うのだろうか。

 

 死ねない、と思う。

 死にたくない、ではなく、死ねない。

 だから勝つ必要がある。


「ふん」


 イヴァレが鼻を鳴らした。体が僅かに沈みこむ。

 踏み込んでくる。合わせて、こちらも地を蹴った。小さな火球を正面に一つ。当然のようにかき消されるが、同時に地面にも一つ投げた。

 広がる炎。光。僅かに鈍った男の横を、必死の思いですり抜けた。

 位置が入れ替わり、互いに振り返る。

 

 もう一度、セラヴィアは火球を生み出した。こぶし大のものを二つ、胸の前に浮かばせる。


「またそれか?」


 詰まらなそうに呟かれた。

 さっきと同じ、わけがない。

 一つをイヴァレの顔面へと、もう一つを部屋の隅へと撃ち込んだ。

 

 魔力量に自信など無い。しかし小細工だけならそれなりに出来る。

 斬り合い殴り合いは不得意だ。魔力量で強引に壁を貫くことも出来ない。そんなセラヴィアが、自分の頭で考えた工夫の結晶が、今放った火炎球である。

 

 炎に風を混ぜて圧縮し、さらに一枚風で覆う。何かにぶつかれば、定められた働きをする。つまり、


「なっ!?」


 初めて、イヴァレの口から驚きが洩れた。

 風と火で出来たその球は、外から来る衝撃に反応して、溶け合い、混ざり合い――そして、爆発する。

 その風とて、魔術によるものである。当然イヴァレの防御を抜くには至らない。しかし――その風に煽られて飛び散る、足元に捨てられた剣は別の話だ。

 

 何が起きるか知っていたセラヴィアは、当然後方に引いている。

 密閉された部屋での爆発である。耳がびりびりと痺れ、粉塵が巻き起こって視界を閉ざした。お互いに、姿は見えなくなってしまった。

 

 効いた、のだろうか。

 脇にはかなりの数になる武器の残骸があった。それら全てを防ぐのは、いくらなんでも困難だとは思う。

 同時に、致命傷を与えるのも難しいとも思う。急所部分に至っては極光製の鎧なのだ。貫けるはずもない。

 

 今のうちに、門を開けて逃げるべきなのだろうか。

 あるいは、このまま背を向けず、注意を注いでおくべきなのだろうか。

 逡巡が、あった。

 答えを出す暇は、無かった。

 

 もうもうと広がる煙を裂いて、甲冑が飛び出してきた。速く、あまりに鋭い。

 左右に飛ぶ暇も無く、後方は門。黒い刀身が、舞う埃ごと切り裂くように振るわれる。

 

 避けられなかった。

 右肩に焼けるような痛みが奔って、そのまま跳ね飛ばされる。残った左肩を門にぶつけて――ずるずると床に座り込んでしまう。

 剣の腹で、殴られたらしい。

 左右の肩が熱い。思わず指を確認する。動く。痛むが、動く。敵は――。


「ぐぅっ!」


 痛んだ右肩に、さらなる衝撃が来た。

 足蹴にされて、門と具足で挟まれる。みしみしと骨が嫌な音を響かせる。

 気が遠くなりそうな痛みを、しかし堪えて、セラヴィアは顔を上げた。

 

 憎悪に満ちたイヴァレの顔が、そこにあった。

 節々が切り裂かれ、血が白い肌を染めている。片方の耳などは、指ほどもある刃の破片に貫かれていた。

 食いしばるようだった口元に、ゆっくりと、裂けるような笑みが浮かぶ。

 声音は、明るい。


「良いぞ、良い。最初よりずっと良い。弱すぎても意味が無い。適度に戦えるほうが良い。そのほうが――ルナリアに似たお前を嬲る甲斐があるというものだ」


 狂気を孕んだ瞳。絶望的な状況。

 それでも、もう恐怖など微塵も感じない。

 だから鼻で笑ってやる。お返しのように。


「あんたよりも、儀式のほうがよっぽど怖い。それに――」

 

 小さく、そしてはっきりと、セラヴィアは続けた。


「間に合ったみたい」

「……あ?」


 ちょうど、セラヴィアから一人分、右にずれたあたりに。

 ひび割れた門を貫いて、一本の刃が飛び出した。イヴァレの顔が歪む。セラヴィアは息を吐く。

 刃は一度引き抜かれて――空気ごと裂くような音と共に、門の片側を真っ二つに両断した。

 

 男の注意がそちらに逸れる。その隙を突くようにして、セラヴィアは力の限り、肩に置かれた足を押し返した。

 イヴァレの体が泳ぐ。開いた門から、黒い影が飛び込んでくる。

 振るわれる大剣。イヴァレが受けて、大きく下がる。影は追撃する。

 

 銀の髪をはためかせて。

 数度切り結んで、今度は影が下がった。立ち位置を変える。イヴァレと、いまだ座り込んだままのセラヴィアの間に、立ちふさがるように。

 前を見据えたまま、背中越しに、ノエルが言う。


「ごめん、遅れた」

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